コードギアス ナイトメア   作:やまみち

7 / 29
第一章 第01話 仮面舞踏会への招待状

 

 

 

「ふふふふ~ん♪」

 

 アッシュフォード学園隣のアキバ区、コスプレ喫茶『わんだぁ~らんど』本店のスタッフ休憩室。

 パイプ椅子に足を組んで座り、雑誌を読み耽りながらパイプ机上のスナック菓子を頬張って、ご機嫌なハミングを奏でる金髪セミロングヘアーの美少女。

 彼女の名前は『アリス』、ナナリーの親友であり、クラスメイト。このアルバイトをするに辺り、1人では心細くて、ナナリーを巻き込んだ張本人。

 ちなみに、今は学校帰りの夕方。アッシュフォード学園の制服から既にコスプレ衣装へ着替え済み。

 髪の両サイドに羽根飾りを付けて、肩を出したピンク主体の衣装。下は白の多重フレアースカートと衣装に合わせたピンクのニーソックス。燕尾の様なマントが特徴的なとある魔法少女を模したものであり、魔法のステッキが机の上に置いてある。

 

「ふふふふ~ん♪ ……って、んっ!?」

「マ、マリアちゃんっ!?」 

 

 シフトの時間まで、あと10分。アリスは微妙な時間を持て余していた。

 そこへ聞こえてくる騒ぎの音。まず怒鳴り声が聞こえ、次に女の子達の悲鳴。やや間があってのざわめき。

 ハミングを驚きに止めて、思わず騒ぎが聞こえたドアの方向へ顔を振り向けると、そのドアが勢い良く開き、血相を変えて現れる眼鏡をかけたウェイター姿の男性。

 彼の名前は『南ヨシタカ』、このコスプレ喫茶『わんだぁ~らんど』の店長にして、名誉ブリタニア人に帰化した元日本人。

 この世にコスプレ喫茶と言う文化を最初に生み出して、今や全国の主都市にチェーン化。12店舗を所有するに至ったなかなかのやり手。

 

「マ、マリアちゃんっ!? マ、マリアちゃんっ!? マ、マリアちゃんっ!?」

 

 そのやり手は今非常に焦っていた。

 スタッフ休憩室に居るのはアリスのみ。居るだろうと考えていた人物が居らず、何やら混乱大パニック。

 それこそ、混乱するあまり、人が居るはずもない清掃用具入れのロッカー内を調べ、更にはゴミ箱の中まで調べ、次に隣の部屋へ通じるドアノブに手をかけた。

 

「駄目、駄目。さすがの店長でも、そこだけは駄目だって」

「えっ!? ……はっ!? ち、違うんだっ!? テ、テレスちゃんっ!?」

 

 だが、その右手首を魔法スティックが一撃。アリスが白い目を向けながら首を左右に振って、南を止める。

 何故ならば、南が入ろうとしていた部屋は女子更衣室。いかに南が店長という絶対権力者であろうとも、その性別が男である限りは入室禁止の絶対聖域。

 我に帰った南は己が何をしようとしていたかを知って、目をギョギョッと見開き、アリスへ右手を突き出しながら慌てて後退る。

 余談だが、南の呼んだ名前『テレス』とは、この店におけるアリスの源氏名である。

 

「はいはい、解ってますって……。それより、何が有ったんですか?」

「ええい、愚弄するのか! 私を誰だと思っている!」

「あーーー……。はいはい、なるほどねぇ~~」

 

 アリスは生返事を返しながら、南が開けっ放しにしたままのドアを閉めようと、そのドアへ近づき、店内から聞こえてきた怒鳴り声に全てを理解した。

 それは約2ヶ月前から、この店の常連となっている客の声。常連だけに大事な客ではあるのだが、その思想がブリタニア至上主義と言うところに問題があった。

 なにせ、この店は店長の南を始めとする従業員の半数が名誉ブリタニア人。来客の人種も問いておらず、その割合はややブリタニア人が多い程度。

 つまり、ちょっとでも気に入らない点があると、難癖を付けて、すぐに騒ぎ立てる悪癖があった。

 

「ははは……。いっその事、来店をNGにしたいんだけどね。

 ほら、あの人って貴族っぽいだろ? だから、俺の立場だとさ。……だろ?」

「はぁ……。」

 

 ドアが閉められて、小さくなる怒鳴り声。それで少し安心したのか、南が力無い笑い声を漏らして、やるせない表情で愚痴を零す。

 その同意を求められ、アリスは目を伏せながら『はい』とも、『いいえ』とも言わずに言葉を濁す。

 所詮、ブリタニア人の自分がどう応えようとも、それは嫌味にしか聞こえないと承知していたからである。

 実際、街を歩けば、良く似た場面に出くわす。正義感で仲裁に入った事も多々あるが、大抵はあまり良い結果に終わっていない。

 こうした場面に出会う度、アリスは考えずにいられない。

 『名誉』の冠は付くが、目の前の南はブリタニアへ忠誠を誓った歴としたブリタニア人。何故、自分と変わらないのに差別を受けなくてはならないのだろうか、と。

 そもそも、『名誉』の冠を付けて、わざわざ区別する理由が解らない。我々は彼等を積極的に受け入れて、共存する事こそが、この元日本という国をブリタニアに同化させる早道なのではなかろうか、と。

 しかし、現実は違う。ブリタニア人からは下に見られ、今は『イレブン』と呼ばれる元日本人のナンバーズからは裏切り者と蔑まれ、名誉ブリタニア人は差別に苦しんでいた。

 その証拠がドア越しに再び聞こえてくる。南は先ほどより大きくなっている怒鳴り声に、このスタッフ休憩室へ来た当初の目的を思い出す。

 

「……っと、そんな事より、マリアちゃんだ!

 テレスちゃん、マリアちゃんは今日のシフトに入っていたよね?」

「はい、マリアならもうすぐ……。」

 

 アリスは壁にかかった丸時計をチラリと一瞥。いつの間にか、シフトまであと5分となっているのを知り、南の質問に応えている途中だった。

 二輪車特有の甲高いモーター音が急速に近づき、一際大きく鳴ったと思ったら、タイヤがキュルキュルとスピンする音がスタッフ休憩室の壁の向こう側で止まった。

 その運転手の正体を知る南は目を輝かす。と言うか、この店にバイク通勤をしている者は1人しか居ない。

 

「……ねっ!?」

 

「ああっ!? これでもう安心だ!

 遅い! 遅いよ! マリアちゃん! さあ、さあ! 早く着替えて! 着替えて!」

 

 アリスが右目をパチリとウインク。南は大きく頷き、店の裏口ドアを勢い良く開け放ち、バイクの運転手を迎えに飛び出て行った。

 

 

 

「これだから、イレブンは困るんだ!

 我々がこの軍服をどの様な気持ちで着ているのかが解るか! この軍服はな!」

 

 名誉ブリタニア人の従業員達を列べて、レジカウンターをバシバシと叩きながら猛りまくりの男性。

 おかげで、店内の雰囲気は最悪状態。店の出入口を陣取られては、店内の客は帰れず、逆に新たな来店者は自動ドアを開ける前に帰って行く始末。

 最早、営業妨害の何ものでもない彼の名前は『キューエル・ソレイシィ』、この店に給料の半分を注ぎ込んでいるダメ人間。髪型はきっちり左の三七分け。

 しかし、そんな殺伐とした空間に救世主が遂に現れる。それを従業員、来客者の全員がキューエルの背後に見つけて目を輝かす。

 

「キューエルさん!」

「のわっ!? ……マ、マリアさんっ!?」

 

 キューエルは切れ長の鋭い目をしており、その見た目だけで子供の頃から恐れられてきた。

 しかも、身長は185cmと大きい。それが軍服を着て、街を歩けば、大抵の者は道を譲る。

 だが、その声が轟いた途端、キューエルは目をギュッと瞑り、身体をビクッと震わせて竦めた。

 挙げ句の果て、今さっきまで怒鳴り散らしていた偉そうな態度は何処へやら、一呼吸の間を空けて、背後をビクビクと怯えながらゆっくりと振り返った。

 

「私、この前も言いましたよね!」

「はい! 言いました!」

「今度、お店で問題を起こしたら、承知しないって!」

「はい! 申し訳有りません!」

「だったら、どうしてですか! 懲りずに何度も、何度も!」

「はい! 本当に申し訳有りません!」

 

 キューエルの予想通り、背後に立っていたのは源氏名『マリア』こと、ナナリー。

 足を肩幅に開きながら両手を腰に突き、眉を吊り上げて、見るからにご立腹の様子。

 キューエルは棒を背筋に刺したかの様にビシッと直立不動。怒鳴られる度、腰を90度まで素早く曲げての礼。

 さすがは軍人だけあって、動作がキビキビとしており、その姿は訓練されて、とても様になっていたが、頭を下げている相手が相手。身長が頭1つ分低く、年齢も年下の少女へ平身低頭する様子はとても滑稽だった。

 そう、店長の南がナナリーをあれほど頼っていた理由がこれだった。この店において、ナナリーこそがキューエルを御し得る唯一存在なのである。

 

「本当に反省しているなら……。

 ……って、ちゃんと聞いているんですか! キューエルさん!」

「はい! 勿論です!」

「なら、目を逸らしているのは何故ですか!」

「う゛っ!? そ、それは……。」

 

 ふとナナリーは気付いた。誠心誠意、キューエルは謝罪している様に見えて、その目が泳いでおり、自分を見ようとしていないのを。

 事実、頭を下げようとした瞬間、人差し指を眼前へ勢い良くビシッと突き付けられ、動きを止めたキューエルの目はナナリーから逸れていた。

 いや、逸れていたというのは正確ではない。ナナリーへ一旦は向けられるのだが、すぐ逸れては再びナナリーへと戻り、また逸らすを繰り返していた。

 

「それは?」

「そ、それより、マリアさん! きょ、今日のその衣装は何と言う……。」

「えっ!? 知りません?」

「も、申し訳有りません!

「マ、マリアさんから言われ、プリキュアはやっとフレッシュまで見たのですが……。」

 

 その理由は単純にして明快。ナナリーが本日着用している衣装に原因があった。

 前髪を残しながら髪の両サイドに羽根飾りを付けてのツインテール。肩と脇腹を露出した薄紫色のレオタードとそれに合わせた薄紫のニーソックス。燕尾の様なマントが特徴的なとある魔法少女を模したものであり、付属の魔法のステッキは隣に立つアリスが持っている。

 ここがプールサイドや海ならまだ違っていたが、その日常の中で見る水着同然のナナリーの姿は、キューエルにとっては眩しすぎた。

 しかし、キューエルとて、健全な男。どうしても、視線が自然と露出した肩や脇腹、太股、更には控えめな胸、極めつけはちょっとハイレグなお股へ向かってしまうのが止められず、それをナナリーに悟られるのがキューエルは嫌だった。

 

「違う、違う。これはプリキュアじゃありませんよ。

 これはプリズマ・イリアって言って……。ほら、テレスちゃんとお揃い♪」

「……か、可憐だ」

 

 そんなキューエルの苦労を知らず、更なる追い打ち。

 ナナリーはアリスから自分の魔法ステックを受け取ると、アリスと背中合わせになってのポージング。

 キューエルは臨界点を突破。心がズッキューンと弾み、顔を紅く染めながら呆けて、口をポカーンと開け放ち、店内の男性客、男性従業員達からもざわめきが湧く。

 

「……って、そんな事、今はどうだって良いんです!」

「は、はい!」

「そもそも、キューエルさんこそ、その格好は何ですか!

 軍服で来店するなんて、非常識ですよ! 他の皆さんが驚くじゃないですか!」

 

 だが、それも束の間。ナナリーが怒鳴り、キューエルへ魔法ステックを勢い良くビシッと突き付けての糾弾。

 店内の空気は再び締まり、店内の誰もが同意にウンウンと頷く。

 そして、キューエルへ向けられる抗議の視線の数々。ナナリーという指揮官を得て、一つの戦いがようやく終焉を迎えようとしていた。

 ところが、ここで戦いは新たな局面を迎える。

 

「い、いや……。し、しかし、ですね。

 ぜ、前回に来た時、その……。マ、マリアさんが一度見てみたいと……。は、はい……。」

 

 キューエルは周囲全方向から突き刺さる視線を受けながらも孤軍奮闘。

 周囲をおどおどと見渡しながら後退ると、そのしどろもどろな言い訳に店内の誰もが驚き、視線をキューエルからナナリーへと一斉に移す。

 

「えっ!? ……あ゛っ!?」

 

 戦況は一気に塗り替えられ、集った真実を問う目に今度はナナリーが怯んで一歩後退。

 一拍の間の後、キューエルが前回来店した際に行ったリップサービスを思い出して、ナナリーが驚愕に大口を開けて固まる。

 その態度が全てを物語っていた。ナナリーへ真実を問いていた目が次々と白い目、あるいは嫉妬の目に変わってゆく。

 

「い、いや……。そ、それはですね。そ、その……。」

 

 ナナリーは助けを求めて、キューエルと自分の間に立ち、いつでも割って入れる位置に待機している南へ視線を向ける。

 しかし、南は目を瞑りながら残念そうに首を左右に振るのみ。そのジャッジはとても公平性に満ちながらも、とても残酷なものであった。

 

「ば、馬鹿ですね! そ、その意味をもっと良く考えて下さいよ!

 つ、つまり、それは外で一度会ってみたいなって意味に決まってるじゃないですか!」

「そ、それは……。ま、まさか! て、店外デートのお誘い!

 マリアさん、嬉しいです! このキューエル・ソレイシィ! これほど嬉しい日はありません!」

 

 この瞬間、覆せない敗北が決まり、ナナリーは言葉を詰まらせた末、激しく自爆。

 一方、キューエルは予想外の勝利者特典に驚き、目を輝かせると、感激のあまり身体をブルブルと震わせて涙ぐみ、その涙が零れない様に顎を反らして、天井を仰いだ。

 

「ねぇ、ちょっと……。本当に良いの?」

「ははは……。テレスちゃん、こうなったら仕方ないよ」

 

 たまらずアリスがナナリーへ耳打ちする。

 何故ならば、アリスは知っていた。子供の頃に引き離され、今は行方不明の『枢木スザク』と言う婚約者をナナリーが未だ強く想っているのを。

 それこそ、自分達の年齢なら、せいぜい『好き』止まりの恋愛感情を凌駕して、『愛している』と言っても過言でないほどに。

 正直なところ、アリスは当初『枢木スザク』と言う人物は、ナナリーが作りだした空想の産物『エア婚約者』だとばかり思っていた。

 その理由というのも、ナナリーが語るスザク像は『何、それ? そんな王子様、現実に居ないって』と呆れるほどに格好良すぎたのである。

 だが、アリスは見てしまった。お互いの家で泊まり合う仲となった時、睡眠中のナナリーが酷く苦しそうに魘されている姿を。助けを必死に求めて、『枢木スザク』の名前を何度も呼ぶ姿を。

 それも一度ならず、二度、三度と。ナナリー自身は覚えていないらしいが、ほぼ毎晩の様に魘されている事実を知り、アリスは戦中、戦後の間もなくを子供2人で逃げ回った話をナナリーから聞くまでに至って涙した。

 だからこその不満だったが、ナナリーは胸にチクリと痛みを感じながらも気持ちを切り替え、この約3ヶ月で鍛えた営業スマイルをキューエルへ向けて、ニッコリと微笑んだ。

 

「なら、その段取りを決めないと! もちろん、指名は私ですよね?」

「ナナりぃっ、むごっ!?」

 

 たまらずアリスは制止を叫ぼうとするが、ナナリーがアリスの口を右手で強引に塞ぐ。

 無論、ナナリーは自分を思っての行動と承知していたが、今は事態の収拾を優先した。

 付け加えて言えば、アリスは興奮するあまり我を忘れ、ナナリーの本名を叫びかけており、それをキューエルへ知られるのはナナリー的にもっとまずかった。

 なにしろ、この店はアッシュフォード学園に近い。当然、その学園の学生だと既に勘付かれている可能性、それも見た目を考えたら大学部ではなく、高等部であるとも勘付かれている可能性が十分にあった。

 この上、本名が知られたら、特定は容易となり、キューエルが学園へ押し掛けてくる未来が容易く予想できた。

 最近、クラスメイト達が軍の巡回を学園周囲で良く見かける様になったと噂しているだけに、これ以上は避けたかった。

 

「当然です! マリアさん以外は有り得ません!」

「ありがとうございます。では、ご注文は?」

「無論、スペシャル・デラックス・ラブラブ・ランチです!」

「はぁ~~い! キューエルさんから、スペシャル・デラックス・ラブラブ・ランチ、入りましたぁ~~!」

 

 こうして、事態は沈静化。

 ナナリーがオーダーを読み上げるのに応えて、従業員が一斉に『キューエルさんとマリアちゃんはラブラブぅ~』と唱和。店はいつもの雰囲気を取り戻してゆく。

 余談だが、スペシャル・デラックス・ラブラブ・ランチとは、トースト2枚、オムレツ、サラダ、ドリンクをセットにした喫茶店でいうところの軽食セット。

 しかし、この店において、それはランチ。『ラブラブ』と『デラックス』と『スペシャル』、この前置詞が付く事によって、対応したオプションが付く。

 一段階目の『ラブラブ』では、ウェイター、ウェイトレスがジャムでトーストに、ケチャップでオムレツにハートなどの絵や文字を目の前で描いてくれるサービス。

 二段階目の『デラックス』では、オーダー時に今先ほど従業員達が行った様な唱和を行い、2人の仲を店総出で祝福してくれるサービス。

 三段階目の『スペシャル』では、ウェイター、ウェイトレスと肩を列べての2ショット写真の撮影サービス。尚、ウェイター、ウェイトレス次第で腕を組むまでが可能。

 但し、初来店の一見さんはいきなり三段階目どころか、一段階目も選べない。常連となり、来店を重ねる事によって、上位サービスが加えられたメニューが渡され、一段階づつ解禁となってゆく。

 無論、このサービスとなる前置詞を付ければ付けるほど、料金が上乗せされてゆくのは言うまでもない。一段階目ならともかく、三段階目まで重ねれば、その価格は一流ホテル並となる。

 それでも、常連となった者達は大抵が常に上を目指す。未だ誰も成し得て居らず、存在すると噂される4枚目のメニュー、そこに書かれているという四段階目サービス『ポッキーゲーム』と言う遙かな高みを目指して。

 このシステムの発案者である南曰く、いきなりデレるなんてのは有り得ない。この徐々に仲良くなってゆくのがリアルさと優越感を生んで良いらしい。

 実際、店内の彼方此方から『凄え!』や『出来る!』などの賞賛があがっており、キューエルは鼻高々にフフンと優越感に浸っていた。

 

「では、席でお待ち下さいね」

「マリア!」

「テレスちゃん、こっち! こっちで話そうよ! ほら!」

 

 それどころか、普段のキューエルでは有り得ない余裕すら生まれていた。

 ナナリーが調理場のある奥へ引っ込み、アリスがその後を追って行くのを見送り、キューエルが騒ぎを起こす前まで座っていた席へ戻る途中での出来事。

 店内の空気がすっかりと緩み、活気が戻ったその時だった。

 

「ふふっ、ふんふんふーん♪

 ……って、キャっ!?

 えっ!? ええっ!? あわわわわわわわわわわ……。」

 

 先ほどの騒動の最中、たまたまトイレに居り、難を逃れていた名誉ブリタニア人のウェイトレス。

 用を足し終えた開放感にご機嫌となり、軽いスキップを踏んでいたが、トイレから店内へ通じる狭い小道を抜け出て、視界が開けた瞬間。突如、目の前に出現した存在しないはずの壁へ衝突。その場へ尻餅をつく。

 衝突の際、思わず瞑った目を開けて、ウェイトレスは自分が衝突した壁の正体がキューエルだと知り、驚愕と絶望を合わせてのビックリ仰天。

 尻餅を付いたまま、全身をガクガクと震わせて、衝突の際にぶつけた鼻頭の痛みも合わさっての涙目。

 このウェイトレスがキューエルへ粗相をしたのは、これで通算3回目。それだけに怯え方はかなりのもの。

 もし、これが用を足し終える前だったら、ミニのプリーツスカート故に丸見えとなっている水色のショーツは青のショーツへと変わっていただろう。

 そして、あわや騒動に逆戻りかと店内の誰もが息を飲むが、その予想に反して、ご機嫌なキューエルはジェントルマンだった。

 

「こらこら、店内で走ってはいかんぞ?

 ほら、早く立ちなさい。若い娘がそうやって下着をいつまでも晒け出しているのは良くないぞ」

「は、はい……。あ、ありがとうございます」

 

 キューエルは満面の笑顔と共に右手を差し伸べて、ウェイトレスを立たせると、まるで何事も無かったかの様に立ち去り、自分の席へ着席した。

 その信じられない奇跡の光景に驚き、当事者のウェイトレスは勿論の事、店内の誰もが茫然と目が点。店内から一切の会話が消え去り、BGMだけが『イェイ! イェイ! イェイ!』と元気に流れてゆく。

 

「改めて、従業員が申し訳有りませんでした。

 こちらは当店で使えるコーヒー券となっています。是非、お納め下さい」

「ふむ……。受け取っておこう。

 先ほどは私も大人気なかったと反省している。申し訳なかったな」

「いえいえ、滅相もありません。ですが、そう言って頂けると幸いです」

 

 だが、店長の南はここが勝負所と我に帰り、キューエルのご機嫌取りにすぐさま動く。

 確かにキューエルは厄介な客ではあるが、ナナリーの為なら大盤振る舞いを厭わず、売り上げに多大な貢献をしてくれる最上客。店としては絶対に逃せない。

 先月末など、シャンパンタワーならぬ、ジンジャエールタワーを自ら企画して持ち込み、アルバイト2ヶ月目にして、ナナリーをナンバー1ウェイトレスへ強引に押し上げる偉業を達成している。

 

「ところで、店長。今日、マリアさんは何時までの勤務だ?」

「マリアちゃんですか? 確か、閉店までだったと記憶しております」

「閉店、あと3時間半か……。では、マリアさんの指名を閉店まで買おう」

「えっ!? ……え゛え゛っ!?」

 

 しかし、このキューエルの申し出はさすがに驚いた。

 この店に指名制はあるが、そのサービスに料金はかからない。お目当ての

ウェイター、ウェイトレスの手が空いていれば、好きなだけ指名が出来る。

 但し、その同席が保証されているのは、他の客が指名するまでの間のみ。

 そこからはお財布との相談。指名が重なった客同士、同席権を賭け、満足が行くまで存分に競り合って貰う事となっており、上限リミットは設けられていない。

 無論、これは基本料金であり、この他にウェイター、ウェイトレスが同席する時間によって、チャージ料金が設けられているのは言うまでもない。

 このシステムの発案者である南曰く、これこそがブリタニアのはずだ。俺は何も間違っていないらしい。

 また、このシステムを採用しているが故に最初から勝ち逃げの予約制度は存在しない。当然、それは常連のキューエルも承知していた。

 

「残念だが、私はまだ仕事の途中でな。あと30分程度しか居られない。

 しかし、しかしだ。マリアさんのあの様な姿、他の客へ見られるなど耐えられん。だから、頼む」

 

 

 だから、キューエルは他の客へ聞かれない様に小声ながらも、その目に熱意を込めて必死に頼んだ。

 しかも、人前である上、まだ注目が少なからず有るにも関わらず、名誉ブリタニア人の南へ頭を下げて。

 

「で、ですが……。ほ、他のお客様との公平性を考えるとですね」

 

 目を大きく見開いて驚き、言葉に詰まらせながら戸惑うしかない南。

 なにしろ、目が合った、肩が触れたと難癖を付けて、名誉ブリタニア人をいびってきたキューエルがである。驚き戸惑うのは当然だった。

 その隙を突き、キューエルが更なる追撃をかける。懐から取り出した財布をテーブルの下で開けて、その中に入っていた全ての札を南のズボンのポケットへねじ込む。

 

「もちろん、無茶な注文だと承知している。 

 だから、これだけ払おう。それと可能なら、あの衣装を買い取らせてくれ」

「……こ、こんなにっ!?」

 

 すぐさま南は返金しようと、ズボンのポケットへ手を入れるが、手触りで感じられる枚数の多さに驚き、目をこれ以上なく見開きながら固まる。

 一瞬、見えた札は最高額札。南の心は激しく揺れ動いた。

 

 

 

「はぁ~~……。」

 

 スタッフ休憩室にて、ナナリーはノートパソコンのキーボードをつまらなさそうにカタカタと鳴らしていた。

 その姿は先ほどまで着ていたとある魔法少女の衣装ではなく、アッシュフォード学園高等部のもの。

 壁にかかる丸時計をチラリと一瞥。閉店まで、あと2時間と13分。先ほど確認した時から、5分も経っていない事実に溜息をつく。

 

「あれ? 居ないと思ったら、どうしたの? それにもう着替えちゃってさ?」

「それがね。店長が今日はもう出ないで良いから、駅前で撒くチラシを作ってくれって……。」

「ふーーーん……。変だね。暇ならともかく、どっちかと言えば、今日は忙しい方なのに」

「でしょ? そう思うよね?

 あーーーあ……。今日のコス、楽しみにしていたのに……。」

「ぼやかない、ぼやかない。それも大事な仕事でしょ?

 はい、これ。今週のお便りコーナーの手紙ね。店長が来たら渡しておいて」

 

 そこへアリスが現れ、ナナリーは良い暇潰し相手が出来たと愚痴を零しまくり。

 しかし、アリスは喉の渇きを癒す為、パイプ机の上に置かれた自身が買ってきたオレンジジュースを一口飲むと、持っていた封筒の束をナナリーのノートパソコンの横へ置き、さっさと退場。あっと言う間にナナリーの暇潰しは終わる。

 ちなみに、アリスの言葉の中にある『お便りコーナー』とは、簡単に言えば、飲食店などのサービス業でよく見かけるマーケティングの為のアンケート調査システム。

 但し、アンケート用紙をただ置いても、アンケートはまず集まらないと店長の南が考えたのが、このシステムが『お便りコーナー』と呼ばれる所以。

 客は店内で販売されている専用の封筒を買い、お目当てのウェイター、ウェイトレスの名前を宛名に書き、その中にアンケート用紙を入れて、店内に設置されたポストへ投函。

 その時、店内でやはり販売されている専用の便せんを一緒に入れておけば、宛名先のウェイター、ウェイトレスへ手紙が届くというもの。

 また、その裁量は宛てられたウェイター、ウェイトレス次第だが、もしかしたら返事が返ってくるかも知れない可能性を秘めている。

 このシステムの発案者である南曰く、この返ってくるか、返ってこないかのヤキモキ感が商売を感じさせず、リアルで良いらしい。

 実際、専用の封筒と便せん1枚の合わせた値段がコーヒー1杯より高いにも関わらず、来客の男女を問わず、飛ぶ様に売れていた。

 今、アリスが置いた束は1日分。一目のパッと見でも20通か、30通は確実にある。

 余談だが、この店でのコスチュームは過度な露出が有るもの、下着を露骨に見せているもの、危険物になりえる鋭利なもの、長い棒状のもの以外は認められており、自前の物を持ち込む事も出来れば、店側が用意している物を着用する事も出来る。

 無論、店側が用意している物はレンタル料を取られ、クリーニングの関係からレンタル期間1週間の固定という不便さはあるが。

 さて、ナナリーが本日着用したコスチュームはどちらだったかと言うと、アリスと相談して購入したオーダーメイドの品であり、本日が初披露だった。

 ところが、店長の南の権限により、本日のコスチュームは大人の諸事情でナナリーは以後禁止。店の買い取りとなって、レンタル衣装となる為、既にクリーニング行きの回収箱へ入れられている。

 

「はーーい……。」

「じゃーねー」

 

 つまらなそうに唇を尖らすナナリーへ笑顔で手を振り、店内へ戻ってゆくアリス。

 その店内とスタッフ休憩室を隔てるドアが閉められ、再びキーボードを叩く音だけがカタカタと鳴り響く。

 それが暫く続いていたが、その音を不意に止め、ナナリーが制服ダブルボタンの第1ボタンを外して、その内側に隠れているファスナーを半分まで下ろす。

 そして、制服の内ポケットから取り出した封筒。お便りコーナーで使われているものと同じソレをノートパソコンの横に置かれた封筒の束の間へ入れる。

 

「ふぅ……。」

 

 何やら大仕事をやり遂げたかの様に一息をつきながら、緊張に思わず強張っていた肩の力を抜くナナリー。

 喉の渇きを感じて、アリスのオレンジジュースを勝手に一口飲み、壁にかかる丸時計を再びチラリと一瞥。先ほどの確認から進んだ分針のマス数は7つ。

 

「はぁぁぁぁぁ~~~~~~……。」

 

 ナナリーは力無くガックリと項垂れながら溜息を深々と漏らした後、うんざりとした表情を上げて、作業を再開。キーボードを叩いて、音をカタカタと鳴らし始めた。

 

 

 

「これで良しっと……。さて、俺も帰るか」

 

 閉店から約1時間が経ち、従業員達は既に帰宅。店内はひっそりと静まり返っていた。

 事務所に残った最後の1人。店長の南も本日の売上金集計がようやく済み、席を立ち上がる。

 

「おっと……。これがまだ有ったか」

 

 だが、机の隅に置いてある手紙の束を見つけて、椅子へ逆戻り。

 ついつい漏れてしまう溜息だったが、これも店長の仕事と諦めて、南は手紙の宛名を読み上げながら、その名前毎に机の上へ分類して置いてゆく。

 

「マリアちゃん、テレスちゃん、こなたちゃん、マリアちゃん……。

 パトリシアちゃん、小鳥遊君、テレスちゃん、こなたちゃん……。

 小鳥遊君、テレスちゃん、こなたちゃん、パトリシアちゃん……。

 静雄君、テレスちゃん、こなたちゃん、小鳥ちゃん……。

 やっぱり、今日はマリアちゃんが少ないな。……って、んっ!? これはっ!?」

 

 やがて、ソレが現れる。お便りコーナーの意味を考えたら有り得ない宛先無記名の手紙。

 すぐさま南はまだ仕分け途中でありながら作業を止めて、その手紙の封を躊躇わずに開ける。

 

「相変わらず、凄いな。こんなモノをどうやって……。」

 

 封筒の中に入っていたのは、プリントアウトされただろう数枚のコピー用紙。

 南は目を紙面へ素早く走らせて、紙を次々と辛抱が堪らないと言った様子で捲る。

 何故ならば、そのコピー用紙に書かれている内容は、本来は極秘とされ、最低でも閲覧に佐官レベルを必要とするだろう在エリア11ブリタニア軍における来週の作戦行動予定表であり、それは南にとって、宝の地図とも言える代物だからである。

 そう、南は名誉ブリタリア人の戸籍を拾得してこそいるが、その魂は未だ大和魂。嘗ての日本を取り戻そうと志して、反ブリタニアを掲げるレジスタンス組織の一員だった。

 それどころか、アルバイトの従業員達はレジスタンスではないが、このコスプレ喫茶『わんだぁ~らんど』はレジスタンス資金を稼ぐ為のモノであり、本店と支店は日本各地に点在するレジスタンス同士を繋げるネットワークの役割を持っていた。

 ちなみに、南はコピー用紙に書かれている情報の真偽は疑っていない。と言うのも、南の言葉で解る通り、この情報提供は今回が初めてではない。

 初めて、この店に設けられているお便りコーナーのポストへ情報提供があったのは、約2ヶ月半前の事。その時はさすがに内容を疑ったが、今では完全に信じきっていた。

 なにせ、この謎の情報提供者のおかげで、既に幾つものレジスタンス組織が摘発を逃れて、何十、何百人といった日本人の命が現実に救われていた。

 無論、南は自分の正体を隠している。日々の言動や行動に気を使い、それと悟られない様に暮らしている。

 ところが、それを知る者が居た。どの様な手段で知ったのか、それを考えると不安はあったが、この毎週末に届けられる情報提供の貴重さ、有り難さの前に深く考えるのは意識的に止していた。

 また、当然の事ながら、その正体も気になり、どうしても礼が言いたかった。

 情報提供があるのは決まって週末であり、その手段もお便りコーナーへのポスト投函。その正体を調べようと思えば、幾らでも可能だったが、下手に動いた結果、情報提供が途絶えるのはあまりにも惜し過ぎた。

 

「ナオトか? 俺だ、南だ。

 ああ、そうだ。今週も『X』から情報提供があった。

 しかも、今度のはとびきりデカいヤマだ。明日、みんなを召集できないか?」

 

 南は一通りを読み終えると、机の隅に置かれた電話の受話器を興奮しきった様子で手に取り、仲間へ連絡を取った。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。