転スラ世界に転生して砂になった話   作:黒千

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明けましておめでとうございます。


開国祭編~準備
109話 北の大地再び


 

 聖教会とのイザコザは片付いた。

 テンペストでは、来たるべき開国祭の準備が進められている。

 

 俺はリムルから任されている農作物関連の視察で、町外れの農場を訪れていた。冬ではあるが、祭りで出す食糧の確保や発表用の資料確認など、仕事は山積みなのだ。

 研究棟の職員から報告を受けた後、一人で畑を見て回っていると──残念なことに、俺はまたしても森の奥にその人物を見付けてしまった。

 

 真っ赤な髪と、真っ赤な瞳の、赤い美女。

 

 また出た……ギィ子ちゃん……! 

 だからさあ、そう気軽に他の魔王の領地に現れるなよ……! 

 

 木陰に潜む美女は、クイッと指先を動かして俺を呼ぶ。

 ……仕方がない。一応、周りに人の目がないことを確認してからコソコソ近寄って行くと、にっこりとした微笑みに出迎えられた。

 

「よおレトラ。テメエに話がある、ツラ貸せや」

「(ヤクザだ……)」

 

 そう思っても口に出さなかったのは、今日のギィの笑顔に、ある種の危険を感じ取ったからだ。下手なことを言うと消されそうな感じがしたので、従うしかなかった。

 二度目の誘拐案件である。タスケテ。

 

 

 

 

 連れて来られたのは、およそ一月ぶりの"白氷宮"。

 しかしそこは玄関ホールではなく、見慣れない真っ白な廊下の途中だった。どこだここ、と戸惑う俺を無視して、白い壁を背にしたギィ(美女)が挨拶もそこそこに話を切り出す。

 

「テメエは知らねぇことだろうが、オレにはオレの事情があってな……世界で発生する異変や災害には気を配ってる方なんだが」

 

 あ、知ってます。"調停者"ですもんね。

 話を聞く姿勢を示すため、俺は沈黙を守りつつギィを見上げている。

 

「つい数日前の話だ。とある国で、とんでもねぇ規模の魔素嵐が観測されてな。明らかな異変だったが、まずは下僕共に見張らせとくつもりだったんだ。だが、その地点ってのが……魔国連邦(テンペスト)の首都周辺だって言うじゃねえか」

 

 ん? それはもしかして……

 この前の、ヒナタ達との激突のこと……? 

 

「まさかと思って、このオレが直々に様子を見に行ってみれば」

「え!?」

 

 ギィがいた!? あの場所に!? 

 いくらリムルとヒナタが激しい戦闘をしてたからって、ギィが来てたなんて原作には──

 ぐっと胸倉を掴まれて爪先立ちとなった俺に、ギィの笑顔が迫る。

 

「バカみてぇな範囲に砂撒き散らしてやがったなテメエ?」

「…………」

「とうとう頭がイカレて、『渇望者(カワクモノ)』が暴走したのかと思ったぜ」

 

 そうだった。『渇望者(カワクモノ)』が暴走したら、ギィが殺しに来るんだったな……

 ギィから見ても、あの砂の量は気が狂ったものだったらしい。俺も同意見なので何も言えない。というか、あれを見られてたってことはまさか、『旱魃之王(ヴリトラ)』に気付かれ……? 

 

「あの時、"暴風竜"も一緒にいたな? テメーらが何やら全方位に向けて『解析鑑定』してやがった所為で、オレは気付かれねーように魔国の外から見てたんだが……遠すぎてな、流石のオレ様でもよく見えなかったんだよ」

 

 セ、セーフか!? 気付かれてないっぽい……ギリギリで! 

 しかし、俺達の感知性能を上回るヤベー奴が本当にいたなんて……ギィの演算能力ってマジで手に負えないんだな、覚えておこう。

 

「あの魔素嵐に加えて、霊子密度の異様な急変動……そして同時刻にシルトロッゾ王国で観測された黒い嵐……おいレトラよ、ユニークスキルにしちゃ随分とやることが派手じゃねぇか?」

「俺一人じゃなくて、ヴェルドラが手伝ってくれたんですよ」

「だとしても、だ。お前が持ってるのは本当に──『渇望者(カワクモノ)』なのか?」

 

 駄目だ。ギィの思惑が見えない以上、真実は明かせない。放っておいたら世界を滅ぼしかねない存在を、ギィは見過ごさないだろうから。

 目を逸らさずに少しの間見つめ合い、やがてギィが手の力を抜いた。

 

「いいぜ? 話す気がねぇなら、身体に聞くまでだ」

「は……?」

 

 今度は腕を掴まれて、歩き出したギィに引き摺られてついて行く。

 か、身体に? って何? いやこれ、どう考えてもマズイ予感しかしないだろ……! 

 

(ウィズ……逃げよう!? 逃げられない!?)

《解。『境界侵食』による空間転移は可能ですが、個体名:ギィ・クリムゾンの干渉を受けた場合……同個体が転移先へ追随してくる危険性があります》

 

 ついてくんのかよ怖い……! 

 じゃ、じゃあ、どうすればいいんだ……!? 

 

《個体名:ギィ・クリムゾンの目的は恐らく、主様(マスター)の精神に負荷を掛けて綻びを生じさせ、究極能力『旱魃之王(ヴリトラ)』を読み取ることです。平静状態を維持して下さい。補助のため、ユニークスキル『夢現者(マドロムモノ)』の『精神感応』を実行します》

 

 なるほど、ギィの狙いは俺を動揺させること……だったら、これもそのための演出か。そうとわかれば、俺にも対抗のしようはあるぞ……! 

 俺は廊下を進んだ先の一室へと連れて行かれた。きっと寝室なんだろう、薄暗い部屋に置かれていたのは大きなベッド。乱暴に突き飛ばされ、背中から倒れ込む。

 含み笑いが聞こえた。

 

「ま、ゆっくり楽しもうぜ。どこまで我慢出来るか試してやるよ」

 

 ギィの目的はわかってる。それなら切り抜けられる……! 

 そう自分に言い聞かせ、ベッドに横たわった俺は、挑発的にギィを見上げた。

 

「やれるもんなら……やってみて下さいよ?」

「とか言いながら砂に戻ってんじゃねーぞテメエ」

 

 ギィの目の前、ベッドに広がるのは──サラサラの砂溜まり。

 要するに、砂妖魔(サンドマン)の本来の姿である。

 

 残念だったな、俺は砂だ! 

 いつまでも人型でいてやる理由なんてないんだよ! 

 

 砂となった俺に対して、ギィは忌々しそうに舌打ちをした。

 そして男性型に戻ると、ドサッと俺の上へ仰向けに身体を投げ出す。ぐぇ。

 

「フン、上手くいかねぇな」

「……やり方が荒っぽすぎるんですよ。何でそんなに『渇望者(カワクモノ)』にこだわるんですか? 昔と違って大人しくしてるんだから、もういいじゃないですか」

「ああ? どの口で言ってんだテメエは、あれだけの異変起こしといて」

 

 俺は本格的にギィに目を付けられてしまったようだ。うん、ヴェルドラ込みでやったことだとは言え、弾みで一国滅ぼしそうな勢いだったもんな……

 ギィは頭の後ろで手を組み、俺の上(砂)でゴロゴロと寛ぎ始める。

 

「オレの知る限り、『渇望者(カワクモノ)』は世界を壊すためだけに存在してやがったからな。本当に落ち着いたってんならそれに越したことはねーが、お前らはどうも胡散臭ぇ。オレはヤツとお前の腹の底が知りたいのさ」

 

 俺と『渇望者(カワクモノ)』が共犯者のように語られているが、ギィの言い分も尤もだ。

 仮にもスキルなんだから、『渇望者(カワクモノ)』は俺の魂の力でもあるはずで……俺と『渇望者(カワクモノ)』には共通する何かがあるはず、と考えたんだろう。

 

「破壊を望む『渇望者(カワクモノ)』はお前に宿った……ならお前はそいつを宿す時、何を望んだ? 世界が壊れちまえばいいとでも願ったのか?」

「願ってないです……」

 

 否定はしたが確信はなかった。

 だって俺、覚えていない。前世で崖から落ちて死んだ時、俺は、痛くて、痛くて、朦朧として……それ以上のことは記憶が曖昧だった。まさに死ぬほど痛かったんだから、つい間際に恨み言が頭を過ぎっていたとしても不思議じゃないが……

 

「大したことじゃなかったと思いますよ。ほら……喉が渇いたとか?」

「そんな下らねえ願いでヤツを背負い込んだってのか」

 

 正直、有り得ない話ではない。

 リムルの例を考えても、ものすごく些細な願いからでも獲得するからな、スキルって。

 

「まあいい、今まではすぐ『渇望者(カワクモノ)』が行方知れずになっちまって面倒だったからな」

「それはギィさんが毎回持ち主を殺してるからですよね?」

「話が通じねーんだから仕方ねぇだろ。幸いテメエは自我を保ってんだ、気長にやるさ」

 

 今日のところは、ギィは俺に無体を働く気はなくなったようだった。

 だからこその、何気ない動作だったんだろう。俺の上に寝転んでいたギィが、ベッドに積もった砂に──つまりは俺の身体に、さくっと手を差し入れたのだ。

 

「ふあぅ」

 

 変な声出た。

 そして訪れる静寂。

 数秒間だけ動きを止めたギィが、呟く。

 

「お前……砂でも感触あんのか?」

 

 そりゃ普通は……砂の普通がどうかなんて、ギィが知るわけないだろうけど……! 

 ニヤリ、と性質の悪い笑みを浮かべたギィは、ベッドに寝そべる体勢を腹這いへと変える。

 

「ああそうか、テメエはいつも人化してるからな……本来の砂の姿を暴いてやったとなりゃあ、テメエの所の連中はさぞ悔しがるんじゃねーのか?」

「それって何か意味ありますか!? あっ、ちょっと、何……!」

 

 砂山に突っ込まれた手が、ざらあ、と無遠慮に砂を崩して体内を掻き回す。

 ん、ぐっ……いやいや、何コレ!? こんなのリムルにしかされたことないってのに……! 

 

「わっ、あっ……やめっ、それ嫌……っあああ!?」

 

 落ち着け、まだマシ、まだマシだ、砂スライムのように輪郭を作ったものを破られるよりは、元から流動体である砂を混ぜられる方が少しはマシ……嫌だけど! これも! 

 だがその時点で、俺はギィに翻弄されてしまっているも同然だった。

 

《──警告。個体名:ギィ・クリムゾンによる『解析鑑定』を感知……偽装不能。妨害します》

 

 ウィズ……! 

 俺の相棒は冷静に対処してくれたが、やはりギィの狙いは……

 

「ハ……! やっぱりテメエも究極能力(アルティメットスキル)持ちかよ。覚醒もしてねえのにオレに抵抗するとは、大したもんだぜ」

 

 ああああー! くそ、くそ! 最悪だ! ホンット、コイツは油断も隙も……! 

 気分は最悪だが、状況はまだ最悪じゃない。ギィでもここが限度だろう。たとえミリムでも外から見ただけでは究極能力(アルティメットスキル)の数まではわからないはずだし、『先見之王(プロメテウス)』と『旱魃之王(ヴリトラ)』の見分けも難しいはず……で、いいんだよな? 本当に? 

 それは、ギィにも不可能なのか? 

 

「やってみろって言ったのは、お前だったよな?」

「……ッ!」

 

 背筋の凍る、獰猛な支配者の笑みだった。

 精神を奥底まで侵し、忘れかけていた何かを引き摺り出すような──

 

 

 

 その時。

 コンコン、と響いたのはノックの音。

 開いたままになっていた扉の枠に寄り掛かり、壁に軽く指を当てていたのは……

 

「お楽しみ中みたいね?」

 

 ヴェルザードさん……!? 

 救世主の登場に泣きそうになったが、考え直す。

 お楽しみ中って……確かにこの状況、恐らくここはギィのベッドで、ギィが俺の上に乗っていて……いや今は砂だけど……俺はヴェルザードさんに助けを求めていいのか? それとも、間男か泥棒猫の誤解を受ける前に釈明を……? と思ったが、そんな事態にはならなかった。

 ヴェルザードさんの氷の視線は、ギィに向けられていたからだ。

 

「ギィ、レトラちゃんを苛めないで。怒るわよ?」

「苛めてねーだろ。遊んでやってたんだ」

 

 そっちこそどの口で言うんだそれを……まあでも客観的に考えると、砂をサラサラされただけなんだよな俺。これ訴えて勝てる? 微妙じゃない? 

 ヴェルザードさんは冷たくギィを睨み付けてから、その表情を和らげる。

 

「レトラちゃん、もう大丈夫よ。こっちへいらっしゃい」

「ヴェルザードさん……!」

「よしよし、怖かったわね……向こうで一緒におやつを食べましょう?」

 

 ギィの下からスルスルと抜け出して、ベッドを脱出。人間形態となってヴェルザードさんに駆け寄ると、ふんわりと抱き留められた。ヴェルザードさんは本物の女神だった。大変子供扱いされているが、怖かったのは事実なので反論しないでおくとしよう。

 

 

 

 

 

「はい、レトラちゃん。あーん」

「あ、あーん……」

 

 差し出されたスプーンの先を咥えると、口に広がるのはプリンとクリームのなめらかな甘み。

 笑顔のヴェルザードさんに美味しい? と尋ねられ、頷く。

 

 ヴェルザードさんに救出された俺は客間に通され、レインが用意してくれたプリンアラモードと紅茶でおやつタイムの最中だった。ソファの隣にはヴェルザードさんが鎮座し、例の壊れた距離感でこれでもかと俺のことを構ってくれている。

 部屋に入って来た緑髪のミザリーが、恭しく頭を下げた。

 

「ヴェルザード様。ギィ様にもお茶をお出しして参りました」

「知らないわ、あんな人放っておけばいいのよ。レトラちゃんに酷いことして」

 

 ツンと答えたヴェルザードさんだったが、俺を向いた表情はすぐに申し訳なさそうなものへと変わった。両手で包み込んだ俺の顔を労わるように撫でながら、そっと額を当ててくる。

 

「レトラちゃん、怖い思いをさせて本当にごめんなさいね。ギィがレトラちゃんを連れて来ていたなんて知らなかったの……私がもっと早く気付いていれば……」

「い、いえ、ヴェルザードさんが来てくれたので大丈夫です。ありがとうございました」

 

 確かに俺は酷い目に遭ったが、夫婦喧嘩の原因になってしまうのも心苦しい……ギィには腹が立つものの、ヴェルザードさんに免じて水に流すことにしよう。

 

「ミザリー、レイン、貴女達も座りなさい。レトラちゃんとお喋りしたいでしょう?」

「いえ、そのような。私共はこのままで……」

「憚りながら、ヴェルザード様の御心遣いに甘えさせて頂きますわ」

 

 メイドとして遠慮を見せたミザリーに対し、流石のレインである。淑女然としたスマートさでソファに腰を下ろしたレインの後に、口元にのみ苦い表情を浮かべたミザリーも続いた。

 テーブルには俺が手土産代わりに作り出したレトラクッキーも置かれているので、良かったらどうぞ。ヴェルザードさんは、可愛いと喜んで食べてくれていた。

 

「ミザリーさん達は、普段ずっとお城にいるんですか?」

「はい、ギィ様やヴェルザード様の身の回りのお世話をさせて頂いております。人間達の領域を侵略する任務もありますが、多くの場合は部下に任せておりますので」

「……頑張って下さいね」

「過分なお言葉、痛み入ります」

 

 スルーせざるを得ない部分もあるが、それとなく情報は得られた。

 ギィは"調停者"であり、人間達の滅亡を防ぐ役割も担っている。絶対的な魔王として人間達に災厄を齎し、恐怖を味わわせ、人間同士を団結させようとしているのだ。

 

 ギィとしては、グランベルが西側の支配を行うなら自分にも都合が良いため、今は様子見している部分もあったはず……もし俺がシルトロッゾを滅ぼしてしまっていたら、その分だけギィ達の侵攻が激しくなり、まだそれを食い止めるだけの戦力が揃っていない西側諸国は地獄を見ることになっただろう。危なかった……

 

「ところでレトラ様。そちらには、原初の黒(クロ)がお仕えしているとか……?」

 

 あ、ディアブロのことだな。

 青髪のレインに問われて肯定すると、その澄まし顔が僅かに歪んだ。え、マジなの? とでも言いたげな引きっぷりを感じたが……失礼致しました、とレインは会釈する。

 

「彼は悪魔族(デーモン)の中でも変人……いえ、変わり者なので少々意外に思いまして……もしかするとレトラ様やリムル様には、大変な御迷惑をお掛けしているのではないかと」

「そんなことないですよ。いつも優しくて俺達のことを第一に考えてくれるし、仕事にも真面目だし、精神的にはちょっとこう……繊細なところがあるけど、落ち込んでもそれをバネに頑張ってくれるので! あとすっごい努力家で、俺も見習わないとって思ってます」

 

 ディアブロはまだヨウム達と一緒にファルムスにいる。内乱の後始末や即位式の準備でこれから忙しくなるようで、当分は戻って来られないらしい。

 そしてこれは、俺が配下のことを紹介した時によく起きる現象だが……二人からの反応がないなと思ったら、レインとミザリーが顔を突き合わせ内緒話に勤しんでいた。

 

「繊細って誰が? 落ち込む? 努力家って何?」

「クロではないわね。黒の系統の……ラミリス様の従者の話かしら?」

「そうね、ついクロって言っちゃったから伝わらなかったのかも」

 

 伝わってるよ! ベレッタじゃなくて、ディアブロの話してたよ俺は! 

 ディアブロ……レインもミザリーも信じてくれないんだけどどうしよう。説明が曖昧過ぎたかな? もっと具体的なエピソードを交えて……と頭を捻ってみたが、その思考は中断された。

 

 突然、ドアが開き、ギィが姿を現したのだ。

 音の消えた室内に緊張が走る。

 

 メイド二人は衣擦れの気配さえ感じさせずに立ち上がり、壁際へ。

 ヴェルザードさんの眼差しは、見る者全てを凍て付かせるかのようで──そんな中を平然と歩いて来たギィは、持っていた丸い器をカツンとテーブルへ置いて一言。

 

「お代わり」

 

 ハイハイ、俺クッキーね。

 ミザリーがギィにお茶を出しに行った時、俺型クッキーも持って行ってもらったのだ。怪しいと思うなら食べなきゃいいだけだが、ギィは全部食べたみたいだな……ゴブイチやシュナの努力が評価されたようで気分が良い。

 ユニークスキル『砂創作家(サンドアーティスト)』を発動させると、器にはまたクッキーの山が現れた。

 

「どうぞ」

「ああ」

 

 サッと片手がクッキーの器を攫って行く。

 傍若無人な赤い悪魔はお礼の一言も発することなく、誰もいなくなった向かいのソファに腰を落ち着けると、サクサク、サクサクとクッキーを摘まみ始めて──

 

「さっきは悪かったな」

「あ、はい……」

 

 まさかの謝罪だった。

 簡素にして尊大な物言いだったが、俺の中では驚愕の方が勝っている。

 ギィって謝るんだ……? 傲慢って何だっけ……? 

 

 

 

 

「っていうか、ギィさん! 俺には手を出さないって言ってたのどうなったんですか!?」

「オレはそんなこと言ってねーぞ。家に帰してやるとは言ったが」

「やり口があくどい……次やったらヴェルドラとミリムに言い付けますよ!」

「その時は戦争だな?」

 

 別に俺も、本気で告げ口しようという気はない。ヴェルドラはともかく、こんなことでミリムに泣き付くのは情けなさすぎる……リムル? いや戦争したくないし。

 せっかくの機会なので、俺は溜まった不満をギィにぶつけまくっていた。何を言おうとギィに響くことはないんだろうが、今なら軽く聞き流してくれるだろう。

 

「それと、また勝手にウチの領内に侵入しましたよね……あれもやめてください!」

「じゃあどうやって攫って来りゃいいんだよ」

「攫うな! 俺だってもう素直について来ませんよ!?」

「えっ……」

 

 ギィではなかった。当たり前だ。

 それは俺とギィの言い合いを見守りながら、また俺に抱き付いたりスリスリしたり髪を梳いたり結んだり、ご機嫌だったはずのヴェルザードさんの小さな声だった。

 

「あの……レトラちゃん? もう来ないの……?」

「え……」

「そ、そうよね、レトラちゃんはとっても怖い思いしたんだもの……でもあの、ギィには私からもちゃんと言っておくから、もう絶対にあんなことはさせないから……だからね、もう遊びに来ないなんて言わないで? そうだわ、次に来た時はすぐ私を呼んでくれればいいのよ、私がレトラちゃんを守ってあげるから、ね……?」

 

 深い青色の目が、悲しげに潤んで俺を見つめている。

 こ、これはヴェルザードさんの地雷だったか……また俺は迂闊なことを……! 

 

「おいおいレトラ、ヴェルザードを泣かせる気じゃねーだろうな?」

「顔! ムカつくなぁもー!」

 

 ニヤニヤすんな! 美人局だよこんなもん! 

 俺には、また遊びに来ますと宣言する選択肢しか残されていなかった。

 しかしよく考えると、この城の安全地帯はヴェルザードさんの傍にしかない……ギィは危険すぎて俺の命や諸々が持たないし、ミザリーもレインもギィの部下だし。どうせまた攫われて来るんだったら、身の安全を確保しておくべきなんだろうな……

 

「……もし誰かにギィさんのこと見られてバレそうになったら、さすらいの旅商人ギーコさんってことで誤魔化しますからね!」

「わかったわかった。好きにしろよ」

 

 腹いせのつもりだったがOK出ちゃったので、いざとなったら本当にそうしよう。

 

 

 

 

 

「はあああー……疲れた…………」

 

 "白氷宮"から無事に帰還し、森の中に戻って来た俺は、その場でべしゃあと砂になった。ここが外だとかどうでもいいから、人知れず寝転がりたい。疲れた。

 

主様(マスター)

(ん……何だ、ウィズ?)

《……申し訳ありません。力及ばず、主様(マスター)を危険に晒しました》

(お前はちゃんと逃げ出す隙を窺っててくれただろ、ありがとな)

 

 ギィとは戦いたくない、騒ぎを大きくせずに逃げたい、とは俺が望んだことだ。

 ヴェルザードさんが助けに来てくれなかったとしても、難を逃れるチャンスはあった。ギィのミスは、うっかり男性型に戻っていたこと。あの『解析鑑定』ならウィズが妨害出来ていたし、もしギィが演算特化の女性型に変身しようとすれば、一瞬だけでも隙が生まれる……その瞬間、俺は『境界侵食』で逃げられたはずなのだ。

 

 収穫はいくつかあった。

 ギィの目的は『旱魃之王(ヴリトラ)』を探ることと──俺の本心を暴くこと。ギィは俺が世界の破滅を望む者だと考えている。排除も視野に入れ、俺の本性を暴き出すため様子を見ているのだろう。

 トレイニーさんはあっさり俺を信じてくれたが、やっぱりあれって、トレイニーさんが人を疑うことを知らないタイプだったからだよな……

 

(……『旱魃之王(ヴリトラ)』)

 

 返事なんて一度も来たことのない相手に呼び掛ける。

 それは今回も同じで、届いているかも不明だが、俺は続けた。

 

(大丈夫、捨てないよ。お前はここに居ればいい)

 

 ギィが怖すぎて、少し思い出したのだ。

 あの日、俺が崖から落ちて死んだ日のことを。

 

 頭が、骨が、砕ける衝撃。

 腕も、脚も、指の一本すら動かなくて、痛くて、痛くて。

 もう自分が助からないことは理解していた。

 俺はこのままここで死ぬんだろうな、と。

 

 ──ああ

 

 それでも、

 俺は、

 

 ──喉が、渇いた…………

 

 まだ、

 

 

(俺の中に、居ていいよ)

 

 

 




※メインは砂遊び(R-15)だったはず……
※今年もよろしくお願いします



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