「どうしましょう、お母様。お客様方はあと五日間も滞在するんですよ? その間、なんとかあの方達の気を逸らさないと見つかってしまうかもしれません」
ホテルのフロント係であり、私の娘でもあるステイシアは、心配そうに私を気遣った。
「分かっています。しかし、あの方達に湖に近づくなとも言えませんからね」
そんな事を言ってしまえば人間ますます気になるというもの。余計なリスクを負っては元も子もありません。何か方法を考えなければ……
「あの方達を湖から遠ざけるには理由が必要です。彼らがすんなり納得するような理由が」
レジアの湖を代々守ってきた一族の者として、この湖の秘密を知られるわけにはいかないのです。
もしあの方達が本気で湖を調べ始めたとしてもたったの五日。恐らくは隠し通せると思いますが、見つかるリスクが大きくなる事に違いはありません。
しかし、と私は溜息をついてあのお客様の事を思い浮かべた。まさか半日近くも湖のほとりで寝続ける方が居るとは思いもしませんでした。
あの方達の中でも一際独特の雰囲気を放っているグレゴリー様というお客様。もしかするとあのようなのんびりしたお方ならこの秘密を知った上で協力してくれるかも……
そう淡い期待を抱きかけた私は、首を振ってそのような馬鹿な考えを頭から追い出した。
そのような一時の気の迷いに振り回されるべきではないでしょう。とにかく今はあの方達の気を逸らす方法を考えなければ……
ーーー
レイラとサリアスさんを呼んで、バートンが見たという謎の生き物についての話を聞かせた結果、興奮するバートンとは対照的に、レイラとサリアスさんの反応は冷めたものだった。
「白い生き物って言われてもねぇ……そんな色の生き物なんて聞いた事ないわよ。バートンの事だし見間違えたとかじゃないの?」
「あー! そうやってすぐ疑うのレイラさんの悪い癖っすよ! あれは絶対新種っす! 間違いないっすよ!」
「でもバートンですしね……光が反射して白く見えた可能性も……」
「サリアスさんまで酷いっす! 本当に見たのに!」
サリアスさんは相変わらずだ。しかし、レイラが出会った最初の頃なんか“バートンさん”と“さん”付けで呼んでいたのに、今じゃこの有り様である。
いったいどんだけヘマをかませばあの状態からこんな扱いになるまで落ちられるのか。バートン、恐ろしい子……!
「だいたい俺っちは水の中は……!」
バートンが何か言いかけるが、サリアスさんに物凄い形相で睨まれて口をつぐむ。
恐らくバートンは自分にとって水の中はホームみたいなものだから、見間違う筈がないと言いたかったんだろう。だってバートンの種族は水辺に住むリザードマンなんだから。
ただ、目の前には俺たちが魔族であるという事実を知らない人間のレイラがいる。バートンの奴、サリアスさんが止めなきゃ危うく自分からバラすとこだった訳だ。
そういうところがイマイチな部分だって事をそろそろ自覚して欲しいもんだが。
「水の中は? 何なのよ」
変なところで言葉を区切ったバートンに、怪訝な表情で先を促すレイラ。おいバートン、なんか上手いこと言えや。
「……水の中は泳ぐの得意っすから、見間違えるはずないっすよ……」
なんだか苦しい言い訳だな。助け舟出してやるか。
「つったってお前、別に水の中に潜って見たわけじゃないんだろ? 岸の方から見ただけだろ? じゃあ見間違いかもしれんじゃないか」
「いや〜そうっすね。見間違えたのかもしれないっすね……ははは……」
バートンはポリポリ頭を掻きながら、苦笑いで誤魔化した。誤魔化せたかは正直怪しいけど、レイラが突っ込んで聞いてこないのでとりあえずはセーフ。
「問題はあれね。バートンがいったい
「普通のスピノシスと比べて大きさはどうでしたか?」
可哀想な事に、完全にバートンが見間違えたという前提で話が進んでいく。いや、自業自得だから別に可哀想ではないか。
「倍くらいあるように見えたっすけどもういいっすよ……この話やめにするっす……」
「スピノシスの倍……ですか?」
あ、これはいかん。魔物マニアであるサリアスさんのスイッチが入っちゃったような気がする。サリアスさんの目が輝いておられるぞ。
俺は先回りしてそんなサリアスさんを牽制した。
「おいおい、俺はやだぞ。こんなリゾート地に来てまで面倒ごとには首を突っ込みたくない」
冗談じゃねえ。俺はここにいる間は一切面倒には関わらないって決めたんだ。
「相手は魔物よ? あなたが首突っ込んだって何の役にも立たないでしょ。だからグレゴリーは安心してお昼寝してていいわ」
あれ? サリアスさんだけじゃなくてレイラまでやる気になってないか? おかしいな、ついさっきまでやる気が無かったじゃないか。
やっぱり大きい生き物って聞いて、見てみたくなっちゃったんだろうか? そんな風に流れが変わった事に敏感に気づいたバートンが勢いづく。
「お! じゃあ我々でやるっすか! レジア湖に住む謎の生物の調査!」
「いいですね。せめて一目見るくらいしたいものです」
「無いとは思うけど、もし新種だったらギルドからお金貰えるんだった気がするわ。確か」
流石現役冒険者達。ついていけねえぜ。
「あー、なんか俺は邪魔そうなんで部屋に戻りますね……どうぞ頑張ってください。さようなら……」
「心配しなくても正体が分かったらちゃんと教えてあげるっすから楽しみにしとくっすよ!」
いや、要らないです。そっとしといてください。俺はそんなバートン達に呆れながら部屋を出て行った。
ーーー
「グレゴリー、ちょっといいかしら?」
その後、部屋に戻ってしばらくダラダラしていると、ドアをノックする音と共にレイラが訪ねて来た。“レジア湖に住む謎の生物の調査” のお話し合いはもう終わったんだろうか?
「どうした? まだなんかあんのか?」
「いや、あんただけ仲間外れにする感じになっちゃったから拗ねてないか心配になって見に来ただけよ」
別に拗ねたりはしてないのでそれは過剰な心配だ。というか子供じゃないんだしそんくらいで拗ねたりはしない。
でも、レイラってこう見えて結構そういう所には気がつくタイプだよな。前にレイラの過去を調べた時も、周囲に気遣い出来るいい子だって判明したし意外とマメだ。
「いや、俺はマジでのんびり昼寝とかしてたいだけだからそう見えたんならそれは全くの見当違いだぜ。心配しないでくれ」
「そうなの? だったら良かった。ねぇ、夕御飯までまだちょっとあるでしょ? それまでちょっと外を歩かない?」
おい、待て。こいつは俺の話を聞いてなかったのか? 俺は部屋でのんびりしてたいって言ったよな? それに今日はホテル周辺とホテル内を歩きすぎてかなり疲れた。もう散歩とか正直勘弁。
「えー、もう今日はいいよ。歩き疲れた」
俺がそう不平を言うとレイラは急にしおらしくなって上目遣いでこちらを見てくる。
「ふうん。こんな可愛い女の子が気遣ってくれてるのにその誘いを断るんだ……」
「えぇ……」
……なんかこの前もこんな感じの展開なかったか? 自分で可愛いって言っちゃうとことか。
こういう頼まれ方すると断れねえんだよなぁ。ほんとずるいわ。まぁ飯まであとちょっとだし、それくらいまでなら付き合ってやるか。
「はぁ……分かったよ。ちょっとだけ付き合ってやる」
「ふふ、そうやって嫌々でも言うこと聞いてくれるとこ、あんたの良いとこよ」
「はいはい、分かった分かった」
くそう。なんか手玉に取られてるみたいで悔しいぞ。
レイラについていく形で部屋を出ると、そのままホテルの裏口を出て湖に向かう道を歩く。ちょうど俺が昼間ハンモックでお昼寝してた方向だ。
「なぁ、なんかごく自然にこっちの方に来たけど目的でもあるのか?」
別に散歩道はこっちの湖方面だけにあるわけじゃない。ホテルの正面から行けるルートの方がきちんと整備されてて良いくらいなのだ。
「あんだけ話題に上がったんだから現地を見てみたいじゃないの。ついでよついで」
散歩とか言ってたけど
……嫌だなぁ。夜ってただでさえ怖いのに、薄暗い林の中を抜けるなんて何か出てきそうで余計に怖い。ほら、あの木の影なんて何かが動いてるように見え───
「!?」
俺はレイラの手を引っ掴むと慌ててしゃがませる。何かがいるように見えるだけじゃない! 本当に何かがいるぞ!
尋常でない様子の俺に何かが起こったと察したレイラは小声でどうしたのかと聞いてくる。
俺は無言のままその何かの方向に向かって指を差した。俺の指差した方をレイラはそーっと伺うと、なんとも微妙な顔をして俺に耳打ちしてくる。
「……あれね、マゴス君ともう一人は最近新しく商会に入ってきた女の子よ……」
え、なんだって? 俺は言われてそちらの方をそっと覗き込むように見ると、そこには確かに異形の者ではなく、マゴス君とアイリスちゃんが居た。
ビビりすぎて最初はなんだか別のモノに見えたが、分かってから見ると結構ハッキリ二人が見える。というか……
「乳繰り合ってるわね。あの子達そういう関係だったんだ……」
「そうなんだけどレディがそういうこと言うんじゃないよ……」
乳繰り合ってるってアレな? 密会して戯れてるって方な? 決して情事に耽ってたわけではないから彼らの名誉のためにもそこは勘違いしないように。
つまりはマゴス君とアイリスちゃんは、けしからん事に誰にも見られてないと思って林の中でイチャイチャチュッチュしていたのである。
この前アイリスちゃんを呼びよせた時に、マゴス君は別に付き合ってるわけじゃないみたいなこと言ってたけどやっぱり嘘でした。しっかりやる事やってますわ。
「というか良くやるわね。部屋から誰かに見られるかもって思わないのかしら……」
それな。ホテルを出てすぐの所でそんな事するなんてバレない方がおかしい。そう思った俺はホテルの方に目を向けたが、そこである事実に気がついた。
このホテルには湖の方を向く窓はただの一つも無いのだ。ライトアップの照明はいくつか見えるが、窓から漏れ出る明かりは全くない。そう言えば昼間に見て回った時も湖側には窓は無かった気がする。
はて? 変な話だな。このホテルはレジア湖を売りにしているホテルだ。どうせ木々で見えないとは言っても、こっちの湖側を見る窓の一つや二つくらいあっても良いはずだ。なんで作んなかったんだろう?
俺がそんな関係無いことを考えているとレイラが俺の腕をちょんちょんと突っついてきた。
「ちょっと……! あの子達、こっち来るわよ! どうすんのよ!」
「やっば!」
すわ見つかったかと思っていると、二人はそのまま俺達には気付かずに、裏口からホテルの方へと戻って行った。
完全に気配が消えてから俺達はどちらともなく立ち上がる。
「まぁ飯の時間だからね……普通に戻るよね」
「そうね……なんかとんでもないもの見ちゃったわね。私達」
「お前が散歩行こうなんて言うから」
「いや待って。どう考えてもあの子達のせいだと思うんだけど」
「ああ、やめだやめだこんな不毛な争い。俺は腹が減ったから先に戻るぞ」
なんだか散歩どころでは無くなってしまった。この後どんな顔して二人に会えばいいか分からなくなっちゃったぞ。
その後、俺とレイラ二人だけが気まずい雰囲気で晩ご飯を食べた。何かあったんですか? とマゴス君に言われて、お前のせいだ! と言わなかった俺を誰か褒めてほしいです。