イングラシアでの俺の用事は、ほぼ終わった。
街にいた『強化分身』も、ちゃんとホテルまで移動させてから消している。後は大人しく、部屋から評議会を見学していればいいだけだ。
問題はこの"風化欲求"だけど……リムルに触られていた分身体との接続はとっくに切ったし、ウィズにも『精神感応』で抑制を頼んでいるし、前回に比べたらかなりマシだと思う。
でも、前にリムルが、俺が変になってたら見ればわかる……とか言ってたのが気になるんだよな。じゃあ、我慢してても後でリムルにバレる……? リムルにわかるんだったら、ソウエイにもわかるのか……? と疑問を持った俺は、試してみることにした。
「レトラ様、御報告致します」
「ソウエイ?」
視聴していた動画を止め、顔を上げた。影から出て来るソウエイ(分身体)を視界の端に捉えながら、モニター横に置いてあるマグカップに手を伸ばす。
「議会についてですが、午後から再開するとの連絡がありました」
「休憩長いな……わかった、ありがとう」
「リムル様は昼食を取られるそうです。レトラ様も御一緒されては如何ですか?」
「こういうとこで気を抜いちゃダメなんだ、俺はしっかり留守番してるよ。あ、昼はシュナの作ってくれたおにぎり弁当出すから大丈夫」
「レトラ様。不躾ながら」
「何?」
「もしや現在、"風化欲求"が出ておいでなのでは?」
「いや待って何でどういうこと!?」
ゴツン! とマグカップを置き、勢い任せに振り向く俺。
何で即バレした!? 今の会話のどこにそんな要素が!? これはもう、原因を突き止めた方が身のためのような気がする……!
「あのー……何でそう思ったの?」
「目を合わせて頂けませんでしたので」
「ん……?」
俺の椅子から数歩離れた距離に佇む、ソウエイの分身体。
相変わらずの冷静沈着な表情だった。
「レトラ様は普段、我々の目をしっかりと見てお話し下さいますが、今はそうではありませんでした。これは只事ではありません。特にレトラ様が俺から目を逸らされたのは、"風化欲求"を打ち明けて下さったあの夜の一度きりでしたので、同様の事態なのではと思い至りました」
そうだ、リムルには俺の目がどうこうって言われたから、キラキラと同じく目を見られなければいいのかなって……見ないようにしたのが不自然だったのか!
見てもダメだし見なくてもダメって、俺詰んでない……?
「原因にも心当たりがあります。先程、レトラ様がお声を上げられた際……レトラ様は分身体の視界を映す画面で迷宮の映像をご覧になっていたため、リムル様の様子を見ようと分身体と感覚を繋げたのではありませんか? リムル様は丁度、レトラ様の分身体と戯れていらっしゃいましたので──それが切っ掛けであったのかと」
完璧だ……ソウエイは俺とリムルの両方を見てるから、結び付けて考えられるもんなぁ。わざと欲求を出したとは言えないので、これが正解になるだろう。
負けを認めて溜息を吐き、身体ごと向きを変えてソウエイを見上げる。実を言うと、俺はそこまで必死に隠そうとしていたわけじゃなかった。
「……開国祭の最終日に、またリムルを喰ったんだよ」
「はい」
「俺は頑張って我慢してたんだけど、リムルはそれが嫌だったみたいで……必要な時はちゃんと言えって、喰っていいって言われた……いつも心配させてるのはわかってるし、俺も俺の許せる範囲で考え方を変えてみようかと思ってて」
「御立派です」
当然、リムル達──本体を喰うのはどんな理由があっても無理だ、絶対喰わない。そこは誰に何を言われても、譲らないし譲れない。喰ったら渇望の化物になってしまって世界が危ないとかそれ以前に、皆を殺すくらいなら俺は死にたい。
でも、分身体を喰うのは……誰も殺さず"風化欲求"を満たせる唯一の手段だ。代替行為なのでだんだん満足出来なくなったらと考えると怖いんだけど……皆、俺が辛いのは嫌みたいだし、折り合いを付けてやっていけばいいんじゃないかって。
「ソウエイが言った通り、今"風化欲求"が出てるんだ。治まるまで我慢するか、分身体を喰って解消するしかないから…………ソウエイ、協力してくれる?」
ほんの一瞬、間があった。
レトラ様、と分身体が静かに口を開く。
「以前の繰り返しになりますが……リムル様に御協力を頂いては?」
「え? うん、流石に欲求のことは言いふらしたくないから、俺はソウエイかリムルに頼みたいんだけど……リムルにはまだ大事な仕事が残ってるし……あっいや、そんなこと言ったらソウエイも仕事中だよな、じゃあ無理にとは」
「レトラ様」
言葉を被せるように遮られ、ソウエイがその場に跪く。
「リムル様には及ばずとも、レトラ様をお支えしたいという思いには俺も変わりはありません。そのために力を尽くさせて頂けますことを大変嬉しく思います」
俺が協力を頼むと、ソウエイはいつも嬉しいとか喜んでとか言うけど……もっと周りを頼っていいってことを、ソウエイはずっと前から言ってくれてたんだよな。じゃあ、もう少し我侭を言ってもいいんだろうか。
「ではレトラ様。俺は既に『分身体』ですので」
「あ、ソウエイ、ちょっと相談が……あの、出来ればで良いんだけど」
「何でもお申し付け下さい」
「…………ソウエイ本体って来れる?」
「──失礼致しますレトラ様」
「もう来た! 早い! 任務は大丈夫!?」
分身体を通して本体と喋ってるようなもんなのはわかってたけど、ここまで秒で対応されると不安になる……! 俺ホントに、仕事の邪魔する気はないんだって!
現れたソウエイ(本体)は、支障ありませんと答えた。警備態勢の再確認をしたり分身体をカバーしたりという対応も必要なため、リムルの影を離れる許可は得ているらしい。まあ、リムルの護衛にはベニマルもついてるからな。
「レトラ様。本体にも御用がお有りでしたら、何なりと伺います」
「用って言うか……その、終わるまでここにいて欲しい……」
「それは……?」
「分身体を喰ったら、誰もいなくなるだろ……一人になったみたいで、嫌なんだ……」
リムルの時もそうだったけど、出来ればその景色は見たくない。
誰かを喰ってしまった後、俺だけが一人砂の中に取り残される……置いて行かれたような、化物の末路を暗示するかのような光景は、俺の心をジクジクと蝕む気がした。
「承知致しました。御傍に控えておりますので、御安心下さい」
「ありがとう……じゃあ、あっち行こうか」
奥の寝室へと移動した。
高級ホテルらしい天蓋付きのベッドに砂を撒き、いつものクッションを用意して……ソウエイ本体が来たことで、人形のように何も言わなくなった分身体がそこに腰掛ける。
ああ……喰っていいのか。分身体は喰っていい、大丈夫、喰っていいって言ってくれてる……欲求を抑え付けていた意識が、ぼんやりとし始める。
レースのカーテンが掛かったベッドに上がり込み、向かい合うように膝に乗った。強く抱き付き、頭を押し付け……痺れるような快感が、全身に広がっていく。
「……ん、…………っ、はあ……」
我慢を続けてかなり下火になっていた欲求が、獲物との接触で再燃を始める。本能を縛る鎖が緩む。俺の中で、『
皆は俺に優しい。俺を甘やかしてくれる。
これは自惚れじゃない……俺は大事にされている。
そう思えば思うほど、喰ってしまいたい衝動が強くなる。ああ、好き、皆好き、喰いたい、喰いたい、砂に溶かして、ぜんぶ、俺のものに──ちがう、まだ駄目だ、早すぎる……!
高まる欲求にギリギリまで耐えようとする、理性とのせめぎ合いが苦しい。どうしてもじっとしていられなくて、身を捩ったのが悪かった。
仰け反った俺が、落ちてしまうと思ったんだろう。
咄嗟の動きで、分身体の腕が俺の背中を引き寄せた。
「──ああっ……!? く、あっ……!」
俺にとっては、それすら充分な刺激となる。
突然与えられた快感に、押し寄せた期待と恐怖に、何をしているのかわからなくなった。
気持ち良い、大丈夫、喰っていい、違う、まだ我慢────
「っや、だ──……ぁああっ!?」
一瞬だった。止められなかった。
分身体が『万象衰滅』によって砂になり、支えを失った俺は砂の上に倒れ込む。
(どう、しよう)
これじゃ、まだ、足りない。
◇
イングラシアでの評議会の開催日。宿に残るレトラ様の護衛を仰せつかった俺は、レトラ様の元に一体の分身体を置き、護衛任務に就いていた。
その途中、"風化欲求"を発症してしまうこととなったレトラ様は、心境の変化を語って下さった。開国祭の最終夜、リムル様との間で何があったかは俺も察していたが──レトラ様はリムル様の御考えに触れ、今後は欲求についても協力を求めようと決心されたそうだ。
本当に良かった。レトラ様は御自身の問題を一人で抱えることを良しとされる御方なので、その孤独な在り方が気掛かりだったが、これは確かな御成長だ。
それは歓迎すべきことなのだが…………
「ソウエイ、協力してくれる?」
可能であれば、俺ではなく。
レトラ様の欲求の御相手は、リムル様御一人であることが望ましい。
「……リムル様に御協力を頂いては?」
「え? うん、流石に欲求のことは言いふらしたくないから、俺はソウエイかリムルに頼みたいんだけど……」
以前のように進言するも、レトラ様は"風化欲求"を相談可能な相手として、リムル様と俺を同等に考えて下さっているようだった。俺如きには過分な評価にも関わらず。
「リムルにはまだ大事な仕事が残ってるし……あっいや、そんなこと言ったらソウエイも仕事中だよな、じゃあ無理にとは」
「レトラ様」
これ以上は駄目だ。拒絶してはいけない。
このままでは、俺が難色を示したとレトラ様に誤解されてしまう……俺としても、レトラ様の御心を陰らせるのは身を斬られるより辛いことだ。
遠慮がちなレトラ様が周囲を頼ろうと考えを改められたのは、何よりも喜ばしい御成長なのだから、俺の言動がそれを阻害することは許されない。
今回は、俺の分身体で御辛抱頂くことになるが──レトラ様は、俺本体も呼び寄せて下さった。つくづく、俺に『分身体』があって良かったと思う。レトラ様の欲求を鎮める手助けが叶うだけでなく、俺自身も必要として頂けるのだから。
「っや、だ──……ぁああっ!?」
ベッドの上で、悲鳴のような高い声が上がる。
俺の失態だった。これまで何度か欲求の御相手を務めたことはあるが、いずれもレトラ様が触れるに任せ、分身体からは何もしていなかったと言うのに。大きく背を逸らしたレトラ様をお支えした腕が、恐らくは不意の刺激となり……レトラ様は、早くも分身体を砂へと変えてしまわれた。
砂の上に倒れ込んだレトラ様の表情は呆然と、そして恍惚としていた。これでは"風化欲求"を解消するどころか、欲求を高めただけで終わってしまったのではないだろうか?
ベッドの傍に屈み、御意思を仰ぐ。
「もう一体、直ちに御用意致します。宜しいですか?」
「う、ぁ……俺、俺は……そんな、つもりじゃ……」
「レトラ様、お聞き下さい」
明らかに俺の失態だったが、謝罪しても御納得は頂けないだろう。
申し上げるのであれば、それよりも──
「レトラ様が『風化』を律し我々を守ろうとして下さっていることは、深く理解しております。ですが、こうして頼りにして頂けたことで俺は満たされました。その御恩に報いたく存じます。レトラ様のために分身体を捧げることを、どうか、お許し下さい」
「…………っ」
定まらない焦点は、欲求と理性の狭間での激しい葛藤を窺わせる。混乱あるいは逡巡に惑いながらも、小さく、小さくレトラ様は頷いた。
それを確認し、消えた分身体の代わりに新たな一体を出す。
薄布の幕に引き込まれた分身体が組み敷かれ、レトラ様が覆い被さる。
やはり欲求が強まった状態なのだろう、お辛そうな御様子が痛々しかった。不敬となるため俺は行動を起こさないが、この身をお気の済むようにして頂ければそれで良い。
「……んっ、……あぁ…………!」
さらりさらりと生まれる、砂の漣。
レトラ様の手が、腕が、重なる身が分身体を撫で、その度にベッドには砂が増える。
「……あっ! ……ああぁあ!」
再び分身体が溶かされ、消えた。
後には砂の上に身を投げ出した、しどけない寝姿のみ。
常ならばレトラ様もその身を砂と化し、溶かした砂と混ざり合いながら全てを飲み込むはずだが、未だその段階に至らないということは──
「ソウエイ…………」
熱と艶を孕んだ声が俺を呼ぶ。
陶然とした視線と共に、細い手が伸ばされる。
「……足り、ない…………」
滾るような欲求に揺れる琥珀の瞳は、それでも尚美しい。
「……もっと……、ちょうだい…………?」
レトラ様の御望みのままに。
御満足頂けるまで。
求められる歓喜に、身が震えるようだった。
◇
目が覚める。
ベッドのすぐ傍にソウエイ(本体)がいて、ホッとした。
砂になっていた俺は、人型を作って起き上がる。欲求は無くなっていて、それはいいんだけど……おぼろげな記憶を確認しなければと、恐る恐る聞いてみる。
「あの、途中から覚えてないんだけど……俺、三体喰った……?」
「四体です」
「ごめん! 喰い過ぎた! そんなつもりじゃなかったのに!」
「いえ、俺の願いをお聞き届け下さいまして感謝致します。レトラ様の御役に立つことは俺の喜びですので、どうかお気になさらず」
「めっちゃ良い奴……」
甘やかされるとすぐこうなる俺ってダメだな……で、でもまあ、不幸中の幸いっていうか、ソウエイ本体を呼んだもう一つ理由の方でリカバリー出来るはず……!
この後、ソウエイにはグレンダ戦が残っているのに、俺が分身体を喰い散らかした所為でソウエイの魔素量が減っているという、配下の足を引っ張る最低な上司の問題だ。
「ソウエイには護衛任務があるし、喰った魔素はちゃんと返すから……」
「魔素を返すとは、何か方法が?」
俺には、『
「ルミナスが、ヴェルドラの魔素を奪い取ってたことあっただろ? あれの逆をやれば、ソウエイに魔素を渡せると思うんだ。俺、似たようなスキル持ってるし」
「魔王ルミナスの…………」
ルミナスの"
あれ? 微妙な空気を感じるぞ……?
「…………わかりました」
「どうかした? ……あ、痛くしないから! ルミナスはわざと苦痛を付与してたみたいだけど、俺はしないから安心して! っていうか魔素が減るのは俺の方だし」
「では、レトラ様には御負担があるのですか?」
「ないように調整するよ」
って、ウィズが言ってた。
魔素を一気に失うと影響があるらしいけど、リムルが名付けしたり大魔法を使った時に起きる脱力感のことだろう。痛いってほどじゃなさそうだし、ウィズに任せておけばいい。
ソウエイは俺を心配していたようだが、納得してくれた。
(で……リムルに『精気吸引』しようとした時は、ラファエルに許可取ったよな? ソウエイの時はどうすればいいの?)
《告。個体名:ソウエイを『解析鑑定』──状態:心酔を確認しました。ユニークスキル『
(……え、それ大丈夫? まさか俺、精神操作とかしてる?)
《否。自発的な精神状態です。同個体には、
(ソウエイは素でそれなのか……)
確かに前にそう言ってたし知ってたけど……ソウエイだしな、忠誠心すごいからな……許可してくれてるってことならそれでいいか。
《告。ユニークスキル『
(経口はナシ! ルミナスみたいにハグで!)
《推奨しません。『未来予見』にて予測演算を行いましたが、
先生は効率重視というか……俺の魔素を減らさないことの方が大事みたいだけど……キスよりハグの方がマシだって結論になっただろ! キスはしません! 犯罪だよ!
俺が拒否したことで、ウィズは《魔素の拡散が予測されるため、結界を張り漏れ出た魔素を回収します》と対策を取ってくれた。最初からそうして欲しかった。
「ソウエイ、準備出来た?」
「はい。宜しくお願い致します」
それじゃ失礼して、とソウエイに抱き付く。喰う時によくやってるから慣れてきたな。後のことはウィズが──その途端、俺からブワッと霧のように溢れ出す魔素。
「あれっ……!?」
予想以上の溢れ方だったので、慌てて身体を離す。ちょっとした瘴気のように結界内に広がった魔素はウィズが回収を始めてくれたが、ソウエイに渡った魔素はほんの少しのように見える。エネルギーロスってこんな酷いの……?
《解。個体名:ソウエイに直接触れていなかったことが原因です》
(ちゃんと抱き付いたよ……?)
《両者の間の衣類によって、接触が阻まれていました》
(はあっ!?)
服ダメなの!? 脱げってこと!?
いやいやいやいやそれは言えない! 変態かよ!
せっかく『精気吸引』の正しい使い道を見付けたと思ってたのに何だこれ……!
レトラ様、とソウエイが声を掛けてきた。
今日はSP仕様でスーツ姿のソウエイが、嵌めている手袋を外す。
「もし生身への接触が必要なのでしたら、手などでは如何でしょうか?」
「頭良いな!!」
ひょっとして、リムルの時もそれで済んだんじゃ……今更過ぎる。
そして、ウィズ曰く。急激な魔素の増減は俺にもソウエイにも負荷が掛かるので、そうならないよう時間を使って魔素の受け渡しをするとのことだ。
ベッドに並んで座った俺達は、雑談しながら待つことにした。
ソウエイの手を取って、人間とは少し違う爪をマジマジ観察したり弄ったり、以前リムルの護衛でイングラシアにいた時の、子供達や街の話を聞いたり。
普段なかなかない時間だったけど、のんびり過ごした。
※『精気吸引』は安全で健全