「魔法とは、物理法則を書き換えることで事象を具現化する理論です。それを魔素によって行うものが〈元素魔法〉、契約精霊の干渉力によるものが〈精霊魔法〉に分類されます」
後日、俺は約束通りミュウランに魔法講座を開いてもらった。
ヨウム達の昼食に交ざって食事した後、剣の修行や武具の整備に出掛ける面々を見送り、俺はミュウランとテーブルに残って食後のお茶を啜る。
「レトラ様は、魔法を扱えないということでしたが……」
「〈元素魔法〉を教えてもらったことはあるんだけど、上手くいかなくて。俺は魔法との相性が悪いみたいなんだよ、ミュウランは何でだと思う?」
「レトラ様のようにお力のある魔人ならば体内魔素のみで術式の構築が可能でしょうから、問題はもっと別の……例えば、イメージを具現化しエネルギーとして放出する、という一連の工程に不慣れであるためという原因が考えられます」
なかなか真に迫った指摘だと思う。
俺は今まで何度かリムルの分身体を喰ってスキルを分けてもらっているが、魔法を習得したことがなかった。リムルはちゃんと分身体に
俺は
風呂上がりの飲み物に入れている氷は、実は俺の砂で出来ている。溶ければ普通に水になるので、見てくれだけじゃなく完璧な『造形再現』が行われているということだ。
魔法術式を『吸収』することで、その先に発生する事象をダイレクトに再現可能になるんだろうけど……それはすごいと思うけど、魔法が使えないのってこの砂スキルの所為じゃね?
俺の場合、何をするにも優先的に砂を運用する仕組みになっていて、従来の方法で魔法を発動させるのが難しいことになっているんじゃないだろうか。ウィズにも、魔法行使のための演算領域が不足しています、とかわけのわからないことを言われたし。
ミリムが
「つまり、魔法が使いたいなら地道に練習しろと……?」
「それが一番だと思います」
こうして俺は、知られても問題なさそうな情報を小出しにしながらミュウランと話をした。魔法講義というのは長年魔法の研究をしてきたミュウランにはちょうどいい口実だろう。
お茶を飲みながらのこの時間を俺は気に入っているし、修行帰りのヨウムやグルーシスも様子を見に来ることがよくある。ミュウランが楽しんでくれているかはわからないけど、無理だろうな、上司の所為で。
「じゃあ俺、ちょっとヨウム達のところに行ってくるよ」
今日も時間が作れそうだったので、町へ出掛けることにした。
俺は前からよくヨウム達について回っていたし、皆は俺の遊びに行ってきます宣言を咎めることもなく送り出してくれて……これは俺が真面目に働いてきたことで勝ち取った信用だな。うん。
執務室を出て廊下を歩いていると、お出掛けですか? とシュナに声を掛けられた。会議までには戻るからと返事をして通り過ぎようとした俺を、シュナがもう一度呼び止める。
ん? と振り向く俺。
「あの……レトラ様。わたくし、先日リムル様に数々の魔法書を頂いたのですが」
「ああ、イングラシアのお土産だね」
「もし魔法にご興味がありましたら、わたくしがお教え致しましょうか?」
「え? それは……また今度でいいかな」
リムルがイングラシアの図書館で『大賢者』と『
俺が魔法を使えない……というのはちょっと格好悪くてアレだけど、それは前からシュナも知っていたはず。急にどうしたんだろう? 俺が遠慮を伝えると、シュナは綺麗な顔を悲しげに曇らせる。
「そう、ですか……ミュウラン殿とは度々、仲睦まじく魔法のお勉強をされているとお聞きしましたのに……レトラ様は、わたくしではご不満なのですか……?」
「ええええ──!?」
予想だにしなかった展開!
心にドバァと滝のような冷や汗を掻き、とんでもない濡れ衣を焦って否定する。
「えっ、えっいや……いや? 違うよ? ミュウランとはそういうのじゃなくて……シュナが不満とかそういうことでもなくて……えーと、俺がミュウランと会ってるのには、事情が……」
でも、事情を言ってしまっていいんだろうか?
魔人であるミュウランの動向を探るため、友好的にしているのだと……うん、俺はミュウランのことは普通に好きだし会って話すのも楽しいんだけど、それは今言わなくていいやつだ。
俺が言い淀んでいると、シュナは泣き出しそうだった顔をコロリと悪戯っぽい微笑みに変える。
「うふふ、存じておりますわ。レトラ様は、あの者が人間でないことにお気付きなのですね」
「っえ……ええ?」
シュナはユニークスキル『
「これ以上『解析』を試みては察知されてしまう恐れがあるため、わたくしからの干渉は控えております。レトラ様のお許しがあれば、直接尋問することも──」
「いや……人間に化けて潜入してきたのを見ると、目的は偵察だろう。不利になる情報は与えていないし、人間のままでは大きな魔法も使えないはずだ。何か動きがあれば身柄を押さえるけど、それまでは様子見とする。下手に警戒されないよう、今後もヨウムの仲間として扱ってくれ」
「はい。仰せの通りに致します」
力を隠した魔人が怪しいことに変わりはないので、本当は尋問くらいするべきなのだ。
だがそれでは都合が悪い。ミュウランの言動はクレイマンに筒抜けなので、俺達が疑いを持ったことを知ったクレイマンがミュウランを始末する恐れがあった。ミュウランの命を守り、クレイマンを出し抜くためには、後手後手だろうとミュウランを放置するしかない。
表情を引き締めたシュナは、俺に従い深々と頭を下げる。
結局、この一件は俺に預けると伝えに来てくれたらしいが……それにしても、心臓に悪い冗談はやめて欲しい。ビビった。シュナを泣かせたら、俺がベニマルやハクロウに恨まれるだろ!
今日も町は賑やかで、通りを行く人々が俺に声を掛けてくる。最近では町を何度も訪れる冒険者や商人達が俺の顔を覚えてくれたようで、魔物以外からも挨拶されることが多かった。
宿舎へ向かう途中で、軽装のヨウムとバッタリ出会う。
「おう、レトラさん。何してんだ?」
「今ちょうどヨウム達の宿舎に行こうとしてたんだ。ミュウランはいる?」
「ああー、悪りいな、ミュウランはロンメル達に部隊運営の指導をしてるはずだぜ」
「そっか……じゃあまた今度にするよ」
「なあレトラさん、詫びと言っちゃなんだが、今日は俺が遊んでやろうか?」
微妙に子供扱いされている気がしたが、俺は頷き、今日は修行も休みなのだというヨウムと町をぶらぶらする。
屋台ではヨウムが奢ってくれた。テンペストは英雄ヨウム一行のスポンサーなので、本当はヨウム達からは代金を取らないのだが、ちょっとした買い物では経済貢献してくれる方針らしい。いやそれよりも、この国の者であれば屋台の食べ物は無料となる。俺の分までお金を払わせるのはどうかと思ったけど……子供は気にしなくていいんだよと言われた。今、はっきりと子供って言ったねヨウム?
昼下がりの町中で、のんびりと買い食いを堪能する贅沢な時間。
最近では串焼き肉の味付けバリエーションも増えてきた。塩味や柑橘系ソース止まりだったところに、砂糖を使った甘いタレが生まれたのはデカい。熱々の肉に絡む、このコッテリ感がたまらないのだ。
「しかし、この町も人が増えたよな。そこらの王都よりもよっぽど賑わってるぜ」
「お客さんがたくさん来てくれるし、皆も頑張ってくれてるからね」
「レトラさんもそうだろ。リムルの旦那の代わりに町を守ってるんだからな、立派なもんだ」
大ぶりの肉を満喫し、残った串は二人分、スルッと砂にして片付ける。
奥に見えてきた大規模な空き地にはいずれ闘技場か何かが建つはずだけど、今はまだこの周辺は未開発地区で、自然の残る憩いの広場のような役割を果たしている。
ヨウムと並んで石畳の通りを歩いていくうちに、俺達はだんだんと中心部の喧騒から遠ざかっていた。人の気配のない広場の隅に、ヨウムの声が落ちる。
「なあ、レトラさん。ミュウランの何を探ってる?」
その問い掛けには不快感や警戒のような感情は見えず、いつも通りの──いつも以上の平静さがあった。ヨウムはもう、ミュウランが人間じゃないことを知っている。そして、俺の行動にも。
「気付いてた?」
「そりゃあな。俺がミュウランを連れて町へやって来た時、あんたはミュウランを見て確かに一瞬固まった。俺達には初対面からあんなにキラキラしてたあんたが、まるで歓迎出来ない何かを見ちまったようにな。あんたは最初から、ミュウランの正体を見破ってたんだろ」
ヨウムまでキラキラ言うのか……一体どこまで浸透してんだこの言葉……
ていうか最初からバレていた。何かにつけて色んなことがダダ漏れな俺、何なんだろう。
「だが、あんたはミュウランを受け入れてくれたな。ミュウランの正体を触れ回ることもせず、手の内を晒すような戦闘訓練も一緒にしてくれた。ミュウランにもキラキラするようになったし」
「俺はミュウラン好きだからね」
「おいおいやめてくれよ、ライバルが増えるじゃねぇか」
「ヨウムも好きだよ」
「そりゃ嬉しいね」
さっきシュナが冗談を言っていたけど、まさかヨウムにまでそんな疑いを持たれていたらエライコッチャなので、誤解のないようにちゃんと言っておかなければならない。
ヨウムは複雑そうな顔をしてがりがりと頭を掻き回し、その手を止めて呟いた。
「町を守らなきゃならねえのに、ミュウランを見逃してくれてるあんたに……俺は感謝すべきなんだろうな」
「必要ないよ、俺の判断だ。何があってもヨウムの所為じゃない」
「あんただけの所為でもねぇだろ」
「俺はそういうことを言っちゃダメなんだよ」
「……国主ってのも辛れぇもんだな」
「代理ね、代理」
ミュウランを魔人と知っていながら黙認するのは、町を任された身としては無能の極みだ。本来ならば正体を暴いて目的を追及、内容によっては処断。情けを掛けるなら町からの追放。でもそれだとミュウランが死ぬ。あの魔法結界は町に直接的な害を与えるものじゃないので、俺はミュウランについては見逃すつもりだ。それでいい。俺の対応が甘過ぎたという結果になるだけだ。
「レトラさん、俺は、受けた恩には報いる。あんたの判断は正しかったと、俺が証明する」
「そんな期待してない。あのさ、ヨウム」
正直、それでは困るのだ。俺がミュウランを見張っていたのは、ミュウランが本当に魔法結界を発動させるかどうかの確信が欲しかったから。罷り間違って、例えばミュウランがクレイマンに一矢報いるために魔法結界を張らない──なんてことになったら、クレイマンの怒りを買ったミュウランはやはり殺されてしまうだろう。
「俺はヨウムに、ミュウランのことだけ考えてて欲しいんだよ」
「……っ」
だがそれは杞憂だった。ヨウムがめちゃくちゃ格好良い。
ミュウランを疑う俺の立場を考慮して、感情に任せて俺を詰るようなことはせず、ミュウランも俺も守ろうとしてくれている。ミュウランが命を懸けて守るに相応しい男だ。俺が心配するまでもなく、ミュウランはヨウムのためにクレイマンに従い、魔法結界を発動させるだろう。
「……すまねえ、レトラさん」
「気持ちだけでいいよ」
帰る、とヨウムに背を向けて歩き出す。
俺は今まで、魔法講義を受ける合間にミュウランと他愛のない雑談もしてきた。
ヨウムの部隊に入りたいと希望した時の出来事、日々の活動があまり効率的でないという愚痴、皆に少し助言や指導をしただけで大袈裟なくらい感謝されること。そしてヨウムの話題になると時々、戸惑うように目を伏せながら話すミュウランはとても可愛かった。
二人にはハッピーエンドを迎えて欲しいと、俺はそう思っている。
もうすぐだ。
恐らくは、もう数日のうちに事態が動く。
俺はミュウランの
あれが一番要らないのだ。あの複合結界さえなければ魔物達の弱体化は起こらず、俺達は戦える。町で騒動が起こったとしても、誰も死なせずに済むだろう。
一方ではファルムス王国の宣戦布告を受け、リムルを魔王に進化させる。
リムルのことは説得する。人間は必ずまた同じことを仕掛けてくる、戦争はいくらでも繰り返されると。殺し合いの泥沼から魔国を守るには、絶対的な力を持った魔王の誕生が必要なんだと。そして、リムルが人間達を殺せないなら、その時は俺が。
俺の方でも、ようやく覚悟が決まっていた。
※次から事件当日
※当作品は原作展開の改変を目的としてはいません
誤字報告ありがとうございました。