【忍殺実況】ヤモト・コキ育成計画.mp0【完結】 作:いらえ丸
真の友愛においては、私は友を自分の方に引き寄せるよりも、むしろ自分を友に与える。
――ミシェル・ド・モンテーニュ。
パチパチッ、パチパチパチ……。木組みで覆われた小さな小屋に、薪の爆ぜる音が響く。時に強く、時に小さく、不規則な、それでいて人を安心させる音。音源の傍、絶えず燃える囲炉裏の火に向かってドゲザする丸い影があった。ドゲザとは、日本において最も屈辱的な動作であるが、影の主の姿勢には一切の躊躇いがなかった。
ボウ、と囲炉裏の火が強まった。偉大なる火は下げられた少女の頭を煩わしげに見下ろした。偉大なる火には意思があり、畏怖があった。「みっともない、顔をお上げ」火はしわがれた、けれども威厳のある声で言葉を発した。何気ないその言葉には、得体の知れない力が宿っているように、少女――アヤメ・ユズリハは感じ取った。
アヤメはドゲザ姿勢を解き、真っすぐ囲炉裏の火を見つめた。その髪は黒く、双眸もまた黒い。半神を宿さぬ少女は、あまりにも脆い存在となっていた。それもそのはず、この木組み小屋はアヤメ・ユズリハのローカル・コトダマ空間なのだ。自身の心の中で、虚飾に紛れられる訳もなし。
「哀れなモンだねぇ、アンタも、あの子も」囲炉裏の火は同情的に、されど何処までも上からモノを云った。あの子、と聞こえた時、アヤメの瞳が揺らいだ。「復讐だの何だの、アンタが決めてアンタが成すべき事じゃないのさ。それを、今になって儂に何とかしてほしいと来たもんだ」アヤメは何も応えない。ただ真っすぐと偉大なる火を見ている。
「お断りだよ」火は冷たく言い放った。フン、と鼻を鳴らすように火勢が増して小さな火の粉がアヤメの頬を過った。アヤメは膝上の手を強く握り、目を伏せ、云った。「……それでも、私にはもう、何もできないから、仇を……お父さんとお母さんの仇を討ってください……!」アヤメは再度ドゲザした。
「甘ったれんじゃないよ!」炎が爆ぜ、威厳ある火はドゲザするアヤメを一喝した。「アンタが始めた復讐だろうが! ニンジャのイクサを舐めるんじゃないよ! 勝てば奪い、負ければ奪われる、道理だろうが!」アヤメは恐ろしい恫喝を前にドゲザ姿勢のまま身体を震わせ慄いた。アヤメ・ユズリハの心は愛により育まれ、優しい心根を持つに至ったが、マッポーの世を生き抜けるほど強い心を持つ事はできなかったのである。
「それでも、お願いします! 貴女しか頼れる人がいないんです!」恐怖に耐えつつ、アヤメは懇願した。その両目からは無自覚に涙を流していた。「くどい!」囲炉裏の火が一喝した。「お願いします!」アヤメは人生で一番の大声を上げた。「礼儀のなってない子だね! 親の躾はどうなってんだい!」「お願いします! どうしても、どうしてもアイツを……!」「ダマラッシェー!」
恐ろしいニンジャスラングが解き放たれ、震えていたアヤメの身体が更なる恐怖により静止した。暴虐なる火は怒りの感情を露にして猛った。「復讐は成らなかった! アンタは負けて、死んだ! これもインガオホーさ、受け入れな!」アヤメの胸中に混沌とした感情が渦巻き、セイシンテキをかき乱した。「奴は強かった、アンタは弱かった! ショッギョ・ムッジョさ!」我知らず、アヤメの手は強く拳を作っていた。イクサの為ではない、幼い感情の発露の為だ。「カラテが弱い! ジツが弱い! アンタの心には芯が無い! アンタも、あの子も、強者の前では死んで当然の弱者に過ぎないのさ!」歯を食いしばる。瞼をきつく閉じる。肩が震えて、胸から何かが飛び出そうだった。
「そうだ! 悔しいだろう! 憎いだろう! けどね、古今東西、弱者ってのは何にも成せないんだよ! アンタの復讐は! どだい無理な話だったって事さ!」アヤメは荒い息を吐いて床を睨みつけた。その目には涙はなく、紅く強い光を湛えていた。「私は……!」アヤメは心中を吐き出すように吠えた。だが、続く言葉が見つからず、歯を食いしばった。「仮にもニンジャだろ! 言いたい事があるなら、押し通しな!」ブワリと火が伸びあがって人型を形取った。同時、ダン! と床を殴ってアヤメが立ち上がった!
小さな少女と、大いなる火神が睨み合う。先に口を開いたのはアヤメだ。「いいから! 力を貸せ!」「アンタの為に? はっ、ゴメンだね!」「うるさい! 貴女は私に憑いてるニンジャソウルでしょ! 主のいう事を訊け!」「何たる我儘!」「うるさいバカ!」「バカハドッチダー!」口論はやがて罵り合いになり。両者は感情をむき出しにして吠え合った。
「アイツを殺さないといけない!」
「アンタの事情だろ! 知った事じゃないね!」
「インガオホーせねば! お父さんとお母さんに顔向けできない!」
「建前を言うんじゃないよ!」
「本心だよ! 本気で、殺す気だ!」
「本気なものか!」
「本気だ!」
「だったら! 何故他人を巻き込んだ!」
「それはニューロンの声が!」
「従ったのはアンタだろう!」
「正解だと思ったから!」
「正解も何もあるかい! 自分の選択さ!」
「利用できた! 上手くいってた!」
「心にもない事を言うんじゃないよ!」
「事実だよ!」
「嘘さ! アンタはアンタ自身に嘘つきなのさ!」
「黙れニンジャ!」
「黙らないよ、アンタを黙らせるまではね!」
「ザッケンナコラー!」
「子供か!」
「子供だよ!」
「子供だってんなら! 本音だけ言いな!」
「言ってる!」
「言ってない! アンタ怖がりだからね!」
「もう違う!」
「違わないね! 本気で、本音を言えないんだ!」
「何を!」
「本心を言えば嫌われるって、怖がってるのさ!」
「普通の事でしょ!」
「ニンジャに普通が当てはまるものか!」
「私は……!」
「ニンジャだろ!」
アヤメは喉奥に締まる感覚がして返す言葉を失った。威容の火は勢い込んで云った。「ニンジャなんてのはエゴと暴力で出来てんだ。それをどう使うかなんてのはそいつ次第、そこには善も悪もない。儂は儂の殺したい奴を殺して、守りたい奴だけ守って、それから死んだ」肩を震わせるアヤメを前に、偉大なる火神はアークボンズめいて云った。「ホントの事、言ってみな」
アヤメは何かを言いかけ、止めた。俯いて、息を吐き、肩を落とした。火は黙ってそれを見ていた。やがて、アヤメは小さな声を漏らした。「ヤモト=サンに、死んでほしくない……」火は何も返さない。アヤメは全身に力を込めて。精一杯に火神を見返した。目と目が合う。両親を失い、復讐に敗れ、小さく弱い怖がりな少女は、今度こそ本心を明かした。
「トモダチに生きててほしい。死んでほしくない。幸せに、なってほしい……!」
「そうかい」偉大なるニンジャが呟くと、アヤメの頭に暖かな熱が乗せられた。それは敵を焼くカトンの熱ではなく、我が子を撫でる母の手の暖かさだった。「疲れたろう、あとは儂に任せな」瞬間、空間に淡い光球が浮上し、ゆっくりと舞い上がっていった。アヤメの身体が光に呑まれ、静かに消えていく。「お父さん、お母さん、叔父さん、ごめんなさい……。私は、親不孝な子供です……」その指先に、わずかな火が触れた。
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哄笑が響く。空虚が過る、ロウソクめいて頼りない火が鬼と少女を囲んでいる。ヤモトは死したメンターの残滓を守るように温もりの火を庇った。いっそう、ラバーズの笑みは深くなった。
思春期の精神が揺らぎ、ヤモトのニンジャ性が浮かび上がる。桜色キリング・オーラがヤモトの全身を包みこみ、己自身を傀儡に立ち上がらんと全身全霊を傾ける。「くはははは! いいねェ! カワイイねェ! まるで初めて立とうとするアカチャンみたいじゃないか!」コイツを、殺す、新たな復讐者が誕生する、その時である!
ドクン、とヤモトの手にある温もりが胎動した。ドクン、ドクン、再度胎動。その度、掌中の熱は強くなっていった。サクラが散り、ヤモトは唖然となって温もりの火を開放した。ラバーズは踏み出しかけた足を制し、無自覚に息を呑んだ。第六感が告げる、今すぐ逃げろ。だが、その火の揺らめきはあまりにも美しかった。
伝承に曰く、アペ・ニンジャはクランのニンジャには優しい性格であったという。伝承に曰く、アペ・ニンジャはクランを害する者には苛烈なカラテを以て応じたのだという。そして、伝承に曰く、囲炉裏の火とはすなわちアペ・ニンジャの分身であるという。で、あるならば……!「レイズ=サン……?」ドクンドクンドクン、やがて小さな種火は炎となり、神を生んだ。
ボウと膨らんだ炎の輪郭が崩れ、見る見るうちにひとつのシルエットを形取った。炎の繭が解ける。それは少女だった。白く長い髪は新雪のようであり、その身体は大人と子供の境目を往く。やがて炎は衣と成り、少女の憧憬を形にした。着てみたかったセーラー服、探偵めいてイナセなトンビ・コート。炎に揺れる真っ赤なマフラー。
コートの裾が翻る。少女はヤモトに背を向けたまま、強敵へと相対した。パンと柏手ひとつ。炎の化身は、奥ゆかしくオジギした。「ドーモ、リレイズです」BOOOOOM! リレイズの後方、ヤモトの背のさらに後方爆発炎上! 少女の願いを聞き入れた、神話級気まぐれ暴虐ニンジャのエントリーだ!
「ドーモ、リレイズ=サン、ラ……プリンシパルです。君は殺したはずだが、何故生きている?」「フン、自分で考えな、アンタもニンジャだろ」リレイズは冷たく言い放った。言うが早いか、足元のバールを二本拾い上げ赤熱化、瞬く間にアメ細工めいて溶接し一本のアペ・ボーを形成した。「ジゴクに送ってやるよ」ガウン、ガウン、振るわれるボーには熟練のカラテが充実していた。
「イヤーッ!」消耗が激しい、プリンシパルは短期決戦狙いで初手から遊びなく黒色矢羽根を投擲。「キエーッ!」リレイズは古風なカラテシャウトを伴いボーを一閃。BOOOM! 向かい風めいたカトン・ジツが迫りくる矢羽根全てを焼き払った! その時、プリンシパルは直感した。死ぬかもしれない、と。
「イヤーッ!」プリンシパルはありったけのスモークグレネードをぶちまけた。瞬間、謹製の目くらましが濛々と煙を巻き上げた。プリンシパルはニンジャ野伏力を駆使し未だ火を燻らせる機材に身を隠した。煙幕を振り払い、リレイズは薄く笑んだ。「ナルホド、判断が早い。お利巧だねぇ、だが……」BOOOOM! 背後に熱! 振り返るプリンシパルの眼前に、炎で作られた巨大クマが立ち塞がる!「フーリンカザンは掌握済みさ」
煙幕の向こうではプリンシパルが炎の獣達と戦っている。リレイズはゆっくりと振り返り、呆然と見上げるヤモトと視線を合わせた。しばし、無言。ヤモトは口を開きかけたが、リレイズが遮った。「トモダチだって、あの子は言ってたよ」ヤモトは唇を噛み、涙を堪えた。強く、強く拳を握ろうとして、未だ麻痺毒が抜けていない事に気が付いた。「悔しいかい。だったら、生きなきゃね」リレイズはヤモトの頭を撫でると、またも背を向け小さくせき込んだ。掌の血は火に変わり、リレイズはカラテを漲らせ、跳んだ。
天井近くまで飛び上がったリレイズは重力の狭間で想う。ヤモトの事、蘇ってしまった自分の事、そして薪になって燃え続ける少女の事を。フッと嗤って、リレイズは今世もニンジャらしくやる事を決断した。「セルフタキギ・ジツ!」ボウ! リレイズの身体に炎が猛る! カトン・クマを退け見上げるプリンシパル。彼女の視線の先で、炎の神が牙を剥いた。
「キエーッ!」KABOOOOOM! カトン加速により振り下ろされたボーが地下室の床を爆砕陥没! プリンシパルは寸前で回避したが、姿勢が崩れて次のカラテが整わない。対するリレイズはボーを突き立て上を取る。カカトをカトン加速しコマめいて回転!「キエーッ!」「ヌゥーッ!」プリンシパルのクロスガードに強烈なカトン・キックが叩き込まれた!
リレイズは火の円弧を描いて着地し、プリンシパルはガードの衝撃に地を擦って後退。「イヤーッ!」プリンシパルの矢羽根投擲! その数およそ六十! 精密さを捨てた圧殺弾幕!「コォーッ!」迫る矢羽根を眼前にリレイズは鋭く呼気ひとつ、「キエーッ!」BOOOOM! 大炎上! プリンシパルの視界を埋める規模のカトン・ジツを放出した! 矢羽根弾幕即炭化!
構えるプリンシパル。右に気配!「イヤーッ!」カトン・スリケン迎撃! 左に気配!「イヤーッ!」カトン鞭迎撃!「イヤーッ!」背後の気配に先んじて、プリンシパルは黒矢羽根を突きいれた! 火影が爆ぜて人型が崩れる、手応え……なし!「キエーッ!」「ンアーッ!」プリンシパルの横腹に強かボー打突!
衝撃を逃がすべく反対方向にゴロゴロ転がるプリンシパルは、立ち上がると同時に患部を注射治療した。血中に流れ込む薬物効果により、プリンシパルの非凡なニンジャ思考力が加速する、正答を導く寸前、リレイズが口を開いた。「カトンゲン・ジツさ。勉強になったろ、ワッパ」リレイズは赤熱ボーを振り回してひしゃげた武器を鍛え直した。即席ボーはアペ・カラテには脆すぎる。「これはご丁寧にドーモ……」応えるプリンシパルは静かにジュー・ジツを構えた。「お陰でイクサを思い出せました」
瞬間、両者は同時に踏み出した。彼我の足元にクレーターが生まれ、コンクリ片が舞い上がる。地を翔ぶプリンシパルが黒色矢羽根を投擲せんとした時だ、リレイズは後ろ手に炎紋を描いた。「キエーッ!」短い発火を伴いリレイズの姿が掻き消え、再度の発火と共にプリンシパルの背後に出現!「ンアーッ!」機をずらされ振り返ったプリンシパルの鳩尾に強かボーが突き刺さる!
「イヤーッ!」痛みに耐えニンジャ筋力任せにボーを掴んだプリンシパルがチョップ突きを仕掛ける。リレイズはあっさりボーを手放し潜り込むように懐へ!「キエーッ!」「ンアーッ!」リレイズのワン・インチ・ポムポムパンチ!「キエーッ!」「イヤーッ!」なおも耐えるプリンシパルの反撃にリレイズはネックカット・チョップで応じ、攻防一体のカラテが両者の間で擦過する!
リレイズのカラテは実際軽い。だが、それを補って余りあるほど鋭利なワザマエが致死のイクサを長引かせ、焦らせる。気を抜けば、死だ。「イヤーッ!」「キエーッ!」大振りのカラテは確実に返される。ならばと細やかなカラテ攻防ではいずれ破られ殺される。プリンシパルは超高速イクサ攻防の合間に、あえて俯瞰したマルチタスクを走らせ、その卓越したニンジャ観察力で以て、視た。カラテの引手の最中、隠した口の端から覗く僅かな血とそれを焼く炎!
「キエーッ!」リレイズが足元のボーを蹴り上げ奇襲!「イヤーッ!」肘迎撃!「キエーッ!」掴み上げたボー振り下ろし!「イヤーッ!」クロスガード!「キエーッ!」カトンサマーソルト・キック!「イヤーッ!」ブリッジ回避!「キエーッ!」空中背面アペ・スリケン!「イヤーッ!」メイアルーアジコンパッソ迎撃!「キエーッ!」踏み込みからのボー打突!「イヤーッ!」掴んで受ける!「キエーッ!」ボー先端からカトン!「ヌゥーッ!」後退しつつ耐える!
「スゥーッ! コォーッ!」厳かに呼吸を整えるリレイズだったが、その額には一粒の汗が流れていた。汗は滴り落ちると同時にカトン蒸発!「ハァーッ! ハァーッ!」プリンシパルとて無事ではない。装束の至る所が焦げ、身体数か所に重度火傷。そんな中、プリンシパルは勝ちを確信した。防御だ、防御あるのみ。リレイズは現在、自滅に近いジツを使用しつつ、何らかの時間制限で徐々に肉体を維持できなくなっているのだ。リレイズはとうとう見抜かれた事を察し、あえて笑った、なればこそイクサは燃えるというもの。
「キィエェーッ!」烈火の如く! リレイズは残る薪を総動員して決死の攻勢を仕掛けた!「イィヤァーッ!」激流の如く! プリンシパルはマントを投げ捨て全力の守勢を断行した! 両者、激突!「キエーッ!」ボーが唸り。「イヤーッ!」チョップが奔る。
「キエーッ!」「イヤーッ!」「キエーッ!」「イヤーッ!」「キエーッ!」「イヤーッ!」「キエーッ!」「イヤーッ!」「キエーッ!」「イヤーッ!」「キエーッ!」「イヤーッ!」「キエーッ!」「イヤーッ!」「キエーッ!」「イヤーッ!」「キエーッ!」「イヤーッ!」「キエーッ!」「イヤーッ!」
おお、ゴウランガ! ゴウランガ! 何たる命と命をカンナめいて削り合う壮絶に過ぎるカラテ攻防か! 流麗にして苛烈、リレイズの洗練されたアペボー・ジツが対手を焼き殺さんと躍動し、プリンシパルのなりふり構わぬカラテ・ガードが絶対に死ぬるものかと己が身を守る! まさに必殺! まさに必生! かの哲学剣士がこの光景を見れば如何なるハイクを読む事だろう! 相反する二人の闘志のぶつかり合いは、もはや極小規模の神話大戦!
「キィエェーッ!」プリンシパルの防御に隙! ボーを振り上げ、脳天目掛け振り下ろす!「ヌゥーッ!」首を捻って肩口で受ける! だが狙い通りだ、プリンシパルは素早く引かれたボーに追いすがり掌握! 突然の攻勢に虚を衝かれたリレイズが振り払おうとするも一手遅く、「イヤーッ!」全握力で以てボー破壊!「イヤーッ!」そのまま身体全体でボディチェック!「キエーッ!」素早くボー・ジツを切り替えたリレイズは大きくバックフリップし、「ゴボーッ!」着地と同時に吐血した。
零れる血を拭い、カトンの薪にするリレイズに対し、崩れ落ちそうになるも立ち上がったプリンシパルは高らかに哄笑した。「ンー! 素晴らしい! 美しい! アー、たまらない! 貴女は本当に、本当にキレイでキレイで! アー! 我慢できない! 今すぐ殺したい! 殺すゥ!」プリンシパルはよろめきながらも右手を引いて必殺の構えをとった。「スゥーッ! コォーッ!」対するリレイズは、凄絶な笑みと共に最後のアペ・カラテを構えた。
須臾、静寂。両者の間に極限の緊張感が張り詰め、聞こえるのは互いを殺すに必要な聴覚情報のみ。その中で、呼吸の音が大きく響く。ジリジリと堅い床を擦る足底。彼我の距離を詰めていく。秒針を刻むように縮む両者の命は、やがて必殺の間合いに入った。カラテ掌握領域圏内、さらに詰めていく。タタミ三畳、二畳、一畳……!
――カラテシャウトは遠く、あまりに遅い。プリンシパルは最短で左チョップ突きを放った。リレイズはカトン加速した裏拳を放った。擦過、無痛、第二破が来る。リレイズは右手に炎を滾らせ、突き出した。プリンシパルは掌を突き出し、左手を引いた。カトンが解き放たれる瞬間、リレイズは――敗北を悟った。
時間間隔が伸びる。リレイズの蓄積カラテ演算はプリンシパルの第三破を予期し、不可避の死を視た。経験により研磨されたリレイズのアペ・カラテは、最新のカラテに攻略されたのだ。リレイズは熟練ニンジャらしく、潔く死を享受しかけ、取りやめた。それではあまりに格好が悪い。(((そんなの、ゴメンだね……!)))ここにきて、リレイズは一歩を踏み出した。
それは、その武道における初歩的な、されど高等な技術であった。だが、習いたてのニュービーでも、熟練のタツジンでも試合中には必ず用いるであろう、初歩にして真なる奥義であった。リレイズは手中の火をかき消し、ほんの半歩スリ・アシ前進した。その選択はプリンシパルのカラテ演算を狂わせ、致命のカラテを掻い潜る結果を残した。プリンシパルの懐に小柄なリレイズの身体が潜り込み、次なるワザを開帳した。
掌打一撃、右腎破壊。掌打二撃、左腎破壊。三撃、右肺。四撃、左肺。ほんの刹那の間に放たれたソレは、あまりにも非人道的なカラテであった。凡そ敬意と尊敬と人間味を投げ捨てた者にしか体得を許さぬ、殺人技巧の極致であった。リレイズの右腕が弓めいて引き絞られる。狙うは、命。
コッポ・ドー奥義、ダーカイ掌打である。「キィエェーッ!」「アバーッ!」パァン! と水袋を割ったような快音。リレイズの掌打がプリンシパルの心窩に突き刺さった。「アバ……アババ……!?」掌が離れ、プリンシパルは数歩後ずさり、よろめき、倒れた。肉体に打ち込まれたカラテ振動破がその身を苛み、激痛と共にジワジワと命を削り取っているのだ。「ア、アバ……!」痙攣するプリンシパル。白目を剥き、身体の穴という穴から体液を垂れ流している。死ぬまで、死んでも、もがき、苦しみ、醜態を晒し続けるのだ。インガオホーである。
ザンシン姿勢のリレイズは、数度肩で呼吸をし、崩れ落ちた。「レイズ=サン! レイズ=サン!」ヤモトは這い寄り、リレイズの顔を覗き見た。その美しい相貌には、死相があった。「レイズ=サン! ダイジョブ!! ダイジョブだから!」ヤモトはリレイズの容体を改めるも、どのようにすれば良いのか分からなかった。優秀なメンターは、ヤモトに救命技術を教えていなかった。「レイズ=サン!」
見る見るうちにリレイズの生命力が失われていくのが分かる。毛先から徐々に、白く長い髪が黒くなっていく、装束たるトンビ・コートが解け、女子学生服が露になった。震えるヤモトの視界に、ゆっくりと瞼を持ち上げるリレイズが映った。ヤモトの胸中に僅かな安堵が広がるも、その唇から漏れた弱々しさがヤモトの安心を許さない。「……弟子、なんだろ」
「何!?」ヤモトはリレイズの唇に耳を寄せた。弱く、薄い、死する寸前の病人の声。風にかき消されるような音量で、メンターは最後のインストラクションを授けた。「火を……風に揺れる……木々めいて……。静かに、ゆっくりと……種火を、育むように……」リレイズは瞼を閉じた。呼吸が止まる。長い髪が、黒に染まった。
「ああ! レイズ=サン! ナンデ!? アタイはまだ! 嫌ぁあああ!」ヤモトはリレイズだったモノに縋り付き、涙を流し絶叫した。その時、ヤモトはニンジャではなくなっていた。強くあろうとするだけの、いち女子高生に。ニンジャの証のスカーフメンポが解けて消えた。
だからこそ、遅れて気が付く事になった。ゆらりと立ち上がる影に。足を引きずり、息を吐き、死したフリをした狡猾なニンジャに。「良いねぇ、良いねぇ! アハ! 凄く良い! これはブッダが遣わした私への贈り物だぁ……!」プリンシパルだ。全身の骨という骨は機能せず、内臓のほとんどを失ってなお、彼女は生き永らえていた。シニフリ・ジツによって、往生際悪く必死のイクサを凌ぎ切ったのである。
見下ろすプリンシパル。見上げるヤモト。プリンシパルは懐から最後の黒色矢羽根を取り出し、手ずからヤモトの命を絶たんと迫る、「さあ、そのお顔をもっと見せてごらんよ……」麻痺毒により動けぬヤモトに致死毒の矢羽根が向けられる。ヤモトは恐怖で強く目を瞑った。プリンシパルの口の端が限界まで持ちあがる。
ザイバツ・シャドーギルド所属ニンジャ、プリンシパル。彼女は自身の治療より先に快楽を優先した。その時、プリンシパルはニンジャではなくなっていた。美しい少年少女を狙う殺人鬼。自身の快楽の為にのみ生きる狂人。獲物を前に舌なめずり、プリンシパルはここで人生一番の絶頂に達した。
だからこそ、気が付くのが遅れたのだ。
BLAM!「ンアーッ!」側面から銃撃! 咄嗟にガードした手から猛毒矢羽根が落ちる! BLAM!「ヌゥーッ!」片腕ガード!BLAMBLAMBLAM!「ンアーッ!」正確な射撃がプリンシパルのガードを緩ませ、両肩を撃ち抜いた。「イヤーッ!」決死の踏み込み、だが遅い。BLAM!「ンアーッ!」古い銃から放たれた、最後の銀の弾丸が、半神の心臓を貫いた。プリンシパルは数歩後退し、自身の心臓を抑え、呆然としたマヌケ顔を晒した。そして、ハイクを詠む間もなく、「サヨナラ!」しめやかに爆発四散した。
ヤモトが銃声の主を見る。それは薄汚れた中年男だった。銃を下ろし、歯を食いしばり、男は震える声で呟いた。「これでおしまいだよ。アヤメちゃん、復讐は……俺が片ァ付けたから……」男はヤモトの方を見た。否、その腕に抱かれ眠る姪の顔を。「あぁ……」男は涙越しに天井を見た。
「ナンデ、こう俺はノロマなんだろうなぁ。ナンデ、いつもこうなっちまうんだろうなぁ……」男はよろめくようにアヤメの元まで歩み寄ると、涙を流す瞳で姪の死に顔を眺めた。「君は……?」男がヤモトの方を見ずに云った。抜け殻めいた声だった。ヤモトは反射的に応えた。「トモダチです!」
「そうか、トモダチか……」抜け殻の男――シモムラは嬉しそうに口の端を歪めた。息を吐き、俯き、呻くようにつぶやいた。「アヤメちゃんはさ、嬉しかったと思うよ。君みたいなトモダチが出来た事、一生の宝物だったと思う。ありがとうなぁ……」シモムラはアヤメを見て、そのニンジャ装束を見て、衝動的に自身のこめかみに銃口を押し当てた。引き金を引くと、カチッと弾切れの音が鳴った。「ははっ……」
「だめッスよ。姪っ子ちゃんの前で自殺なんかしちゃあ」新たな声。声の主はスシ・パック片手にシモムラに近づき、その手からリボルバーをかすめ取り、ポケットに入れた。「残弾管理をインストラクションしてくれたの、シモムラ=サンでしょ」食いしん坊マッポ――エノスケはそう言って、タマゴ・スシを頬張ろうとして、ふとヤモトを見た。「お腹すいてる? 食べるッスか?」エノスケの思考回路は凡そまともな人間のソレではない。だからこそ、すぐまともでない状況に適応する。故に、この状況でこんな発言が飛び出るのである。
だが、それこそが全てをひっくり返すキーになった。瞬間、ヤモトのニューロンにレイズとの思い出が閃いた。それはヤモトに宿るニンジャソウルが引き起こしたのか、ヤモトの中の人間性が無意識に引き起こしたのか。兎も角、ヤモトは一瞬にしてレイズとの全ての思い出を振り返っていた。
スシ、ドージョー、インストラクション……。「スシは消耗したHP・スタミナ・血中カラテを回復させるのに最良の食べ物です。トレーニングの前後にコレを食べると、効率がうま味? ……です」いつも食べていた、スシの味。作ってくれたクレープの味。お祝いの時の、ピザの味。
カラテ、ジツ、インストラクション……。「私とヤモト=サンのジツは、使うと血中カラテを実際多く消費する。私にはこの呼吸法があるけど、ヤモト=サンは別の対策が必要。つまりはカラテです、カラテあるのみ」並んで重い物を持った。並んで木人形を叩いた。並んで、買い物をした。
鍛錬。呼吸、インストラクション……。「私の呼吸は、血中カラテを回復できる。理由ですか? エート、知らなぁ~い。……いえ、嘘は言ってません」カラテの鍛錬。礼儀作法にショドーにザゼン。全て、苦しく辛かったが、二人だったから楽しかった。
「火を。風に揺れる、木々めいて……。静かに、ゆっくりと……種火を、育むように……」そうして、ヤモトの内なるソウルは新たなワザを認め、編み上げた。それはニンジャからニンジャへ、あるいはメンターからアプレンティスへ、脈々と受け継がれるニンジャ・ミームの継承。あるいは暴虐ニンジャのほんの気まぐれ。
あるいは、友達からの最後の贈り物。
ヤモトは決意した。この日まであった全て、あの子――アヤメとの思い出、カラテ、ソウル……全てを種火に。トモダチの為に全てを賭ける!
女子高生ニンジャ、ヤモト・コキは、トモダチの事を想い、一心に、惑いなく、見返りを求めず、奥ゆかしく、「スウーッ! コォーッ!」友達の為に、呼吸を整えた。
「ビヨンド・ザ・ウォール」終わり。
エピローグに続く。