「まあ、リムル様!」
「リムル様! お帰りなさいませ!」
「ああシュナ、シオン。久しぶりだな」
ある日の午後、執務室で仕事をしていると、影の中からにゅっとリムルが現れた。
ちょうど部屋にいたシュナとシオンが歓声を上げてリムルを迎える。俺は先日リムルと通信水晶で話した時に、近いうちに一度顔を見せに来るということを聞いていたので驚きはない。
シオンの手でデスクに乗せられたリムルが、目の前でぷるんと揺れる。
「おかえり、リムル」
「ようレトラ。俺がいなくて寂しかったか?」
「いやそこまでは……」
素っ気なく答えようとして、この前のエレン達の言葉を思い出す。
うーん、あのブラコンぶりには思わず頭が痛くなったけど、リムルも何だかんだで俺のことを心配してくれていたようだし、あんまり冷たくするのもなあ……
「…………少しだけ」
レトラ様……! と女子二人が過剰反応した。
感極まったように声を詰まらせ、涙ぐんだ顔を袖や手で覆い……そうだ俺、リムルがいないから寂しがってると皆に思われてる節があるんだった! 違うんだよ! やらかした、対応を間違えた……今から訂正しても、我慢してるとしか思われないやつだコレ……!
「リムル様。さぞお疲れでしょう、ただ今お茶をご用意致しますわ」
「リムル様! お茶でしたら私が──」
「シオン、貴方はリムル様のお帰りを皆様にお知らせなさい。リムル様、お茶は庵へお持ちしますので、後ほどレトラ様とご一緒にお越し下さいませ」
テキパキと場を仕切り、シュナはシオンを連れて執務室を出て行ってしまった。
き、気を遣われた……シュナの空気の読み方がプロ過ぎる……いや俺はそんなことしてもらわなくても大丈夫なんだけど。はあ、と溜息吐いて両腕を差し出す。近付いてきたリムルがデスクの縁から落ちて、ぽよよんと俺の腕に収まった。
「リムル……少しだけってのは、本当に少しだけでね? 皆の方がいつもより大袈裟で、俺ずっと困ってるんだよね? リムルがいないから、皆落ち着かなくて過敏になってるんだと思うけど」
「お前もそうか?」
「……俺は少しだけだって」
何を言っても無駄だと悟った俺は、椅子の上で体育座りをするように両踵を座面に乗せ、ムギュウとリムルを抱える。相変わらず、ひんやりぽよぽよしてるなあ。
ひとしきりポヨポヨとスライムセラピーを楽しんでから庵へ向かうと、リムルの帰還を知らされた皆が続々と集まっていた。皆がリムルと会うのは一月半ぶりくらいになるか。
お土産にはシューク
リムルの教師生活の話も聞いた。
皆には初耳となる、シズさんの教え子達が置かれている一刻の猶予もない状況。
過剰魔素の暴走による肉体の崩壊……以前俺が似たような危機に陥った時は、ウィズを、ユニークスキルを進化させて魔素を消費したんだったな。まるで参考にならない。リムルには解決の糸口が掴めているようだし、子供達のことは任せよう。
「町の方はどうだ? 本当に貨幣利用が始まってるんだってな」
「レトラ様が我々に向けて講義を開いて下さったのです。とても素晴らしい内容でしたぞ」
言うまでもなく、貨幣制度なんて魔物達には馴染みのないものだ。
現代日本を生きていた経験者としてぼんやりと染み付いた経済の概念を、俺なりに噛み砕いてウィズに確認しながら皆に教えたのだが、大変だった。
『リムル様がお考えになったポイント制度を、他国にも広めれば良いのでは?』
『このポイントは現在テンペストでしか信用を持っていない、独自の通貨に当たります。自分達の中で通用するからと言って、それを他国に押し付けてはいけません』
『貨幣を多く得た方が、レトラ様やリムル様はお喜びになりますか?』
『そうじゃないです説明するからよく聞いて』
これだよ。テンペストの住人達の最もでかい行動原理──リムルや俺のために! ってやつ。
本当に言葉選びを慎重にしなければ……金を増やせば偉いとか、喜んでもらえるとかいう考え方が根付いてしまってはダメだ……究極的にはそうだけど違うんだ……
ドワーフ王国発行の貨幣を事実上の基軸通貨とする西側諸国一帯の経済圏に参入するなら、稼いだ金はまた国外に出さなければ意味がない。だが俺達はジュラの大森林という資源に支えられての自給自足が成立しているために、使い道に目途が立っていないのが現状だ。使うにしてもある程度まとまった資金が必要となるし、今は魔国に流通する貨幣量を把握して様子を見ておくくらいのことしか出来ない……こんな状態で、お金は信用、それを円滑に回すのが経済活動、という理想論を語る俺はまるで詐欺師のようだった。
「レトラお前……そんなことまでやれるのか……」
「だって、皆がお金に対して変なイメージ持っちゃったらマズイだろ……!」
支払いにはポイントも使われるし、住人達への無償配給に関わって働く者もいる。得られた貨幣だけが国への貢献度とはならない、今後の貿易について検討するために正確な状況確認が必要なので、今まで通り誠実に働いて正直に報告してくれれば俺達は喜ぶよ! と皆には伝えておいた。
とりあえずはこれで回っているけど、俺にこれ以上を求められても難しいぞ……社会人やってたリムルならもうちょっと専門的な知識があるだろうし、無理なら早く経済関係の指導者を雇ってくれ!
しばらく皆でわいわいと話をして、リムルはイングラシアへ戻って行った。
俺は俺で、午後の視察に出掛けた後、砂スライム姿でシオンに抱えられながら町を歩く。シオンは久しぶりにリムルと会えたことですっかりご機嫌だった。
「リムル様ならばきっとすぐに子供達を救い、帰って来てくださいますよね!」
「そうだな。それまで俺達はしっかり留守番しておかないと」
「レトラ様は日々しっかりとリムル様のお留守を預かっていらっしゃいます。レトラ様のような素晴らしい弟君をお持ちで、リムル様も鼻の高いことでしょう!」
「はは……」
本当にシオンは俺のことも大好きだよな。
テンション高く俺に頬擦りしていたシオンが、ふと声のトーンを落とす。
「レトラ様はとても博識で、人間の文化についてもお詳しく、私では思い付かないような細かいことにもよく気を配られて……皆を纏めるお姿は本当にご立派です」
「シオン?」
「その、私は……私は、レトラ様のお役に立てていますでしょうか?」
少し心細そうな、恐る恐るとした問い掛け。
シオンのそういう気持ちは俺にもわかる。褒められれば嬉しいし、役に立ちたい、何かがしたい。大事な人の助けになりたい。そうだなシオン、俺もそう思ってるよ。
「俺はシオンがいてくれたら元気が出るよ。それに、シオンは仕事でもちゃんと頑張ってるよな? 手帳にメモを取って忘れないようにとか、秘書らしく努力してるだろ」
「は、はい、それは……手帳を頂きましたので……」
秘書っぽいアイテムとして、リムルと俺で作って渡したものだった。リムルが植物の繊維から紙を作り、俺が風化と造形で紙を増やし、革の表紙を付けて一冊の手帳にした。シオンはとても喜んでくれたし、予定の把握という秘書必須能力はそれで大体補われている。以前と比べると、シオンはちゃんとデキる女に近付いていた。
「シオンは成長してるから、もっと自信持っていいんだよ。いつもありがと……うっぐ」
「レトラ様っ……!」
めりぃ……! と砂ボディに圧が掛かるが、割られては格好悪い場面なので耐える。
ぎゅうぎゅうに押し付けられたシオンの身体から、鼓動が聞こえてくることに気が付いた。規則的な、少し速いリズムで届くそれに感覚を澄ませる。シオンの心臓の音。
この音が止まってしまうのは、嫌だなと思った。
夜になって庵へ戻り、布団に寝転がりながら腕を組む。
何度も何度も考えてきた中で一番手っ取り早いのは、俺が代わりに死ぬことだった。
俺が死んでも、きっとリムルは怒ってくれる。俺を生き返らせるために、覚醒魔王になってくれるはず……と思っていたんだけど、この考えは現実的ではないことに気付いてしまった。
(ウィズ……思ったんだけど、俺って死ねるの?)
《解。精神生命体に明確な死はありません》
(魔法とか精神特効武器で受けたダメージが酷ければ、俺でも死ぬ?)
《解。精神生命体に明確な死はありません》
(俺に死ぬ方法があるのかどうか、教えて欲しいんだけど)
《…………》
おいウィズ、おい。答えろよ。
疑問符が付いてなきゃ答えなくていいとかそういうことじゃないんだよ。
何というか、ウィズに嫌がられている感じがあるな……『
(それじゃ、精神生命体の明確じゃない死って何?)
《……解。力の根源であり意思である魂が破壊されると、精神生命体であっても存在消滅に至ります。一定期間を経て再度復活しますがその場合、記憶、能力、人格の全てを消失します》
(……う)
精神生命体である俺はほぼ死ぬことはなく、消滅まで行ってようやく、死と同等の状態だと言える。でもそれは最も肝心な魂が壊れたということなので、復活しても今ここにいる俺とは全く別の存在になってしまうのだ。いくら俺でも、消えてなくなりたいわけじゃない。生き返ることが出来るんだったら、俺でもと思っただけで……俺だって、まだまだここで生きて行きたい……
皆が死ぬのは見たくない。かと言って俺も死ねない。だったらやはり、襲撃者達と戦うしかない……そして町を守った上で、未来の魔国も守るためには、覚醒魔王の存在が絶対に必要となる。
ふと、頭を過ぎった可能性。ダメ元でウィズを呼ぶ。
(なあ……俺って魔王種、ではない……よな?)
《解。現時点では"魔王種"への進化条件を満たしていません》
そうだろうと思ったよ。
魔王種を獲得出来ない種族については、俺にも少し知識があった。聖なる種族の他には、妖精、竜種、悪魔(制限付き)……並べてみると、精神生命体は怪しい。恐らくは俺も同じで……俺は
個にして完全と言われる竜種だけはそれ以上進化することもないのかもしれないが、確たる器を持たずに生まれたために移ろいやすい精神世界の存在が魔王種を獲得しようとするなら、限界を突破するための進化がもう一段階必要となるのでは……?
とにかく、今の俺が覚醒魔王になれないことははっきりしている。俺にもその資格があれば、リムルと一緒に魔王になるとか、そういう道もあったかもしれないのに。俺が精神生命体であることが悉く足を引っ張っているな……どうして俺は、こんな風に生まれ付いてしまったんだろう。
(やっぱり、無理にでも、リムルに魔王になってもらうしかない……)
最低限、ファルムス王国との戦争は起こさなければならない。
二万人を、リムルの魔王進化のための生贄にしなければならない。
真なる魔王への覚醒ともなれば、リムル自身にも相応の決意をしてもらわなければ進化を成功させることは不可能だ。未来を話せない俺の曖昧な説得だけで、リムルを納得させられるだろうか。リムルが決意さえしてくれるなら…………後は俺が。
(俺が、代わりに、二万人を殺せばいいんだ)
俺だけが楽をするつもりはない、リムルに殺せないなら俺がやる。
たとえ、人間を殺す自分の姿が全く思い浮かばないとしても──それが出来ないのなら、俺には、皆やリムルや、魔国を失う未来しか残されていないのだから。
リムルが旅立って、そろそろ二ヶ月ほどが経つ。リムルは子供達の救済に向けて情報を集め、"精霊の棲家"の手掛かりを得たそうだ。もうすぐ子供達は救われる。
そして俺の方にも、兆しは少しずつ現れていた。
「そうだ、聞いてくれよレトラさん、今回の遠征中に新しく仲間が入ったんだ。ファルムスの
数週間ぶりにテンペストへ帰ってきたヨウムは、自慢げに言いながら背後を振り向く。
多くの屈強な男達で構成されたヨウム一団の陰から、滑るように進み出た細い影。緑がかった銀髪を一つに結い、魔法使いのマントを纏う、知的で落ち着いた物腰の美女。
「……初めまして。ミュウランと申します」
ああ……来てしまったか。
魔王クレイマンの配下、"五本指"の薬指、魔人ミュウラン。その役目はテンペストの内情を探りクレイマンに報告することで、ミュウランはこの町に潜り込むため、人間に化けてヨウム達の仲間となった。
わかってはいたけど。来て欲しくなかったけど……
「こんにちは、レトラ=テンペストです。
いや、ミュウランがやって来てくれたこと自体はありがたいのだ。クレイマンの計画が予定通り進められていることの証明になるし、ミュウランは必要だ。来てくれない方が困る。
俺はヨウムもミュウランも好きだし、今は素直にこの出会いを歓迎しよう。
「レトラ様はこの魔物の国の、王弟殿下であらせられると……」
「あ、そこまで気にしなくていいですよ! 俺のことは、人間の町で言う町長一家の子供くらいに思ってもらうのがちょうどいいかと……ヨウムがやってるみたいに」
「はあ? 俺はちゃんと、レトラさんをこの町の主として扱ってるだろ」
「あーうん……うん、ヨウムはそれでいいよ。大事なのは人柄だよね」
「……そ、それではレトラ様。私のこともどうぞミュウランと」
まだ町に着いたばかりで、宿舎へ向かうというヨウム達とはそこで別れた。
今度魔法の話を聞かせて欲しいとミュウランに頼んでみたら、何故私がそんなことを……と言いたげな気配を感じたが、断られはしなかった。仮にも俺は魔物の町の主の一人。謎のスライムの弟を内偵する機会を、ミュウランは逃せないからな。俺もミュウランの動向を把握するためにある程度の交流を持っておきたかったし、俺の情報を提供するくらいは妥当なところだ。
それからはしばらくの間、ヨウムとグルーシスによる静かなミュウラン争奪戦が繰り広げられるようになったり、ゴブタがミュウラン達を巻き込んでハクロウに模擬戦を申し込んだりと、平和な日々が続いた。
特にその模擬戦は、ゴブタが俺まで誘ってくれて、まさか自分に声が掛かる想定をしていなかった俺は普通に喜び、かなり浮かれて対ハクロウ戦に挑んだのだった。楽しかった。
※模擬戦はおまけとして二、三日中に更新します
※そのあともう一話やったら、3/9から事件当日の予定です。進みは遅いです。
誤字報告ありがとうございました。