~古明地さとり~
紫さんが持って来たお酒はワインという西洋の物らしい。最近幻想郷に来たという吸血鬼からもらってきたとか。厳密にいえば違うが簡単に言えば果実酒である。
果実酒があまり充実していない地底ではなかなか飲む機会もないお酒だろう。
鬼の飲んでいる頭のおかしいお酒とは違って度数もかなり低いので私でも問題なく飲むことができる。味も悪くないし勇儀をはじめ他の皆もなかなか気に入ったようだ。
「紫さん、このワインという物を地底にも売ってくれませんか?」
今日作ったケーキにも合うし、他の洋菓子にも相性は良さそうだ。何より度数が低いおかげで酔いつぶれる妖怪を減らせるかもしれないのだ。
「私は特に何も問題はないのだけれど…問題は作っている側かしらね。これは全て一人の人間が作っているの。あのお子様たちと交渉する必要があるかもしれないわ」
吸血鬼は随分と若いらしい。精々五百余歳だとか。紫さんから見れば確かにお子様だろう。私も紫さんと歳だけは近いが見た目は大して変わらないと思う。私をお子様扱いしない紫さんが本当によくわからない。心を読めないので嘘か真かも判断しづらいし。
「交渉、ですか。もしするならば私が地上に行くことになるでしょうけど……」
相手に来てもらうのは良くない。ただでさえ閉鎖的で荒くれ者の多い地底だ。吸血鬼というかなりの力を持った妖怪が来れば地霊殿が、延いては私が危険だ。ペットたちにも危険が及ぶかもしれない。それだけは何としてでも避けたい。
そして何より交渉に代理人を出すのは礼儀がなっていないと見られてしまう。仮にも(何故か)地底のトップという立場に就いてしまっているので、私の失礼は地底全体の格を下げることにつながる。だから私が行かなければならないのだ。
「貴方がここの敷地から出るなんて何時ぶりなのかしらね。まあそういう事なら吸血鬼の方には私から話を通しておくわ」
紫さんの中では既に決定したらしい。外に出るのはかなりリスキーだが覚悟を決めなければならないようだ。
「できるだけ早く頼む、とその吸血鬼に伝えておいてくれよ。薄いが美味しいからね」
「一応私の事も伝えておいてくださいよ。心を読まれることは相応のストレスがかかりますから」
今までの経験から、心を読まれることが不快に感じる者が多いと分かっている。だからこそ先に忠告しておいてもらう。会いたくないというのなら代理を立てるし、それでも別に構わないというのなら私が直接出向くだけだ。
~火焔猫燐~
ワインという物について話がまとまったところでようやくさとり様の作ったチーズケーキとやらを食べることになった。さとり様たちの話の間…今もだがずっとこいし様があたいの膝の上に乗っているから脚が痺れてきた。
「こいし、お燐が困っているようよ。とりあえず膝からは降りてあげなさい」
「うん? そうだったの? ごめんねお燐。気づかなくて」
「あー、まあ良いですよ。悪い気はしませんからね」
どうしてこいし様があたいに良くしてくれるのかはわからないけど悪い気はしない。無意識下での行動によってさとり様にはこいし様の行動を知る術がない。それは主に意識的に行動しているあたいたち妖怪や人間も同じ。
滅多に帰ってこないからこそ帰って来た時にはさとり様も何処か嬉しそうだ。それは良いことなのだろうか。あたいにはよくわからない。
「そう言えばこいしの土産話がまだだったわね。食べながらでいいから話してくれる?」
「そうそう、まだだったね。この前の満月の時だったかなぁ…満月なのに満月じゃなかったのよ。凄いでしょう?」
満月なのに満月じゃない。なぞなぞか何かだろうか。見たところさとり様もいまいちわかっていないようだ。少し安心した。
「それにね、朝なのに夜だったのよ。おかしいよね」
ますますわからなくなってきた。とりあえずこいし様の話をまとめると朝な夜に満月ではない満月が出た、と。
「あの、こいし? もう少し私たちでもわかるように平易な文章で話してくれないかしら。皆の頭がパンク寸前だわ」
周りを見てみると頭を抱えている勇儀にこめかみのあたりを押さえているパルスィ、考えることを放棄してケーキを食べているヤマメとキスメ。もはや燃え尽きているお空と顎を押さえている戒。ただ一人余裕そうに微笑んでいるのは賢者様だ。賢者様はこの件について何か知っているのかもしれない。
「あらあら、こいしさんの話はまさに的の真ん中を射抜いていますわ。満月だけれど満月ではなく、朝だけれど夜のまま。満月ではなかったといってもそれは妖怪にとっての話。人間には感知することすらできない異変がつい最近地上で起こったのですよ」
「そうそう! それにね、私の事が見える兎さんもいたんだ。地上って凄いね」
こいし様を見る事ができる兎。本能と無意識は完全に別物。普段のこいし様なら動物でも視認できないはずだが。
「それは恐らく月の兎ですね。彼女の能力で波長を操れば見えない物は無いでしょう。異変を起こしたのも月の頭脳と姫だったようですわ。まったく厄介な連中が出てきたものです」
月の兎…。地獄だった頃からずっとここにいるせいで月という物を見たことは無いけど存在自体は勿論知っている。満月はおおよそ一月に一度訪れるらしい。昔はきっちり一月に一度だったとか。さとり様たちが地底に来る少し前まではそうだったらしい。
「月ですか。そういえば……昔地上にいた頃に聞いた事があった気がします。地上のある妖怪が増長した大勢の妖怪を連れて月に攻め込んだ、と。その妖怪がどうなったのかは知りませんが大層ひどくやられたらしいですよ。月の民には気を付けてくださいね」
ほ~、昔はそんな命知らずな妖怪がいたのかい。それにしても空高くにある月に行くとはかなり強い妖怪だったみたいだ。こっぴどくやられてくれて良かった。
そんな妖怪が地底に来たら原型をとどめていないかもしれないからね。
「えぇ、くれぐれも気を付けておくわ。それよりそう、先ほどの話の続きですが満月はその月人によってすり替えられていたのです。何でも月の連中が例の玉兎を捕まえに来るからその対抗策だったとか。かなり危険な異変でした。連中は自分たちだけで真実の月を独占していたようですし」
質の悪い奴もいたもんだ。地上の妖怪にとって月は斬っても切り離せない関係だと聞く。それが偽物にすり替えられたとなれば黙ってはいられないだろう。
「満月が満月じゃなかったって言うのは分かったがどうして朝なのに夜だったんだい?」
おぉ、勇儀にしては良い質問をしてくれたじゃないか。あたいも少し気になっていたところだ。
「それは私たちがその元月人たちを懲らしめに行っていたからです。なんとしてでもあの夜のうちに満月を戻さなければならなかった。だから夜を止めて解決しに行ったのです」
夜を止めるって…地上の妖怪のやることは規模が大きいねぇ。でも月をすり替えるに比べれば幾分かマシな気もしてきた。感覚の麻痺と言うのは本当に恐ろしい。
「普通なら異変解決は人間に任せているのですが、今回に限っては人間が感知できずに動かなかったものですから私たち妖怪も解決に乗り出したのです。ちなみにこのワインを作った紅魔館の当主とそのメイドも解決に来ていましたよ」
「へぇ、そいつらもかなり強いみたいだねぇ。一度やりあってみたいもんだ」
勇儀はいい加減その戦いに特化した頭を矯正するべきではないだろうか。賢者様が初めて地底に来た時もケンカしようとしたらしいし。
勇儀に限って身を亡ぼすようなことは無いだろうが相手は選んだ方が良いと思う。この賢者様なんか特に戦ってはいけない相手ではないだろうか。
「まああの歳にしてはってところね。私から見ればまだまだ未熟もいいところですわ。私やその吸血鬼たちも含めて八人も異変解決に向かいましたから解決自体は難しくありませんでした。
一番時間をかけたのは出会った人間同士の決闘でしたわ。どちらが解決するに相応しいか、なんて言って……異変に気づけなかった時点で誰も相応しくは無いでしょうに。そこが人間の愚かさであり良いところでもあるのでしょうけれど」
…互いに切磋琢磨して成長できるということかな。確かに妖怪は単独で行動する者が多いし、ケンカだってただの自己満足のためでしかないことが多い。相手と共に腕を向上させるためではなく酔い覚ましの意味が大きい。そこが人間と妖怪の大きな差なのだろう。
「先兵となり当たって砕けてくれる者たちもいましたからかなり難易度は下がりましたね」
つまりは捨て駒である。賢者様にとってほとんどの妖怪や人間がその駒に当たるだろう。すべては賢者様の掌の上で踊らされているに過ぎない。
そこから外れて対等以上に付き合える者はきっとごくわずか。その中に入っているなんて流石はさとり様だ。……なんだか睨まれた気もするが気にしない気にしない。
「とはいっても時間はかかりましたけれど。やることなすことすべてが小賢しいような連中でしたから。あそこの連中にはあまり心を許さない方が良さそうですわ。勿論表には出しませんけど」
あそこの連中には、ではないだろう。賢者様は恐らくほとんどの者に心を許していないに違いない。対等に付き合う者たちの中からさらに選別しているだろう。
でも賢者様はさとり様に色々な相談事をしているし地上では主流となった決闘についてもさとり様を頼った。つまり賢者様はさとり様に心を許しているのだ。流石はさとり様だ………気にしない気にしない。
さとり様は今でも賢者様の心は読めないと言っていた。でもそれは心を許している、いないに関係はない。心を許すのと心の内の全てをさらけ出すのは完全に別物なのだ。
「なるほど。難しくはなかったけれど時間がかかったから、朝になっているはずの時間なのにまだ夜だったというわけなのね。こいしがもう少しわかりやすく話してくれれば良かったのだけれど…言っても無駄みたいね」
パルスィでも諦めてしまっている。でも確かにこいし様には基本的に何を言っても無駄だと思う。今だってあたいの膝の上で寝てしまっているし。ついさっきまでは元気にケーキを頬張っていたというのに随分と寝つきが良いようだ。
「眠ってしまったようなのでこいしを寝かせてきます。少し席を外しますね」
あたいの心を読んだのかさとり様がこいし様を寝かせに行った。きっと明日の朝になればもう何処かに行ってしまっているだろう。きっとさとり様もそれを分かっているから自分で寝かせに行ったのだと思う。
「さとりが帰ってくる前にこの残りを食べてしまおうか。一つはあまりそうだけど、ずいぶん長くいるみたいだしそろそろ帰った方が良いだろうからな」
「確かにそうね。いつの間にか随分と時間が経ってしまっていたみたい。これだけ食べれば夕食は必要なさそうね」
確かにもう一刻以上経っているみたいだ。もうすぐ夕食の時間だが今日は必要ないだろう。元々さとり様は小食だしこいし様も寝ている。お空も戒もかなり食べたようだからいつもの夕食はいらない。でもケーキばかりで気分悪いかもしれないから卵粥くらいは用意しようかな。
「ただいま戻りました。あら、かなり減らしてくれたのですね。助かりました。そこにある一つはこの屋敷でのおやつにでもするとして、実はあと二つ焼いていない物が残っているんですよね」
これ二つだけでも十分に多かったのに残っているのは三つと来た。流石の勇儀たちでも捌ききれないと思う。
「そこで紫さん、その二つのチーズケーキのうち一つを幽々子さんに届けてほしいんです。確かあの方は食事が好きでしたよね。こんなに食べられるかはわかりませんが」
「これくらいなら問題なく食べられるでしょう。それで残りの一つは?」
えぇ、この大きさのケーキを一人で食べる猛者がいるのか。それにまだまだ食べられそうな言い方だったし。幽々子というときっとあの時の亡霊だけどそんな特技があったのか。
「好きにしていただいて構いません。藍さんや橙さんと食べてもらうもよし。幽々子さんにもう一つ渡すもよし。萃香や茨木さんにあげても良いですよ」
「そう、分かったわ。今日はありがとうね、さとり。美味しかったわよ。多かったけれど」
多かったのは賢者様の持って来た材料が多かったからだろうに。でも材料を全部使ったさとり様も大概な気はする。
「美味しかったのなら良かったです。作った甲斐がありましたよ。ではまたワインについて話が付くか一月経ったら来てくださいね」
「次の休日の事かしら。わざわざ誘ってくれるなんて嬉しいわね」
「違いますよ! 本の返却です!」
賢者様も悪い顔をしている。悪戯が成功したから嬉しいのだろうか。存外子供っぽいところもあるのかもしれない。
その後は皆今日の感想を言って帰って行った。なんだかんだ言っても毎月多くお菓子を作っているさとり様はつんでれと言うやつなのかもしれない。来月もきっとこいし様を除いた今日のメンバーが集まるのだろう。なんだかあたいも今から楽しみだ。
「はい、できましたよ。卵粥です」
「ありがとうお燐。胃薬を無駄に消費しなくて良くなったわ」
言っても無駄なんでしょうけど自分の身体は自分で大事にしてくださいよ。さとり様が倒れたら悲しむのはあたいたちなんですから。
「そう言われてもどうしようもないわ。仕事の量は減らないもの。しなくても良いのなら決してしないけれどね」
そういうわけにもいかないから…か。確かに今のさとり様の仕事を他の者ができるとは思わない。きっと誰もさとり様の代わりにはなれない。
「昔から言っているでしょう? 私の代わりならいくらでもいるって。きっと私がしているのは恐ろしく非効率な統治の仕方だっただけよ」
確かにただ治めれば良いだけなら力で抑えつけたり必需品の物価を吊り上げたりすれば良いのかもしれない。でもそれでは住人は幸せになれないし自由も無い。
あたいはたとえ遠回りだったとしても今の地底が好きなのだ。
「ありがとうお燐」
「月に行った妖怪がいた」と言う情報は持っているけどそれが紫様だとは知らないさとり様と早く話を変えたい紫様