①出会い~砂
やあ、我だ。
世に四体のみ存在する"竜種"が一体、"暴風竜"ヴェルドラである。
かつては無敵を誇り、気の向くまま好き放題に暴れて生きておった我が、あの黒銀色の髪の少女──勇者との戦いの末、ユニークスキル『無限牢獄』によってこの洞窟に封じられてから、もう三百年ほどにもなろうか。
不思議と、我を倒した勇者に対する憎しみはなかった。それどころか、あの出来事を切っ掛けに、我は初めて人という存在に興味を抱いたのだ。
ここを出られた暁には、もう一度あの者と戦ってみたいと……いや、違うな。言葉を交わすこともなく、仮面の下の顔も知らぬまま、ただ戦うのみであった彼女と語り合ってみたいとさえ、我は考えるようになっていた。
だが、それは叶わぬ望み。勇者と言えど、人間の寿命は短いのだからな。
封印を破る手立てもなく、大人しく反省を続けてきた我だが……この日々が終わるのは、少しずつ漏れ出している我の魔素が全て尽き、消滅を迎えた時──早くてあと百年ほど先の話だ。
"竜種"である我は、滅びたとしてもいずれ世界のどこかに"転生"を果たす。自我や記憶の殆どを失うことにはなるが、解放されるにはその時を待つしかない。
と、まあ、転生自体は構わぬものの……あと百年以上もこのままとは気が滅入る。
せめて話し相手でもいれば、とは何度も思い描いてきたことだが、このような洞窟の奥深くを訪れる者など存在するはずもなかった。故に、我はひたすらに退屈を我慢しながら、やがて来たる滅びの時を待ちわびておったのだ。
そんな我に、その日は突然やって来た。
いつもと変わらぬ静寂に満ちた空間の中、ふわりと現れたささやかな気配。
これまでの三百年間、一度も起こることのなかった異変──
まさしく我の目の前で、その生命体は誕生したのだ。
この洞窟は存外広く、我の魔素溜まりから発生した魔物達が内部をうろついていることは知っていた。だがそれは我の居場所からは遠く離れた、洞窟内を隔てる扉よりも向こうでの出来事だ。我の周囲は魔素濃度が高すぎる故、魔物が生まれるどころの話ではないのだろう。
このような過酷な環境で生まれることが出来た魔物が、まさか下位存在であるとも思えぬ。これはむしろ、我が眷属とでも呼ぶべき存在なのではないか?
三百年ぶりに他者と話すことが出来そうだ、とワクワクする気持ちを抑えつつ、我はその生命体を注意深く観察し──そして気付いた。
コヤツ、肉体を持っておらんぞ……?
どうやら我と同じ精神生命体のようだが、依代が無くては現世に長く留まることは出来ぬ……フム、これから受肉を行うのかもしれん。どれ、存在が定まるまで待ってやるとしよう!
…………
…………
…………
…………動かんな?
その魔物、いや魔精は、瘴気の中にふよふよふわふわと漂うのみ。
何をしておるのだ? 周囲の様子を窺っている……わけでもなさそうだ。行動の意思が一切感じられん……もしかしてコヤツ、眠っているのか? 精神生命体が? 我の知識によれば、睡眠とは物質生命体が行う生命維持活動のはず……つくづく妙なヤツだ。
せっかく生まれたというのに、眠り続けるだけでは外敵から身を守れぬだろうに──まあ、ここには寛大な我しか居らぬ故、襲撃を受ける心配はないのだが。
というか、いつまでも精神体のみでは、いずれ魔素が底を突き消滅してしまう──まあ、辺りを覆う我が瘴気に包まれて、今は力の流出も見られないようだが。
(……おい貴様、そうして呑気にしていられるのは我のお陰なのだぞ……!)
いくら気の長い我でも、我慢の限界である。
コヤツはさっさと目覚めて、我に感謝しても良いのではないか?
痺れを切らせて『念話』で呼び掛けていると……ようやく小さな声がした。
(…………うーん)
返事ではなかったが、明確な反応だった。
続けて思念を送っているうちに、ここはどこだ、と相手の思考が騒ぎ出す。
素晴らしい、やはり自我を持っているではないか! ならば会話も可能なはず、と気を良くした我は、更に呼び掛けを続ける。
(おい、聞いているのか? 早く起きろと言っているのだ)
(……えっ?)
そこでやっと、魔精は我の存在に気付いたようだ。
まったく、焦らしおって……!
(我は"暴風竜"ヴェルドラ。暇を持て余していたのだ、歓迎するぞ小さき者よ)
いつか来訪者があればと考えていた通りに、我は格好良く名乗りを上げた。
これは決まったと満足していると、当の魔精の表層心理では──詳細は読み取れなかったが、驚愕や混乱がない交ぜになった感情の乱れが巻き起こる。
(俺……死んだのか……)
(ん?)
イカン、我があまりにも強大な存在であるために、怯えさせてしまったようだな。それは我の望むところではないので、まずはこの者を安心させてやるとしよう。
(何も我は、お前を滅ぼすつもりなどないぞ?)
(そうか、俺は……この世界に転生……)
(ただその、少しな、我の話相手に)
(──は!? 転生した!? 俺はどうなったんだ? 何に生まれ変わったんだ!?)
いやコイツ! 我の話を全く聞いておらんのだが!?
一人で大騒ぎしている魔精を落ち着かせ、事情を聞くと……なんと、異世界からの転生者であることが判明した。"転生者"というだけならこの世界でも存在が確認されているが、異世界からとは珍しい。そして前世では人間だったそうなので、その狼狽も無理からぬことだろうな。
その後、魔精は地面の砂に憑依し、遅まきながら依代を獲得しおった。
砂が依代ということは、コヤツは
ともかく我は、切望していた話し相手を手に入れた。
特別に、我に慣れ慣れしく話し掛けることも許してやったわ。神とまで畏れられた我と
(え? いいんですか?)
(そう言っておろうが。良いか、お前は特別だからな?)
(えーっと、それじゃあ…………ヴェルドラ!)
ウム、悪くない。まったくもって悪くない。
元人間だという砂の丁寧な言葉遣いに物足りなさを感じたわけでもなければ、『ヴェルドラさん』という呼び方に距離感を覚えたわけでもないのだからな?
ちまり、ちまり、と少しずつ砂が流れる。
最近の砂は我と語り合う他にも、地面から砂を集めて身に蓄えることを習慣としていた。
本人はかなりの距離を進んだつもりなのか、時折、こちらを確かめるように振り返る動作をするが……我からすれば誤差の範囲内でしかない。全て見えておるとも。
しかしあれだ、あの砂がサラサラ、ヨチヨチと懸命に動き回る姿は、いくらでも眺めていられるな……不可解な心持ちではあるが、これも悪くない。
そういえば昔、大空を飛ぶ我の眼下でも、人間や魔物達があくせく動き回っていたような気がする。あまり印象に残っておらぬのは、当時の我にはそれが見えていなかった──いや、見ようともしていなかったからなのだろう。
(ヴェルドラ! 俺、また少し成長した!)
砂を引き連れて戻って来た砂は、至極満足そうだった。
せっかく喜んでいる砂に水を差すこともないが……相変わらず小さい。小さすぎる。
見下ろす先にある砂の小山は、我が傍を通るだけで全て飛んで行くのではあるまいか……と我を不安にさせるほどだった。まあ、動けぬ我が気にする必要はないのだが。
(それから俺、ユニークスキル『
……『風化』? 砂に変える、だと? いつのことだったか、そのような力を持った何者かが、どこかで暴れていなかったか? そして確か、魔王の誰かが…………まあ、我には無関係の話だったのだろう。小耳に挟んだ程度のこと、覚えておらずとも仕方無いな!
(ほう、ユニークスキルとは魂が生み出す個有の能力……異界からやって来る"異世界人"は特殊な力を得ることが多いそうだが、やはりお前も只者ではなかったか)
我自身の話ではないのに、何故か妙に気分が良くなる。
ウーム……どうも我はこの砂に対して、名状し難い感覚を抱いているようだ。
目の前で発生したのを見たからだろうか? どうだコヤツは凄いのだぞと触れ回りたい、というか……それと同時に、やたらと素直すぎるコヤツの面倒を見てやらねば、というか……
(……しかしだな? 所有するスキルの詳細を、おいそれと他者に教えるのは避けた方が良いぞ? 切り札を敵に知られては、いつか窮地を招くかもしれんのだからな)
(あ、うん。でもヴェルドラは敵じゃないから、言ってもいいよなって)
(ッそれは! 正しい判断だ! 我には何でも言って構わんぞ!?)
フッ……わかっているではないか。
我がお前を害することなど、到底有り得ぬのだからな……!
(ではお前は、前世ではダイガクセイという身分だったのだな)
(そうだよ。春から一人暮らし始めたところで)
(フム、お前も一人だったのか。我と同じだな)
(三百年のスケールと並べられるのは気が引ける……!)
封じられた我の足元に佇む砂と、様々なことを語り合う。
生まれたてとは言え砂には前世の記憶があるのだから、話題には事欠かなかった。長年の退屈に苦しんできた我にしてみれば、異界の話であっても興味は尽きぬしな。
("星王竜"ヴェルダナーヴァ兄上の他にも、我には姉が二人いてな……それが"白氷竜"ヴェルザード姉上と、"灼熱竜"ヴェルグリンド姉上──)
(うんうん、四兄弟なんだな!)
我の話にも、砂は興味津々に聞き入っていた。
まあ、姉上達の話題になった途端、我の心に思い出したくない過去が押し寄せ、予期せぬダメージを負ってしまったが……姉上達の話はこのくらいにしておこう。
(お前はどうだ? 人間だったのなら、お前にも親兄弟がいただろう?)
(あ、俺、親はいなくて……兄弟もいないんだ)
(いないとはどういうことだ?)
(……うーんと)
(人間とは子を生す生物であったはず……すると、親はいたのだろう? いなくなったということか? それとも、お前は一人で生まれたのか?)
(そこから!? ……じゃあ、いたけど、いなくなった、が正しいかな)
やはり、我の知識は間違っていなかった。
人間のような物質生命体は、親無くしては生まれぬものだからな。
(でも、じいちゃんとばあちゃんはいるよ! ずっと俺を育ててくれて、大学まで行かせ、て……くれたのに……俺、死んだんだよなあ……何でよりによって帰省中に……? 何で孫が帰って来たと思ったら山で死んでんだ……? ショックだっただろうなぁ……ああああ俺の不孝者ッ!)
(落ち着け)
じいちゃんとばあちゃん、とは……親の親、であろうな。
その者達のことを語り出した当初は、砂の思念は明るい調子だったが……それがだんだんと落ち込んでゆき、終いには取り乱し始めた。
(散々世話になっといて、何やってんだ俺……恩を仇で返してないか……!?)
前世の最期については、崖から落ちたがよく覚えていない、と言っていた。そう語る砂の様子は泰然としたものだったが、あの時は死の実感がなかったのだな。話をするうちに少しずつ、望まぬ死であったことを意識し始めたのだろうが、このままでは我も困るので──
地面に伏せて縮こまる砂に、おい、と呼び掛け、こちらを向いた意識に告げる。
(もっと楽しい話はないのか?)
(…………っ)
数秒ほどの間。
(……ご……めん。こんな話、楽しくないよな…………)
砂の思念が尻すぼみになり、消える。
それきり、砂は何の言葉も発しなくなってしまった。
…………
…………
何だ、この沈黙は…………どうしたのだ?
砂から感じ取れる波長からすると、何やらとても、深く深く沈み込んでいるような……まさか、これは我の所為か? 我は何か間違ってしまったのか……!?
(お、おい……あのな?)
(……ん、待って、ちょっと今無理…………)
つまり、話し掛けるな……と?
な、何故だ? 我はただ楽しい話を…………つ、伝わっておらぬのかもしれん!
考えてみれば、我には対話の経験というものが足りておらぬ可能性がある……最も接する機会の多かった姉上達でさえ、ほとんど話の通じる相手ではなかったからな……!
(……や、うん、俺の問題なんだから……人に言うことじゃないよな……ちょっと、待ってて、もう少ししたらちゃんと、ヴェルドラが楽しめるような話するから…………)
自らに言い聞かせているような、力の無い砂の思念。
マズイぞ、せっかく話し相手を得たと言うのに、これではマズイ……状況を打破すべく、砂の一言一句を聞き漏らすまいと集中していた我は──ハッ、と思い至る。
(ああ……! 違う、我ではない! お前だ!)
(…………な、何が?)
(お前が楽しそうではなかったからだ!)
(……?)
やはり伝わっていなかった……!
どこまでやれば足りるのかわからんが──ならば、全てを伝え切るのみ。
(経緯はどうあれ、お前の前世は終わったのだ。お前を育てた者達がそれをどう感じたかは我にもわからぬ上に、どうしてやることも出来ぬが……いや、その者達がどうでもいいと言っているのではないぞ!? しかし、我にとって確かなのは、転生を果たしたお前が目の前にいることと、そのお前が楽しそうではないことだ! 今ここにいるお前が楽しく在るべきと考えたからこそ──
(…………げ、元気出せってこと?)
(…………ウム、そうだな)
あれ、もしかすると我、心無いことを言っているかもしれんぞ?
元気など出せるものならとっくに出している、とか思われたらどうしよう。余計な世話だと気分を害した砂が、ここを去ったらどうしよう…………
(そう、かぁ…………ありがとう、ヴェルドラ)
我の危惧に反して、砂の思念は穏やかだった。
どこか放心した風情でもあったが、再び我を見上げる姿にホッと安堵する。
昔の我ならば、威圧してでも相手を従わせれば良いと考えたであろうが……長きに渡る反省を経た我は、最早そのような幼稚な手段には頼らぬのだ。
(なあ、じいちゃん達の話してもいい? 俺は楽しいんだけど、それなら聞いてくれる?)
(構わんぞ。人間達にまつわる話は、我も聞きたいと思っておったしな!)
聞くことで相手を理解し、話すことで己を理解して貰う……
思うように伝わらぬこともまた、互いを理解するための道筋の一つだとすれば──他者との意思疎通とは予想以上に難しいが、それ以上に面白いものなのだな。
※本編が更新停止中なので、ヴェルドラ日記やります