遺跡の最奥へと続く通路。
俺の先を行くマリアベルの独り言が落ちる。
「魔王リムルがあんな化物だなんて……御爺様からラズルを借りるべきだったわ。でも無理ね、無理なの。北の悪魔達の動きが妙だもの」
ラズルって、そんな強い奴連れて来るなよ。早いよ。
まあラズルはグランベルの直属だし、北から度々襲ってくるギィ達……主にミザリーやレインから人類圏を守る要なのでまだ動かせない人材のはずだ。
「マリアベル、どこ行くの?」
「魔導制御動力炉のある最深部よ。それを暴走させて、遺跡も目撃者も全て吹き飛ばすの。貴方が魔王リムルに勝てなかったとしても、魔力爆発で止めを刺せるわ。それが嫌なら自分の手で仕留めることね」
いいや、リムルは来ない。
ラファエルに伝言を頼んだし、リムルがミリムを放置するとは思えない。
うん、とだけ答えて、最下層の造りを『万能感知』を使って探る。一本道ではなく何度か分岐していて、間違えるとタイムロスになりそうだったのでウィズにナビを頼んだ。
時々マリアベルに口出ししながら進む間、気になっていたことを尋ねる。
「どうしてガイがいたの? 評議会で事件を起こして捕まったんじゃ」
「ああ、あの男ね。ガイは
感慨もなさそうに語ったマリアベルが、そこでクッと笑いを零す。
「あの男、憎い魔王に復讐したいって、もっと力を寄越せって言ったのよ。そこまでして叶えたい願いなら、無視する理由もないでしょう?」
複雑な気分になった。
マリアベルはガイに興味を失くしていたのに。ガイには生き延びられる道があったのに。
あの時ガイには自我があって、恐怖という生存本能も正常に機能していた。まだ選べるはずだった。だけどガイは、目の前に提示された生を選ぶことはなかったのだ。
墳墓の最奥へと辿り着く。
ここも広間になっていたが、あるのは空の棺や財宝が少しだけ。
ほとんど何もない広い空間へ小走りで駆け出して、マリアベルが狼狽える。
「おかしいわ、おかしいの。ユウキの話では確かに……ど、どういうこと──?」
ユウキの嘘だからだ。ここに魔導制御動力炉なんてものはない。
俺には口に出せない事柄なのでそれには触れず、片手に砂を纏わせる。音もなく出現した無機物にマガジンを挿しスライドを引く。
響いた硬質な音に、マリアベルが振り向いた。
俺が構えたワルサーP99の銃口を見て、その瞳が見開かれる。
「……何の真似なの?」
「マリアベル、俺は操られてないよ。俺に『
「何を言って……嘘よ、嘘なの。今だって私の支配が」
「それはダミーの人格だ。いつでも消せる」
「演技だったって言うの? 何のために……!」
「俺を支配したと思わせておけば、俺の仲間が安全だからだよ」
リムルの弟を操ることが出来たと思い込んだマリアベルは満足して、他には誰も操ろうとしなかった。マリアベルの支配を弾けるのは俺、リムル、ヴェルドラ。後はディアブロ、シオンもあるいは……それでも『
「聞きたいことがある。この銃に見覚えは?」
「グレンダの銃? 貴方、グレンダを処刑したって情報を送って来たけど嘘なのね?」
「そうだよ、嘘だ。じゃあ次だけど──魔王クレイマンに精神支配を掛けていたのは君?」
マリアベルが訝しげに目を眇めた。
「……魔王クレイマンですって?」
「クレイマンの魂に、支配の呪法を込めた弾丸が刺さってた。"狙撃"と"精神支配"……グレンダと君がいるロッゾなら、あれが出来るのかと思って」
ロッゾが犯人じゃないことは知っている。あれは近藤中尉の仕業だ。
だが俺の場合、知っているだけでは情報は隠蔽される。世界に向けて開示出来る情報は、一つ一つ紐解いていかなければならない。
「さあね、知らないわ。私にそんなことをする理由がある?」
よし言った。これで俺は、マリアベルが否定したという事実を得た。
そしてたぶん、たぶんだけど、俺の予想ではこの会話──今、『
クレイマンが精神支配を受けていたことを、仲間であるユウキ達は知りたいだろうと思った。俺が直接ユウキに情報を漏らすわけにはいかないが、これなら偶発的な事故だ。
「──ああ、ああ。誰も彼も、使えなくて嫌になるわ」
吐き捨てるようにマリアベルは言った。
マリアベルが他人の価値をどう決めているかがよくわかる。
「君の優位は完全になくなったけど、降伏する気は?」
「有り得ないわ、有り得ないの。勝つのは私よ。殺してあげる」
話していて確信したが、やはり、マリアベルはおかしい。
マリアベルは人間だ。種族としては脆弱で、魔物と違い鉛弾の一発で命を落とす。その恐ろしさをよく知る"異世界人"なのに、銃口を向けられて命の危機を感じた様子がなかった。
リムルには人に銃を向けないようにと言われたが、それは危ないからじゃない。その行為そのものが、明確な殺意で相手の尊厳を踏み躙る最低の暴力行為だからだ。それを理解せず人に銃を向けてはいけない。そして、そんな凶器を前にしても防衛本能が働かないマリアベルの精神は、それだけ異常をきたしているということだ。
マリアベルにはずっと危機感が足りなかった。天寿を全うした記憶を持って転生したお婆ちゃんのはずなのに、そんな老獪さも慎重さも感じられない。精神年齢が肉体に依存する説は、俺もまあ経験者なのである程度は仕方ないと思うけど、それでもおかしい。
原因は、前世の成功体験から自分を勝者だと思い込んだ傲慢さ? 最強のユニークスキルを得たことによる万能感? それとも──
マリアベルが動いた。
"
当然、"
「もういいよ。埒が明かない」
「貴方こそ、撃つ気があるの?」
「そんなことしなくても」
もう鎖は繋がっていた。
マリアベル自身がわざわざ繋げてくれた鎖が。
手の中の銃を砂にして、脳内でウィズに指示を出す。
《了。
つい先程の、通路を移動中の出来事だ。
二人分の足音しか聞こえない空気の中、そっとウィズに話し掛ける。
(ウィズ、"
《了。対象は個体名:マリアベル・ロッゾですか?》
(いや、『
《…………》
ウィズが固まってしまった。ごめん。
毎回毎回何言ってんだコイツ過ぎて、自分でもどうかと思ってるよ……
(ほらその……『
原作ではそんな描写はなかったので、俺の勝手な想像だ。
俺の場合、いつも『
(だから『
《……告。スキルに対して"
原作知識によると、意思があればスキルでも精神支配の対象だ。そして『
(ユニークスキルは感情や願望が具現化したものだって言うし、破壊でも欲望でも、その意思を抑え込めれば停止させることも出来るんじゃないか?)
《解。未知数の行為です。成功の確約は出来ません》
(やるだけやってみてくれ。ちょうど今、
《…………了。"
もしマリアベルの無謀さと迂闊さが、『
一番良いのはマリアベルから『
リムルも俺も、『捕食』や『風化』で相手の命ごと取り込んでいいなら可能なんだけど……スキルだけを奪うという話なら、ヒナタの『
本当に『
まあ、マリアベルが心変わりすることはまず考えられない。前世で非道を尽くした支配者の精神性がマリアベルの素なので、自分が支配される側に回ることは認められないだろう。それでも、相手が正気じゃないなら対話以前の問題だ。
……後から思えば、これが引き金だった。
俺がいるだけで世界は歪み、行動すればするだけ捩じ曲がる。わかっていたつもりだったけどそれは事実で──世界はとっくの昔に歪んでいたのだ。
"
《──告。"
ウィズの声で成功を知る。ああ、ユウキへの支配が解除されるのと……俺への支配も消えたようだが、今度は"
ふら、と少しだけ項垂れた金色の頭が、すぐに持ち上がる。
「……マリアベル、気分はどう? スッキリした?」
「ええ、そうね……」
数秒前とは明らかに違う、落ち着いた瞳が俺を見据える。
小さな唇が、微かに笑みを形作った。
「ありがとう、優しい子。この子の欲望を抑えてくれて」
思考が止まる。
何て言った?
マリアベルじゃ、ない?
じゃあ誰だ、まさか……もうマリアが?
いや早い、まだ、マリアじゃないはずだから──
「初めまして、私はマリア・ロッゾ。私がこの世界で生きていた頃の名前よ」
……聖女マリアか!
グランベルの、勇者グランの奥さん。マリアベルの二つ前の前世のマリア。
マリアベルの姿をした聖女マリアは、柔らかく微笑む。
「……と、言ってもわからないわよね。私は貴方達がグランベル・ロッゾと呼んでいるあの人の妻だったの。ずっと昔に、あの人を置いて死んでしまったけど」
いやわかる、俺はこの人が誰なのかを知っている。
勇者グランと共に人類を守ろうとしていた聖女マリアは、人間に殺されて命を落とした。
「私はきっと世界を恨みながら死んだのね……別の世界に転生した私は、他人を虐げ搾取することを何とも思わない人間になっていたわ。沢山の人を不幸にしながら生きるこの子を、私は無力に見守っているだけだった」
それもわかる。前世のマリアベル。金融の申し子として、相手が人だろうと国だろうと──暴動や戦争まで陰で操作し、多くの血と屍の上に栄華を築き上げた女傑だ。
二人の人格は別物と見ていいし、マリアベルの中に聖女マリアがいるのもわかる。わからないのは、どうして『
「二度目の転生でこの世界へ戻ってきた私の自我は強まったけど、この子も前世の記憶を引き継いで、より強い欲望の意思に染まっていたの。だから私は今まで出て来られなかったけど……ありがとう、貴方のお陰でようやくこの子を止められるわ」
止める?
そうか、この人は──
「マリアベルを殺す気ですか?」
「ええ。この子は破滅させた国で餓死する人々を、戦場で殺し殺される人々を、少しも気にせず幸せに生きたのよ。もう充分だわ」
「前世の、罪ですよね。今のマリアベルとは関係ない」
「貴方達の国を見たわ。貴方も"異世界人"で"転生者"なんでしょう? ねえ、本当に言える? 前世の自分が今の自分とは無関係だって、本当に思っているの?」
くらりと視界が揺れた気がした。思っているわけがない。俺は間違いなく前世の俺の延長だ。俺がしてきたことも、されてきたことも、全てを含めて今の俺が出来ている。それが消えたら俺じゃなくなる。じゃあその中には、罪も?
明後日の方向へ飛びそうになった思考が、幼い声に引き戻される。
「それに、この子は貴方達の国を襲った計画に関わった一人……この子は自分の手を汚さずに、貴方の国に大勢の死者を出したのよ」
「俺も大勢殺しました。シルトロッゾの配下達も大勢。やってきたことなら、俺もマリアベルもそう変わらないはずです」
「この子が報いを受けることに、貴方には何の責任もないわ」
「そうじゃない、マリアベルを騙して追い込んだのは俺です。欲望に従ってここで死ぬか、能力や権力を失っても生きる気があるか、俺にはそれを聞く責任があるんです」
マリアベルとの交渉は決裂するだろうと思っていたが、せめて正気の頭で判断して欲しかった。その上でならどんな答えでも納得出来る。本音を聞きたかったのは決してマリアベルを助けるためじゃなく、俺の心を軽くするためだけのエゴだ。
「──そう、そうなのね。貴方はずっとそうやって生きてきたのね……ごめんなさい、私が卑怯だったわ。じゃあ正直に言うけれど」
聖女マリアは美しく笑う。
「私ね、今の狂ったグランを見ていられないの。かつての目的を見失ったまま、この子を希望だと信じて生きているあの人を見るのは嫌……だから、この子を殺すのよ」
それも強烈なエゴだった。
誰にも侵されることのない、己のためだけの理由。
「ねえ、お願い。愛する人を選ばせて」
「……っ」
決定権は俺にあった。
聖女マリアがマリアベルを殺すのを、黙って見逃すか。
聖女マリアも"
(……ッ、……ウィズ! "
《否。申し訳ありません。実行出来ません》
え?
《告。
……今更、そんなこと言うなよ。
お前、俺の計画に反対しなかっただろ。
《解。当時は
…………そうだな。さっきから身体が動かない。
精神体と依代の連携に影響が出るくらい、俺は参ってるってことか。
ああ、思い通りにならないな。
俺が動けずにいることを、聖女マリアは了承と取ったようだった。優雅な動作で淑女の礼をし、背を向ける。俺から見えないところで、という気遣いだろう。
彼女の零したエゴは本音だったと思うが、それだけでもなかったはずだ。そこには、俺に手を汚させまいとする慈愛があった。
一歩ずつ、ゆっくりと遠ざかる聖女マリアが、肩越しに振り返る。
「あの人に伝えてくれる? 『先に行って待ってる』って──」
空気が変わる。
その瞳が、異質な気配を察して強張る。
俺も彼女も知らない場所で、事態は目まぐるしく動いていたのだ。
失念していた。『
でも、だからって、まさか。
──ピシ、と響いた異音。
気付いた時には、そこに深淵があった。
鋭い牙の並んだ口が大きく縦に開かれ、暗闇が、目の前を覆う。
視界の遠くに、聖女マリアの驚愕の表情。
「な、」
俺の声はそれ以上続かなかった。
身体が、動かない。
空間を突き破って現れた──
ばくん、と俺を飲み込んだ。
なん、で、何で、何が?
何で、喰われた?
噎せ返るような瘴気に囚われていた。磨り潰されるような、掻き混ぜられるような、溶かされるような、喰われたと認識するしかないそんな感覚。
まずい、沈む。意識が飛ぶ。"
必死に繋ぎ止めていた意識が、ふと、俺以外の何かに触れた。
──憎イ
──憎イ
──壊シテヤル
重く、生々しく、呪詛にも近い情念。
冷水を浴びせられたようだった。
その声、知ってる。
でも何で。
──憎イ
──助ケテ
どうして、
『
──ミリ、ム
(…………!)
まさか……、まさか。
そんなの知らない、知るわけがない、でも、やっと理解した。
竜皇女と子竜のお伽噺。
死によって魂を失くした子竜は、意志のない禍々しき竜──
ただ一人、竜皇女だけが理解した。
友はもう──そこには居ないのだと。
本当は、子竜の魂は未だ失われていないはずだった。
だがこの歪んだ世界では、お伽噺の通りの出来事が起こっていたとしたら?
だったら、
だとしたら、
失われた魂はどこへ行った?
災厄のスキルと呼ばれ、世界を彷徨い続ける憎悪と破壊の意思。
それは、遠い昔に欠け落ちた竜の魂のなれの果て。
(『
飲み込まれる。
淵の底へと引き摺り込まれる。
(ガイアだったのかよ……!)
俺の意識は、そこで途切れた。
※正体判明
※マリアベルの今後は原作通りです