レトラ様を苛む"風化欲求"が少しでも和らぐように。
そのために俺の分身体を砂にして頂きたいという申し出は、レトラ様の強固な理性によって跳ね付けられ、しばらくの間押し問答が続いた。
「いやあの、だからソウエイ……そんなことしなくていいよ。他のものを砂にして治まらないかは、もう試したんだ。布団とか机とか……でも何も感じなくてダメだったし……あ、もちろんちゃんと『造形』で元通りにしたよ」
今こうしている間にも、レトラ様の身には本能に準ずる欲求が湧き上がっているだろうに、そんな状態でも自制を続けるなど並の精神力ではない。
だが俺の方も、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「昼間の件ですが……俺がレトラ様を抱え上げてしまった際に、レトラ様は慌てて身を離されました。あれはもしや俺を『風化』させてしまう可能性があったために、ですか?」
「あーあれ……そうだよ。うっかりソウエイを砂にするとこだったんだぞ、怖いだろ」
「制御の利かなくなる恐れがあったということは、俺であってもレトラ様の"風化欲求"の対象に値することを意味するのではないでしょうか」
「……うぇ?」
レトラ様が呆然と俺を見る。昼間の出来事に思い当たる節があったのだろう、その困惑した瞳には、抑え切れないのだろう衝動が熱を帯びて揺れていた。
「レトラ様の欲求が治まる可能性があるならば、試す価値はあるかと」
確かに全てが砂となり消えてしまえば、今後レトラ様やリムル様にお仕えすることが出来なくなる。それは口惜しく思うが、俺に『分身体』がある以上は細事でしかない。
レトラ様が御心を痛める理由も必要も、何もないのだ。
「どうか俺の分身体を砂に変え、お飲み下さい」
ゴクリと小さく、喉の鳴る音がした。
レトラ様の『風化』は何度か目にしたことがある。
床に広げられた砂の上に座る、俺の分身体。それが今から砂へ変えられレトラ様に飲み込まれることについては、些かの忌避感もない。お一人で耐え忍ばれていたレトラ様をお助けすることが叶うのであれば、これほどの栄誉はなかった。
俺は迷いなくそう思っていたのだが──まさか。
レトラ様御自身が、分身体に触れてくるとは想定していなかった。
分身体の膝に乗ったレトラ様が、幼い身を寄せてくる。本体と分身体との感覚共有は任意だが、現在は繋がっていた。ささやかな重みと、胸に押し付けられる小さな頭の感触。主君の存在をこうも間近に感じることには戸惑いが生じるが、俺の心中など問題ではない。
己を抑え込むように、苦しげに身を小さく縮めるレトラ様は、まだ俺を砂にすることを躊躇われている御様子だった。たかが分身体、どのように扱って下さっても構わないと言うのに。
レトラ様の思考を邪魔せぬよう、俺は沈黙に努める。
暗い室内は静寂に包まれ、時が止まったかのようだ。分身体には心臓を始めとした臓器までは作り込んでいないため、俺の鼓動がレトラ様に届いてしまうことがないのは幸いだった。
「ソウエイ……」
「はい」
ややあって、レトラ様はか細く呟く。
「……嫌いに、なんないでくれる?」
「御心配無く」
有り得ないことだ。
繊細なレトラ様らしい憂いだが、可能性の無い事態は起こりはしない。
どうぞ、と続けると、レトラ様はようやく決心されたようだった。
小柄なレトラ様では体格差のある俺を覆うことは出来ないが、その代わりとでも言うように、全身を使って分身体にしがみ付いてきた。背へ回される幼い腕と、腰を跨いだ細い腿。
「……ん、ん…………」
身じろぎしながら、甘えるように俺に身を擦り寄せるレトラ様の御姿は妖艶だった。余程辛抱されていたのだろう、その度に漏れる声は切実で、艶めいた色を滲ませている。
レトラ様が少しずつ砂へと変わり、同時に零れる砂が分身体の上をさらりさらりと滑り落ちていく。そうしてゆっくりと周りに溜まっていくのは、レトラ様の砂だけではなかった。
分身体を形作る境界が徐々に揺らぎ、砂へ変わっていることを、共有する感覚を通して悟る。痛みは一切感じなかった。ただしっとりとした滑らかな砂が触れ、柔らかく包み込まれる感触と共に、分身体が端から淡く溶けるように失われていく。よくよく集中していなければ気付けないほどその変化は穏やかで、レトラ様のもたらす『風化』がこれほど安らかなものだとは。
「う……ああ、……ん、っ……」
耳に届く、押し殺すような微かな声。
どうやら俺の分身体でも御満足頂けている様子に、安堵と喜びを覚えた。
レトラ様は時間を掛けて砂を操り、少しずつ分身体を砂にしていく。
やがて崩れ落ちた分身体の背を、積み上がった砂山が受け止めた。同じように姿を崩しつつあるレトラ様が俺を見下ろす体勢となり、俺には砂が降り掛かる。
薄らとした意識は幸福感に満たされて──俺は目を閉じ、その緩やかな終わりを迎え入れた。
物置部屋の床には、荒れた砂山が広がっていた。
分身体が消失した後、本体である俺は数歩ほど離れた場所に立ち尽くしてその光景を見つめていた。俺は今ここにいながら、レトラ様によって身を砂に変えられる感覚を味わったのだ。酷く不思議な心地がしたが、それよりもレトラ様の御加減が心配だった。
「レトラ様、……レトラ様」
砂の傍へ跪き何度か呼び掛けていると、砂の一部がするりと動いた。目を覚まされたレトラ様のお声は軽く、その身を苦しめていた欲求が無事解消されたと聞いて胸を撫で下ろす。
「ソウエイ、ありがとう。本当に助かった」
わざわざ人の姿を取り感謝を口にされるのはレトラ様の真摯な御心によるものだが、忠誠を誓った主に身を捧げるのは当然の話だ。レトラ様のお役に立てたことで嬉々とした心情を見苦しく晒すことのないように、俺は気を落ち着ける。これで俺の役目も終わりだ。
「リムル様が心配なさるかもしれません。部屋へ戻られた方が」
「ソウエイ」
腕を引いた控えめな重み。
分身体にではなく、俺へと触れた小さな力に身が強張る。
「なあ、朝までいてよ」
上目遣いに向けられる視線。
俺の役目は終わったはずだ。
あくまで俺は、レトラ様が求めるリムル様の代わりを務めただけのはず。
まるで俺自身が求められているかのような錯覚に、目眩がした。
※ようやく終わり
※やってることは風化ですが、問題があれば教えてください