~古明地さとり~
月には先にレミリアさんたちが到着しているはずらしい。何でも外の世界の魔法を使って月まで飛ぶ乗り物を作って乗って行ったらしい。半月もそんな狭い場所に閉じこもって景色も大して変わらないのなんて私には耐えられない。本を持っていくならまた別かもしれないが、それでも半月分の本を持ち込もうと思ったらかなりの量になってしまうだろう。
結局私には全く向かない方法でレミリアさんたちは行ったわけだ。面倒な過程を楽しめるレミリアさんと面倒なことは極力したくない私。案外釣り合いがとれているのかもしれない。何の釣り合いなのかは私自身あまり考えていないが。
なんでもいいが私は紫さんのスキマで一気に行ってしまう方が性に合っている。それにレミリアさんたちのロケットとやらで例の巫女やらと同席するのは勘弁願いたい。咲夜さんも私の事は嫌っていたはず。まあそもそもあの館で私を敵視していないのはレミリアさんだけであるわけだが。
紫さんに先に行くように言われて湖面に移った不気味な月に飛び込む。これだけで空高くに見えている月に行けるというのだから驚きだ。飛び込んでも濡れないというのも素晴らしい。
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』この一節は川端康成だっただろうか。今の私に照らし合わせると『星の境界の長いはずのスキマを抜けると海であった』といった具合になる。
地球と月。その間の距離は九万と五千里にもなるらしい。そんな長い距離を繋ぐスキマを通った先は波だけが立っている物寂しい海だった。帰りは恐らくこの海に映っている地球に飛び込めばいいのだろう。外から来た書を読んでいなければあれが地球であると認識できなかったかもしれない。
これが海であるという事も昔地上に棲んでいなければ知らなかったかもしれない。新参の妖怪や最近の幻想郷の人間はそもそも海を知らない可能性すらある。幻想郷に海は無いようだったから。
しかしここの海は昔見た海とはかけ離れている。生命の気配が一切ない。その上風も無いのに波が立っているのだ。地上とはまるで違う、月特有の現象なのだろうか。
ついつい見慣れない場所で考え事をしそうになったが今回私がここに来たのは囮となるためだった。となるとずっとここにいても仕方あるまい。もう少し移動のしやすい地面のある場所に向かうとするか。幸い月の大きさはかなり小さいはずなので海もそこまで広くないはずだ。
あとは適当な方向に飛んで陸地を見つけるだけだ……と何処かで爆発音がした。そちらに向かえば誰かには会えるだろう。しかし地上側の妖怪がいる場所に私が行ってもどうしようもない。できるだけ敵を遠くに引き付けるのが私の役目だ。気にしてはいけない。
しばらく飛んでいると先ほど爆発音が聞こえた方向で目が眩むほどの光が放たれた。あれほどの光量を出せる者は地上にはいない。レミリアさんの天敵である太陽の光に似ていたことから考えても、あれは月側の敵がレミリアさんを倒すために出した光だと推測できる。
やはりあちらに行かなくて正解だった。もし行っていたらあの厄介な人間たちと遭遇してしまう恐れがあった。こちらに誰も敵が来ないのは変な話だが…と思っていたら誰かが来た。明らかに人間の恰好ではなく、妖怪とも異なる力を感じる。
「…止まれ。貴方は一体…」
「何者か、ですか。初対面での挨拶の仕方は何処であっても変わらないようで少々驚いていますよ。…八雲紫の差し金か、ですって? えぇそうですよ。私は彼女に請われてここに来たのです」
目の前の月の民は明らかに狼狽している。当たり前だ。そもそも妖怪にそこまで詳しいわけでもないだろうし心を読むなど想像もしなかっただろう。
だがその狼狽を顔に出すことはしない。またまた厄介な相手を当てられたものである。最悪負けても死ななければいいのだけれど。
「えぇ、貴方が話す必要はありません。言いたいことは全てこちらに伝わってきますから。それに貴方に喋らせれば何が起こるかわかりませんからね。舌禍をもたらす女神、天探女…いえ、稀神サグメとお呼びした方が良かったですか」
高速で何かを考え始めたが表情を見ずとも何が言いたいのかは逐一頭に流れ込んでくる。今回の月襲撃が既に漏れていたことやそれを知らせた八意永琳の手紙の事。月の防衛のリーダーという立場の綿月という姉妹の事もすべてが手に取るようにわかる。
これこそ私がこの能力を忌めども嫌わない理由である。他人にはわからないような思いを知ることができる。言葉を持たない者とも対話することができる。
「八意永琳は貴方たちを嵌めるためにあの手紙を玉兎に持たせた、と言えば信じるでしょうか?……まあ貴方ならそうでしょうね。実際八意永琳にその意図はありませんでしたし。
しかし貴方たちは少しばかり頭脳を頼りにしすぎたのです。その皺寄せが今回の月旅行に当たるのでしょう。月の民が知る八雲紫はもう千年近くも前の八雲紫でありその時の情報を頼りにしている貴方たちは圧倒的に遅れている。そう、遅れているのですよ。技術的にではなく精神的に」
『八意様の頭脳にはあの八雲紫では決して敵わない。何億年が経とうがそれは変わらないでしょう』と心の中で前置きを入れて稀神サグメが話し出す。八意永琳や蓬莱山輝夜と話した時も思ったが、月人というのはどこまでも扱い辛い種族のようだ。
「よく聞きなさい、地上の穢き者。私たちは八意様を信じて今回の対策に乗り出した。今回私は何もする予定ではなかったのよ」
豊かの海にたどり着くであろう人間たちには依姫と戦闘用の玉兎を、八雲紫には豊姫を当てて完結するはずだった、らしい。所々で話すのをやめるのは能力の使用を制限するためだろう。ここで依姫や豊姫の話をしてしまうと月側の計画が失敗になる恐れがあるからだ。
「ですが八意様の手紙には書かれていなかった貴方と言う存在が現れたのです。貴方はいわば八雲紫の隠し玉。八雲紫は月の都を落とそうとしましたし今回もそうしようとしているでしょう。
しかし運命はたった今逆転した。八雲紫は
やってしまった。これでは私が囮としてここに来た意味が無くなるではないか。この女神には何も話させないようにするのが私の役目だったのではないだろうか。となると私はただの無能でありお荷物でしかなかったということになる。
「ならば仕方ありません。少しでもここに貴方を引き留めておきましょう」
「私と戦うというのね。一介の妖怪が相手になったところで結果が変わるとは思えませんが」
これこそ私が無い脳を絞ってひねり出した答え。私を極限まで有利にするための罠。ここから先は私の実力も問われる。と言っても無い実力はどうしようもないので運が大きく影響するだろう。
「油断は禁物だと言われませんでしたか? 想起…恐怖催眠術。
自らの奥底に眠るトラウマを思い出しなさい。想起…高皇産霊尊の還矢」
と言ってもこのサグメという女神は天邪鬼の元となった神霊ということもあって大したトラウマを持ち合わせていない。あとは精神攻撃で折るしかないか。
怨霊などとは違うが霊であることは変わらない。死んで霊になっているわけではないので怨霊を操るが如くするのは不可能だが、ある程度までなら精神攻撃で削ることができるはずだ。
「さぁ、休んでいる暇など与えませんよ。これは様式美を大切にする勝負ではないのですから。想起…天稚彦の怨み」
「くっ」
『なんという妖怪だ。私の過去の記憶からトラウマを引っ張り出してくるなど底の知れない…それにしてもこちらが攻撃する暇すらないというのか』
これはスペルカードルールで戦う決闘ではない。平等という言葉は今ここには通用しない。何故ならばここは幻想郷でもなければ地底でも冥界でもない。手を抜いた者から脱落していく、私にとっては旧地獄よりもよほど地獄で世紀末な場所なのだ。
「考え事をしている暇など無いでしょう。貴方はもう
本来は胡蝶夢丸ナイトメアという八意永琳の技のはずなのだが射命丸さんの記憶が定かではなかったのだ。おかげで元とは少し違った弾幕構成になっているかもしれない。そう言う意味でうろおぼえ。蓬莱山輝夜の金閣寺もあったがここはやはり八意永琳の模倣技の方が効果的である。
少しは精神的に鍛えているであろう者であってもこうも精神を波状攻撃でやられてしまえば砕けてもおかしくはない。まあそこまではいかないように注意はしているのだけれど。
「……まさかこの私が負けるなんてね。それも手加減をされて」
手加減などするはずが無いではないか。何せ相手は私よりも圧倒的な力を持つ神霊。まともにやり合えば勝てるはずが無いから少し賭けに出て、そしてその賭けに勝っただけだ。
構成弾幕を全てイミテーションにしていたのが手加減だと言われればそこまでだが別に私は相手を殺すために撃っていたわけではない。私の役割はあくまでも時間稼ぎの囮役。
「稀神サグメ……いえサグメさん、貴方おっちょこちょいだとか言われたことはありませんか?
……やはりそうですか。今回の貴方の敗因は貴方自身です。本来ならば私にはどうしても勝ち目は無かった勝負なのです。しかし貴方はこの勝負の結果について言及してしまった。
運命は逆転し始めましたがそれが私にとって吉と出るか凶と出るか、それは賭けでした。しかし決まり切っていたはずの勝負の行方が五分五分になったのです」
もし先に攻撃をされていたら勝負の行方は逆に行っただろう。賭博などしたことが無かったが勇儀たちを見ていれば勝ち方の法則は見えてくる。それを応用すればよかっただけだ。
そうは言っても相手の油断なしでは成り立ちもしなかった作戦だが。そう言う意味ではサグメさんの地上の生き物への評価は有難かったと言えるだろう。
『そうか。私が自ら文字通り墓穴を掘っていたというわけなのね。貴方名前は?……そう、今回はさとりの勝ちだったので私はもう貴方をどうする権利も持ち合わせていないわ。でも都に入るというのなら別。そうなれば今度はあの子たちと争うことになるでしょう』
「私の役目はあくまで囮ですよ。可能ならばもう帰りたいのですが」
勝手に帰るのはどうかと思うが流石に疲れた。それに十分時間稼ぎにはなっただろう。私の役目は終了だ。早く帰らないとあの子たちが気づくかもしれないし。
「それならば急ぎなさい。道は閉じ始めています。八雲紫はどうなるかわかりませんが貴方だけならそこに映っている地球へ飛び込めば帰れます
『では古明地さとり、貴方のおかげで地上人の評価を少しは改めようと思えましたよ。変えられるかはわかりませんが。では八意様へよろしくお伝えください』さようなら」
「さようなら稀神サグメ。願わくばもう二度と会わないことを」
スキマを抜けると湖であった。そして湖面の三尺ほど上にいかにも怪しいスキマが一つ浮かんでいた。まったく紫さんには敵わない。私が時間内に一人で帰ってくることまでお見通しだったわけだ。私にとっては月人よりもよほど恐ろしく底知れない。
あちらで会ったのはただ一人だったがもう二度と月には行きたくない。紫さんの計画はサグメさんのせいで失敗しただろうが無事に帰ってこられたので私としては大満足である。
月には高貴なる神々が住んでいるというのは本当だった。天津神だけでなく国津神も含めてあり得ない総合力を持っているのは間違いない。綿月のどちらかと私が遭遇していたら確実に死んでいただろう。今夜の私は賭けに勝ち続けたという事だ。
生きて行くためには実力よりも運が重要になるときがある。運さえよければ私のようにしぶとく生き延びることができるのだ。
でも今日は流石に疲れた。明日からの仕事に支障がないように少し眠りたい気分だ。眠りたいと思うのなど何時ぶりだろうか。少なくともここ一月は無かったような気がする。
運……?
とりあえずサグメ様の能力難しくて正確に理解できる気がしない
さとり様以外の皆さんは原作通り送り返されたり暫く現地に残ったりです