「まったく……レトラにも困ったもんだ……」
執務館の廊下を歩きながら、深く溜息を零す。
つい先日のディーノによるレトラ誘拐未遂事件(立件はされなかった)。ギィに何度も誘拐された経験があるって言うのに、魔王相手に全く懲りてないレトラはどうなってるんだ……?
……と、そろそろ俺は考えを改めることにした。毎度毎度レトラの無鉄砲さを嘆くだけでは状況は変わらない。レトラが何を考えているかを知らなくては、何も始まらないのだ。
だが、レトラの行動原理は不可解だと、
《個体名:レトラ=テンペストは、己こそ正しいと盲信する独善的な思考で、
──リムルや魔国には悪い話じゃないだろ?
《否。"悪い話"だからこそ妨害しました。同個体が手を汚せば、
(…………)
《
(…………)
何だか、愚痴を聞いている気分なんだが。
もしかしてラファエル…………
(レトラにそう思われたのが、ショックだったのか?)
《否。違います。同個体の言動を分析した以上の意味はありません》
(いやほら、あれだよ、レトラに『
それは以前から気になっていた。仲間のためなら自分は二の次で、酷い時には身を守ることさえ考えなくなるレトラの精神性。あれは一体何故なのか。
兄弟とは言っても、俺達は前世でそれぞれの人生を歩み、人となりが完成された後に出会った者同士だ。俺があいつを理解出来ないのは、レトラの根底に……恐らく前世に、俺の知らない何かがあるからなんじゃないのか?
時々聞いた前世の話の中では、あいつはごく普通の子供だった。温かな雰囲気の田舎町で育ち、物静かな祖父母に見守られ、友達と寄り道もすればゲームもする、普通の暮らしをしてきた子供……にしては天然記念物かってくらい純粋だけど。
考えられるのは、やはり親の件だろうか。
「──クァハハハ! あの時のことはもう良いではないか、カリスよ!」
ちょうど差し掛かった談話室から、ヴェルドラの声がした。
興味を引かれて部屋へ顔を出すと、そこにはソファに腰掛けるヴェルドラと、その背後に控えて立つカリス。俺に気付いたヴェルドラが片手を上げ、カリスが一礼する。
「おおリムル、休憩か?」
「休憩っちゃ休憩だけど……何してるんだ?」
「ウム、我らが『胃袋』にいた頃の思い出話をな!」
仕事のスキマ時間ではあったので、俺も交ざろうとヴェルドラの対面に座る。テーブルにはちゃっかりポテチとアイスティーが並んでおり、俺の分は『胃袋』から取り出した。
「それ、いつか聞こうと思ってたんだよ。俺が知らない間に楽しくやってたんだって? まあその様子だと、カリスはかなり苦労したみたいだな……」
「滅相も御座いませんヴェルドラ様には大変良くして頂いて」
棒読み感に悲哀を感じる。ベレッタと気が合いそうだ。
せっかくなので『胃袋』での出来事を色々と聞いてみた。ヴェルドラが自慢げに語るには、俺の記憶から知った将棋で遊んだり漫画を読んだり、イフリートを鍛え上げたりヴェルドラ流闘殺法を開発したり……解析作業をサボりまくっていたという自白に近かったが、まあいいだろう。
「そして約束通り、カリスは我が参謀となったのだ! リムルよ、貴様もコヤツを頼りにして良いぞ。カリスはレトラのことも庇護すると我に誓っておるしな」
「え、何でレトラを? そこまで接点なかったよな?」
シズさんの事件の時に、ちょっと戦ったくらいなのに……?
どうやら、ヴェルドラがレトラと過ごした三ヶ月間の話を繰り返し繰り返し聞かせ続けたことで、カリスにもレトラへの庇護欲が芽生えるようになったらしい。何やってんだ洗脳か。
「ヴェルドラに影響されまくってないか……?」
「いえ、決してそのようなことは。実はその折に、レトラ様の前世の御事情も伺いまして」
「!」
「幼い身の上で、さぞお寂しい思いをされてきたのだろうと考えると……レトラ様には今世を存分に謳歌して頂きたく……」
カリスは憂いを帯びた表情でそう語った。精霊なのに、そこら辺の人間顔負けの共感性を備えた良識人である。
しかし、こんな所でレトラの前世の話が出るとはな。ヴェルドラは勝手にカリスに話してしまったんだろうから、そこは注意しといてやった方がいいと思うが……
「ヴェルドラ……お前、レトラの両親のことはどこまで知ってる?」
俺もかなりデリカシーに欠ける行為をしている。だが、レトラに尋ねる前に何か知っておけたら、あいつを傷付けないよう気遣ってやれることもあるかもしれない。
腕組みしたヴェルドラが、やはりあっさりと口を開き──
「ああ、レトラを置いて
予想とは違う反応に、え、と声が出た。
ヴェルドラにしては温度が低く、突き離すような……レトラの両親を快く思っていないらしい口調。いくらレトラを溺愛しているからって……まさかコイツ、知らないのか?
「な、なあ……レトラの両親って、亡くなってるよな……?」
「ム? 死んだという意味か? 違うぞ、レトラは親が死んだとは一言も言っておらぬ。『いたけど、いなくなった』と言ったのだ。カリスよ、貴様にもそう伝えたであろう?」
「……え、ええ。そう伺いましたが……」
戸惑いながら答えるカリスは、恐らく俺と同じ顔をしていた。
俺は確信する。三人の中でヴェルドラだけが違う解釈をしているようだ、と。
「だからそれは……はっきりと言えなくて、そういう表現になっただけだろ?」
「行間を読みましょうヴェルドラ様」
「いやレトラがそう言ったのだが!?」
「ちょ、ちょっとちょっと! 待って! 待ってー!」
ガタガタッと慌ただしく談話室のドアが開き──現れたのはレトラだった。い、いつの間にそこに……! 通り掛かりに俺達の会話が聞こえてしまったのだろう。気まずすぎる。
レトラも果てしなく決まり悪そうに、おずおずと。
「あの……ヴェルドラが合ってる…………」
「え?」
「俺の親、たぶん死んでない……いなくなった、で合ってる」
たぶん? いなくなった?
親がいなくなった、って何だ…………?
「俺、小さい頃に」
捨てられたから、と呟いた。
頭を殴られたような衝撃だった。
レトラが、前世で? 親に? 捨てられた? いやそんなこと、だってお前…………
言葉を失う俺を気遣ってか、レトラは柔らかく笑う。
「リムル。俺がじいちゃん家で暮らしてたって言った時、深く聞かないでくれてありがとう。あの時はあんまり話したくなかったから、ホッとしたんだ」
──……ご両親は?
──俺が小さい頃に……
──いや、いい、いいよ。変なこと聞いて悪かった。
そうだ、俺が止めた。両親は亡くなったんだと勝手に思い込んで。両親共にということは恐らく事故か何かで、だからレトラは祖父母に引き取られて、親や兄弟はいなくとも大切に可愛がられて育ったんだと…………
いや、何だ? 捨てられたって何だ? 本当に捨てられていたとして、母方の祖父母の家で暮らしてたって…………どうすればそんなことになるんだ?
「ヴェルドラ、楽しくない話はしなくていいって教えてくれてありがとう。あれで俺、話さなくてもいいんだって気が楽になったからさ」
「ウム。我はお前が健やかであればそれで良いぞ」
「レ、レトラ様……何も知らぬ身での振る舞いを、どうか御許し下さい……」
「いいよ、カリスもありがとう。紛らわしい言い方して悪かったよ……まあその、絶対楽しくない話なんだけど……ちょっと考えてみたいこともあるし、俺の話聞いてくれる?」
当然だ。話してくれるなら、俺は知りたい。
レトラはソファまでやって来て、俺の隣にポスンと腰掛ける。
「前世の俺は藤馬泉って名前で。俺の母さん、藤馬栞が……えー、不倫して子供が出来て、それが俺。父親のことは顔も名前も誰も知らない。母さんは俺を産んですぐ、実家のじいちゃんとばあちゃん家に俺を預けていなくなったんだよ」
要するに、不義の子だと。そう語る口調に乱れはない。
レトラが親に捨てられたなどと信じたくはなかったが、そう言っていい出来事だった。俺の胸をざわつかせるのは浅はかな両親への嫌悪感──落ち着け早い。仮にもレトラの両親だぞ。
レトラの口ぶりから父親への関心が薄いことは窺えたし、責任も取らなかった最低野郎なのは間違いない。よくこれでレトラはハクロウに幻滅しなかったな、とゾッとする。
ではレトラは、「母さん」と呼ぶ母親にはどの程度の感情を抱いているのか。レトラの敵ならもれなく俺の敵だが、場合によっては母親にも同情の余地が残るかもしれない。もう少し、レトラの話を聞いてからでも遅くはないだろう。
「……それから、お母さんとは?」
「もうすぐ迎えに来るってじいちゃん達が言うから、待ってたけど、ずっと来なかった。十二歳の時に初めて母さんが家に来て、俺とは暮らせないって言ったんだ。じいちゃん達が育てた方が俺のためだって。俺の幸せを願ってるって…………」
レトラの声が消えそうに窄む。
黙ってそれを聞く俺の目の前が、じく、と怒りで染まった。
『待って』
『置いてかないで』
『一人にしないで』
ああ──お前か。お前の所為か。
レトラのあの絞り出すような懇願は、自分を捨てた母親への。
わかった。敵だ。その女は敵だ。レトラが事ある毎に自分を低く扱う原因は親に捨てられたという過去にあり、レトラは今もその傷を抱えて生きている。母親にも事情はあったのだろうが、親の身勝手で子供が踏み躙られて良いわけがない。
煮え滾る感情を押し潰し、心の奥に仕舞い込む。レトラが望む反応ではないだろうし、みっともなく激昂する姿を見せたくない。冷静になれ。第一、こんな話をして辛いのは俺ではなくレトラの方なのだから────
「えーと……言葉だけじゃ限界があるからさ。『思念伝達』で俺の記憶見る?」
……………………。
見たいし、知りたいに決まっている。許されるなら全てを。
だが、楽しくないと自覚して今まで口にすることのなかった過去を、ただの資料のように差し出してくるお前は…………それで、辛くないのか?
◇
「もうすぐ迎えに来るってじいちゃん達が言うから、待ってたけど、ずっと来なかった。十二歳の時に初めて母さんが家に来て、俺とは暮らせないって言ったんだ。じいちゃん達が育てた方が俺のためだって。俺の幸せを願ってるって…………」
少し息苦しくなって、言葉を切った。
何だか悲劇みたいだな。已むを得ない理由で子供を捨てなければならなくなった母親、のような。俺も十四歳まではもしかしたらって思っていたけど、あれは……
《警告。個体名:藤馬栞の安易な情報開示は危険です》
……ウィズ?
俺を止めるような『思考加速』での割り込みに、意識を向ける。
(っていうか……お前が母さんを認識しててビビった)
《告。同個体を追憶する度に
(しかも有害指定されてた)
母さんを思い出すと、人生で一番死にたくなった日のことも思い出すからな……俺に悪影響があるならウィズは嫌がるだろうし、話すなって忠告したくもなる──
《否。個体名:藤馬栞の情報には保持すべき価値を見出せませんが、
(え……っと? 正確に……?)
《案。該当する記憶情報を『思念伝達』で開示しますか? YES/NO?》
(はあっ!?)
ウィズが母さんに超刺々しいとか、これでまだ感情ないって言い張るのかよとか、そういうツッコミが吹き飛ぶような提案をされた。記憶を『思念伝達』でって、そんなこと出来……ますね。今まで散々やってきた情報伝達方法だ。
(ど、どうした? 何でそんなやる気なの?)
《解。取扱いに細心の注意を払うべき第一級有害情報であるためです。言語を用いた情報伝達では精度に欠け、
そうだな、さっきも誤解が発覚したばかりだ。談話室からリムル達の声がして、あ、俺の前世の話してる……と気付いた瞬間には素通りしようか迷ったけど──俺がはっきり言わなかった所為で、リムルとカリスは俺の親が死んだと勘違いしてて! 一番正解に近いヴェルドラが空気読めない子扱いされてて! 思わず飛び出したよ俺……!
誰も楽しくなれない話で嫌だけど、話せないわけじゃないし……リムル達が知りたいならまあいいか。だったら、また誤解を生んでしまう方がよっぽど嫌だ。
脳内のやり取りを一瞬で終え、リムル達に声を掛けた。
「えーと……言葉だけじゃ限界があるからさ。『思念伝達』で俺の記憶見る?」
「い、や……それは……良いのか?」
「見たければだけど」
それから、と俺はドアへ目を向ける。
「そこにいる皆はどうする?」
「──!!」
ガタガタガタッと、俺が閉め損ねて微妙に開いていたドアが音を立てる。いつの間にか廊下に詰め掛けていた人達が部屋に雪崩れ込んできた。
ベニマル、シュナ、シオン、ディアブロ、ソウエイ、リグルド……全員後ろめたそうにしている。俺も含めて何故こうも続々と集まって来ているかと言えば──
レトラ、と呼ばれて振り向くと、真剣な顔をしたリムルがいた。
「これから幹部会議だろ。お前が良ければ、皆で見ていいか?」
「もう観賞会じゃん……」
仕事しようよ。
「……というわけでな、レトラが前世の記憶を見せてくれるそうだ。もちろん強制じゃない。本人が楽しくない話だと言ってることを踏まえて、希望者は挙手してくれ」
重苦しい雰囲気の会議室。
リムルの言葉に、集まった全員が手を上げた。全員だった。
幹部のうち欠席は遠征中のゲルドか。後ろのソファ席にいるヴェルドラは協力者という立場なので気が向いた時だけ来るし、ラミリスも研究発表があれば来るけど今日はいない。ランガはリムルの影の中。悪魔三人娘はまだ幹部じゃないので元々不参加である。
「リムル、先に会議! 会議からやろう!」
「レトラがこう言ってるんで、急ぎの報告だけやっとくか。何かあるか?」
「…………、今度は誰も手上げないし!」
定例報告の予定のみだったのは知ってるけど……皆が真面目な顔付きで席に着く中、一人で騒いでる俺が不真面目に見えるってどういう理不尽だよ!
「じゃあいいよ、始めるよ。俺が子供の頃の記憶から……」
ウィズに合図すると、思念リンクが繋げられて映像再生が始まり…………あれ、と思う。
見覚えのある田舎町の路地、今の俺よりもっと低い視点、一緒に走り回る子供達──確かに俺が見ていた景色だけど、過去の俺の視界そのままというわけではないようだ。本来見えててもいい自分の手足とか、ガラス戸に映るはずの俺の姿がない。
これは、ウィズが認識しているのと同じ記憶映像だそうだ。姿だけ認識不可って、今までの隠蔽とは少し違うような気もする。以前はもっと記憶領域の参照可能範囲が少なかったらしいから……ウィズが成長すれば更に開放されるとか……?
「泉くんって、いつまでここにいるのかしら」
「お迎えが来ると思っているみたいだけど、ねえ……」
あー、あったなこれ。俺はここにいるべきじゃないらしい、母さんは来ないかもしれないらしい、という事情は大人達の会話を聞いて知った。どうしていいかわからなくて嫌だった。
「おかあさん、いつ来るの?」
「もうすぐ、きっともうすぐよ。良い子で待っていましょうね……」
ばあちゃんは母さんの写真を見せてくれた。優しい笑顔の綺麗な人。ばあちゃんが言うんだからきっと迎えに来てくれるって、あの頃の俺はただそう信じていた。
「大きくなったわね、泉」
少し高くなった視界の中で、写真通りの綺麗な人が俺を見て笑った。
昔の記憶をなぞっているだけなのに、鼓動が早まり、手足が強張る感覚が蘇る。緊張で頭が真っ白になった俺が、ばあちゃんの影に隠れてどう答えたかなんて覚えてなかったけど、こうして見るとただ必死に頷いただけだったようだ。
「お父さん、お母さん。しばらく考えたんだけど、泉とは暮らせないわ。だってもう十年以上も経つのよ……今更、私にそんな資格があると思う?」
母さんは朗らかに微笑みながらそう言った。たぶん「私にはそんな資格がない」ではなく「私じゃなくていいでしょ?」と言いたかったんだろう。母さんは、俺を養子にすればいいとか、それが俺の幸せとか言いながらずっと笑っていて、俺はわけがわからなくてボーッとしていて、気付いたらばあちゃんに部屋から連れ出されていたっけ。
「──ッの馬鹿が、大馬鹿野郎がッ!」
「──が……であってたまるか──こんな──人で無し……わかってりゃあ……!」
「──出て行け! 二度と泉にそのツラ見せるな……!」
怖かった。聞き慣れないじいちゃんの大声が壁の向こうから響く度、俺は縮み上がって。怒鳴られている母さんを可哀想だと思いながらも、ずっと震えが止まらなかった。
今なら、じいちゃんが真っ当だったとわかるけど。
「話が出来て良かったわ。じゃあねお母さん、泉も」
待ってと言えなかったのは、やはり怖かったからかもしれない。ばあちゃんが止めても、俺が返事をしなくても何も気にせず、最初から最後まで変わらないその笑顔が。
今見ても怖かった。
また目線の高くなった俺が、寂れた駅の改札を出る。
ああ来た。十四歳の夏の、前世で一番死にたかった日の記憶。
駅前の縁石に座り、日が落ちてもじっと動かず、俺は母さんを待っていた。
「泉? どうしたの?」
心臓がうるさく鳴る。この時も俺は緊張していた。
母さんは動揺も嫌悪もなく、大きくなったのねと相変わらず微笑んでいるだけの人で、俺の歳を一度も尋ねようとしない程度には俺に興味がなくて。
それがわからなかった当時の俺は、もしかしたら母さんに受け入れてもらえるんじゃないかと、惨めな夢を見て──その期待は呆気なく崩れ去った。
家で話しましょうと穏やかに言った数分後には、都合が悪いから帰ってと優しく告げる。あれはたぶん、今一緒に暮らしている人が帰って来ていることに気付いて、俺を見せられないと考えたんだと思う。当時の俺は理屈よりも先にそれを肌で感じ取り、俺がこれっぽっちも必要とされていないことを理解した。しかも、もう、ずっと前から。
「…………どう、して、俺を産んだの」
ぎり、と心臓が音を立てる。
息が、苦しい。
「そうよね……今まで、辛かったでしょう」
そうなると思ってた? 俺が辛い思いをするって?
じゃあ、何で笑ってるの? 俺の幸せを願ってるって言ったのは何?
「産んでしまって、ごめんなさいね」
記憶に焼き付く笑顔と痛み。押された烙印。
あの人は挨拶でもするように、俺を産んだことを謝った。そんなことをされたら俺は、本当に、本当に、産まれるべきじゃなかったって証明されてしまうのに。
苦しい。苦しい。息が、出来ない。
これ嫌いだったなぁ……塗り潰されそうな意識の中で、暴れたいのか死にたいのかぐちゃぐちゃの衝動を抑えてジッとしていなければならなかった、永遠のような時間。
「…………っ、は」
唐突に。
現実で響いた声に引き戻された。
え、今の、
誰の、
「……リムル?」
映像に没頭しすぎて、気付くのが遅れた。
記憶に焼き付いた苦痛は想起によって再現されることがある、とは身を以て知っていた。だったら、俺の記憶を伝達されるってことは、皆も同じように────
顔を上げた時、会議室には呻き声が満ちていた。
呼吸をする者もしない者も全て関係なく、呼吸困難の苦痛が投影されていた。
シュナも、ベニマルも、ディアブロも、ガビルやログルド達も、誰もが口や喉を押さえて身を屈め、思うようにならない息苦しさに身悶えていた。
「あっ…………!」
血の気が引く勢いでウィズに指示して、『思念伝達』を強制終了する。
皆が解放され、はあっ、とあちこちで上がる声。
机に突っ伏す者、必死に息を整える者。
「ご……ごめん! 皆、リムルも、錯覚だから落ち着いて……! 大丈夫、もうリンクは切ったから……ごめん、苦しかったよな……!」
何を、何をやってんだ俺は。あんなもの人に味わわせて良いはずがないのに。
喉に指先を食い込ませながら俯くリムルが痛々しくて、手を伸ばす。だがその手が届くより早く、リムルの頭が持ち上がる。俺を睨み付ける金の瞳が濡れていた。怒り、痛み、苦しみ──ぐちゃぐちゃの衝動に耐える顔。違うだろ、と、低く振り絞られる声。
「苦しかったのは!! お前だろうが……っ!」
「……っ」
それは……そう、だけど。
終わった話だ。俺の記憶で皆が苦しむ必要はない。
「この後は……!? お前、この後はどうしたんだ……!?」
「い、家に帰ったよ……」
あ、まさかあのまま死んだって思われた……?
流石にあの瞬間は死にたかったけど、人生そんなに甘くなかった。俺は世界の終わりのようなあの夜を、しっかりとやり過ごして生き延びたのだから。
「じいちゃんとばあちゃんに、母さんのこと聞いて……だけど、俺また苦しかったと思うから、もうやめといた方が」
「いいえ、レトラ様……どうかお続けください」
「でもシュナ」
どうか、と懇願するシュナは震えていた。袖で隠しているが両頬は涙で濡れ──今また溢れた涙が光を反射するのが見えて、胸が痛む。
クロベエやリグルドが目元を拭って項垂れている。ゴブタが鼻を啜る音がする。
シオンはボロボロに泣いていた。
「っ……レトラ様が、こんなに苦しんでいらしたのに……! どうして私は! レトラ様のお傍にいて差し上げられなかったのか……!」
「無理なことで気に病まなくていいから……前世の話だから……!」
「だったら尚更です。せめて俺達にも背負わせて下さいよ」
「レトラ様がお辛いのでなければ、その苦しみを僅かでも分けて頂きたく存じます」
ベニマルとソウエイがそう言って、ハクロウやリグルも頷いてくれているけど……居たたまれず、部屋の中をそっと見回す。特に心配なのは、種族的に体力の低い者達。
ミョルマイルは胸を押さえて痛みを堪えているようだった。伏せたカイジンはぶるぶると震える手で帽子を握り潰し、リリナはハンカチで顔を覆いながら嗚咽して…………駄目だ、何かあってからじゃ遅いのだ。皆にそんな負担を掛けるわけには──
「まさか……レトラ様がこのような……ああ、ワシは露とも知らず……」
「畜生、何だってレトラ坊が……こんな目に遭わなきゃならねえんだよ……!」
「どうして……どうして……、あのお優しいレトラ様が……!」
皆、泣いていた。
俺の所為で、じゃなくて……たぶん、俺のために。
結局、俺が口にしたのはもうやめようという提案ではなく、本当にまだ続けるか、体調は悪くないかという問い掛けだった。ベスターが弱々しく笑い、レグルドやルグルドは涙ぐみながら、お気遣い痛み入ります、ご心配には及びませんと言ってくれて。
席を立つ者は誰もいなかった。
「……わかった。じゃあ続き、再生するよ」
出来るだけ情報共有しようって、決めたけど。
伝え切れなくて誤解を生むのも嫌だったけど、何もここまで。
(ウィズ……苦しいのは抜いて伝達出来ない?)
《解。可能ですが推奨しません。情報伝達は正確に行われるべきです。また、それはこの場の全員の意志であり、最適解であると判断します》
嫌だな、と思った。
優しい人達を苦しませてしまうことも。
苦しくても俺のことを知ろうとしてくれる人達を、少し、嬉しいと思ってしまったことも。
※前世上映会(追体験付き・本人参加)