「なあレトラ。もし俺が……進化に失敗して…………」
掠れて消えた、小さな声。
リムルが何を言おうとして迷っているのか、俺は知っている。
──理性を失った化物になってしまったら、速やかに処分してくれ。
出陣の間際になっても、リムルはそれを口にはしなかった。
オークロード戦の時と同じだ。もしリムルに何かあったらという最悪の想定の下、当然俺もその事態に備えておくべき戦力なのに、リムルは俺に何も言ってはくれない。
やっぱり俺じゃダメなのか。
あの時と同じように、また俺はリムルに何も託してもらえないのかと、心に重みが圧し掛かる。
だけど、俺より苦しそうなリムルの表情を見た瞬間に、全て吹き飛んだ。
そうだ、違う、違うだろ。
確かに俺はリムルに甘やかされてばかりの自分が嫌で、強くなろうとしてたけど……
でもそれは、リムルを殺せと頼まれたかったからじゃない──リムルを安心させてやりたいと、そう思ったから頑張ってきたんだ。
「……失敗しないと思うよ」
相変わらず主観しか根拠がないけど、俺は迷わず言い切れる。
リムルだったら、間違いなく覚醒魔王に進化して、シオン達を蘇らせてくれるって。
「うん。俺は、リムルなら大丈夫だと思う」
リムル、俺はキラキラしてる?
リムルを信じてるって、これで伝わる?
思い詰めたように強張っていた金色の瞳から、ふっと力が抜けて。
わかったよ、とリムルは笑った。
出陣の見送りを終えた俺は、町中へと引き返して歩く。
リムルは気持ちの整理が付いたようなすっきりした顔をしていたから、きっと大丈夫だ。
結局、俺はまたリムルに後始末を頼まれなかったけど、今度はそう惨めな気分じゃなかった。俺にもリムルを支えることは出来るとわかったから。
さて、俺も仕事に取り掛かり、皆の帰りを待つとしようか。
俺はシオン達の魂が浄化されてしまわないよう、結界内に魔素を補充し濃度を保つという役目をリムルから与えられていた。「お前は魔素量が多いから任せるが、くれぐれもやり過ぎるなよ……わかってるな……?」という厳重注意も。うん、流石の俺でも、そう何度も消滅の危機は迎えたくないです。
魔素を大量消費しすぎて消えかけた俺だが、何とか復帰することが出来た。とは言っても俺は三日間寝ていただけで、ウィズがスキルを進化させたり亜空間へ避難したり精神体の損傷を治したりと、めちゃくちゃ頑張ってくれたようだ。何回でも言おう、俺の先生マジ有能。
(ウィズ、ありがとな)
呼び掛けても返事は来ない。
ウィズは『
いつものことだから、別に気にはしないけど。
周辺の魔素濃度を確認し、とりあえずは普段抑え込まれている俺の魔素を、ばっしゃばっしゃと撒き散らしながら通りを歩いて行くと、広場の方からシュナが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「レトラ様。いけませんわ、あまり多くの魔素を消費しては……」
「このくらいは平気だよ。それに、今度はもう無茶しないからさ」
"
「でもあんまり魔素が濃いと人間には毒だから……ヨウム、ちゃんと避難してくれよ?」
「わかってるよレトラさん。心配すんなって」
シュナの後ろからは、ヨウムとミュウランもやって来ていた。ミュウランはシュナと同じく結界の強化担当で、ヨウムはミュウランの護衛と言っているが、きっと一緒にいたいだけだろう。
「シュナ、魔法結界は張られたままだけど、内部からの改良は可能?」
「リムル様より術式の詳細を正確にご教授頂きましたので、問題ございません。改良術式も完成しておりますし、この複合結界が解除されましたら直ちに取り掛かります」
結界だからって全てを無条件に封じ込められるわけじゃない。俺もついこの間経験したことだが、妨害系の力って、原理の解明と注ぎ込むエネルギー次第で破れるからな。
しかし、ここまで期待以上に働いてくれる頼もしいお姫様がかつていただろうか……頼んだよ、と言うくらいしか俺に出来ることはなかったけど、シュナからはお任せくださいと嬉しそうな返事があった。
シュナの背後にいたミュウランが、複雑そうな顔で俺に声を掛けてくる。
「この度は……レトラ様には多大なるご厚意を頂き、感謝の言葉もございません」
「ああ、潜入を見逃してたこと? 俺の判断だ、恩だと思わなくていいよ」
「私が秘術によって自由を奪われ、盗聴されていたことも、レトラ様は御存じだったのですね」
「まあ……知ってたけど」
いつの間にか俺は、ミュウランの八方塞がりな状況を見破った人にされていた。それでわざとミュウランを放置していたと思われていて……いや、状況を知ってたことは事実だし、やったこともそうなんだけど、俺が見破ったわけじゃないんだ……最初から知ってただけなんだ…………
「レトラ様は、魔法結界の術者が私であることも見抜いておいでだったのでしょう。ですが、やはり腑に落ちない点があります……私が正体を隠していた間はともかく、町に結界を張るという敵対行為に出てなお、何故レトラ様は私を殺さぬようお命じになったのですか?」
それは、俺がヨウムとミュウラン推しだから…………
とか意味不明なことを言っても仕方ないので、真面目に答えよう。
「リムルが推測した通り、ミュウランの雇い主を探ろうとしたっていうのが理由の一つだよ。それともう一つは……俺、ミュウランと魔法の勉強してただろ」
「え? ええ……」
「魔法とはイメージを具現化する理論……ってことは、エネルギーである魔素が、魔法という事象に変換されると捉えていいんだよな?」
俺の解釈に、そうとも言えますとミュウランが頷く。
「魔物の魂は魔素で守られてる。だから、魔法結界があれば魂の消滅防止に有効なんじゃないかと思ったんだよ。術者が死んだら結界を維持出来るかわからないから、殺すなと命じたんだ」
「そうでしたか……そこまでお考えで…………」
学者肌のミュウランは、俺の理屈に納得してくれたようだ。
"
その時、町に異変が訪れた。
今までずっと俺達を押さえ付けていた圧力のようなものが消え、身体が軽くなる。
ベニマル達が"
「レトラ様。それではわたくし達は結界の補強へ……ミュウラン、参りましょう」
「ええ」
シュナ達とはそこで別れ、俺は中央広場へ向かった。
広場にはまだ、俺が『吸収』しきれなかった砂が残されている。大体は町の皆が集めてくれて……その砂は何故かリムルのベッドに山盛りになっていたけど、とにかく、人力で全ての砂を拾い集めるなんて無理がある。これでスキルが使えるようになったし、残りの砂を回収しよう。
俺の魔素を広場全体に行き渡らせる。『魔力操作』を使って、石畳の間に入り込んだり、土に混ざってしまっていたり、あちこちへ飛散した砂に丁寧に魔素を馴染ませた。
これが出来れば後は簡単、『砂操作』で自由自在だ。手招くように右手を動かすと、ざああっと浮き上がり宙へ集まる俺の砂。思ったより量が多かった。そして『吸収』──回収終わり。
《告。不足分の構成情報を取得しました。"
思い掛けないお知らせだった。
あ、この砂、俺が溶かした結界の砂?
聖属性の結界でもお構いなしに『造形再現』可能とは恐れ入るね……魔物の俺が対魔結界を張れるというのはどうなんだろう。っていうか俺は、"
周りにいた住人達は突然の現象に何事かと驚いた様子だったが、すぐにそれが俺の砂と気付き、俺の力が戻っていることを喜んでくれていた。
魔物達も身軽に動けるようになったため、広場で行われる作業は一段と効率良く進む。壊された屋台の瓦礫を一ヶ所に除け、中央には台座が……リムルが帰って来たらその場で進化の眠りに就けるようにと、座所が作られようとしていた。
そのすぐ傍に横たえられ、静かに眠る者達。
そこにはシオンや、ゴブゾウや──背中に大きな傷のあるゴブリナもいた。
……騎士達を殺しても、助けられなかった。俺には何もしてやれなかった。
血を滲ませて動かない皆を見る度、喚き声を上げたくなる。
リムルや皆の傍では落ち着いていられたのに、こうして現実を目の当たりにするとどす黒い衝動が胸に広がり、それはひっきりなしに俺の理性を引き千切ろうと働き掛けてくる。無いはずの心臓を掻き毟りたくなる不快感に耐えながら、ぐっと力を込めて胸元を掴む。
くそ、落ち着け、暴れるな……俺の望みは欠けてしまったが、まだ遅くはない。失われたものはこれから取り戻す。絶望している場合じゃないんだ…………頼むから。
「レトラ様」
はっとして顔を上げる。
振り返ると、"
揃った全員が表情を引き締め、その場に跪く。
「御報告申し上げます──複合結界解除の任務を終え、全員無事に帰還致しました」
「……おかえり。よく戻って来てくれた」
皆の姿に、少しだけ胸の軋みが和らいだ。
胸元を握り締めていた手から、徐々に力が抜けていく。
町を覆う結界はシュナ達が改良を済ませており、入って来る魔素を拒まず、出て行こうとする魔素を逃がさない特別仕様のため、リムルがいなくても魔物が町に入ることは可能となっている。
今まで町の外にいた者達も、やっと戻って来られたようで良かった。
「ソウエイ、ガビル、久しぶりだな」
「は……レトラ様の御姿を拝見し、ようやく安堵致しました」
「御心配申し上げておりましたぞレトラ様。事の次第は聞き及んでおりますが、御無事で何より……!」
予定通り、四つの陣は全滅させたそうだ。
西の陣には"異世界人"達がいて、キョウヤ、キララは死んだ。
俺に手足を溶かされ戦えなくなっていたはずのショウゴは、陣地に襲撃を受けた直後にキララを殺してユニークスキル『
やり切れない思いはある。
だが、俺が手を下した者達のことも含めて、後悔はしていない。
ファルムス王国騎士団三十三名、神殿騎士団八名。
そして、忘れる必要もない。思い出せば手が震えるのは、当然だから。
「御苦労だった。ありがとう」
リムルからは、町に戻るよう命令があったと言う。
後はリムルが戻り次第、進化と蘇生の儀式に臨むだけだ。
それまでは皆も結界内の魔素濃度を高める作業に参加してもらうことになる。そう指示して、俺も作業に入ろうとしたところ、ソウエイが俺を呼び止めた。
「どうした?」
「先程、トレイニー殿から申し入れがあり……是非レトラ様にお目通り願いたいとのことでした」
どことなく不承不承としながら、ソウエイが後方を振り返る。
広場から少し離れた場所にはトレイニーさんがひっそりと待機していた。物静かな雰囲気ながらも漂う緊張感は、こういう時であれば尚更、不自然ではなかったんだけど。
…………そうか、そうだった。
どっちかって言うと俺は、始末するより、される側の存在だったな…………
今も俺の内側で、魂の渇きを訴え続ける厄介者。
俺がこの世の災厄となるかそうでないかは、この『
※次はまたレトラ固有の話題をやりますが、話も多少進むと思います