既に朝のせりを終え、昼時にもまだ早いとあって、人がほとんどいないとある漁港。目につく車は大半が白い軽トラックの中、一目で外国産とわかる焦茶の大型ピックアップトラックが、1台だけ堤防横に停まっている。その荷台には、持ち主らしき腰まで伸びた藍色の髪に、黒ぶち眼鏡の女性が積んでいるクーラーボックスに座り、かなり困惑した様子で手元のスマートホンを眺めていた。
「……こっちは合わせる顔がないって、わかってはいないんだろうなあ……」
スマートホンをポケットにしまい、眼鏡を外してため息と共に顔を手で覆い、俯く女性。しばらくは海鳥の声と波の音を聞くようにそのままだったが、不本意ながら決心したかのように顔を上げると、左の眼には空虚な彼女の心情を現すかの如く光がなく、闇が広がっていた。
「?……あ、やっべ、取れてら」
即座に左目の異常を感じ取った女性が、同じく違和感のある手元を見ると、そこに転がっていた義眼を慌てて眼窩に嵌め、パチパチと数度調子を確かめるように瞬きをしてから、運転席へと乗り込む。
「はぁ……せめて私が相手だって『いっくん』にバラされてなければ、気づかれないように変装を念入りにしとけばまだ楽でいられたんだけどなぁ……初めて会った時もだけど、『
実質的な決定事項を一方的に突き付けられ、未だに決心は着かずにいたが、ひとまずこの場でウジウジするのはやめたようで、車を発進させ、帰路に着く。しばらくして到着したのは、周囲を生垣で囲われた少々古めかしくも大きな民家で、その裏には大きな蔵も2つ並んでいる。どうやらここが彼女の自宅らしい。向かって左の蔵の前に車を停め、荷台から取り出したカートにクーラーボックスを降ろしていると、直前まで畑仕事をしていたのか、じょうろとスコップを手にした少女が駆け付ける。淡い水色のワンピースに、腰まで伸びる美しいプラチナシルバーの髪は幻想的だが、それよりも目の周りを覆い隠す、ゴーグルのようなサングラスの方が目立つ。
「お帰りなさいませ束様。これを片付け次第、お手伝いしますね」
「ただいまクーちゃん。じゃあ荷台のボックスに食材が入ってるから、そっちの中身を冷蔵庫に入れといてね。私はこっちをセッティングしとくから」
「わかりました」と返事をするクーちゃんと呼ばれた少女――クロエ・クロニクルを見送り、クーラーボックスを載せたカートを押し、蔵へと入っていく女性――世界中が血眼になって探す篠ノ之束は、地方の田舎とあって格安で売りに出されていたこの民家を拠点に、クロエと2人で暮らしている。
扉を開けた蔵の中で広がるのは、中に何匹もの魚が泳ぐ、複数の水槽。小さな水族館を思わせるその1つの前にクーラーボックスを降ろし、蓋を開けて中で泳ぐ魚の様子を確認すると、手早く水合わせの準備を済ませ、隣の倉庫へと足を運ぶ。
入り口のスイッチで照明をつけると、暗い内部から複数のキーボードやマニピュレーターを始めとする様々な機材や、散乱しているように見えて、しっかりと分類、配置されたドライバーやペンチなどの工具が照らし出される。そして、組み立て中のフレームからコアまで、パーツ単位で未完成のIS。それらの中から彼女が向かったのは、空中投影型ディスプレイの1つで、メールの着信が表示されている。
「あれ、こっちにもメールが来てら。差出人は……おぉ、ヒーちゃんか。なっつかし。何の話かなっと……はぇ?」
見た瞬間、世間の評価等は想像もつかない間抜けをあげてしまったが、彼女にとってその内容は、悪ふざけとさえも言えないようなバカバカしいものだった。
篠ノ之束と言えば、『天災』とも称される類稀な頭脳と発想の持ち主で、今や世界の中心となったISの生みの親として知れ渡っている。最早意のままにさえできそうな世界の依存ぶりから、さぞかし支配や自己顕示が好きで、誰にも知られぬ場所にふんぞり返り、思い通りに動く世界を見てほくそ笑んでいるだろうと思われがちだが、実際は世間が思うほど順風満帆ではなく、むしろ宇宙への足掛かりになることを願ったはずのISが、悪い意味で女性社会の立役者と化した現状は、当人にしてみれば逆風に翻弄され、転覆の末に沈没したのを無理矢理サルベージされたかのようで、讃え
そもそも彼女の自己顕示欲は「親に褒めてもらいたいからテストでいい点を取ろう」程度の感覚しかなく、それこそ宗教よろしく旗印に据え、傲慢極まりない身勝手な主張を訴えている女性権利団体は赤の他人以外の何でもなく、事あるごとに自身の名を掲げて横柄な立ち振る舞いを暴論で正当化しようとする様は、台所を飛び交うハエの如く目障りでしかない。
極端な話、彼女は
成人した現在では、ようやく先入観なしの相手なら怯えつつも話せるようになり、IS学園にも、真耶を始め何人か知人を有している。
そうした世間のしがらみを逃れる場所として宇宙に憧れ、その夢を形とすべくISを開発するも、「無知な小娘が述べた机上の空論」と相手にされなかった。それだけならまだ諦めもついたが、面白半分に目を付けたメディアや、刺激された野次馬の心無い冷やかしに余計苦しめられ、そして苦痛の末に錯乱の余り起こした『白騎士事件』で、ようやっと誰もが怯えて手出しをしなくなると思いきや、手のひらを返して機嫌を取ろうとするのが丸分かりな、心無い称賛で強引に持ち上げてくると来た。
その時は絶望で心が折れ、
故に現在ISに関する産業は事実上業界を乗っ取ったガルガロスに丸投げし、自身は日曜大工よろしく趣味の一環として、気が向いた時に触れたりニュースを見たりする程度の関与に留める、片田舎での隠遁生活を満喫しており、むしろそっちの方が充実してさえいた。
雲隠れの際半ば見捨てる形になってしまった家族に対しては、離れて久しい現在でも未だ
ただ幼少期から敬遠されていた妹の箒からは、保護名目での事実上監視や、その一環たる不定期な引っ越しで、一方的に思いを寄せていた一夏と引き離された件、そしてことあるごとにを通り越し、最早二言目にはと言える程の頻度で自身の話題を振られることから嫌悪感を持たれているようで、1度誕生日に護身用と専用機――と言っても性能は、せいぜい『打鉄』や『ラファール・リヴァイヴ』に多少毛が生えた程度と、「『天災』直々に身内のために用意したもの」にしては世間の予想をはるかに下回る、極落ち着いたもの――を渡そうとした際は、散々罵られた末に「そんなものいらない」と手酷く断られた。
「坊主憎けりゃ」とばかりにISを毛嫌いし、些細なことで烈火の如く怒りだすようになってしまった彼女には両親も手を焼いているようで、最早関係修復は絶望的だろうが、せめて自分への恨みが己を雁字搦めにしていることに気づき、それを受け入れたり忘れたりせずとも自覚し、捕らわれ続けることなく人並みの幸せを掴んでほしいと願わずにはいられないのが、『天災』の世評に動じることなく余裕で振り回してくるガルガロスと並んで目下彼女の悩みとなっている。
高級レストランを一晩貸し切りなど、ガルガロスにしてみれば交渉など何かしらの場では当たり前になっている。そもそも彼自身、巨体と眼帯故悪目立ちするし、一緒にいる相手にも当然人の目が行く。だからそうした人目を払わなくては、外野からの注目と喧騒で外出もままならない。故に出不精の彼が外出する際、目的地を事前に
「しかし、本当に来るのか?」
「迎えは寄越した。余程ごねて逃げまわりでもしなけりゃ、そろそろ来るだろ」
そこに一夏と共に招かれた――実質『連行された』に等しい――千冬だが、こうした場は決して初めてではないにしても、己を無縁に等しい一市民と認識している身には場違いに感じてしまうため、正直慣れていない。加えて今回彼が呼んだのは、『天災』と名高い親友、篠ノ之束。
ガルガロス曰く「
そんな束が呼ばれたところで素直に来るものかと思いながらも、目の前のカウンターテーブルを挟んだ先で、鉄板を前に料理の準備をするウィンディを眺めていた千冬だが、軽いノックと共に扉を開けて入ってきた悠紀耶――の肩に両足を荒縄に縛られた状態でダラリとぶら下げ、後ろ向きで俵担ぎされた紺のビジネススーツ姿の女性を見て、顔を引きつらせる。
「待たせたな、連れてきたぜ」
「いや確かに行きたくないってゴネて姿晦ましたことはあったよ?だからってさぁ、準備して家の前で待ってたのをわざわざ担いで拘束してそのまま「グチグチうっさい!黙って奢られてなさいな」いってぇ!?」
抵抗を諦め、小さな声で呻いていたところを、追い着いて回り込んだ吉美に「バチィン!」と音がするほど勢いよく尻を叩かれる彼女こそが『天災』篠ノ之束だと言われて、果たして何人が真実と認識できるだろうか。
親友の千冬でさえそう思ってしまう程にその光景は衝撃的だったが、その状態から器用に縄を解かずガルガロスの横に座らせ、更にその隣に心配そうな様子で眺める、落ち着いたグレーのワンピースとは不釣り合いなサングラスが目立つ、プラチナシルバーの髪の少女――直接顔を合わせるのは初だが、束から何度か名を聞いたり、通信したことはあるため、存在を認知していたクロエ――が座り、ふと我に返る。
「顔触れは揃ったな、早速だが乾杯と行こうや。飲みてぇモンはあるか?」
手にしたジョッキに並々と注がれたウーロン茶――曰く「酒癖が悪いから人前でアルコールは控えてる」とのこと――をグイ、と仰ぎ、一飲みで空になったそれを叩き付けて場の注意を引くガルガロス。一見場の空気を全く気にしてないようだが、千冬は緊張で飲み物どころではなく、束達に至っては今来たばかり。彼のより一回り小さなジョッキで、メロンソーダをチビチビと飲んでいた一夏以外に対しては、提案自体は自然ではある。
「では、ホットコーヒーをお願いします。主催者を差し置いて、アルコールを飲むわけにもいかないので」
「オレも同じく」
「じゃあ私は……コーラでお願いします」
「呼ばれて来たけど、正直飲食どころの気分じゃ「何か言った?あ、アタシジンジャーエール」……アイスココアお願いしたいけど、準備中に一服してきていい?」
順々に千冬とクロエが頼むのに対し、束は未だ居心地悪そうに――それでいて必死に少しでも席を離れようと、ズボンのポケットから煙草を取り出し、先程から監視する吉美に喫煙を申し出る。
その間一夏のいる左側を見ようとしないのは、箒の勝手を許したり、千冬が過剰な注目を浴びるよう差し向けたせいで余計なとばっちりを受けさせたりと、苦しめた原因が自分にあることを自覚し、恨めしい相手といても迷惑なだけ、との思いからだが、当の一夏が恨んでいたのは、親友と呼ぶほど親しかったはずの千冬を見捨てるように置いて姿を晦ませたこと。後に望んで姿を消したわけではなく、むしろ千冬も後押しした側だったと知ってからは、勝手な思い込みで見当違いな恨みを抱いていたことを恥じてさえいるのだが、互いに申し訳なさから切り出せずにいる様子。
「早めに戻って来いよ?お前が思ってるほど恨まれてはいないんだからな」
「フユがいいってんなら、案内するわ。ザド反対お願い」
本音を言えばあまり紫煙は好きでない千冬だが、1日1本吸うかどうかと頻度が低く、何より自分が一夏を守れなかった無力さから酒に逃げた様に、束も世間の的外れな期待や勝手な要望にウンザリして手を付けたことが容易に想像できてしまうことから、あまりとやかく口出しするつもりはない。そんな彼女の許しとあって仕方なさげに席を立つ吉美に、「おぉ」と答えて続く悠紀耶がそれぞれ束の横に回ると、脇に手を伸ばし両肩を持ち上げる。意図を理解した束は、当然不満を露にする。
「……いやそんな捕まった宇宙人みたいに持つんだったら足ほどいてよ自力で歩けんだからさ。要介護者とか酔っ払いじゃないんだって」
「あの、解くのが難しいのでしたら、私が代わりにやりましょうか?」
「あぁ、気にしなくていいわよ?逃げないようにこのままにしてるだけだから」
「だったらお姫様抱っことかガラでもないこと言わないから、せめてお
最早自力の移動は諦めたようだが、運ばれるにしても体勢くらいは注文させてほしいようで、並ぶ両者に不満を露にする。
「わぁったわよ。んじゃアタシが脚持つから、悪いけど首に手ぇまわさしてザド」
仕方なさげに束の脇から手を離した脚の間に首を突っ込み、両肩に乗せる吉美。続く悠紀耶も手首を縛られた腕の輪に頭を通してそのまま出ていくと、残された面々の間に沈黙が走る中、千冬がおもむろに口を開く。
「あ~、こうして直接顔を会わせるのは初めてだったな、クロエ」
「そう、ですね。今までは束様とのお話中に、お邪魔させていただくしかありませんでしたから……」
ガルガロスとは違い背丈は一般的で、髪に関しても束同様
「あまり無理に離そうとしない方がいいと思いますよ?とりあえずこれでも摘まんで、束様達が戻られるまでお待ちになってくださいな」
さすがに見かねたウィンディが、先程2人が頼んだ飲み物に加え、お代わりを頼んでいたガルガロスと一夏の前にも、大きめに切り分けられたタコの唐揚げが盛られた皿を差し出す。
「あ、ありがとうございます……では、いただきます」
礼と共に食べ始める千冬に続き、クロエも「いただきます」と箸をつけ、西洋人的な容姿に反し、以前「束と暮らすうちに慣れた」と語った通り問題なく食べ進めていく。ガルガロスと一夏も、挨拶や感想は口に出さないが、箸の進み具合から気に入っている様子が窺える。
「ハァ、手だけとは言えやっと解放された……って、もう出てたんだ」
「ご安心を、まだ
「お、あんがとよ。思ったより遠かったから、急かしたかいがあったな。間に合ってよかったぜ」
そこに戻ってきたのは、着火等への配慮からか両手は解放したものの、足を縛られたままの束――ゆっくり吸えなかったようで不満げ――を再度神輿担ぎで連れてきた、吉美と悠紀耶。同様に飲み物と共に差し出された唐揚げを口にするが、束だけはココアで喉を潤してからおもむろに切り出す。
「お食事中にあんまり気分良くないどころか台無しにするような話を失礼するけど、どーしても今のうちに伝えときたいことがあるんだよねぇ……」
「なんだ、どうせ政府の連中が何かやらかしたとは思うが、言ってみろ」
何かとやかましく口を出してきたとあって、今でもなお裏でまだ余計なことを企んでいるだろうこと予想していたガルガロスが、勿体ぶる束を急かすと、一息ついてから話し始める。
「率直に言うと、いっくんに別の機体用意させて乗り換えさせるつもり。そのために倉持技研ってとこに無理言って新造させてるんだけど、ただでさえ
報告者が誰か聞いて、「ヒカルノか……」と思い出すと同時に、引き続き厄介事ばかり持ち込んで来ようとする政府にウンザリする千冬だったが、直後ガラスの割れる荒々しい音に慌てて振り向くと、ガルガロスの持つジョッキが粉々に砕け、残っていた取っ手部分も粉々に砕け落ちたところだった。