~古明地さとり~
何事も無い、そんな日々が如何に素晴らしいことか。夏の初め辺りまではいつ紫さんに討たれるかが心配で仕方なかったが今はもうその心配も無くなってまたいつも通りの生活を送れている。
地上ではもう秋ごろだろう。地底でも素晴らしい彼岸花を見る事ができる季節になった…らしい。
私は館の外に出ないので大して見ていないのだが百数十年前くらいまでに何度か見たことがあった。血の池を彷彿とさせるような赤が一面に咲き誇っている様はそう簡単に忘れられるものではない。実際ここのところあまり見ていない私でも簡単に思い出せるくらいだ。
今日はまた久しぶりの休日なので張り切って気分転換ができる。今回で六回目だから最近紫さんが持って来たレシピの中から何か手間のかかりそうなものを作ってみようか。
わざわざお菓子作りの本を持って来たという事は藍さんにこっそりあげたクッキーがバレたとみていいだろう。そこから考えれば今日は恐らく紫さんの襲撃がある。
そして何故か二回目以降勇儀たちも毎回来るようになってしまった。いったいどうして私の休みの日がわかるのだろうか。不思議で仕方がない。
まあそれ以外の日にもちょくちょく来ているのだが休日だけは確信をもってきているようだし。
とにかく今日は人数も多くなりそうだから大きい物を作ってみよう。材料は知らないうちに調理場に置いてあったものを使えばいいだろう。恐らく紫さんが置いて行った物だろう。私の作りたかったものの材料をピンポイントで置いて行くとはエスパーか何かかな。まあ材料不足にならなさそうなのは有難い。お金の節約にもなるし。
こんな広い屋敷に住んでいるというのに対して裕福ではないのだ。人の上に立つなど最も避けたい事だったのにどうしてこうも上手くいかないのだろうか。非情なものだ。
とりあえず作り始めよう。今から始めれば八つ時には十分な量ができているだろう。初めて作るため手間取ることもあるだろうがざっと見た感じでは何とかなりそうだ。理解できない単語が無いのが一番のポイントだ。メレンゲですら危うかったのだからそれ以上に訳の分からないものが来たら完全にお手上げである。
一番難しいのは焼き加減だろう。一度も作ったことが無いという事は最適な火加減と焼く時間がわからないのだ。レシピは人間用なので170℃で45分とか書いてあるのだが、生憎ここのオーブンの温度はそんなに低くできない。
とりあえず一つ作ってみて味見と火加減を決定した方が良いだろう。生焼けでも妖怪の私ならお腹を壊さないはずだ。もしもの時の胃薬もきちんと用意してあるし準備は完璧だ。
~八雲紫~
「ふふっ、予想通りね」
あの子ならきっと私の渡したレシピを見てお菓子を作ってくれるだろうと思っていた。いつの間にそんな趣味と時間ができたのかは知らないがここ数か月毎月一度だけはこうしてお菓子作りをしているようだ。四か月ほど前には藍が食べさせてもらったらしい。挙動が怪しかったから問い詰めて正解だった。
元々はさとりが従者も含めた四人分を想定して作っていただろうから材料はそこまで多くなかったはずだ。だが最近は鬼やら土蜘蛛やらも加わったようだ。
さらに今回に関しては私も(勝手に)お邪魔させてもらうつもりなので必要そうな材料だけは置いてきた。かなり多めに。
「また誰かを覗いているのですか?バレて嫌われても知りませんよ」
「あら、それは困るわね。あの子に嫌われたら幻想郷が火の海になってしまうかもしれないわ」
そんなことは無いだろうがもしさとりが地上を敵に回す気になったのならかなり不味い。まあいままで幾度となく心配しては杞憂に終わっているから問題はないと思うが。
それでも地底のトップに嫌われるのは都合が悪い。地底の情報はできるだけ新鮮なうちに入れておきたいところだ。
「さとり様ですか…。もしそうなっても私たちがいますので安心してください。最悪風見幽香への協力要請…はできないかもしれませんが、こちらには幽々子様もいらっしゃいますし博麗の巫女もいます。問題は無いでしょう」
「果たしてそうかしらね」
「というと、どういう事でしょうか?地上側の方が不利とは思えませんが」
「少しは自分の頭で考えてみなさいな。橙に顔向けができないわよ」
地上で力を持つ存在といえば風見幽香や霊夢、あとはレミリアなんかもそうだろう。友人のよしみで幽々子も参戦するかもしれない。もしかすれば私の知らない勢力があるかもしれないが今のところいざという時に本当に頼りにできそうなのはそのくらいだ。持っている力で言えば永遠亭の連中もいるが信頼できるかと問われればそうでもない。上手くやれば都合よく動いてくれそうだが。
幻想郷の勢力の一つである人里は考慮に入れられない。そして残る最大勢力の妖怪の山。あそこがどちらにつくかは私でも読めない。片や自分たちの棲む土地、片や自分たちの上司であった者たちが棲む土地。保守的な天狗と臆病な河童は今でも鬼を恐れている。
それはここ数か月の萃香への対応で理解できた。異端な天狗で(私の中では)有名な射命丸文でさえ萃香には完全に頭が上がらないようだった。
妖怪の山はもし戦う事になった場合、初めは傍観を決め込むだろう。しかし鬼の一声によって地上に反旗を翻す可能性も捨てきれない。単純に地上有利とは言えないのだ。それに地底には厄介な能力を持つ者もかなり多い。最終的には閻魔が出てきて終わるのだろうができるだけそうはならないようにしたい。
幻想郷のためにも、そして何より私のためにも。閻魔と月は私と相性が良くないみたいだから。最近出てきた月人も心の中では何を考えているのか分かったものではない。さとりならわかるのだろうがあの子は地上には出てこないだろうし。
「私は少し寝るわ。お昼になったら起こして頂戴」
「分かりました。ではおやすみなさい」
最近は昼も起きていることが多いが、そのせいで疲れがとれていないような気がする。本来は特に寝なくても大丈夫なのだがもう身体が慣れてしまったのだろう。
さとりは少しおかしいと思う。毎日二時間ほどしか寝ていないというのに眠そうなのはサードアイだけだ。昔はその半分だったというからそっちに身体が慣れていたのだろう。
寝る方に身体が慣れている私と寝ない方に身体が慣れているさとり。健康第一というし私の方が良いだろう。うん。
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お昼ご飯はきつねうどんだった。藍は本当に油揚げが好きなようだ。かく言う私も毎日食べているのに嫌いではない。それは偏に藍の調理の仕方が多様だからだろう。今日のようなきつねうどんの他にもいなり寿司、味噌汁、最近は油揚げの餃子なんてものも作り出した。油揚げの料理なら紅魔館のメイドにも負けないのではないだろうか。
「では行ってくるわ。橙の修行もしっかりしておくこと。分かっているわね?」
さとりの事だから八つ時にきっちり合わせて作るのだろうが少しくらい早く行っても特に問題があるわけではないだろう。
「分かっていますよ。留守はお任せください」
相変わらず堅苦しい子だこと。もう少し他人に愛想よく接することができればいいと思うのだが藍自身はどう思っているのかわからないから強要もできない。
少し早く行くのに何の手土産も無いのは流石に図々しい気がする。鈴奈庵で本でも借りて行ってあげるか。確かさとりは執筆だけでなく読書も好きだったはずだ。今のあの子にそんな時間があるのかは知らないが持って行っても困らないはずだ。
妖怪だとバレるのは良くないから多少の変装はしておくか。いくら里の人間を害する気が無いといってもこの格好では目立ちすぎてしまう。
確か昔着ていた着物風の服が何処かにあったはず。スキマの中だったっけ。……あったあった。これを着ていれば然して目立たないだろう。
さとりの好きな本は確か心理描写の豊かな物だったな。本が多いせいでどれがどんな本なのか全く分からない。店番の子なら知っているだろうか。いつも本を読んでいるようだし。
「少し良いかしら?」
「うわぁ!いつ店に入って来たんです?音がしなかったような気がしたのですが」
いい反応だ。さとりや萃香もこれくらいの反応をしてもらいたいものだ。人間と妖怪という大きな違いはあるものの反応と言うのは大して変わらなさそうなものなのに。
「読書に夢中で気がつかなかったのではなくて?それより探してもらいたい本があるのよ。心理描写が細かく丁寧に書かれている本がどこにあるか教えてもらいたいのだけれど」
「それならばこの辺りの書架ですね。最近入ってきた物もありますよ」
流石は貸本屋の娘。どこにどの本があるかはしっかり熟知しているようだ。最近入ってきたものといえば外来本だろう。最近の外の本は小難しい言葉を並べているだけの物も多いし比喩も典型的な物が多い。
「ならこの三冊にするわ。期限はいつまででしょうか」
「できれば一週間程度がありがたいのですが大丈夫そうですか?」
「一週間は無理でしょうねぇ。あの子も忙しいので。私はあくまでもその子の代理ですから」
実際は私が勝手に来て勝手に持って行っているだけなのだがそんなものは些細な事だろう。さとりが忙しいのは事実であるし、一週間で読破することはできないだろう。
「素晴らしいです!忙しいのに本を読もうとする姿勢、感動しました!私も会ってみたいな~。…コホン、その方の熱意に免じて期限は一月といたしましょう。それでよろしいですか?」
「えぇ、それなら何とかなるでしょう。助かりますわ」
一月あれば三冊くらいなら読み切ることができるだろう。そしてこの子はさとりに会いたがっているように見えるが会わない方が良いと思う。確かにさとりもこの子も本が好きではあるのだが人間の身であの子と対面するのはやめておいた方が良い。特に普通の人間は精神がもたないだろう。
「ありがとうございました。またお越しくださいね~」
鈴奈庵では返却する本の回収も行っているようだがその範囲も精々神社までだ。地底に取りに行くことはできない。だからどうせまたこの店には来ることになる。一か月以内には。
貸本屋に寄っていたらそこそこ時間がかかってしまった。そろそろ未の刻になるが移動は一瞬だから結局早く着くことには変わりないか。里を出たら服装は戻しておこう。
二話に分けるつもりは無かったのにいつの間にか一話分終わってしまっていたので分けることにします
次回は久しぶりに『あの子』が登場します