ギイィィン!
両者が交差する一瞬に、金属同士が擦れ合うような音が鳴る。
高速で羽ばたき飛び上がった
対峙するのは、魔鋼色に輝く外骨格。
頭部から半月刀のようにスラリと生えた角と、その左右から強靭に伸びた大顎。
フォルムだけでもう圧倒的に格好良いスタイリッシュな魔蟲──ゼギオンは六本の足で巧みに身体を安定させ、ジグソーバードの凶悪な嘴を角と顎で受け流し、相手に一撃を許さない。
翼を持つ鳥としては、空からのヒットアンドアウェイは有効な攻め方だろう。だが得意戦法を再三に渡って阻まれ迷いが出たのか、
その隙を見逃さず、ゼギオンは翅を広げて飛び立った。
安全圏に退避したと思い込み不意を突かれた形になった
ジグソーバードをガッチリと固定したゼギオンは、体長一メートルはあろうかという魔鳥を空中でぶん回しつつ、落下の勢いと共に容赦無く地面に叩き付けたのだった。
ピィィ……と息も絶え絶えのジグソーバードが逃げ出していくのを、ゼギオンは沈黙と共に見送る。その姿には、
そこへ突然、静寂の余韻を台無しにして響き渡る拍手。
俺である。
『ゼギオーン!』
『……!』
ハッ、と振り返るゼギオン。手を振って茂みから登場した俺に、急いで近付いてくる。
俺がやってきた時にはもうゼギオンはあの鳥と睨み合っていたので、気配を殺してこっそり見ていた俺に気付かなくても無理はないだろう。
『レトラ様。御出迎えもせず、申し訳御座いません』
『いいよそんなの。それより、ゼギオンが戦ってるとこ初めて見た!』
『……あの程度の敵に手間取り、お恥ずかしい限りです』
その思念には心底悔しそうな響きがあり、ゼギオンは本気で自分を未熟者だと思っているらしい。鳥に勝つ虫、って時点でもうかなり食物連鎖に喧嘩を売っている存在だと言うのに……
『空を飛んでる敵を倒す機会を、冷静に見計らってただろ? ゴリ押しだけで攻めるんじゃないのが格好良いよな。ああいう戦い方出来るんだから、ゼギオンは戦闘センスあるんだって』
『いえ、オレは……もっと強く……』
『毎日鍛えてるんだよな、成果出てるよ! 初めて会った時より身体がしっかりしてきてるし……あの鳥は倍くらいデカかったのに、全然力負けしてなかったもんな』
ゼギオンの傍に屈み、体長六十センチほどに成長した身体を撫でる。
俺がリムルの魔鋼を再現して修復した鎧は、日々ゼギオンの魔素との融合が進み、自然界に存在してはいけない領域目指して順調に突き進んでいる。今のゼギオンならばブレードタイガーにも余裕で勝つかもしれないな……いやまだまだ、とんでもない進化を果たす未来が楽しみだ。
『ゼギオンはちゃんと強くなってるし、もっともっと強くなれるよ』
『…………』
ゼギオンが黙ってしまい微動だにしないのをいいことに、艶やかな外骨格や立派な角をさすさす撫で続ける。可愛いからってあんまり触るとカブトムシまたはクワガタのストレスになるので、本来やってはいけないのだが……ウチの場合は、前にゼギオン本人が嫌じゃないと言っていたので大丈夫です。
『レトラ様、お待たせ致しました』
『あ、おかえりアピト! ご苦労様』
ブィーン、と羽音を鳴らしてハチ型魔蟲のアピトがやってきた。
蜜ろうを固めた桶をぶら下げて飛んできたアピトは、俺が『造形』した止まり木に着地する。そして俺の砂から作り出された瓶に、とろとろと蜂蜜が注がれた。
美しい黄金色の蜂蜜。俺の『魔力操作』により、一口分の蜂蜜が魔素に包まれて宙に浮かぶ。自分の口に放り込むと、濃厚でいて上品な甘みがとろけるように広がった。
美味しい、と褒めるとアピトは嬉しそうだ。
『あんまり来られなくてごめんな』
『いいえ。お忙しい中、レトラ様にはこうしてワタクシ共の所へご足労頂き……とても嬉しく思いますわ』
俺かリムルが定期的にここを訪れているのだが、どうしても町とは距離があるし、最近はリムルの出張が多くて俺ばかり来ることになっているのが少し申し訳ない。
アピトもすくすくと育っていて、現在の体長は四十センチほどだ。こんなにデカイ蜂なのに大人しいし丸っこいし、なんかこう抱きかかえて愛でたい愛くるしさがあるんだけど、ゼギオンと比べると柔らかそうなのがネックで……透き通る翅を傷付けてしまっては事だし、自重していた。
しかし、ペットとの触れ合い方は他にもあるのだ。
俺の操る蜂蜜玉が一粒、手の平に乗ってとろりと崩れる。
『はい、アピト』
『それでは、レトラ様……失礼致しまして……』
毎度の習慣に従って手を差し出すと、アピトは恐縮するような恥ずかしがるような絶妙に可愛い仕草で頭を傾け、俺の手に顎を乗せてちうちうと蜜を吸う。
蜂に手からご飯をあげる図って我ながら革新的だと思ってるけど、こうしないとアピトは奉納品を頂くなんて、と遠慮して食べてくれなかったからな……あ、もちろんアピトには、蜜はまず食事として優先的に取り、それ以外の分を俺達に渡すように言ってある。
『ほら、ゼギオンも』
『……頂戴致します』
蜂蜜を乗せた手を口元に持っていくと、しょりしょり……とゼギオンが蜜を舐める。ゼギオンは外見や言動の通りに堅い性格だが、俺の手からなら抵抗せずに食べてくれるのは可愛い。
通常のカブトムシは樹液を主食とするが、ゼギオンはそこらの虫とは身体の作りが違うので、糖分が多すぎると言われる蜂蜜でも問題なく摂取し、修行用のエネルギーとして消費しているようだ。粘度の高い蜂蜜で口元が固まらないよう、自分で綺麗にするという知能もあるしな。
『ゼギオンは、蜂蜜の他にはいつも何食べてるの?』
『アピトの花粉団子も食しています』
アピトの作るご飯を食べるゼギオン……微笑ましい光景を思い浮かべて和んだ。
昆虫ゼリーなんて便利なものはなくとも、希少花から得られる栄養価の高い食事は身体作りに役立つはずだ。しっかりと栄養取ってて感心するわ。
二人に蜂蜜を分けながら、俺も蜂蜜玉を口に入れて味わう。甘くて美味い。
草むらに腰を下ろした俺と、その傍にゼギオン、俺の作った低い止まり木に座るアピト。野に輪を作って佇む様子は、まるでピクニックでもしているみたいだろうな。
のんびりと癒しの時間を過ごし、そろそろ帰る頃合いとなる。
俺がゼギオンやアピトと戯れている間、気を遣って退席してくれていたトレイニーさんと合流した。
「レトラ様、もうお帰りになるのですか?」
「はい。すみません、帰り道もよろしくお願いします」
「ふふ、レトラ様とご一緒させて頂けて光栄ですわ」
首都リムルと
「町では人間達との交流へ向けて、準備が進められているのですね」
「これからは少し森が騒がしくなるかもしれませんが、警備態勢も整えていますので……」
「ええ、承知しておりますわ。魔国と森の平和のため、我らもお力となりましょう」
トレイニーさん達との情報交換も重要だった。森に異変があれば知らせてくれるということで前から話はまとまっているが、こうして積極的に良好な関係を保っておくことで、いざという時にも協力が得やすくなる。俺も結構考えて動いているのだ。
「リムル様の御留守中、レトラ様には気の休まる時が少ないかと存じますが……どうか御無理だけはなさいませんよう」
「大丈夫ですよ。毎日忙しいけど、俺一人じゃなくて皆で働いてますから。それに今日はゼギオン達の様子が見られたし、良い息抜きになりました」
「そうですか、安心致しました。レトラ様には皆様方がついていらっしゃいますものね」
今日も優しいお姉さんだったトレイニーさんは、俺の言葉に表情を緩めて笑みを浮かべる。
ちゃんと仕事はしたし、ゼギオンとアピトにも会えた、とても満足な午後だった。
『レトラ様には皆様方がついていらっしゃいますものね』
トレイニーさんはそう言ってくれた。
うん、確かにそうだ。俺には皆がいる、でも…………
それに気付いたのは、リムルがドワルゴンから帰って来る数日前。
町を襲う災厄が近付いているという現実を突き付けられて、ずっと答えを出せていなかったその問題に、嫌でも向き合わなくてはならないのだと覚悟した。
分岐点となる出来事に対して、俺はどう行動すべきか。
『転スラ』の原作通りに犠牲を出す以外に、何か方法はないのか。
リムル達に全て打ち明け、皆で立ち向かうことが最も可能性のある道だとは俺にもわかっていた。それで必ず事態が好転するとは限らないし、結局未来がめちゃくちゃになる危険も忘れてはいけないけど……皆が殺されるのを黙って眺めているよりは、希望に賭ける方がいい。
まずは俺の先生である、『
《解。
(……えっ?)
知らなかった。
まさか、ウィズが『転スラ』を理解していなかったなんて。
そりゃ俺は今まで、ウィズにわざわざ『転スラ』の話をしたことはなかったけど……と言うのも、俺が封印の洞窟で目覚めてすぐの一番混乱していた時期に、ウィズは『
だけど俺には、原作の展開を思い出しながら行動したことや、例の惨劇やループについて悩んだことが何度かある。ウィズは俺のスキルとして俺の中にいるんだから、俺が未来を知っていることも、この世界がどういうものかも、勝手に全部伝わっているとばかり……
(ウィズって、俺の考えてることとか、前世の記憶とか……全部わかるわけじゃないのか?)
《解。
以前、『大賢者』は、俺の解析が不充分だと言っていた。
それはこういうことだったのか? 本当の意味での異世界からやってきた俺の魂には、この世界では認識されない情報が含まれている? 『転スラ』がそれに当たるということ?
じゃあ、と俺は『転スラ』を掻い摘んでウィズに説明し…………
(……今、俺が話したこと、聞こえてた?)
《解。
駄目だった。それどころか、人間達が町を襲撃してくることも、テンペストが滅ぶ未来があることも、何度言ってもウィズには全く伝わらなかった。
百歩譲って、『転スラ』が
思い当たったのは、『大賢者』や『
森羅万象:この世界の、隠蔽されていない事象の全てを網羅する。
だったら……
ウィズに『転スラ』を説明出来ないのは、俺の場合のように、転スラ世界の更に外側からやって来るという事象が、隠蔽されているからなのか? 誰に? 世界に?
この世界では『転スラ』という概念が隠蔽されている所為で、その知識全般を伝達出来ないのだとしたら……もしかして、ウィズにだけじゃなくて、リムル達にも伝えられない可能性がある……?
未来を変えようと足掻くなら、リムル達に打ち明けるべきだった。皆がいれば、人間達の襲撃から町を守ることは不可能ではない。その上で抗わなくてはならないのは、東の帝国との戦争による魔国滅亡……それを阻止するために、リムル達の協力は必要不可欠なものだった。
──リムル、俺は、未来に何が起こるか知ってるんだ。
──異世界人と騎士団が町を襲撃してくる。多くの住人達が、殺されて……
──でもそれを防いだら、リムルは覚醒魔王になれずに……テンペストは滅びてしまう……
全部、駄目だった。伝わらなかった。
毎晩のようにリムルの庵に泊まり、どうにか未来を打ち明けようとしたが、そうする度に言葉や思念を発することが出来なくなり、文字も思い出せなくなった。きっと俺は最初からそうだったんだろうけど、誰かに原作知識を伝えようとしたことがなかったから、知らなかった。
リムルの方も、俺が何か伝えようとしていることを一切認識出来ないようで、全てがなかったことになるという念の入れよう。一体どうやったらこんな妨害工作が出来るんだ。
世界に手を出すなと、警告されている気分だった。
起こる出来事は決まっている、先を変えてはいけない、余計なことをするなと、そう言いたいんだろうか。薄々感じていた、俺は何もしないのが正解ではないのかという予感が正しいものに思えてくる。
だけど、町を離れる気にはなれなかった。
残ったからって、俺に出来ることがあるとも思えないのに。
トレントの集落から町へ戻り、その日の仕事を終わらせて。
夜、暗い自室にぺたりと座り込む。
誰にも助けを求められない。
リムルにも、皆にも、伝える方法がない。
この世界で『転スラ』を理解出来るのが、俺だけだって言うなら…………
わかったよ、一人でいいよ。
※度々感想でも話を頂いていましたが、リムル達に話すことは不可能です。原因はあります。