コードギアス ナイトメア   作:やまみち

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第一章 第04話 擦れ違いの再会

 

「中将、落ち着いて下さい。大丈夫ですよ」

「解ってはいるのだが……。」

 

 陸戦艇『G3ベース』、それを初めて目の当たりにした者は家が動いているのかと驚くに違いない。

 なにしろ、全長がバス2台分なら、横も2台分、縦も2台分、バスを隙間無く積み列べて、8台分の大きさ。

 威圧感は大きさだけに止まらない。単装式主砲が前方に1門、連装式副砲が前後に各1門、対空機銃が左右に各4門を装備して、その砲門が列んだ姿はまるで陸上戦艦。巨大戦車と呼ばれず、陸上艇と言われる所以である。

 しかし、G3ベースの本領は火力ではない。高性能な偵察力を持つヘリコプターを内部に搭載する前線基地としての移動指揮車両にある。

 余談だが、G3ベースのGはグレードを意味しており、この上にG1ベースとG2ベースという更に巨大な陸上艇が存在する。

 G1ベースともなると、ナイトメアフレームを複数機搭載する陸上空母と呼べる存在になり、その巨大さはもう基地格納庫が動いているのかと見紛うほど。

 但し、その建造コストは膨大なものとなる為、現存するのはたったの5機。その内の1機は皇帝専用であり、残る4機も皇族が所有しており、事実上の皇族専用機と言えるもの。

 また、この指揮所と戦車を兼ね備えるGベースシリーズは複数操縦による運用を必要として、操縦ブロックは正しく戦艦のブリッジを模しており、それ故に運用責任者は車長と呼ばれずに艦長と呼ばれる。

 

「間もなく、イチガヤから部隊も届きます。テロリストなど恐れるに足りませんよ」

 

 耳を澄まさずとも聞こえてくる何かを叩く小さな連続音。

 その正体は、操縦ブロック中央、艦長席隣のゲスト席に座る初老の老人が肘置きをそわそわと人差し指で叩く音。

 正直、耳障りではあったが、操縦士を始めとする操縦ブロックの面々はそれを微笑ましく感じ取り、苦笑を懸命に噛み殺していた。

 何故かと言えば、初老の老人の襟章が『中将』というのも大いにあるが、それ以上に中将の経歴そのものに理由があった。

 テロリストが物資を狙って奪った搬入先『三宿駐屯基地』は、それなりの戦力を有してはいるが、在エリア11ブリタニア軍における物資貯蔵基地としての意味合いが強く、中将は後方勤務のキャリアを積み上げて、その基地司令にまで至った人物だった。

 ところが、今回の事態に対して、ここ最近のテロリスト検挙率低下に苛立っていた三宿駐屯基地の上位存在『市ヶ谷即応軍司令部』はテロリストの殲滅を決意。

 三宿駐屯基地だけが行っていたテロリスト追跡劇は、関東一帯の軍事基地を巻き込んだ大規模な軍事作戦行動へと変わり、各基地の部隊がシンジュクゲットーへ続々と集い始めていた。

 これに伴い、中将は市ヶ谷即応軍が前線へ出てくるまでの現場責任者として臨時司令官へ任命されたのだが、中将の経歴は前記の通り。実は戦場へ出るのが初めてなら、前線指揮をするのも今日が初めて。

 つまり、誰もが新兵時代に味わい経験する作戦開始前の苛立ちにも似た焦り。操縦ブロックの面々は嘗ての自分自身の姿を今の中将の姿に重ねて、初々しさを感じていた。

 艦長もまた同じだった。違うのは『中佐』の階級故に苦笑が許され、慰めもまた許されていたと言う事。

 

「イチガヤから……。誰の部隊か?」

「キューエル少佐のものです」

 

 しかし、それは完全な思い違い。中将の焦りの原因はもっと別のモノにあった。

 その別のモノとは、ナイトメアフレームの運搬を隠れ蓑とした麻薬『リフレイン』の存在発覚。

 言うまでもなく、作戦に投入される人員が多くなれば多くなるほど、その発覚確率は増してゆくばかり。

 つまり、このシンジュクゲットーへ各基地から部隊が集まっている今、中将にとって、1分、1秒の時間経過は破滅へのカウントダウン。

 もし、この事実が露見したら、軍籍は剥奪されて、退役後に支給されるはずの年金は没収。軍事裁判を受けるまでもなく、終身刑となるのは想像に難くない。

 むしろ、その程度で収まったら御の字。末端価格にて、十数億となる損害の責任を取らされて、自分自身の命は勿論の事、累が家族にまで及ぶ可能性が大いにあった。

 マフィアだけならまだしも、軍と警察、政界、財界、とある高位皇族までもが絡み、国境すら越えて、闇に潜む麻薬組織は巨大だった。地の果てへ逃げようが、制裁の手は何処にでも在り、決して逃げられはしない。

 だからこそ、最も信頼のおける部下へ今回の事態を上手い具合に処理しろと命じたのだが、その後の連絡が未だ入らず、中将の焦燥は増すばかり。

 

「キューエル……。ああ、彼か」

「はい、彼なら間違いは無いかと」

 

 だが、艦長との何気ない会話から思わぬ名案が中将の頭に閃く。

 最近、新型ナイトメアフレームの受け渡しにて、キューエルと会った時、その隣に居た新しい副官。内密な相談があるとバーへ誘われて行ってみれば、やたら露出が強い姿で現れ、ハニートラップ紛いを仕掛けてきた銀髪の女。その女がやたらと上昇志向が強かったのを思い出す。

 そして、その女なら出世と引き換えに都合良く動いてくれるのではと企み、中将は席を立つ。

 

「どうやら、その様だな。

 では、私は彼が来るまで後ろで控えていよう。やはり、私には戦場の空気が堪えるよ」

「了解です。何か有りましたら、お呼び致します」

「うむ、頼んだ」

 

 目指すはG3ベース後部にある通信室。中将は焦りを気取られぬ様に歩きながらも、操作ブロックを早足に出て行った。

 

 

 

 ******

 

 

 

「……えっ!?」

 

 気が付けば、目の前にいきなり立っていた見知らぬ女性。

 しかも、銃声が鳴り響いたと思ったら、その女性は倒れてしまい、頭から血の華を咲かせる。

 ナナリーは事態についてゆけず、ただただ茫然とするしかなかった。

 

「手を上げて、立ち上がれ!

 そして、こちらへ顔を見せろ! ゆっくりとだ!」

 

 そんなナナリーの背後から告げられる絶対的な命令。

 ナナリーは従うしかなかった。銃を持っているのは明らかであり、遂にブリタニア軍の追っ手が来てしまったのだと知る。

 しかし、それと共に怪訝も感じていた。ナナリーの感覚が捉えている背後の気配は1人のみ。追っ手と考えるには人数が少なすぎた。

 なにせ、この地下鉄跡は暗く、ゲットーの傍でブリタニア軍から見たら敵地と呼べる場所。不測の事態に備えて、複数での捜索は常識であり、何人もが一斉に、それも万全を期すなら、前後から現れるのが当然である。

 ところが、命令通り、ナナリーは両手を上げながら振り返ってみるが、やはり暗闇の先にある気配は1人だけだった。

 

「んっ!? 何だって、そんな格好……。」

 

 一方、C.Cを撃ち殺したブリタニアの士官もまた怪訝に感じていた。

 先ほどは多数を恐れて、発見と共に即射殺したが、振り返った女の容姿は明らかにブリタニア人。

 その上、下着姿であり、背の高さは割とあるが、その胸の成長具合と幼さを残す容姿から、ジュニアハイスクールへ今年入ったばかりの年齢に見えなくもなかった。

 とてもテロリストとは考えづらく、ブリタニア人士官は思わず狙いを定めていたアサルトライフルの構えを解いて立ち止まる。

 

「くっ……。」

 

 圧倒的に不利な状況を知り、ナナリーは歯がみする。

 何故ならば、どう考えても、ブリタニア人士官の言葉はこちらの様子が明確に見えているという証拠。

 後方へ約20メートル。天井の崩落によって、赤毛の青年が居る場所は光が射し込んでいるが、ここまではさすがに届いていない。

 目が暗闇に慣れたナナリーでさえ、見えるのは目の前のせいぜい数メートル。剣術の鍛錬で感覚を鍛えていなければ、ブリタニア人士官が何処に立っているのかも解らない。

 ましてや、ナナリーが本日着用しているブラジャーの色は黒。見えるはずが無かった。

 その上、ブリタニア人士官が立ち止まってしまったと言う悪条件がここに加わる。

 そう、ナナリーはまだ諦めていなかった。銃は確かに脅威だが、感じる気配から相手が取るに足らない者だと察知していた。

 但し、日本刀を手放している今、もっと近づいて貰う必要があった。

 ナナリーが捉えている感覚によると、ブリタニア人士官との距離は約15メートル。狭くて遮蔽物の無い地下鉄構内では分が悪すぎた。

 

「まあ、良い。恨むなら、自分の不運を……。」

 

 だが、チャンスを待っている時間は無かった。時は誰にでも平等に進み、この時のナナリーとっては残酷だった。

 ブリタニア人士官は感じた疑問をあっさりと放棄。アサルトライフルの銃口を再びナナリーへ向けて、その引き金に指を伸ばす。

 地下鉄構内は通信が取れず、外の状況は解らないが、既に結構な時間が経過しており、この任務を与えた上司が焦っているだろう事は容易く想像が出来た。

 なら、テロリストであろうと、そうでなかろうと、射殺するのが手っ取り早い。例え、民間人だったとしても、その方便は上司が上手く作ってくれ、軍事裁判なんて事態にはならないだろうと結論付けた。

 絶体絶命、万事休す、風前の灯火。ナナリーが向けられた殺気に身体を強張らせて、思わず口の中で『スザクさん』と小さく呟いた次の瞬間。

 

「っ!?」

 

 ナナリーの左目の中、赤い紋章が羽ばたく。

 願いは只一つ、想い人たるスザクと再び出逢う為、私は死ねない。こんな所で死ぬ訳にいかない。どうやったら、この場を切り抜けられるのか。

 その願いに応え、細い一本の蜘蛛の糸を求めて、何十、何百、何千、何万、何億という試行錯誤が脳内で超高速同時並列に展開されてゆく。

 例えるなら、Aが駄目ならB、Bが駄目ならC、Cが成功したらCAへ進み、CAが駄目ならCB、CBが駄目ならCC。この様に巨大なツリーを作り上げて、その枝を更に伸ばしてゆく。

 しかし、辿り着く先は己の死ばかり。頭を、胸を、肩を、腕を、腹を、足を撃たれ、何度も、何度も繰り返しては見せ付けられる無惨な死。

 つい半日前、剣術の師匠によって、心へ刻みつけられた教訓が蘇り、より死ねないという思いが強くなってゆく。

 その手段を持っているのを知りながら、敢えて閉ざしていた選択肢の枷を強い決意と共に引き千切り、可能性の幅を大きく広げて、思考を加速させる。

 やがて、求めていた蜘蛛の糸を発見するが、より頑丈な蜘蛛の糸を求めて、更なる試行錯誤か繰り返され、精度はより高まり、限りない完璧を目指してゆく。

 

「……恨むんだな!」

 

 そして、とある方策へ遂に至り、その内容にナナリーは驚く。

 しかし、それ以上に驚いたのは時間の経過だった。

 ナナリーの体感では結構な時間が経過していた。具体的な表現は難しいが、少なくとも、とっくに撃ち殺されていてもおかしくないだけの時間は経過していた。

 ところが、未だ無傷。ブリタニア人士官の言葉も言い切られておらず、この事実から今先ほどの不思議な現象が一瞬の出来事だったと知る。

 そんな驚きの中、ナナリーは自分自身が出した結論を信じて、心の中で『スザクさん、ごめんなさい』と呟きながらも躊躇わず実行する。

 

「ま、待ってくれ! わ、私は怪しい者じゃない!

 こ、ここにたまたま居ただけで……。ほ、ほら、その証拠に何も持ってないだろ!」

 

 ナナリーはウエストのファスナーを素早く下ろして、履いているチェックオレンジのミニスカートを床へ自由落下。完全な下着姿となり、両手を再び上げて、身の潔白を主張した。

 何かしらの抵抗をすると考えてはいたが、これはさすがに予想外。ブリタニア人士官はアサルトライフルの引き金を引きかけていた人差し指を止めて、唖然と目をパチパチと瞬きさせる。

 ちなみに、いきなり少し男っぽい乱暴な言葉遣いとなっているナナリーだが、これは今先ほど至った結論に従っているだけであり、それを使用する理由はナナリー自身も解らない。

 

「いや、駄目だな」

「そ、そんな!」

「下着も脱ぐんだ。女の隠し場所はそこにも有るだろ?」

 

 だが、ブリタニア人士官にとって、十分な理由があった。

 戦後から約10年が経った今もサクラバブルに沸くエリア11だが、巨万の富を築く者も居れば、その逆に無一文となって破産する者も当然の事ながら居る。

 その様な者達は弱肉強食を国是とするブリタニアからは排除され、租界で暮らしてゆけなくなり、ゲットーへ逃げ込もうにも元日本人から迫害を受けて追い出され、租界とゲットーの境目。正しく、この場所の様な所へ自然と辿り着き、スラム街を次第に形成してゆくのである。

 元日本時代のトウキョウは世界有数の地下鉄都市。その素材としては申し分が無く、今やトウキョウ租界の下は政府が把握しきれていないほどのスラム街が点在。違法、非合法が蔓延する文字通りのアンダーグラウンドとなっていた。

 そして、その中で生まれた資金は回り回り、マフィアやテロリストの資金源となっているのが、ここ最近の社会問題となり始めている。

 実際、警察と軍が協力しての浄化作戦が毎月の様に行われているが、1つのスラム街を潰しても、新たなスラム街が生まれるだけで後を絶たず、ブリタニア人士官も先月にシブヤ周辺の活動に駆り出されていた。

 つまり、ブリタニア人士官はナナリーをそうした者達の1人と勘違いした。もっと言えば、品の無い言葉遣いと下着姿で居た貞操観の無さから違法の売春婦。スカートを脱いだのは、一時の快楽と引き換えに摘発を見逃せという裏取引を持ち掛けてきたと判断したのである。

 また、幸いにして、探していた大型トラックはこの先に有るのが見えており、それをあとは爆発させるだけの簡単なお仕事。

 時間が無いのは承知していたが、ちょっとくらいの役得があっても良いのではないかと考え、ブリタニア人士官は任務を忘れて、下卑た笑みを浮かべる。

 

「そ、そうは言ってもさ! て、手をあげろと言ったのはあんただろ!

 だ、だから、あんたが脱がしてくれよ! お、男はそっちの方が好きだろ!」

 

 ナナリーは勝利を確信。ほくそ笑みたいのを懸命に抑えて、怯える演技をする。

 この時、ナナリーの勝因を更に付け加えるなら、2点が挙げられる。

 1つは、C.Cが居た事。ここは雨露を幾ら凌げるとは言え、人気が無い上に暗すぎて、女が単独で居るには怪しすぎた。

 1つは、ブリタニア人士官が男性だった事。もし、女性だったら、場末の売春婦が身に着ける下着としては高級すぎると一目で解っただろう。

 

「何、言ってんだ? 好きモノなのはそっちだろ?

 大体、俺はお前みたいな子供っぽい奴よりボインちゃんの方が好みなんだよ」

「そう、つれない事を言わないでさ。

 ……って、あら? どんなゴツい軍人さんかと思ったけど、良い男じゃない?」

「そ、そうか?」

 

 最早、完全に警戒心を解き、アサルトライフルの銃口を下ろして、ナナリーへ歩み寄ってくるブリタニア人士官。

 その言い草にカチンと憤るが、ナナリーは我慢、我慢。縮まるブリタニア人士官との距離を8メートル、7メートル、6メートルと心の中でカウント。その姿が暗闇に輪郭を作って浮かび上がり、視認が可能となった次の瞬間。

 

「じゃあ……。さようなら!」

「ぐはっ!?」

 

 銃声に勝るとも劣るとも言えない轟音が炸裂。

 ナナリーが足で床を強く踏み付けての一足飛び。ブリタニア人士官との距離を一瞬にして詰め、その胸に突き出した双掌を放った。

 

 

 

「……何を話して居るんだろう?」

 

 時を少し戻して、ブリタニア人士官から約30メートルの後方。

 どうしても、ブリタニア人士官が心配で心配で堪らず、同僚の反対を押し切って、その後を追ってきた伍長。

 但し、何事も無かった場合、あとあと理不尽な暴言を受ける可能性がある為、同僚の忠告に従い、身を低くして、気配を完全に殺しながらである。

 最初の銃声から間が随分と開き、ブリタニア人士官とテロリストが何らかのやり取りを行っているのは解ったが、その内容が聞き取れず、もう少しだけ距離を詰めようかと腰を上げたその時だった。

 

「これは……。踏鳴っ!?」

 

 銃声とは違う轟音が地下鉄構内に反響して鳴り響き、伍長は気配を隠すのを止めた。

 子供の頃から剣術を嗜み、今も鍛錬を欠かさない伍長には解った。その音が武芸の鍛錬を何年、何十年と重ねた者だけが鳴らすのを許される踏み込みの音であり、必殺の一撃を放つ前触れの音だと。

 

「中尉ぃぃ~~~っ!?」

 

 まるで大砲から撃ち放たれたかの様に吹き飛び、伍長とテロリストの間に転がるブリタニア人士官。

 すぐさま伍長はアサルトライフルをフルオートモードに切り替えて、弾丸をばらまきながらブリタニア人士官の元へ駆ける。

 だが、所詮は威嚇射撃。狙いが定まっていない銃撃をテロリストは後方倒立回転を2連続で素早く行い、退きながら悠々と回避。2連続目を着地の際は屈伸を行わず、伸身のまま床に俯せて、狙撃面積を減らす為の工夫まで凝らす。

 

「な゛っ!?」

 

 伍長は駆けながら舌を巻いた。

 一見すると、テロリストは俯せに倒れ伏している様に見えるが、その実は倒れ伏しきっていない。

 強いて言うなら、腕立て伏せを伏せきった状態。手の指先と足の爪先を使って、床寸前のギリギリで浮いており、テロリストがこちらの出方次第でいか様にも動ける体勢で待ち構えているのに気付く。

 その身体能力に加えて、先ほどの踏み込み音から、伍長はテロリストが相当の手練れだと認識する。身震いがブルリとして、肌が粟立つ。

 

「動くな! 動いたら、即座に撃つ!」

 

 不用意に近づくのは危険だと判断して、駆けるのを緩めてゆき、アサルトライフルの狙いを注意深く定めながらテロリストとの距離を詰めて歩く伍長。

 その途中、ブリタニア人士官を完全に無視。テロリストから一瞬たりとも気を逸らす事は出来なかった。

 それに、と伍長は言い訳の様に考える。あれほどの踏み込み音から放たれた一撃を受けて、とても生きているとは思えなかった。

 事実、ブリタニア人士官は白目を剥き、その目と鼻、口、耳、穴という穴から血を溢れさせて、絶命していた。

 そして、伍長とテロリストの距離がいよいよ約10メートルにまで縮まったその時だった。

 

「動くなと言ったはずだ!」

 

 先ほど行った威嚇射撃での結果か、テロリスト頭上の天井が不意に少し崩れ、小さな瓦礫をパラパラと落とす。

 それを機として、テロリストが起き上がろうとするが、伍長は即座に引き金を引き、テロリストの1メートル前の床へ3点射の威嚇射撃。

 テロリストは顔を伏せながら両手を突き、片膝だけを立てて屈んだ状態。陸上のクラウチングスタートの様な体勢で止まる。

 

「……って、女っ!?」

 

 今さっきの天井崩壊で小さな穴が空き、その細い一条の光がスポットライトの様にテロリストの元へ降り注ぐ。

 この時点となって、伍長は初めて相対していた手練れのテロリストが女だと、それも年若い少女だと知り、驚愕に目をこれ以上なく見開き、ブリタニア人士官が何故に打ち倒されたのかを納得する。

 それ故、テロリストが少女である上に下着姿と解っても、伍長は油断を全く解かなかった。

 

「もう一度、私に力を……。スザクさん」

「……えっ!?」

 

 しかし、顔を伏したままのテロリストが呟き、その呼んだ名前が伍長に一瞬の隙を作る。

 テロリストにとって、その一瞬は勝機を掴むのに十分すぎる時間だった。目の前の床を左手で一叩き、いつからそこに在ったのか、柄尻を叩かれた日本刀が鍔を支点に跳ね上がる。

 次の瞬間、テロリストが顔を上げて微笑む。その勝利を確信した笑みは、伍長が悔しさと共に引き離された己の婚約者。約10年を片時も忘れず、ずっと探し追い求めてきた幼い少女の面影を持つ笑顔だった。

 だが、夢にまで見た約10年ぶりの再会は一瞬にして終わる。

 一旦は直立した日本刀が倒れてゆく途中、その刃紋に先ほど出来た天井からの一条の光が照り当たり、伍長へ向かって反射する。

 

「し、しまったっ!?」

 

 その結果、伍長が着けていた暗視ゴーグルはホワイトアウト。

 慌てて伍長は暗視ゴーグルを外して投げ捨てるが、目は暗闇に慣れておらず、一寸先が闇の状態。何も見えない。

 最早、この後の展開がどうなるのかは明白だったが、何かを叫び、訴える時間はもう残されていなかった。

 すぐさま伍長は足を肩幅に開き、脇を締めて、息を吸いながら丹田に力を込めて、その時を待つ。

 間もなく、轟音が炸裂。今すぐ逃げ出したくなる殺気が一瞬にして、伍長へと迫る。

 

「呼っ!?」

 

 そして、殺気が胸元で爆発する瞬間、溜め込んだ呼吸を一気に吐き出して、衝撃を受け流す為に後方へ跳ぶ。

 伍長は賭けに勝った。恐らく、テロリストが行ったのは飛び込み正拳突き。もし、テロリストが日本刀を使っていたら、無手でも顔面か、金的を狙っていたら、致命傷は免れなかった。

 それでも、その一撃は凄まじいの一言。伍長は吹き飛び、床を何度も跳ね転びまくって、ようやく止まり、その距離は先ほど吹き飛ばされたブリタニア人士官の距離を超えていた。

 暫くして、聞こえてくる二輪車特有の始動キックによるモーター音。

 

「……な、何故だ。

 ど、どうして、君が……。ナ、ナナリぃ……。」

 

 テロリストが逃げようとしているのを知り、俯せに倒れ伏す伍長は震える右手を必死に伸ばすが、意識が急速に薄れてゆき、その右手も力無く床へ落ちた。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ここか……。」

 

 時折、遠方より聞こえてくる銃撃音と爆撃音。シンジュクゲットーを舞台にしたテロリスト壊滅作戦は既に始まっていた。

 本来、そちらの作戦に参加するはずだった『ヴィレッタ・ヌゥ』

はナイトメアフレームのコクピット内から地面に出来た崩落跡を眺めて、溜息を深々と漏らす。

 確かに出世はしたい。出世さえすれば、貴族となるチャンスが広がる。いつかは貴族となり、煌びやかなドレスを身に纏って、故郷の街へ凱旋するのが、ヴィレッタの子供の時からの夢だった。

 

『地下鉄跡構内へ単独で入り、輸送車両を見つけ次第、連絡せよ。

 但し、輸送車両の荷物は第一級の軍事機密品故に見てはならない。

 不審者を見つけた場合、捕縛の必要は無い。発泡を許可する。

 尚、輸送車両が動かせないと判断したら、連絡を取るまでもなく、これを速やかに爆破せよ』

 

 しかし、昇進を見返りに受けた今回のこの任務はどうも焦臭い。

 三宿駐屯基地司令から話を持ち掛けられた時は欲に眼が眩み、ほぼ二つ返事でOKを出してしまったが、時が経つほどに嫌な予感がプンプンと臭ってきた。

 第一級の軍事機密品が関係している以上、極秘任務となるのは解るのだが、それにしては作戦が片手間と言うか、ずさんと言うか、中途半端な印象を受ける。

 だが、吐いた唾は二度と飲めない。ここで任務を下りたら、今まで積み重ねてきたキャリアは確実に終わると解っていた。今更、後悔をしても遅かった。

 

「さて……。何が出てくるやら」

 

 崩落跡の傍にナイトメアフレームを待機させて、その左掌を上に崩落跡へと翳す。

 そして、コクピットブロックを外へ露出。ヴィレッタはナイトメアフレームの背中から左肩へ、左肩から左腕へ渡り歩き、左掌の上へ乗ると、コクピットから持ち出した遠隔操作リモコンのスイッチを押す。

 ナイトメアフレームの左手人差し指の第一関節が外れ、ワイヤーロープと繋がった指先が地下鉄構内へと下りてゆき、それを利用して、ヴィレッタ自身も下りて行く。

 

「むっ!?」

 

 床へ下りる途中、血の海の中で満足そうに微笑みながら息絶えている赤毛の青年の姿を見つけるが、それ以上に気になったモノがあった。

 そして、それは床まで下りきると、より明確なモノとなった。

 

「確か、この臭いは……。」

 

 地下鉄構内に淡く残る甘い香り。慌ててヴィレッタはハンカチを取り出して、口と鼻を覆う。

 嗅いだのは一瞬。それも薄まったモノだったが、即座に効果が現れて、ヴィレッタの女の中心部分がキュンと反応。その香りの正体を確信する。

 数年前に現れて、あっと言う間に世界を席巻。既存のモノと取って代わり、天使の薬とも、悪魔の薬とも呼ばれる麻薬『リフレイン』に間違いなかった。

 抱いていた嫌な予感がますます膨らみ、ヴィレッタが上へ戻り、連絡を先にするか、前へ進み、輸送車両の捜索を行うかを迷っている時だった。

 

「にゃにゃりぃ~~……。」

 

 恐らく、リフレインを吸ってしまったのだろう。場違いも甚だしい幸せそうな声が聞こえてきた。

 すぐさまヴィレッタはマグライトを点灯。声がした方向へ光を向けて、左右に動かしながら、口からハンカチを一瞬だけ離して叫ぶ。

 

「おい、誰か居るのか! 居るなら、返事をしろ!

 ……こ、これがリフレインの効果か。ほ、本当に恐ろしいものだな……。」

 

 果たして、その光の先にあった光景はどんなものだったのか。

 ヴィレッタは顰めた顔を背けると、マグライトの照らし先に居る男の名誉の為にも今見た光景は忘れようと決意して、マグライトの照らし先を変えた。

 

 


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