~八雲紫~
山登りをすること数瞬、漸く妖怪の山頂上にたどり着いた。久々にしたが山登りも楽じゃない。あぁ疲れた疲れた。
「なんで紫はそんなに満足気なのさ。あんたのスキマで一気にここまで飛ばしてきただけだろう? 疲れる要素なんて無かったと思うんだけど……あぁでも紫は見た目以上に年食ってるからねぇ」
どの口が言っているんだか。それはお前の事だろうと言いたくなる。そもそも年齢で言えば私も萃香も大して変わらないのだから、見た目以上に年を食っているのは間違いなく萃香の方である。
もう倍以上生きているというのに見た目はあの吸血鬼姉妹と大差ない。流石に精神年齢は段違いだけれどそれだけだ。
「はいはい、そう言うならもう少し労ってもらいたいものね」
「よく言うよ。まだまだ現役のくせにさ。あんたなんて何万年経っても引退している未来が見えないくらいだね。ほんと嫌味だけは人一倍なんだから」
萃香も大概でしょうに。
しかし無限に見える妖怪の時間もそうではない。確実に死ぬときはやってくるのだ。人間が滅びれば妖怪は形を保てなくなり、神は存在意義を失くしてしまう。
生命が滅びれば是非曲直庁の仕事は無くなり閻魔や死神すら消えてしまうかもしれない。永遠を生きられるのは蓬莱人だけ。
万年の後に生きていても億年の後に生きているとは限らない。その時になっても
「誉め言葉として受け取っておくわ。さて行くわよ。竜宮の使いは藍に任せてあるから直接敵の本拠地に乗り込みましょう」
神社を壊したことを後悔させてやらねばなるまい。目には目を歯には歯を、大事には相応の報いを……すなわち死を送ろう。
もはや遊びの範疇では済まされない。それだけの事をしてしまった自分を精々呪う事だ。尤も呪いの類など教えられていないだろうが。
~ ~
退屈だったから、あの鬼ともう一度勝負したかったからという理由で天子は異変という物を起こしてみた。
天界のはるか下にある地上についてはよく知っていた。ごく最近になってからは動きが多かったので見ていて飽きが来なかったらしい。
例えば今回できた緋色の雲のような霧が地上を覆ってしまったことがあった。五月になっても雪が融けないことがあった。何故か地上から一匹の鬼が天界に来たことがあった。何刻経っても明けない夜があった。最近は突然新たな神社がやってきたこともあった。
鬼の急な襲来を除けばこれらの異変の解決には必ず数名の人間や妖怪が関わっていたと天子は知っている。特に気になったのが博麗の巫女と言う人間。
彼女と戦えば少しでも今の退屈が紛れるのではないか、連れだって来るだろう妖怪たちを適当にあしらっておけばきっと満足できるに違いないと思って神社を壊した。神社が壊れれば巫女は出動せざるを得ないからである。
結果は大成功。見事に怒った巫女が釣れ、そこにさらに彼女の友人たちも一緒に釣れた。なるほど天人が釣りをするのにはこういったわけがあったのか、と天子は一人納得もした。
しかし肝心の鬼が釣れない。彼女がまだ強くなれたことを示してくれた鬼。緋想の剣を手にするに至ったきっかけとなったあの小鬼を打倒するまでは終われないと勝手に考えていた。
一応目的の一つである巫女とは勝負できたので形式上天子側の敗北として地上に帰しておいた。神社の再建の責任を持つと言えば満足して帰って行った。天人から見れば下賤な地上の民、扱いは簡単だ。
「あらあらあら、霊夢には見逃されたのかしら。それとも退けたのかしら? 貴方が生きているということはどちらかだと思っておりますが」
小鬼は釣れた。しかし針にかかったもう一匹が釣り針ごと食らわんとしてくる。天子の認識からすればただ地上で威張っているだけの妖怪である。紫は常に周りを警戒しているので地上の観察を以てしてもいまいち実態がつかめていない。
「霊夢というのはあの巫女のことかい? あいつなら適当に負けた演技をすれば帰って行ったわ。しかしなかなかどうして面白くなってきたじゃないの。雑魚を釣って楽しんでいたら想定外の大物が釣れたんだから。でもまずはそっちの鬼からね」
因みに天子はあくまでも比喩で雑魚と言う言葉を使っただけであり弱い者をこう称したわけではない。しかしさとりでもないのだからそれを知る術が紫にあるはずはない。
故に紫にとってはただ単純に地上の人間を貶されたようにしか感じない。それに加えて優先順位は萃香の方が上だというのだから紫はキレてもおかしくはない。
「
「
皮肉を言う紫に対してこの天子の煽りスキルは満点以上である。それに紫の怒るポイントを知らないくせに自然とそこを突いてくるのだから質が悪い。
萃香にとっても紫という爆弾が何時爆発するかわからないのでハラハラである。
「ふん、これだから頭の
わざわざ足りないを強調するのは天子の煽りへの対抗だろうか。普段は大人びている紫だがこういうところで急に子供っぽくなる時がある。妖怪の賢者と言えども見た目は少女。それらの反応も案外見た目相応なのかもしれない。
腹黒天人という紫も十分に腹黒い事はこの場で萃香のみが知ることである。
「な、…………えぇそうよ。うちの神社と地上の神社を結び付けて何が悪いのよ。少なくともあんな信仰のへったくれも無さそうな神社よりは人気が出るはずよ」
何故知っている、と言いかけてやめたのは紫のペースに呑まれてしまうと直感で分かったからだろう。事実は小説より奇なり。こういう切迫した時の直感は経験をはるかに凌駕するほどの恩恵を与えてくれることも珍しくない。
相手のペースに乗せられてしまった方の負けとなるであろうこの状況においては一時の油断も命取りとなり得る。
「
紫が言い終わるや否やいつの間にか巨大化していた萃香が天子に襲い掛かる。事前の打ち合わせなどない以心伝心、千年の絆がなせる業である。
しかし相手も地上から来た刺客を次々といなす程度の実力は持っている。急な鬼の攻撃に驚きつつも当たるようなヘマはしない。
「ちょっと、危ないじゃない! 何? 地上の妖怪は闘いの礼儀も知らない野蛮人ばかりなの?」
「戯け。お前が初めに萃香と闘いたがったんでしょう? お望み通りでいいじゃないか。それに他人の世界の最重要部に傷をつけたような輩に払う礼儀など持ち合わせていないよ。なんといっても私たちは人間にも神にも仇なす者たち……妖怪なのだから」
天子がこの時ほど何かに恐怖したのは後にも先にも無いだろう。
紫から放たれる得体の知れない雰囲気から来る潜在的な恐怖。人間を超越し、天人と為っても根本的には拭い去れていなかった妖怪という物へ原初の恐怖。
好奇心は猫をも殺すとはまさにこのことか。自分の好奇心によって幻想郷に喧嘩を売り、現在はその地の管理者である紫を前に恐怖で動けなくなっている。
「釈迦の掌の上で踊りたくなければ仏陀となり同じ土俵に立つことね。それができないからお前たち天人は非想非非想天で満足してしまうのよ。そこで足りていると思い込むから釈迦でない者の掌の上でも同じように踊ってしまう。
お前はもう逃れられない。自分の罪を理解できていないから。死ね、そしてやり直せ。今度は高慢な天人ではなく一介の人間として謙虚に生きる努力をすることね」
紫が天子に向かって右手を掲げる。その手を横一閃に振るえばたちまち天子の身体は真っ二つとなるだろう。境界操作の前には鋼の肉体も意味はなさない。
……しかし紫の手は動かない。天子は恐怖で動けないのに何故?
「これはどういう事かしら……萃香。私の幻想郷に手を出した。それも遊び感覚で。こいつは処されて当然の事をしたのよ? 貴方は幻想郷の住民ではないから……」
「まあ黙って聞きなよ、紫。確かにこいつは幻想郷にとって致命的ともなり得る異変を起こした張本人だ。それに確かに私は幻想郷に棲んではいないが、友人が苦労して作った箱庭であることは分かっているさ。私だって普通なら激昂すべきなんだろうね。
でもよく思い出してみなよ。こいつが異変ごっこをやりたがったのは暇つぶしの意味も勿論あっただろうけど、私と再戦することも目的の一つとしてあったはずなんだ」
萃香が紫の腕を持って止めていたのだ。萃香とてこの天子をかばう理由があるわけではない。最終的には地底に帰ったが幻想郷も気に入っていないわけではない。
「それに殺すのは流石に拙いだろう。天人を殺すのは死神の仕事。紫もあの閻魔から余計な説教は聞きたくないだろう? だからここは私に任せて紫は帰りな。私がもう一度こいつを伸して、それで今回の異変は終わりにしよう。なぁに、神社の再建は終わるまでは地上に残っておくよ。古明地にもそう伝えてきてくれ。ほら行った行った。紫が何処かに行かないと全力を出せないだろう?」
「興が削がれたわ。お前は萃香に感謝することね。でもこれだけは分かっておけ。次幻想郷に害を及ぼすようなことをした暁には……問答無用で殺す。覚えておきなさい」
そう言って姿を消す紫。ありきたりな捨て台詞も言う者の立場が違えば重い言葉に聞こえるものだ。幻想郷対天子は幻想郷に軍配が上がったことになる。
ここで紫が手を下さずに引いたのは偏に萃香の説得があったからだ。普段は脳筋とも言われそうな台詞が功を奏した形になった。
「ふ、ふん。えらそうな奴だったわね。それであんた、スイカとか言ったっけ? 感謝なんてするわけないでしょ。あんな奴私一人でも十分に対処できたんだから。
でもあんたが残ってくれたのは好都合ね。思う存分前回の借りを返してやるわ!」
「その意気やよし。傲慢な天人はそのくらいの方が良いってもんさね。さ、どっからでもかかって来なよ。残念ながら手加減はしてやれないけどね!」
直後轟音が天界の浮島に響き渡った。何も知らない天人たちは死神が予想よりもかなり早く来たのだと思って焦ったんだとか。
地底に帰った萃香の話を聞いて勇儀が羨ましがったのはまた別の話。
徐々に口調が荒くなる紫様
展開を速めるために緋想天は一日で完結です。落成式なんて(でき)なかった
萃香と天子の勝負の結果はご想像にお任せします。結局はどちらにとっても暇つぶしでしかないので勝敗は二の次だったんです
今回は注釈が多くなってしまって申し訳なかったです
単なるオマケとして価値しかないですが注釈には書かなかった無駄知識をば。『
大半の人にとってはどうでもいい事でしょうけど
天子のモデルが孫悟空だということなので、ここでもそれにかなり寄せました
サブタイトルの猿は勿論天子の事です。釈迦役が紫様。途中から天子が動けなくなっているのは紫様の術中にはまった = 掌の上で踊らされているから
さるかに合戦を基にした話を紫様が出していますが、あれは
すなわち萃香は臼ではなく悟空を閉じ込める五行山役だったということです
この説明が無ければ訳の分からない箇所も多かったのではないでしょうか
これを考慮して読み返すとまた違った見方ができるかもしれません。時間のある方のみどうぞ