「待ってください……! どうか、話を聞いてください!」
「魔物が国を興したと聞いて調査に来てみれば……貴様らは罪も無き人々に危害を加えたのだ、その野蛮な振る舞いを見過ごすことなど到底出来ぬ!」
ファルムス王国の正規騎士団に向かい、俺は声を張り上げる。
異世界人達が、魔物が突然襲ってきたと騎士団に助けを求めたことで、奴らは狙い通り俺達を襲う口実を得た。連中が聞く耳など持たないことはわかっていたが、今は一人でも多くの者をここから避難させなければならない。だが人間の冒険者や商人以外の、町の魔物達には結界による弱体化が起こっている。誘導を急げと指示した警備兵達も同様で、迅速な避難は絶望的だった。
双方どちらにも被害を出さずに場を収めるには、圧倒的な力の差が必要だった。"
「我らは人類の法に従い、無辜の民に加勢する!」
大声で叫びながら、隊長らしき男が剣を抜く。
振り下ろされた剣を、俺に追随していたソウエイが刀で受けた。だが本体よりも魔素の少ない分身体では能力低下は避けられない様子で、その動きは重い。
そして、そのぶつかり合いが合図となった。
騎士達が剣を手に、町の魔物達に襲い掛かって行く。
周囲で上がる悲鳴。
「──やめろ!」
結界に封じられ、『
結界の制限を受けないのは〈気闘法〉──"瞬動法"で間合いを詰め、騎士の剣とホブゴブリンの子供の間へ飛び込む。
子供に届く前に俺に突き刺さった剣は、『
「あ……レトラ様……」
「動けるか? ゆっくりでいい、建物に入れ」
剣を『風化』された騎士は短剣を抜くが、
"気操法"で強化した蹴りが顎を打ち上げ、騎士はその場で昏倒した。
だが、それでは遅かったのだ。
至る所で蹂躙が始まっていた。
動けない者を斬り付け、逃げようとした者を背後から、転んだ者と庇った者を串刺しに。
絶叫が上がる。血が流れる。止められない。
「レトラ、様……!」
「……! しっかりしろ、死ぬな!」
地に倒れた一人のホブゴブリンの元に駆け寄る。
『
肩を掴んで呼び掛けるが、その口元は何かを言おうと少し動いただけで、間もなく顔が伏せられる。
嫌だ。やめろ。やめてくれ。
何かが壊れる音がする。
俺の中で眠っていた何かが、少しずつゆっくりと、奥底から這い出してくる。
俺が一人の騎士を倒すのに、何秒掛かった? その間に何人が殺された?
騎士達は剣を振るい続ける。俺がこうしている間にも。
「レトラ様! これは……一体!?」
"
俺は麗剣を手に立ち上がる。頭が煮え滾りそうだった。
「ベニマル……皆を守れ。これ以上、殺させるな」
「……っですが、人間が相手では……!」
「殺さなくていい……お前達は、リムルの命に背くな」
目の前で仲間達が殺されていくという、この世の地獄を目の当たりにしてさえ変わらなかったリムルへの信頼を、俺の命令のために揺らがせる必要はない。
これは、俺の決断だった。
「俺がやる」
"瞬動法"で広場を駆ける。
地面を這って逃げようとするゴブリナの背には大きな傷があった。
一人の騎士がそれを追い、ゴブリナを足蹴にし、剣を振り上げる。そいつがそれを振り下ろす前に追い付いた俺は──右手に握った麗剣を、騎士の頭に突き刺した。
この
ほんの少しの軽い力で兜と頭蓋を『風化』させ、貫き通した剣先。
頭にぽっかりと穴を空けた、人間だったものが倒れ伏す。
「──皆、聞け! レトラ=テンペストが命令する!」
麗剣を空に向け、あらん限りの声で叫ぶ。
「命を守れ! 仲間を守れ! 何としても生き延びろ! 死ぬな、これは命令だ!」
いくら死力を尽くしても、始まってしまった虐殺は止められないとわかっていた。
人間に手を出してしまえば、もう後には退けなくなる。その責任を取るのは俺だけでいい。これ以上町の住人達を殺されたくないなら……最も速く確実な方法を取るなら、殺せる俺が殺すしかなかった。
リムルの代わりに人間達を殺すと決意しておきながら、ずっと不安だった。人を殺したことなんてあるわけがなく、想像することも出来ず、俺には無理かもしれないと危惧していたけどそうじゃなかった。殺すために必要なのは、ただその意志だけ。今の俺にはそれがある。
なあそうだろ、これは俺の"殺意"で、そしてお前なんだろう──『
『
この国で皆と一緒に過ごしていられれば、俺は満たされたままでいられたのだ。
だがそれは欠けてしまった。満ち足りていた俺の世界が壊された。『
「薄汚い魔物が、本性を現したか……! よくも我らの仲間を……!」
お互い様だ。
騎士の背後を取り、鎧ごと麗剣で貫く。『風化』によって、まるでバターでも溶かすように剣身がスルリと人間の身体に沈んだ。砂への魔素の浸透は阻害されているため風化の連鎖反応は起こせないが、風穴一つ空けるだけで人間の命は終わる。
槍で突撃してくる騎兵には『水刃』を撃ち出して落馬させ、砂の剣で突き刺した。騎士達には〈
目に付いた騎士達を、片っ端から動かぬ塊に変えていく。それでも間に合わなかった。
町の衛兵達は傷を負った者、身動きの取れない者を手助けし避難させているが、騎士達は執拗にそれを追う。殺しても殺しても追い付かない。
屋台は壊され、何人もの魔物達が、血溜まりの中に伏したまま。
足りない、間に合わない、もっと速く、もっと多くを──
ハクロウ、と鋭く飛んだベニマルの叫び。
腹を押さえたハクロウが膝を突いている。傷からの出血が酷い。
相手取っていた騎士を吹き飛ばしたベニマルは、ハクロウの後退を庇うように広場に進み出て、怒りに燃える目でキョウヤへ刀を向ける。一方では、シオンが〈気闘法〉を駆使した体術でショウゴの打撃に喰らい付く。キララはユニークスキル『
シュナや怪我人達、それにキョウヤと交戦して負傷したゴブタも衛兵によって連れ出されていた。『思考加速』の中で、俺が周辺の様子を捉えたのは一瞬だったが……俺は気付く。
広場の隅に倒れ、ピクリとも動かなくなった、ゴブゾウの姿に。
「あ…………」
零れた声が震えた。
切り傷じゃない、あの殴打痕は、ショウゴ。
ぞわぞわと湧き上がる、憎悪と後悔が胸を満たす。
知っていた、俺は知っていたはずだ。なのにどうして防げない。助けられない。どうして俺は初めから、異世界人達を殺しておかなかったんだ。
目の前の騎士の心臓を一突きで溶かし、踵を返して走り出す。
奴らがいつ撤退するかなんて俺は知らない、だったら、ここで殺してやる……!
「レトラ様! 侵入者です、あれは神殿騎士──」
「……ッ!?」
俺を追ってきたソウエイが、そう言い掛けたのと同時に。
身体から力が抜けた。広場に踏み込んだ足が、縫い付けられたかのように重い。
《警告。新たに発生した浄化結界と複合結界の重複による、局地的な多層結界に囚われました。魔素浄化効果が著しく上昇しています。結界内部では大幅な能力制限を受けます》
広場に出現したその結界は、魔素が薄れたことで知覚範囲の狭まった『魔力感知』の外から現れた、八名の人影によって展開されていた。それ自体の効果は"
「クッ……レトラ様! この結界は……!」
Bランク相当のソウエイの分身体が、魔体を維持出来ずに消滅した。
俺の身体も異様に重く、立っているだけで辛い。闘気を練り上げることも困難なほどの重圧。同じく広場の中で結界に閉じ込められたベニマルとシオンはその負荷に膝を折り、何とか身体を支えているが、あれでは戦えない。Aランク超えの二人があの状態ということは、この重ね掛けされた結界の範囲内には、恐らく"
「ははは! こうなっちまえば、魔物共もザマァねぇな!」
ショウゴの蹴りがシオンを捉えた。
ガードし切れずにシオンが弾き飛ばされ、ショウゴは俊敏な動きで俺の目の前に現れる。地面へ踏み込み、腰を入れた拳を俺の腹に叩き込んで──でも、それだけだった。
「うおっ……あああ!? 何だこりゃ……!?」
ショウゴの右腕が無くなっていた。
多層結界にすら影響されない衰滅の化身、『
「俺の手が……!? テメェ、何しやがった!」
逆上したショウゴが俺に蹴りを打ち込むも、その足もやはり砂に変わる。打撃を受け止めるように絡み付いた俺の腕が、ショウゴの手足を『風化』させるからだ。
俺の『風化』は痛みを伴わないようだが、流石の『
敵意を剥き出しにして俺を睨むショウゴへと、重い足をずるりと引き摺って一歩近付く。麗剣を持ち上げる。この剣が触れさえすれば、その首も落ちるだけ──
しかし、それは叶わなかった。
高速で飛来した斬撃によって、俺の右腕が斬り飛ばされた。
分離した腕が、麗剣ごと砂へと戻る。
「打撃は相性が悪そうだけど、これなら効くみたいだね」
「レトラ様……!」
キョウヤのユニークスキル『
あのハクロウにも手酷い傷を負わせた、見えない刃。
空間属性というのが何なのか俺には理解出来ないが、『造形』のある俺には斬撃だって意味がないはずなのに、『造形』が使えない。腕を元に戻せない。
飛んでくる斬撃を回避し切れない。突き刺さるだけの刃はいくつか『風化』させたが、切り落とされてしまっては砂との接触状態が保てない。身体が重い、せめて、この結界さえなければ…………
ふと、頭の中に浮かんだ疑問。
この浄化結界、神殿騎士達…………これは一体、何のために現れた?
「ようやく動きを止めたか。この"
"
そんなもの、俺は知らない。
どうして出てきた? 俺の記憶に無いそれが、どうしてわざわざ?
「ここまでの策は不要と思っていたが……あれでも魔物共の主、一筋縄ではいかないようだな」
「魔法装置が作動していれば、犠牲を出す前に討伐しておけたものを……!」
「気を抜くな。子供の成りをしているが、あれは危険だ。人類のためにもここで滅ぼしておかねばならん」
その答えは、俺だった。
本当は存在しないはずの、魔物達の主がもう一人、ここにいた所為で。
魔法装置を壊そうが、
襲撃を防げないわけだ。
俺は初めから、完全に奴らの目的を見誤っていたんだから。
「勇敢な若者らよ、助力に感謝する! だがこれ以上、我らファルムスの親愛なる民を魔物共の脅威に晒してはおけぬ、この場は我らに任せて貴君らは避難されよ!」
「物は言いようだけど……まあいいさ。反応がなくてつまらないし、後はそっちで始末してよ」
ファルムス騎士団の声に、興味を失くしたように呟いたキョウヤが剣を振る。
俺の左腕が落ち、砂になる。右脚が膝の上で切り取られ、残った左脚がガクリと折れる。
立てない。動けない。抵抗する理由が見付からない。
これが俺のために用意された処刑台だって言うなら、俺は従うべきなんじゃないのか?
だって、町に犠牲を出してしまった。守れなかった。俺の認識不足で皆を死なせておきながら、自分だけは抵抗して、生き延びるつもりなのか?
だったら俺も、ここで、一緒に死んだ方が──
衝撃が訪れる。
いや、衝撃と言うには温かく、柔らかな、俺のよく知るぬくもりだった。
俺に覆い被さった紫紺色のダークスーツ。
「シオン……!?」
魔物を縛り付ける多層結界内を、シオンは全力を振り絞って駆け、騎士の剣から俺を庇ったのだ。俺に重なるように倒れたシオンが、身体を震わせながら顔を上げる。
「ダメ、ですよレトラ様」
にっこりとシオンは笑った。
脇腹から腹までを切り裂く、深い傷口に血が溢れる。
「レトラ様に何かあったら、私は泣いてしまいます」
俺に優しく笑い掛けたシオンは、傷を庇う素振りも見せずに身を起こした。
両手が俺の身体を掴む。
「レトラ様、お許しを!」
「待て、シオン、何──」
あちこちが切り落とされて体積の減っていた俺は、シオンによって簡単にぶん投げられ、待ち構えていたベニマルに激突するように受け止められた。
「レトラ様! 俺が盾になります、結界の外へ……!」
「放せ! シオンが……!」
ベニマルも多層結界内では満足に動けないらしく、俺に腕を回し境界へ向かって這うように進むのみだが、両腕と片脚のない俺ではそれすら止められない。
シオンは足に力を込め、騎士達の前に立ちはだかる。
「下がれ、人間共! レトラ様の御前で無礼は許さん!」
口から血を吐き、シオンが吠える。
その手に"剛力丸"はなく、一歩も動けず、立っているだけでやっとの状態。
あの重傷では、結界内部にいるだけでも危険なのに。
「邪悪な魔物め……! 神の名の下に、粛清する!」
「──シオン!」
足が無い、動けない、砂が使えない。
騎士の剣に貫かれ、シオンの身体が崩れ落ちた。
シオンまで。
シオンまで、殺した。俺が。
俺は、何を間違えた?
※鬱展開なので次話も今夜中に更新します