「ほう……模擬戦とな?」
修練場の一画に呼び出されたハクロウは、ゴブタを見据える。
何でも戦闘時の連携強化のため、修行仲間のグルーシスや、現在町に帰還しているヨウムとその一派の
ゴブタから進んで稽古を申し出てくること自体が珍しい上に、自信満々な態度はあからさまに怪しく、何か企んでいるのは明白だった。だが相対する人数が増えようと、たとえ
それだけなら気にすることもないのだが、ハクロウは小さく溜息を吐く。
「そして、レトラ様も参加なさると…………」
集まった面々の中には、レトラの姿もあった。
兄リムルに並ぶ同格の主としてテンペストに君臨するレトラだが、その性格は子供らしく、無邪気な言動を取ることが多い。臣下を一心に愛し信頼していると雄弁に語る裏表のない笑顔は、この国に生きる者にとっては日々の活力でさえあった。そしてひとたび政に携われば、その類稀なる才知と達眼にて国主リムルの代理を完璧に務め上げる傑物なのだ。
国を預かるという責務にも不平一つ零さず振る舞うレトラのいじらしい姿に、魔国に仕える者達は皆、篤い敬慕と共に主君を案じる深憂を抱いており、ハクロウもその一人である。
日頃から働き詰めのレトラをたまには息抜きに誘うよう、ゴブタに持ち掛けたのはハクロウだった。ゴブタの怠け癖を助長することになる危惧もあったが、まだ幼いレトラには距離の近しい友人との交流が必要だろうと考え、目を瞑ろうとも思っていた。だが何も、レトラを悪巧みに巻き込めとまでは言っていない。
ハクロウの心中を知ってか知らずか、レトラはその幼顔に愛らしい笑みを浮かべる。
「あれ? キツイかな? いくらハクロウでも、俺がいたら負けそう?」
「ほっほっ……ご冗談を」
減らず口に付き合うべく凄味を滲ませつつ返すと、周りではゴブタやヨウムが少々顔を青褪めさせたが、当の本人であるレトラは満足そうに笑うばかりだ。
レトラが上機嫌ならばと、ハクロウは悪童共の提案を承諾するのだった。
ミュウランを後方に、ゴブタ、レトラ、ヨウム、グルーシスがハクロウに対峙する。
レトラはクロベエら魔国の職人達が力を結集させて作り上げた壮麗なる
今ではレトラは稽古の内容に応じて得物を変えるのだが、今回はゴブタやヨウムのように両手で木刀を構えている。また、グルーシスは二本のナイフを扱う戦闘を得意とするため、ナイフを模した短木刀をそれぞれの手に握っていた。
試合開始直後、ゴブタを狙って踏み込んだハクロウの足元で地面が液状化する。ミュウランの仕業であろうが、こちらの動きに合わせて正確に魔法を操る高い実力が窺えた。
ハクロウは"瞬動法"でその場を離れる。惜しむらくは単純な弟子達の視線がチラチラと地面に向いていたことと、レトラがスキルを用いて似たような地形変化を行うのを知っていたことだ。
つまり向こうも、安直な足場崩しが通用しないことは承知していたはずで──
液化した地面を避けて跳んだハクロウを追い、宙にレトラが現れる。
動作の制限される空中へ誘い出すという狙いは良いが、〈気闘法〉を極めたハクロウには不意打ちにもならない。苦もなく木刀を躱し、ハクロウはレトラを置き去りに空を駆ける。
「げぇ!? 空中で動いたっすよ!?」
「マジかよ、全然動きが鈍らねえじゃねぇか……!」
着地すると同時にゴブタの脳天を打ちのめし、非難めいた声を上げるヨウムの背後に回り込む。振り向き様の腹部に重い突きを放つとヨウムが倒れ、これで二人が片付いた。
「クソッ、隙らしい隙が一つもねぇ……最初の作戦は失敗ですねレトラ様」
「最初とか作戦とか失敗とか、言わない方がいいと思うよグルーシス」
「さて、次の作戦は成功しますかな?」
グルーシスとレトラを間合いに捉えたハクロウの目の前で、小爆発が起こった。
ハクロウの『魔力感知』に反応していた魔素の塊。ミュウランの仕掛けた設置型魔法と思われる数個のうち、一つが爆発と共に暗闇を生み出し、周囲を覆った。
『魔力感知』を持つレトラと、獣人の嗅覚を備えるグルーシスは闇を障害としない。二人は互いの動きを示し合わせていたかのような連携でハクロウに襲い掛かる。
だが、条件ならばハクロウも同じだ。
(
僅か数秒の間に激しい攻防が繰り広げられ、闇の中、レトラが体勢を崩す。
誘いであっても問題ないと判断し、レトラ目掛けて放った一撃を──飛び出してきた二本の短木刀が受け止める。グルーシスだ。
ハクロウに動揺はない。このままレトラが後退することでグルーシスとの連携が途切れれば、波状攻撃に間が生まれる。ハクロウにとっては充分に各個撃破が可能な隙となるだろう。
だが、ここで初めて予想外の事態が起こる。
辺りを包む暗闇に紛れるように、レトラの気配が消え失せた。
実戦に近い緊張感の中で、レトラは集中を乱すことなく完全な"隠形法"を行ってのけたのだ。
(これは見事な。ワシの『魔力感知』を振り切るとは)
引き伸ばされた時間の中で、ハクロウは思考する。
掻き消えたレトラの他は『魔力感知』で捉えた光景に変わりはない。
地に倒れたゴブタとヨウム。やや離れた距離で杖を構えるミュウラン。この場に発生している魔素の滞留はあと二つ、それらは前衛の援護を目的とした魔法のはずだ。
眼前にはグルーシス。レトラの姿を見失うまでに彼を沈められなかったのは手落ちの一つだが、獣人族の高い身体能力と鋭い勘により、ハクロウの攻撃を凌いでみせたことは称賛せざるを得なかった。
二つ目の小爆発が起こる。視覚と聴覚を麻痺させる、
発動を察知していたハクロウは目を閉じ素早く後方へと逃れたが、暗闇に慣れた目でこの閃光を直視しようものなら、致命的な行動不能状態に陥るだろう──目と耳を押さえ、地面に崩れ落ちてしまったグルーシスのように。愕然とするミュウランに非はない。グルーシスの獣人族特有の素直さと鋭敏な感覚が、ここに来て仇となったのだった。
ハクロウからしても予期せぬ展開ではあったが、状況からすれば好都合。
このままでは消えたレトラを警戒しながら立ち回らねばならないため、いかに早くグルーシスを打ち倒すかの算段を立てていたのが、その必要も無くなった。
そして三つ目の爆発により、一帯は
その時、ハクロウの『魔力感知』が、微かな魔素の乱れを捉えた。霧に紛れて接近する気配を、ハクロウの研ぎ澄まされた感覚が探り当てたのだ。死角から不意を打って飛び掛かってきた小柄な影。上段からの振り下ろしを、構えた木刀にて受け止める。
「惜しかったですな。ではここからは──」
「いいや、狙い通りっすよ!」
思いも掛けない声がした。
霧が晴れ、開けた視界に映ったのは、地に倒れ伏していたはずのゴブタ。
信じ難い出来事だった。己にここまで妖気を読ませぬ"隠形法"など、ゴブタには不可能なはず。そう訝しんだ刹那、ゴブタの身からサラリと滑り落ちるそれを目にして、ハクロウは張り巡らされた計略を悟る。
(レトラ様の砂……!)
恐らくは、
そしてそれすらも、全てが囮。
超速度で動き回るハクロウが足を止める、この一瞬を作り出すための。
残る前衛はレトラ一人と思い込み、仕掛けられた攻撃を回避することなく
ハクロウの背後で、出現と同時に振り下ろされた木刀が、その肩口に一撃を加え──
とん、と小柄な体躯が地面へ降り立つ。にっこりと笑みを浮かべて。
「一本。取ったよな、ハクロウ?」
「お嬢さん、付き合わせてすまんかったの。どうせゴブタの奴に唆されたんじゃろう」
「いえ、私の方こそ色々と勉強になりました」
後方支援としてのミュウランの働きは、実に粘り強く的確なものだった。
ハクロウの見立てでは、彼女の技量、隠している魔素量からすれば、仲間の援護に徹するだけでなく自ら大掛かりな魔法で攻撃することも出来たはずだが、それは問わずにおく。
「それにしても、レトラ様は
「レトラ様は器用な御方じゃからのう。日々の弛まぬ努力に加え、常に可能性を模索する創意工夫には、こちらはいつも驚かされるばかり……今後の御成長が楽しみで仕方ないわい」
「は、はあ……」
「これは失敬。ほっほっほ」
模擬戦はレトラ達の勝利となった。それはハクロウも認めるところだ。
まんまと出し抜かれるという不覚を取ったことには不満すら覚えたが、互いの手を打ち合わせながら喜ぶレトラとゴブタの姿には溜飲も下がった。練り上げた策を見事な連携によって成功させたのは彼らの実力と言う他はなく、弟子達を甘く見過ぎていたのは反省すべき点だろう。
だからこそハクロウは、己から一本を取ったレトラとゴブタに敬意を表し、少々本気を出して稽古を付けることにしたのだ。未だヨウムやグルーシスが回復しておらず、戦力的に窮地に立たされたことを察して逃げ出そうとした二人を捕まえ、有無を言わさずに。この程度で天狗になられては困る、という師としての戒めも込めて。
静けさの戻った訓練場の外れ。
ハクロウとミュウランが和やかに会話を続ける光景から少し離れた場所では──ハクロウのエクストラスキル『天空眼』に全てを読まれ手も足も出なくなった結果、全身を良いように打ち据えられズタボロになったレトラとゴブタが、仲良く地面に転がっていた。
「な、なあゴブタ……俺達、勝ったような気がしたんだけど……夢だったっけ……?」
「こ、ここまでボコボコにされると……全然勝った気しないっす……!」
※ハクロウ寄り視点なので、どれだけレトラを褒めてもOK
※57話は、三日後の3/5更新予定です