携帯が震えているのに気づいて我に返った。10秒か? 20秒? レイラが立ち去ってからそれくらい放心してたかもしれない。慌てて電話に出る。
『馬鹿野郎ボーッとしてる場合か! 早くサリアスを何とかしろ!』
そうだ。サリアスさん……そちらを向くと、仰向けに倒れている状態で荒い息をしている彼女が目に映る。なんてことだ、早く治療しないと。駆け寄って自分の鞄からポーションを取り出す。焦って蓋が上手く開けられない。誰だよコルク瓶が良いなんて言った奴は。急いでる時に開けられないんじゃ意味無いじゃないか。
「サリアスさん。これを飲んでくれ……」
なんとか蓋を開けて瓶をサリアスさんの口元に持っていく。頭を支えて一本分飲ませてから2本目を開けにかかる。蓋を開けながら傷を確認すると、見える範囲だけでも裂傷が3箇所もある。あの一瞬でサリアスさんをここまで追い詰めるなんてレイラはやっぱり……
「ケホッケホッ……はぁ…はぁ…うちの薬は良く効きますね……」
「サリアスさん! まだ動かないで! 傷にかけるから」
2本目を斬られた部分にかけていく。これでおそらく出血は止まった。
「ありがとうございます……だいぶ良くなりました」
そう気丈に振る舞うサリアスさんだが、どう見たって無理をしている。そこで先程胸ポケットに咄嗟に入れた携帯から魔王様の声が微かに聞こえてくるのに気がついた。しまった。音量を上げるのを忘れてた。
『あーあー、聞こえるか? やっと気づいたか! サリアスは無事だな?』
「はい、ご心配をおかけしました。私はもう大丈夫です」
『……まぁ、万全じゃ無いだろうが今は話を聞いてくれ。アレは間違いなく勇者だ』
アレ。そう、アレだ。まだ頭が追いついていないが、どうやらレイラはただの人間じゃなく、勇者になってしまったらしい。あれは確かにその説得に足るだけのオーラを放っていた。
レイラが勇者である可能性なんて今まで考えてみたことも無かった。しかし、思えばレイラは条件を満たしていた。出自が不明な事や、冒険者をしている事。そして魔界に一番近いメルスクに居た事なんかもそうだ。
だからってそんなまさか……しかも最悪なことに、同時に俺やサリアスさんが魔族だと知られてしまった。
「こうなった以上、悠長にしていられません。俺もすぐに魔界に戻ります。それまで部隊の指揮はガリア師団長に───」
『おい』
俺の言葉を遮った魔王様が確認してくる。
『もし本当に彼女が俺の元を目指したらどうするんだ』
「……」
つまり、魔王様はレイラを殺すかどうかを問うているんだろう。そんなの勿論殺さないに決まってる。絶対にだ。だが、感情で言っていると思われるのだけは避けたい。
俺の言葉を待つようにサリアスさんがじっと見つめてくる。
「……殺しはしません。正気を失っていましたから。この前考えた作戦がありますよね? あれを使います」
勇者が正気に戻るまで時間を稼ぐ、という例のプランだ。これは勇者がどんな相手でも関係なく実行しようと思っていたプランなので、感情が入っているとは思われない筈だ……多分。あの時真面目に作っといた書類が証拠だと言えればいいが。
俺の返事を聞いたサリアスさんは、寂しさと安堵が入り混じったような複雑な表情をしていた。なぜそんな顔をするのか、俺では推し量ることはできない。
『……分かった。すぐにワイバーンを手配する』
「お願いします魔王様。サリアスさん、立てそう?」
「ええ、大丈夫です」
俺はサリアスさんに肩を貸しながら、急いで街の方に戻る。
帰る道すがら、サリアスさんが思い出したようにぽつりと呟いた。
「あのクレイが言っていたレイラさんの隠し事というのはこれの事だったんですね……」
少し落ち着きを取り戻したので考えを巡らせる。たしかにこれがそうだと言われるとしっくりくる。
「あの野郎……知ってたのか……」
やはり、クレイの奴は諜報能力がかなりあるらしい。しかしいけすかない男だ。そこまで分かっているならなぜあんな微妙なヒントにもならないような事を言ったんだ? 俺たちがどんな風に対処するのか観察しているとかだろうか? そうだったら腹の立つ話だ。しかし、今はあいつの事を考えている場合では無い。レイラをどうするかが先だ。
「レイラが何を望んでいるか分からない。それが分かればある程度予測できるんだけど」
覚醒直後の勇者は自分の欲求のみに従って行動する。あの時レイラがサリアスさんを攻撃したのはきっとサリアスさんに色々言われて鬱憤が溜まっていたからだと思う。
「だからレイラが何を考えているかが大事に───」
「私、本当は今日知っていて彼女の邪魔をしました」
突然サリアスさんが俺の話を遮った。内容に驚いた俺は隣のサリアスさんの顔を思わず見上げる。
「え?」
「一緒についていく事を言わなかったのも、お昼ご飯で差を見せつけたのも、彼女の戦い方にケチつけたのも全部全部わざとなんです」
おかしいとは思っていた。完璧超人のサリアスさんが大事な事を伝え忘れるなんてあり得ない。それに自分の言動で相手がどういう気持ちになるか分からないはずが無い。
サリアスさんは今日わざとレイラを傷つけるような事を言ったのだ。
「なん……でそんな事を」
「貴方を人間である彼女に奪われたくなかったから」
サリアスさんのはっきりとした物言いに、俺は黙ったままでいることしか出来ない。レイラが俺を好きだと、少なくともサリアスさんはそう言っていた。
「これが他の魔族だったとしたら私は少なくとも反対はしなかったでしょう。ところが彼女は人間です。私はどうしてもそれが許せなかった」
隣にいるのに、なぜかサリアスさんがとても遠い存在に感じた。あれほどレイラと仲良さそうにしていたサリアスさんでもダメなのか。種族の差はそれほどまでに厚いものだというのか。
なんとなく。なんとなくこっちの人間界にいる連中ならば、レイラと付き合ってもなんだかんだで認めてくれるんじゃないか。そんな淡い期待があっただけに、現実を突きつけられたようで目の前が真っ暗になる。
「レイラが俺を好きだなんてそう決まった訳じゃ───」
「いいえ、彼女は貴方のことが好きです。同じ……女だから分かります」
「……」
「それを知っていて申し上げます。グレゴリー様、以前からお慕いしておりました。私と結婚を前提にお付き合いしていただけませんか?」
酷く事務的な口調での告白に、思わずサリアスさんの目を見る。その冷たい目はレイラを諦めろと雄弁に物語っていた。
「……困るよサリアスさん。こんな時にそんなこと言われても。それに俺じゃサリアスさんに釣り合わないって。もっと良い人探しなよ」
レイラを諦められないなんて正直には言えない。今ここで俺が参謀の座を降ろされれば、あっさり勇者討伐の流れになるだろうから。レイラを死なせないようにする最善の手はこれしかない。
嫌だな、サリアスさんとこんな駆け引きしたくないのに。
「……申し訳ありません。ご迷惑でしたね」
恐らくサリアスさんは本気じゃなく、俺の真意を探りたくてこんな事を言いだしたんだと思う。そして聡いサリアスさんなら、俺がレイラを最優先に考えてそう答えた事には気づいたかもしれない。
しかし、この分じゃサリアスさんはレイラを助ける協力は絶対にしてくれない。いや、サリアスさんだけじゃない。他の連中だって恐らくそうだろう。だから俺が、俺だけでやるしかないんだ。たった1人きりで……