転スラ世界に転生して砂になった話   作:黒千

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72話 家出

 

「レトラ様! こちらでしたか」

「……ベニマルか」

 

 町の未開発区画に、レトラ様は空を見上げて佇んでいた。

 この異様とも言うべき強烈な気配。これはまさしくジュラの大森林の守護神、ヴェルドラ様の妖気だった。二年前に突然消滅したと思われていた"暴風竜"が、今また封印の洞窟に復活したのだ。

 

 天地を揺るがす事態に、町では混乱が起こっていた。

 真っ先にリムル様とレトラ様の所在を確かめるも、リムル様はつい先程、お一人で封印の洞窟へ向かったところだと言う。今も洞窟内にいる可能性が高いが、濃い瘴気に阻まれて『思念伝達』が通じない。そこで、町外れにレトラ様の妖気を感じ、俺はシュナとディアブロと共に駆け付けたのだった。

 

「リムル様は封印の洞窟にいるらしく……レトラ様のご判断をと」

「……れた」

「え?」

「置いてかれた…………」

 

 力の無い、どんよりと沈んだ呟きだった。

 初めて聞く声色に戸惑い、思わずシュナ達と顔を見合わせるが、シュナもレトラ様の変貌に驚き固まっていた。俺は慎重にレトラ様を窺いながら声を掛ける。

 

「あの……レトラ様?」

「……何?」

 

 振り返った陰鬱な目に息を呑む。

 レトラ様は一体どうしたんだ? いつものような、あの瞳の輝きはどこへ……? 

 

「それで……ですね、戦える者を集めてリムル様の救出に向かうべきとの声もあり……レトラ様は……」

「行かない。俺は絶対行かない、皆も行かなくていい」

 

 投げ捨てるように言い放ち、顔を背けたレトラ様は歩き出す。

 決して洞窟に向かってではなく、更に人気の少ない町の外周部へと。

 俺達は慌ててその後を追う。

 

「俺もまだ様子を見るべきとは思うんですが、何しろ"暴風竜"ヴェルドラ様の復活です、軽視は出来ません。いくらリムル様だとしても、心配では……」

「してない。要らない。用が済んだら帰って来るから放っとけば」

「…………」

 

 どうやらレトラ様は、リムル様にお怒りのようだった。

 普段から誰にでも朗らかなレトラ様が……しかも御兄弟であるリムル様に対して、これほどの怒りと共に冷え冷えとした空気を纏っているところなど見たことがない。これこそ異変だ。

 

「ベニマル殿、レトラ様は心配無用と仰っているのです」

「いや、しかし……」

 

 リムル様が召喚し配下としたばかりの悪魔、ディアブロは、御自分で洞窟へ向かったリムル様の意向を優先すべきとして初めから待機を主張していた。だが、現時点ではリムル様の状況が全くわからない。ヴェルドラ様の復活がリムル様にも想定外のものだとしたら、救出に向かうという意見にも一理はある。

 

「せめて、レトラ様からリムル様に呼び掛けて貰えませんか? レトラ様なら……」

「嫌だ。しない。絶対にしない」

 

 取り付く島も無い。レトラ様は完全に怒っている。

 スタスタと遠ざかる背は、誰も付いてくるなと言わんばかりに拒絶的だった。助けを求めて振り返るも、シュナはレトラ様の心情を思いやってか目を伏せ、打つ手無しと首を振る。

 

 レトラ様のお気持ちもよくわかるのだ。これまでレトラ様は、リムル様の不在に体調を崩すほどの寂しい思いをされてきて、ようやくリムル様が町に戻り安堵していたところへ、またこれなのだから。今度はどうも相談も無しにリムル様に置き去りにされてしまったようで、その仕打ちにレトラ様は深く悲しみ……ついには怒りに到達してしまったのだろう。

 

 ヴェルドラ様の気配は強大だが、幸いにも戦闘が始まった様子はない。

 何らかの大きな動きがあるか、リムル様と連絡が付くまでは待機しておくしかないだろうと決断して、俺は町の者達に『思念伝達』を行った。

 当然動揺は見られたが、リムル様にも何か御考えがあるのだろうと、皆は次第に落ち着きを取り戻し……町の防備態勢や避難準備について確認していた、ちょうどその時だった。

 ゴブタが何やら大騒ぎしながら走って来たのは。

 

「た、大変っすー!」

「どうした、敵襲か!」

「違うっす! レトラ様が……」

「レトラ様が!?」

 

 レトラ様の御様子についても、既に皆には伝えてあった。

 リムル様に置き去りにされ深く傷付いているレトラ様を、そっとしておくようにと。

 それが一体……!? 

 

 ゴブタは両手の上に、滑らかな砂で構成された小さな砂スライムを──どういうわけかレトラ様の分身体を掲げながら、すっかり動転しているとわかる勢いで告げた。

 

「レトラ様が、家出したっすー!」

 

 な…………

 何だと…………!? 

 

 

 

 

   ◇

 

 

「ゲルド様。猪人族(ハイオーク)兵の配置が完了致しました」

「うむ、御苦労。どんな異変も見逃すことの無いよう警戒に当たれ」

「ハッ……!」

 

 ジュラの森の守り神と恐れられる、"暴風竜"ヴェルドラ様の復活。

 封印の洞窟から感じる凄まじい存在感は、数キロ離れた町にいて尚焦りを覚えるほどだった。そして折り悪くリムル様が封印の洞窟へ出掛けたまま、連絡が取れない状況が続いているらしい。

 

 ベニマル殿からの通達で、町の者には待機が命じられた。

 普段は町の内外で建設作業を受け持つ猪人族(ハイオーク)部隊は、リムル様が宣言された魔王クレイマン討伐に向け続々と集結を始めたところだったが、この突如の事態に町の防備を任されている。

 このまま町に、リムル様の身に、何事も起こらなければいいのだが……

 

 配下からの報告を受けたオレは、念のためにと周辺を見回る。

 町と森の境目に差し掛かった頃──向こうから、俯きがちにやって来た小柄な人影。

 あれは……レトラ様。

 

 ベニマル殿からの『思念伝達』で伝えられた件がもう一つある。レトラ様が、リムル様に置いて行かれてしまったことに怒り心頭で、酷く傷心の御様子であると言うのだ。

 その報せは、猪人族(ハイオーク)部隊をざわつかせた。

 

「あのレトラ様が、そこまで御心を乱されるほどの事態とは……」

「やはり、リムル様が旅立たれた日の再来のようでお辛いのでは……」

「不安定になるのも已むを得まい……」

 

 部下達は口々にレトラ様の御心痛を思い、殊更に町の防衛を完璧に為さねばと決意を固めて任務に就いている。

 レトラ様は建設現場の視察を好み、町から離れた現場にすら多忙の合間を縫って訪れては、楽しげに我らの作業を見守って下さる御方だ。休憩中など、小さなレトラ様が図体の大きなハイオーク達の間をあちらこちらと動き回り皆を激励される光景は、大変お可愛らしく心温まるものだった。

 あの晴れ晴れとした笑顔でいつも我らに活力を与えて下さる、レトラ様が──

 

「レトラ様……」

「……ゲルド」

 

 今やその声にも張りが無く、消沈された面持ちが痛ましい。

 しかし、一体どうすればレトラ様に御元気を取り戻して頂けると言うのか。気の利いた言葉など何も浮かばない。何の力にもなって差し上げられぬ己が情けない。

 

「レトラ様……御心労のほど……」

「──ゲルド!」

「は、はい」

「遊びに行こう!」

「は……」

 

 レトラ様は幼い眉を吊り上げ、鋭い眼光でオレを見上げる。

 これは……今まで見たことがなかったが、本当にレトラ様は御立腹でいらっしゃるようだ。

 

「遊びに……ですか? オレなどに、レトラ様の御相手が務まるとは……」

「いいから! どこか遊びに行こう! 遠くに!」

「お、お待ち下さい。リムル様がご不在の今、レトラ様まで町を離れられては……」

「嫌だ! リムルが勝手にどっか行ったんだから、俺も勝手にどっか行く! 遠いとこに!」

 

 レトラ様が癇癪を起こされている…………

 またもリムル様にお一人にされてしまったことは、余程心の傷を抉られる結果となったのだろう。

 

 この緊急時にレトラ様まで町を空けるべきではないのは、それは確かだ。よく言い聞かせてお諌めすれば聡明なレトラ様のこと、必ずや民を思って引き下がってくださるだろう。

 だが、リムル様の外遊が増えてから、レトラ様が我慢ばかり強いられていることも事実。国のためとは言え、レトラ様に辛い思いをさせ続けるなど我々の本意ではないのだ。

 珍しくレトラ様が我侭を仰って下さっているのだから光栄というもの。ならばその機会に恵まれたオレが護衛として付き従い、レトラ様にはお気の済むように振る舞って頂けば良いではないか。

 

「承知致しました。このゲルド、お供させて頂きます」

「お! じゃあゲルド、遠くに行こう!」

「あまり遠くというのは……いえ……どちらへ向かわれるのですか?」

「うーん……あ! そうだ、せっかくだからハイオークの集落まで行って来ようか。ゲルドも皆に会いたがってただろ?」

 

 同族のハイオーク達が、各地で村落を作り暮らすようになってからしばらく経つ。

 担当している工事が一段落したら、改めて皆の生活の様子を確かめに行きたい……と、オレが以前何かの弾みで零したことを、レトラ様は覚えていて下さったのか。

 

「それに皆、首都リムルで何かがあったことくらいは気付いてるかもしれないけど、詳しい情報は届いてないだろうし心配してるんじゃないかな。集落を回って伝えて来ようよ」

 

 各集落とは距離が離れ過ぎているため、オレのユニークスキル『美食者(ミタスモノ)』の『胃袋』による物資転送の際に、簡単な内容を記した板を輸送して連絡を行う程度だった。それも最近は重大な出来事の頻発で、レトラ様の仰る通り充分な情報伝達は為されていない。周知のためにレトラ様自らがご来訪くださるなど、本来なら恐れ多いことだが、皆はどれほど喜ぶだろう。

 

「じゃあまずは……砂足りるかな……『魔力感知』されないように、隠蔽!」

 

 少し明るさの戻った表情でレトラ様が手を掲げると、バサッと頭上から砂が降ってきた。それはすぐに溶けるように消え、レトラ様の御力がオレを包み込む。

 レトラ様は冗談めいた口調で"砂の加護"と仰ったが、オレにとっては誇らしい。

 

「それと……伝言!」

 

 レトラ様の手に、小さな砂の玉が現れる。「踏まれるなよ?」と言い聞かせながら、レトラ様は己の分身体を町へ向けて放つが、その美しい砂スライムを害する者などこの町にはいない。

 しかし、腹立ち紛れに姿を眩ますおつもりなのだろうに、皆が必要以上に心配せぬよう伝言を残すご配慮とは……やはりレトラ様はあまり自分勝手に慣れていない、心根の素直な御方だな。

 

 

 

 

   ◇

 

 

「ゲルドと遊びに行ってきます。数日で帰ります。捜さないでください」

 

 レトラ様が家出した、と騒ぎながら俺達の元へすっ飛んで来たゴブタの両手の上で、丸い身体を揺らしながら小さなレトラ様がそう告げた。その分身体は伝言しか与えられていないようで、少し間を空けては同じ言葉を繰り返す。

 町で分身体を見付けたゴブタは「捜さないでください」を聞いて勘違いしたようだが、レトラ様は遊びに行くとも帰るとも仰っている。何が家出だ、背筋が凍り付いたぞ……ゴブタの奴め、人騒がせな。

 

「ゲルドが付いているなら、ひとまずレトラ様には心配無いか……」

「そうですな、ゲルド殿がご一緒であれば……」

 

 お一人で出て行かれたのではなくて本当に良かった。

 わかりましたと返すとレトラ様の分身体は静かになり、ゴブタの腕をよじ登って肩の上に収まった。レトラ様が戻られるまで分身体の警護と世話をするよう、ゴブタに言っておく。

 リグルド殿やシュナも、一旦はレトラ様の安全が確認されたことで胸を撫で下ろした。

 

「しかし、レトラ様はどちらへお出掛けになったのでしょうな?」

「レトラ様のことですから、ゲルド殿と遠出をされるなら……猪人族(ハイオーク)の集落ではないでしょうか?」

 

 周辺にはもうレトラ様やゲルドの妖気は感じられないが、恐らくはそんなところだろうと見当を付けていると、ゲルドの部隊の一員である猪人族(ハイオーク)が報告に現れた。

 ゲルド達は同族同士であれば思念のやり取りが可能になったようで、先程ゲルドから一報が入ったそうだ。その内容は、レトラ様はこれから数日掛けてハイオークの各集落を視察に回るおつもりで、自分が責任を持って護衛を務めるので安心して欲しいというものだった。

 

 流石はゲルドだ、連携まで抜かりが無いな。

 というか、レトラ様は遊びに行ったのか仕事に行ったのか、どっちなんだ? まあ、最近気苦労の絶えなかったレトラ様にはこの際ご静養頂くとして……数日経てばレトラ様の機嫌も治まっているだろうし、それでも駄目なら元凶であるリムル様に何とかして頂こう。

 その間は俺達で事に当たるわけだが、相手が"暴風竜"ヴェルドラ様となると、やはり単純な話では済まない。このまま呑気に状況を窺っているだけで良いのか? 

 

「レトラ様は、ヴェルドラ様の復活を一切問題としていらっしゃらないご様子でしたわ」

「どういうことなんだ? レトラ様は何を根拠にそこまでの……」

「クフフフ、我らに根拠など不要でしょう?」

 

 思い悩む俺達の中で、ディアブロが一人不敵に笑う。

 

「レトラ様は数日で帰ると仰せでした。つまりこの事態も、数日のうちに収束へ向かうということ……レトラ様は既に今後を見極めておいでなのですから、何を迷うことがあります? 我らは主の意に従って、それまで待機を続けるべきではありませんか?」

 

 その魔素量もさることながら、ディアブロの忠誠心も相当のものであるようだ。

 だが、新参者に忠義で後れを取るわけにはいかない。考えてみれば、レトラ様がご自分の都合のみで無責任に我を通すはずがないのだ。ヴェルドラ様が魔国に危害を加える恐れはない、何事も起こらないという確信を持っているからこそレトラ様は家出を……いや、遠出か。

 

「わたくしも、いくらリムル様の仕打ちにお怒りであっても、レトラ様がリムル様の危機を見過ごすとは思えません。やはり御考えがあってのことでは……」

「レトラ様は、リムル様や我々に迫る危険を放り出すような御方ではありませんからな」

 

 レトラ様は今までどのような事態からも目を逸らさず先を考え、常に冷静に迅速に、物事の対処に当たられてきた。皆を護るためならその身を滅ぼす可能性にさえ怯まずに──それは決してレトラ様の落ち度ではない、レトラ様にそうすることを選ばせてしまった俺達の落ち度だ。

 主の御一方であるからと、レトラ様に頼り過ぎていたための代償。

 俺達は、常に主君のために在るべきだったのだ。

 

 今回にしても、第一に考えねばならないのはヴェルドラ様への対処ではなかった。

 それはリムル様やレトラ様が何よりも御望みである、皆の無事を最優先として行動すること。

 何が起ころうとも、再び町に犠牲を出すことだけはあってはならない。ならばこちらから"暴風竜"を刺激するような真似は言語道断、そしてもしもリムル様の身に危機が迫ることになれば即時で動けるように、十全の備えを整えておくことこそが肝要だ。

 そうでなければ……レトラ様は、また。

 

「ああ。俺達は万一に備えて待機し、リムル様とレトラ様のお戻りを待とう」

 

 二度と、あんな不覚を取ってたまるか。

 為す術も無く目の前で主の消失を許してしまう無様など、もう二度と。

 

 

 

 




※ゲルドという絶対の安心ワード
※次は再会です



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