世界樹、というものがこの世界にはある。高さ数千メートル級の、この世界の中心とも呼ばれている大樹だ。遠く離れた国からでも、この樹が空高くまで生え、雲を突き破った上まで育っているのを見ることが出来る。だが実際にはこれは一本の樹ではなく、何万本もの樹がドーナツ状に集まって群生し、天に届くまでに成長したものである。ドーナツ状なので当然真ん中は空洞なのだが、その空洞を「ティッピーストリーム」という地面から空に向かう白い光の粒の太い流れのようなものが貫いている。遠くから白い光の粒のように見えるものは、実は全部ティッピーである。この世界では倒されたモンスターはティッピーになって飛散するのが観測されているが、人間も死ぬと魂はティッピーに還ると考えられている。それら世界中のティッピーが集まってきて、世界樹のエネルギーを得て新たな生命を成す存在として生まれ変わり、再び世界に散っていくための流れ、つまり世界中のティッピーの大動脈――ティッピーストリームはそのような存在だと考えられていた。
魔法生物であり魔力エネルギーそのものでもあるティッピーが集まる場所なので、この世界樹には世界中の様々な秘術や秘法が集まるとも考えられていた。なので、中は危険で広大なダンジョンのようになっているこの世界樹を、貴重な魔術を手に入れるために登頂しようとする冒険者は後を絶たない。
チノ達がこの世界樹を訪れたのも、二つの目的があってのことだった。一つは、魔王を倒すための伝説の召喚魔法がこの地に封印されているとの噂があったからだった。だが、そもそも魔王という存在自体、この世界では影が薄い。「モンスター達を束ねるボス的存在」と認識されてはいるものの、軍を率いて街を攻めるとかそういう実害をもたらしている訳ではないようで、時々遠くのダンジョンで冒険者パーティが魔王に襲われたという噂話が流れるくらいの、「危険だがどこか自分とは関係ない世界の存在」と思われていた。そんな訳でこの世界の住民は魔王を倒そうというやる気が薄いので、魔王を倒す手段だという「伝説の召喚魔法」もわざわざ探しに行くような物好きは少なく、噂がどこまで信用できるのかは不明だった。
もう一つの目的について説明しようと思うと、チノと青山との数日前の会話にさかのぼることになる。
「死者を霊体として一時的に召喚し、会話できるようにする降霊術……ですか。それが世界樹にあると」
「ええ。信頼できる筋からの情報でそれを確認しました。ですが、私は神官としての職務があり持ち場を離れることが出来ない身。チノさん達にもし取ってきていただけるならば、謝礼もはずみますし、事前に冒険のための資金援助をする準備もあります。つまり、これは私からのクエスト依頼ということになりますね」
そういって青山が示した具体的な金額を見ると悪くない話である。しかし、一番気になったことをチノは尋ねずにはいられなかった。
「青山さん、亡くなった『誰か』とお話してみたいんですか……?」
「……ええ。実は、お世話になっていた喫茶店のマスターがいたんです。私が神官の採用試験を受ける際にも色々とアドバイスをいただいたのですが、新しい仕事で忙しく足が遠のいているうちに帰らぬ人になってしまい……。せめて、試験に受かった報告だけでもしたい、そう思っているのです」
「依頼してもらったのは嬉しいですが、私達はまだ駆け出しの身です。世界樹のようなハイレベルダンジョンにどこまで太刀打ち出来るのか分かりません。確実な成果を手に入れたいなら、ベテランの冒険者さんを雇ったほうが良いと思いますが」
「正直なところ、チノさん達くらいしか頼める人がいないというのはありますが……。これはどちらかというと私の気持ちのけじめの問題なのです。それにマスターの経営していたのは冒険者たちをサポートする『冒険者のカフェ』でした。新人冒険者であるチノさん達の冒険を助けることで、マスターへの不義理のせめてもの償いになれば、とも思っています」
死者を呼び出すという行為の冒涜的な響きへの抵抗もあって、チノはこの件にそこまで乗り気ではなかったのだが、青山の提示した報酬の魅力には抗いがたく、マヤ・メグとも話し合った結果、賛成派のマヤに押し切られるような形でクエストを受けることになった。その後、世界樹というダンジョンの特性について青山から色々と教えてもらったが、「クエスト達成よりもチノさん達の安全が第一です。脱出アイテムをお渡ししておきますので、危ないと思ったら早めに使ってくださいね」と付け足すことを青山は忘れなかった。
青山がお世話になっていたという「マスター」は、おそらく元の世界の「マスター」と同一の存在――つまり、チノの祖父のことを指すのだろう。青山は気持ちの整理のために今回のクエストを依頼したと言っていたが、どう気持ちの整理をつけたら良いのか分からないのは、むしろチノの方だった。元の世界でも祖父は数年前に亡くなったが、どういう訳か、香風家のペットだったうさぎのティッピーに祖父の魂は乗り移ったのだった。一方、この世界でのティッピーは世界中に溢れている野生の魔法生物であり、ラビットハウスで飼われているなんてこともないし、この世界に来てからは祖父の存在をどこかで感じたこともない。祖父はこの世界では安らかに眠っているのだろうか。そうだとすれば、その眠りを妨げるのは果たして良いことなのだろうか。しかし他方で、降霊術を使えば霊体ではあるものの生前そのままの姿の死者に出会える、というのは魅力的ではないと言ったら嘘になる。この世界の魔術を使って、(ティッピーではない)おじいちゃんの姿をもう一度だけ、一目見たいと思うことは悪いことなのでしょうか――? 無論、依頼された以上はクリアのために全力を尽くすつもりではいたが、チノの気持ちは内心複雑に揺れていた。
だが、いざ世界樹の中を攻略し始めると、それどころではないとんでもない出来事が起こってしまったので、そんなことを悩んでいる暇はなくなってしまった。