転スラ世界に転生して砂になった話   作:黒千

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(前世/藤馬泉①)

 

 藤馬泉は、四度親に捨てられた。

 

 一度目は、母親の胎内に宿ったばかりの頃。

 それを知った父親となるべきはずの男は、母子を捨てて去ったのだと言う。

 泉がその事実を聞かされたのは成長してからのことだったが、顔も名前も知らない希薄なだけの父親の存在は、初めから無かったものと思えば諦めも付いた。

 

 

 

 二度目は、生後半年ほど経った頃。

 まだ若かった泉の母親は、訪れた実家に我が子を預けて行方を眩ませた。

 無口な祖父と物静かな祖母は、取り残された孫に不自由をさせまいと、泉を慈しんで育てた。いつか必ず母親が迎えに来るから、と言い聞かせて。

 

 泉の育った山間の町は、かつては林業で栄えた、何の変哲もない田舎だった。

 祖父母が長年築いてきた縁により近隣との付き合いは良好で、泉が町の子供達と遊ぶ光景は、大人達からも微笑ましく受け入れられた。

 

「泉くんって、いつまでここにいるのかしら」

 

 決して、そこに悪意はなかった。

 あったのは、親も兄弟もいない泉への同情心。

 

「本人のことを考えたら、今のままじゃ良くないと思うの……やっぱり、お母さんと暮らすべきじゃない? お母さんとは連絡付かないの?」

「藤馬さんの娘さんって、随分前に出て行って……赤ちゃんの泉くんを連れて一度だけ戻って来たんでしょう? またそれっきりなのよね……?」

「泉くんはお迎えが来ると思っているみたいだけど、ねえ……」

 

 潜められた声は、泉を気遣ってのものだったのかもしれない。

 だが、狭い町の中では、泉には耳を塞ぐ術がなかった。

 

 降り積もる憐れみは、幼い心に疑問を芽生えさせた。

 ここにいてはいけないのだろうか。

 ここは自分がいるべき場所ではないのだろうか。

 未だに母親は現れないが、祖父母の言うように、いつか母親が迎えに来てくれたなら。その時には、自分のいるべき場所へ戻れるのだろうか、と。

 

 

 

 三度目は、小学校の卒業間近。

 それまで何の音沙汰も無かった母親が、突然実家を訪れ、告げたのだ。

 今日まで我が子を放っておいた自分にはもう泉を育てる資格はない。祖父母の養子にしてやることが泉のためだと。

 泉に理解出来たのは、母親は自分を迎えに来たのではない、ということだけだった。

 

 祖母により部屋から連れ出された泉は、祖父が猛烈な激しさで己の娘を怒鳴り付ける声を聞いた。つい母親を不憫に思ってしまうほどの剣幕だった。

 詳細を知らされずとも、薄々勘付いていることはあった。だが、泉はそれを認めなかった。母親は自分の幸せを願っているのだからと言い聞かせ、去る母親を見送った。

 置いて行かないで、とは言えないまま。

 

 それからというもの、泉の目には、祖父が常に不機嫌であるように映った。

 昔、母親のことを尋ねた小さな泉を膝に乗せて語り聞かせをしてくれた祖父は、泉の問いに答えることはなくなった。泉は問うのをやめた。祖父が自身の内側で荒れ狂う、何かの感情に耐え続けているように思えてならなかった。

 

 穏やかで優しい祖母は、泉を見つめて物思いに耽ることが多くなった。

 母親について尋ねれば、祖父の目を気にしながらもそっと思い出話をしてくれたが、そのうち泉は問い掛けをしなくなった。毎回、辛そうに声を震わせる祖母を見たくなかったからだ。

 

 心苦しかった。

 祖父母への申し訳なさが先に立った。

 彼らが変わってしまったのは、恐らく自分がここにいるから。

 彼らは泉を目にする度に、やり場のない怒りや悲しみに苛まれているのだ。

 

 ここにいるべきではないなら──自分はどこへ行けばいいのだろうかと。

 少しずつ軋みゆく心で、泉は考える。

 

 

 

 四度目は、中学二年生の夏。

 泉は学校では勉強や部活に励み、気の合う友人達にも恵まれた。

 祖父母には、たまに腫れ物に触るような反応をされることがあったが、泉は気付かぬ振りをして円満に過ごした。祖父母のことは好きだったし、彼らに心労を掛けるのは本意ではなかったからだ。その代わり、泉は一人で考え続けた。

 

 ある日のこと、近所の小父が、仕事で訪れた県外の町で泉の母親を見掛けたと教えてくれた。それを聞いた泉は、誰にも告げずにその町へ向かった。

 

 不慣れな乗り継ぎを経て、辿り着いた遠い町。

 話に聞いた小さな駅の前に座り込み、何の当てもなく泉は待った。

 傾いていた日が沈み、辺りが夜に包まれて暫くの後、改札を抜けて出てきた一人の女。写真以外では一度しか見たことのない、泉の母親だった。

 

「泉?」

 

 どうしたの、と女は言った。

 祖母に似た優しげな目が、ほんの少し丸くなって泉を見つめる。

 その目に自分が映っているという緊張感から、泉の鼓動は暴れるように脈打っていた。

 

「大きくなったのね。もう高校生になったの?」

 

 首を振る。

 そう、とだけ声が返った。

 逃げ出したい気持ちを堪えながら、聞きたいことがあって、と切り出した泉の言葉はそれ以上続かなかった。相応の覚悟をしてきた自負はあったが、声が出ない。

 そんな泉に、母親は、家で話しましょうかと告げて歩き出す。

 

 蒸し暑い夜の住宅地を、二人で歩く。

 奇妙な居心地だった。

 

 自分はとっくの昔に捨てられていたのだろう、と泉は答えを出している。

 もう終わりにして欲しかった。泉のためなどと耳触りの良い言葉を使うから、僅かな希望を捨てられなくなる。要らないのなら、はっきりそう言ってくれればと──

 

 だが、母親と並んで歩くのは、泉には初めての経験だった。

 本当に疎ましく思われているなら、会うなり嫌悪や当惑を向けられても不思議ではない。何度も想像してきたそれが起こらなかったことで、泉は揺らいだ。覚悟が薄れ、混乱していた。

 

「お……かあ、さん、は」

 

 全くと言っていいほど舌に馴染まない、余所余所しい響き。

 面と向かって呼んだことなどなかったのだから当然だ。もう一年以上も前となる一度きりの邂逅でも、母親とまともな会話はしていない。

 それでも、もしも、自分が拒絶されていないなら──

 

「ごめんなさい」

 

 泉を遮り、柔らかな声が言う。

 

「やっぱり今日は都合が悪いの。帰ってくれる?」

 

 顔を上げ、立ち止まった母親の視線の先を見る。

 小さなアパートの壁面に並んだいくつかの窓に、明かりが点っていた。

 その光景が意味するものは、泉にとって容赦の無い現実だった。

 

 ──あの中のどこかで、誰かが彼女の帰りを待っている。

 

 血の気が引いた。

 そこには既に、泉ではない別の家族がいるということ。

 その輪に自分が迎え入れられることは決して無いのだと、泉は理解した。

 

「も、う、来ません」

 

 後退ったスニーカーの底が、砂を擦る。

 干上がるように喉が渇いていた。

 ひりついて痛む喉から、細く、声を絞り出す。

 

「…………どう、して、俺を産んだの」

 

 恨み言のつもりだったのかもしれない。

 もう会うこともないだろう母親に、少しでも爪痕を残したかったのかもしれない。

 どんな答えを聞けば満足するのか、泉自身にもわからなかった。

 

 だが、泉を産んだその女は──

 何一つ、望む言葉を与えてくれることはなかった。

 

「そうよね……今まで、辛かったでしょう」

 

 女は微笑む。

 泉の不幸を憐れみながら。

 

「産んでしまって、ごめんなさいね」

 

 息が、苦しい。

 そんなことを。

 そんなことを、聞きたいわけではなかった。

 繰り返される浅く速い呼吸。張り詰めていた糸が断ち切れそうな衝動に、泉は耐えた。この人にはもう何も期待してはいけないのだと、必死に己を叱責して。

 

 苦しい。苦しい。息が、出来ない。

 過度の負荷に引き起こされた窒息感が、黒く焦げ付く胸の痛みに靄を掛ける。

 崩れ落ちてしまいたかったが、一刻も早くここを離れたいという恐怖が泉を突き動かしていた。朦朧とする意識に鞭を打ち、母親であった女に背を向ける。

 元気でね、と場違いな声がした。

 

 

 

 そこからどこをどう歩いたのかを、泉は覚えていない。暗い道端に一人膝を突き、身体を折り曲げ、今にも心臓を止めてしまいそうな息苦しさに喘ぎ続けた。

 

 初めから、否定されるためにここへ来たはずだった。要らなくなったと言ってくれればそれで良かった。そうすれば、もう二度と、もしかしたらという淡い期待に縋らず生きて行けると──そう考えたこと自体、不相応な期待だったのだろうか。

 

『産んでしまって、ごめんなさいね』

 

 微笑む彼女が恐ろしかった。

 何もかも間違っていた。彼女は子など産むべきではなかったし、自分も産まれてくるべきではなかった。己の存在は間違いだったのだと、今なら受け入れられそうな気がした。

 

 もう全部どうでもいい。

 そう思っただけで全てが消えて無くなるほど、世界は泉に優しくはなかった。

 

 

 

 

 

 




※小さい頃に捨てられた、が真相
※以前、レトラは思春期くらいに死んだのではと指摘されて、そうだったかな……と設定を見直したら、十四歳で心をぶち壊されていました。なるほど(納得)



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