昨夜は本当に一睡も出来ず……いや、俺はもう一晩どころか一週間以上眠らずに活動し続けているけど、砂である俺にパフォーマンスの低下はなく、今日の代理業務も何の問題もなく終わらせた。便利な身体だ。でも元人間の身としては、眠りたいのに眠れなくなってしまったという精神状態に不安を覚えるので、早めに何とかしておきたい。
「ベニマル」
誰もいない廊下を歩く背中を見付け、呼び止める。夕食も済ませたし、あとは女性陣が風呂に誘いに来てしまう前にと、振り向いたベニマルに早速用件を切り出した。
「頼みがあるんだ、後で俺の庵に来てくれ」
「──はい。承知致しました」
ん? 頭を下げながら寄越される返事がやけに重い……? あ、俺の態度が悪いのか。つい切羽詰まった感じで声を掛けてしまった。俺が警戒させるのは良くない。
「いやっ……そう構えなくていいよ、別に仕事の話じゃないから。何なら酒でも持ってきて」
深刻だった態度を慌てて崩すと、ベニマルの方も目を瞬かせた後、キッチリとしていた空気を軟化させて、いつもの気の良い兄ちゃん然として笑った。やはり原因は俺だった。
「そうですか? レトラ様、酒はイケる口でしたっけ」
「酔えないけどね。あんまり辛いやつじゃなければ、付き合うよ」
「わかりました。では、後ほど伺います」
夜、やって来たベニマルを庵に迎え入れる。シュナとシオンに……いや誰にも気付かれないように! と念のために言い付けておいたし、こっそり来てくれたことだろう。
ベニマルが赤い正装のまま現れたのを見て、部屋着でどうぞと言っとけば良かったと反省した。俺はもうばっちり部屋着だしな。ま、上着脱いで寛いでもらえばいいか。
魔鋼製の明かりが点る茶の間で、机の前に腰を下ろす。
俺が提案した通り、ベニマルは手土産を持ってきた。テンペストでは米の品種改良が常に行われていて、白米として食卓を飾るには荷が重くても、酒造りには向いているという品種もあり……そうして生まれた酒の瓶が一本と、俺に差し出されたもう一本。
「レトラ様にはこれを」
「あ、林檎ジュース? 俺が飲んでいいの?」
「ええ。こっちの方が飲みやすいんじゃないかと思いまして」
また子供扱いを……とは言えないのだ、何故ならこれはベニマルの私物だから。
俺の思い付きを発端としてほんの少し作られているだけの、ブランデーよりも圧倒的に生産量の少ない、貴重な貴重な甘いジュース。今は俺の手元にもないくらいなのに、甘党のベニマルが自分用に確保したはずの一瓶を俺に提供してくれるという、この懐の広さよ……これ、絶対に秘蔵の一本だろ……
今度また俺の所に果物が回ってきたらベニマルにお返しをしようと誓ってジュースを受け取り、『造形』したコップに飲み物を注いで、晩酌のような何かが始まった。
途中でうっかりとスイーツ談義が盛り上がる展開にもなったが、ようやく本題に入る。
「俺は
「そうらしいですね」
「リムルも同じで、夜はお互い暇だったら二人で夜更かしとかするんだけど」
夜更かしというのは、布団に潜って話し込んだり思念リンクして漫画を読んだりすることがほとんどだ。俺とリムルには世代のズレがあるので、俺の知らない漫画を読ませてもらえるのは楽しい。仕事っぽいことは少しだけ……これから実現させたい事業や、食べたい物の開発計画を悪ノリでシミュレートする程度なので、あれを仕事と言うのかは不明だ。
「皆にはよく休めって言ってる手前、あんまり俺達が眠らないのも説得力がないだろ? それで、夜はなるべく擬似睡眠を取るように習慣付けてたんだけど……実は最近俺、ちょっと気が張ってるみたいで、何ていうかそわそわして眠れなくて」
「なるほど……つまり、リムル様がいなくてお寂しいと……」
「そこまでは言ってないよ!?」
今のってそういう解釈になる!?
しかしベニマルは真剣な顔で考え込んでいるのでマジなんだろう。この頃、皆の反応がいちいち大袈裟な気がするんだよな……これもリムルロスの影響だろうか。
「ですが、そうすると頼みってのは何ですか? 今の話で、俺がお力になれそうなことと言ったら……夜更かしに付き合うくらいなんですけど」
「それは駄目だよ、ベニマルは眠らないと。仕事は明日もあるんだから」
「鬼人の俺なら、多少眠らないくらいで支障は出ませんが……じゃあ何なんです?」
「うん、一緒に寝てくれないかなと思って」
「え?」
間が空いた。
止まってしまった空気。
「……あ、イヤ?」
「いえ! 構いませんけど、…………え?」
どっちだよ。頭が追い付いてなさそうなんだけど。
俺が不眠に陥ってるのは、きっとゴチャゴチャときつい考え事をしすぎて落ち着かなくなってるのが原因だと思う。誰かが一緒に寝てくれたら、他のことに気を取られずに休めるんじゃないか? というのが俺の案だった。
ベニマルなら引き受けてくれるんじゃないかなーと思って呼んだので、大丈夫何もしなくていいから! 寝てるだけでいいから! 俺もそのうち勝手に寝るから! ということを言い聞かせて説得を続ける。無理強いするつもりはないので、嫌なら諦めるけど……それは悲しい……
しばらく固まっていたベニマルだったが、単に俺の用件が予想外過ぎたというだけのことらしく、やがて俺の頼みを脳内で処理し終えた様子で苦笑を見せた。
「いいですよ。そういう話とは思ってませんでしたが、俺でよければ喜んで」
「やった! これで眠れる……たぶん眠れる……頑張る……」
「あまり気負い過ぎない方が……」
(ウィズ、浴衣の構成情報持ってるよな? ベニマルサイズで一着頼む)
《了。ユニークスキル『
じゃあこれ着て、と浴衣をベニマルに渡す。
俺は使ったコップ類をサラサラと片付けて明かりを消し、襖で仕切られた寝室へ入った。今日も綺麗に敷かれている俺の布団と、そうそう、ベニマルの布団を作らないと。
サラサラサラ……と落ちる砂。
茶の間で着替えているベニマルから声が掛かった。
「俺は畳の上でもいいですけど」
「布団で寝ないなら帰ってもらうよ」
「すみません冗談です」
「あ、それか本当に一緒に寝る? 俺が砂になれば邪魔じゃないかも……」
「だから冗談ですって布団をお願いします」
なんて言っている間に、布団が完成した。
以前俺は布団一式まで砂にして取り込んだことがあり、ミリムが「ここで寝るのだー!」と我侭を言い出しても即座に布団を作ってあげられるため、意外と役に立っている。いやミリムは俺を枕にしようとするから、あんまり意味がないんだけど。
「そうだ、今日のことはくれぐれも秘密だからな? シュナとシオンに知られたくないんだ」
「さっきも言ってましたね。何が駄目なんですか?」
シュナやシオンも元気がないのに、俺が不眠になっているなんてバレたら要らぬ心配を掛けてしまう。二人には知られないうちに、俺は調子を取り戻してみせるぞ……というのが理由の一つで、あともう一つは。
「一緒に寝てあげますって立候補されたら困るから……」
「確かに……言いそうですね」
「流石に、嫁入り前の女の子には頼めない……!」
「レトラ様って男でしたっけ」
「男だよ! 顔と身体を除けば!」
「その言い方だと何というか……まあ置いときましょう」
俺の中身が男である以上、そんなことしたら責任取らなきゃいけない気がする。え? ミリム? ミリムは妹みたいなもんだからノーカンです。俺ではミリムを止められないので、そこはもう深く考えずに割り切るしかないんだ……
とりあえず人間の五感を切っておこう、と俺は砂スライムに変化し、のそのそと布団に入った。
浴衣姿のベニマルも部屋に入って来て、隣の布団に横たわる。
「でもレトラ様、何で俺を?」
「ベニマルは面倒見良いから、ちょっとくらい我侭言っても聞いてくれるかなって!」
「ああそういう……レトラ様のお望みなら、俺は全力で叶えますよ」
「はは、言い切るのカッコイイな。たぶんリグルドも聞いてくれそうだなーとは思ったんだけど」
「それはそうでしょうね」
「ソウエイはリムルの護衛で忙しいだろうし」
「そんな気遣い要りませんって」
「ハクロウとクロベエはどうかな、やってくれるかな」
「驚きはするでしょうが、きっと断りませんよ」
「本当に?」
「ええ。それでレトラ様が元気に笑ってくれるなら、お安い御用です」
「……ありがとう」
この世界に転生してきて、皆がいて、魔国にいられて。
いつも思うけど、やっぱり俺はこの上なく恵まれた境遇を生きている。
「それじゃベニマル、おやすみ」
「はい、おやすみなさい。眠れると良いですね」
ぱち、と目が開いたような感覚で、俺の周囲に景色が戻る。
時間になったら感知レベルを元に戻すよう、ウィズに頼んでおいた通りに。
(おはようウィズ。俺、眠れてた?)
《解。意識低下状態の継続が、およそ六時間十四分ほど観測されました》
眠れた! やった、成功した……!
こんなもんだと思ってたんだよ、一人でぐるぐると考え込んでるから深みに嵌まって眠れなくなるんであって、寝る直前まで幸せな気分でいられれば、そのまま眠りに入れるんだろうなって! まだ夜明け前なので外は僅かにうっすらとしてきたくらいだが、いや清々しいね!
隣を見ればベニマルが眠っていて、やはり若様、きちんと仰向けなところに育ちの良さが感じられた。まあ鬼人族には角があるから……あんまり寝相が派手でも困るよな……
布団を這い出た俺は、さらりさらり、とベニマルの上によじ登る。
「ベニマル、朝だよ。そろそろ起きて」
「ん……?」
俺の砂は見た目以上に軽いので、鍛えているベニマルなら重くもないだろう。
ちなみに俺のスライム姿には砂の規定量というものはない。やろうと思えば大きくも小さくも出来るし、『重力操作』で重さも自在だ。一応はリムルのサイズを基本とし、それ以上は大きくならないようにと決めている。弟らしく。
「レトラ様……おはようございます……眠れましたか?」
「眠れたよ! 一緒に寝てくれてありがとう」
「それは……良かったですね……」
ぼんやり目を開けたベニマルが手を持ち上げ、さらりと俺に触れてきた。
ナデナデと……ベニマルにされるのは珍しいなと見守っていると、ベニマルの瞼がだんだん下がってきて……あ、また寝てしまった。確かに起きるには早い時間帯だが、添い寝を頼んだことが皆に広まらないよう、暗いうちにこっそり帰ってもらわなければ。こうなったら……!
「あっ、シュナだ」
「──ッ!」
驚きの超反応で、瞬間的に起こされる上体。
対ベニマル用の目覚まし威力が高すぎる。どんだけ厳しく教育されてんだ。
「ここは…………あ、レトラ様? おはようございます……俺、何か不躾なことしましたか?」
「してないよ。おはようベニマル」
「……何で引っくり返ってるんです?」
「俺は寝相悪いんだよ」
正解を言うと、ベニマルが飛び起きた拍子に、胸の上辺りにいた俺が勢い良くすっ飛んでって壁に当たり、ぽいんぽいんと畳を跳ね戻ってきた後、ちょうどいい位置で上下逆さに落ち着いたからである。
そんなピタゴラコントはどうでもいいので、改めて協力ありがとうとベニマルにお礼を言って、夜が明け切らないうちに自室へ戻ってもらった。ベニマルが使った布団や浴衣も砂にして証拠隠滅済みだ、抜かりはない。
また眠れなければ呼んで下さいとベニマルには言われたが、そう何度も呼ぶのも悪いので、その後はもう何人かに声を掛けて協力してもらい、俺は無事に夜も眠れるようになっていった。
それで目に見えるような変化が俺にあったかどうかはよくわからないんだけど……沈みがちだったシュナやシオンにはなるべく気を付けて声を掛けるようにしていたし、俺が大人しく健康的な生活を続けているうちに、二人も少しずつ元気を取り戻してくれたように思う。良かった。
※他に呼んだのはハクロウ、クロベエ、リグルド、リグルでした
※55話は、五日後の2/22更新予定です