あの白い高級服を着た神経質そうな男が魔王クレイマンか。腕に抱いている子狐は従者の一体らしく、その魔素量は魔王に匹敵しそうなほどだ。配下の層も厚いということだろう。
そしてクレイマンの後に続いて姿を現したのが、ミリム。
ひとまずは姿を確認出来たことにホッとする。
今回クレイマンが提案した俺の討伐、それに賛同した一人がミリムという話だが……ミリムが俺を裏切るとはどうしても思えない。操られるようなタマでもないと思うのだが──
「さっさと席に座りなさい。このウスノロが!」
信じられない光景を見た。
円卓へ近付いて来たクレイマンは背後のミリムへ目を向け、高圧的にそう暴言を吐いたのだ。
あの、暴虐のミリムに対して。
ミリムの青い瞳がクレイマンを見つめる。
本来ならば、ここでクレイマンへの鉄拳制裁が始まっても何らおかしなことではない。だが、ミリムは一切の感情が抜け落ちたような顔で、抵抗せず文句も言わず、ただ黙って自席へと着いた。
これは異常だ。
俺だけでなく、他の魔王達からも戸惑いの空気を感じる。
やはりミリムはクレイマンに操られているのか? それなら、早く解放してやらないと。
俺達の町やミリムにまで手を出したクレイマンを、俺は許す気はない。しかし、怒りを爆発させるにはまだ早い……今はまだ、慎重に、その時を待たなければ。
主催者であるクレイマンの宣言で、
十大魔王のうち宴に参加するのは、カリオンを除く九名。
まずはクレイマンの説明から始まったが、その長話は退屈だった。
えーと、カリオンが俺に、魔王の座に就く方法があると話を持ち掛けて? 俺は眠れる"暴風竜"の封印を解くためファルムス王国と戦争を起こし、流れた多くの血によって目覚めたヴェルドラに恩を売って? 更には俺とカリオンが結託してクレイマンを討とうと企んでいる、と報せてくれた配下のミュウランも俺に殺されてしまい、クレイマンは復讐を決意した──と、情感を込めて語るクレイマンの役者ぶりは大したものだが、全てが口からデマカセではな。ホロリともしようがない。
クレイマンの話は続く。カリオンの裏切りを知り激昂したミリムが、ユーラザニアごとカリオンを葬った。だが、証拠もないまま魔王間の不可侵条約を破ってはまずいとミリムを窘めたクレイマンを、それ以来ミリムは慕ってくれるようになったとか何とか。そしてクレイマンは立場の危ぶまれるミリムのためにも、確たる証拠を集めるべく獣王国へ兵を差し向けたのだそうだ。ふーん。
「それでは次に、来客よりの説明となります」
司会を任されているらしい、レインという青髪のメイドが言う。
俺は席を立ち、クレイマンを一瞥する。
「クレイマンだっけ? お前、嘘吐きだな」
「フッ、何を言うかと思えば。邪竜の威を借りねば何も出来ないスライムが……」
俺はクレイマンの説明に反論を重ねてゆく。
カリオンはそんな策略を巡らす人物ではないこと、ミュウランは生きており俺が保護していること、ミュウランからはクレイマンの暗躍について証言が得られていること──ヴェルドラは俺の友達であること。特にそれはクレイマンにとっても予想外であったらしく、狼狽が窺えた。
まあ、互いの言い分には証拠がない。この世界には魔法が存在するため、ミュウランの骸に悪霊を取り憑かせて証言させる、ということすら理論上では可能となるからな。
どうせ何を言おうと難癖を付けられるだろうとは思っていた。ならば、やることは一つ。
「俺は楽しく暮らせる国を作りたいだけでね。それには人間の協力が必要不可欠だから、人間を守ると決めた。邪魔する者は人も魔王も聖教会も、全て等しく俺の敵だ。クレイマン、お前のようにな」
「く……皆さん! これは我々魔王に対する侮辱です。このような暴挙を許して良いのですか?」
全員でこのスライムに制裁を、などと小者感を丸出しにして魔王達に呼び掛けるクレイマン。
場の支配者たる風格でそれに答えたのは、赤髪の魔王ギィ。
「クレイマン、お前も魔王なら自身の力でもってそこの魔人を倒してみせろ。そしてお前──オレ達の前でクレイマンに勝てたなら、魔王を名乗ることを許そう」
この世は弱肉強食。勝った方が正義……とは言わないか、魔王だもんな。勝者の言い分こそ正しく、その主張は認められる。わかりやすくてありがたいね、クレイマンに勝つだけで全てが片付くのだから。
俺は大きな円卓を『捕食』してスペースを作ると、その中央に進み出る。
クレイマンは苦々しげに表情を歪めたが、すぐに冷静さを取り戻して笑った。
「やれやれ……面倒なことになってしまいました。リムル=テンペストを殺しなさい──ミリム」
その一言に反応し、人形のように座っていただけだったミリムが消えた。
瞬間、飛び退いた俺の頬を掠めて、必殺の威力が込められた攻撃がその場を抉る。
何とか避けたが、冗談ではない速さだった。クレイマンの余裕の態度は、ミリムという切り札があってのものだったわけだ。
ギィもミリムの意思ならばとアッサリ参加を認めてしまったし、マズイな……ミリム相手では俺でも分が悪い。だがそんなことは言ってられない、早くミリムへの支配を解く糸口を見付けなければ……
「まあいいさ、俺としてはミリムを助けるつもりだったし」
「ほざくなよ、スライム! 貴様は絶望して死ぬんだ」
「死ぬのはお前だ、クレイマン。俺が出たんじゃ弱い者苛めになるからな。お前の相手は俺の部下ぐらいがちょうど良いだろ」
俺の言葉に、クレイマンが青筋を浮かべて激昂する。
ミリムを助け出すまでの間、クレイマンのことはシオン達に任せるしかない。
この隙を逃すなよ──という意味合いで、背後にチラッと目配せすると、俺が何かを伝達するより前に弾丸のように飛び出した影が、凄まじい一撃をクレイマンに叩き込む。
ったく、シオンの奴は喧嘩っ早…………と思ったのだが、違った。
それはシオンではなかった。
レトラだった。
…………え?
それを認識して尚、俺は目を疑った。
だが見間違いでも何でもなく、待ち構えていたとしか思えない反応速度で、クレイマンの土手っ腹に強烈な拳を打ち込んだのはレトラだった。しかも繰り出した拳はクレイマンの腹を突き破り、そこに無残な大穴を開けている。あれは恐らく、拳に『風化』の能力を乗せているのだろう。
前から思ってはいたのだ。相手を砂にすることさえ躊躇わなければ、レトラの近接攻撃は最強格なのでは? と。自在の砂での遠距離攻撃も充分に恐ろしいが、操作系スキルを封じる手立てがないわけではない。それが、身を覆う防御結界さえも溶かして『風化』が直接襲ってくるとなれば……どうやって防ぐんだあんなもん。
「グ……ァァ……!?」
驚愕と苦悶の表情で、クレイマンが膝を突く。
拳を引いたレトラは、底冷えするような眼差しでクレイマンを見下ろした。
「すみません。まさかこんなに脆いとは」
防御不可能だろう『風化』を使っておきながら、煽りよるわコイツ……
今、この場で一番戦慄しているのは俺である。機嫌が悪いとか拗ねているとか、その程度ならレトラにも何度かあったが最早そういうレベルではない、ガチ切れしてるじゃないか!
普段怒ることのない奴がキレると怖いんだよなあ……いや、クレイマンはそれほどの罪を犯したということだ。全てはレトラをキレさせたクレイマンが悪い。
ミリムすら足を止めてその場を動かず、心なしか固まって…………ん? 笑った?
一瞬だったし、気のせいか……?
◇
「き、貴様……殺してやる……!」
「結構です。それじゃ後は、シオン」
「お任せを、レトラ様!」
俺に代わり、嬉々として飛び出したシオンがクレイマンを殴り付ける。瞬きする間に数十発。タコ殴りと言っていい連打を浴びて、クレイマンが吹っ飛んだ。
よ、容赦無ぇー……いや、クレイマンに風穴を開けた俺が言うことではないかもしれないけど……
もちろん、拳には『衰滅』を纏わせた。だが俺の『風化』や『衰滅』は相手に痛みを与えないらしく、それではちょっと生温いだろう。なので『衰滅』は最低限、腹をちょっと貫くだけにして……後は突進の勢いも込め、単なる力技でブチ抜いた。前世を含めて考えても、ここまで全力で人を殴った経験はない。
俺が
クレイマンは、ミリムを思いのままに動かせるという優位性を他の魔王達に見せ付けるため、ミリムを殴る。俺にはそれが許せなかった。しかし俺はリムルの従者という立場なので、仮にも魔王であるクレイマンに対して、しかも宴が始まる前から迂闊な行動は起こせない。ではどうしようかと考え、俺は数日前、ウィズに相談を持ち掛けていた。
(ウィズ、『
《了。対象を指定して下さい》
(クレイマン)
《…………》
いくら『
《……告。個体名:クレイマンの解析情報が不足しています。他者を操ることに長けた魔王であるという点から、同個体には高い精神攻撃耐性が備わっていることが予測されます。ユニークスキル『
(ほんの一瞬、思考と行動を操るだけでいいからさ)
《確実性を増すためには、現地にて個体名:クレイマンの情報を取得した上で対応策を──》
(そこを何とか! 今考えて!)
《…………》
渋るウィズに、俺はヤダヤダと駄々を捏ねた。
ウィズは成功の確証が得られない案を出したくないんだろうけど……大丈夫! お前になら出来る! という俺の無茶振りを受けて──ウィズはやってくれた。スキルの複合技、"
やはりユニークスキル『
まったく見事な作戦だった。ユニークスキルの効果を通すために、
だが、腐っても相手は魔王。意思に反した思考誘導を続けると精神操作に気付かれる恐れがある、とウィズには忠告されていた。それには俺も賛成だ。あまり深入りはしない方がいい。だってクレイマンは既に……とにかく"
あの時、ミリムがジッとクレイマンを見つめていたので、もしかすると『
「クッ、配下ごときがよくも……嬲り殺しにしてやる!」
シオンにボコボコにされたクレイマンは、あの
クレイマンの従者の一人であるビオーラという魔人形が影から出現し、他にも数体の人形が召喚されて、一斉にシオンへと向かって行く。クレイマンが連れて来ていた可愛い子狐、クマラ(予定)も、クレイマンの合図で巨大化した。
「
「来い、ランガ!」
俺の影からはランガが飛び出し、咆哮を上げてクマラへと駆け出した。向こうではミリムが再びリムルへと襲い掛かっている。慌てて回避したリムルのすぐ傍へ着弾したミリムの拳で、会場の床が派手に砕けた。ギィの張った結界によって空間は拡張され、外側にいる魔王達への影響はない。
そしてクレイマンは、俺に狙いを付けたようだった。
「貴様は楽には死なさん……亡者共の餌となれ、
あ、これ、シュナとアダルマンの戦いで見た、死霊魔法というやつだ。
悪霊や亡霊を召喚して相手に纏わり付かせ、生気を吸わせるというタチの悪い魔法。シュナは独自の神聖魔法を使って亡者達を浄化したが──俺は、腰から
「馬鹿め! 死霊に物理攻撃など効くものか、魔法も使えぬ愚か者が!」
魔法を使えない俺が、今まであまり困ったことのなかった理由。
それは精神生命体だろうと魔法だろうと、俺は『風化』で全てを滅ぼせるからだ。
当然、俺の麗剣からも『万象衰滅』は発動する。襲って来た死霊達は、俺の剣に触れると同時に砂に還って消えてしまった。クレイマンは何が起こったかわからないという顔をしているが、俺はいちいち口に出して説明してやるほど親切ではない。敵が動揺しているうちに攻撃を──
《告。個体名:クレイマンによる
(ウィズ! ツッコミ切れない、一旦ストップ!)
ツッコミのために『思考加速』を全開にする必要があるとは思わなかった。
えー、まずは……お前がキレるのかよ! 超高等爆炎術式はブチ切れすぎだろ! ていうかいつの間に再現出来るようになってんだよ! エラルドの術式展開を見ただけだから、百歩譲って解析情報は持ってても、構成情報は持ってないはずだよな!? 俺の許可無く『自然構想』で作ったの!?
《解。スキルは
(そんなの、いつ……)
──じゃあお前が『
…………
言ってたわ俺……許可してたわ……超軽い感じで。
超高等爆炎術式を『創造再現』する前に、YES/NO? をしてくれたのは、ウィズの良心ってことか……あ、危なかった。『自然構想』で事前準備しておくのは別にいいけど、『創造再現』する前にはちゃんと聞いてね……と、ウィズには言っておいた。
(もしかして……他にも何か準備してたりする?)
《解。超高等爆炎術式、対人転送魔法術式、"
魔法が使えないとは何だったのか。
これもう、砂魔法とかいう新ジャンルでいいんじゃない?
俺の知らない間に働きすぎじゃないですかね先生……保留にしておいて、後で詳しく聞く!
(で、超高等爆炎術式は却下な。こんな所で使ったら危ないだろ)
俺の制止に対して、否、とウィズは言う。
存外冷静だったウィズの説明を聞いた俺は、改めて答えを返し──わかりやすいだろうポーズとして、スッと指先をクレイマンへ向けた。
俺は先程、クレイマンの身体を『衰滅』で貫いている。
実はその時に少しばかり、クレイマンの体内に砂を残してきたのだ。
微量の砂だがそれでも充分、座標捕捉の目印として『
「ぐああああっ……!?」
再現された超高等爆炎術式が、クレイマンの体内で爆発した。
砂の量を調整した小規模なものだが、内部からというのが極悪過ぎる。
「バ、バカな……この術式を、無詠唱で……!?」
驚くよね。何しろ俺、本当に詠唱してないからね。
クレイマンはミュウランを通じて、俺が魔法を使えないことを知っていたんだろう。だからって敢えて魔法を『創造再現』してやらなくても戦えたけど……ウィズがキレてしまったので仕方ない。
まあ、俺にも気持ちはわかるよ。
守りたい相手がいるのに呑気に見ているだけなんて、出来るわけがないんだからな。
※フリガナ地獄でした