2人が部屋を出て悠紀耶の元に向かうと、いつの間にか訪問していた来客と、リビングで親し気に談話しているところだった。千冬の後ろに隠れていた一夏が、それ程警戒した様子を見せずに顔を出したことから、どうやら一夏も知っている相手らしい。
「よぉイチ。姉貴とは仲直りできたか?」
2人に気付き、談話を中断して一夏に話かける悠紀耶。一方来客の女性は千冬に興味があったようで、千冬の手を取ってソファに座らせ、自分もその隣に腰を下ろすと、自己紹介を始めた。
「アンタが『伝説のブリュンヒルデ』ね、アタシは
「ザ、ザド……?」
上半身はカーキ色のチューブトップに薄紫のノースリーブベスト、下半身はライトグレーのホットパンツに裸足と、まだ少し肌寒い春先にも関わらず、時期をトコトン無視したかのように過剰な程肌を露出した女性。名乗ると同時にいきなり馴れ馴れしく話かけてきた彼女が、続けて呼んだ聞き慣れない名前に、千冬は思わず困惑してしまう。
その答えを教えたのは、一夏と話していた悠紀耶だった。
「あぁ、そりゃおれのことだよ。昔、『振る舞いがサディスティックだな』って言われたことがあったんだけど、ソイツ英語慣れしてなかったから、訛って『ザディスティック』になっててよ。面白かったから、略して『ザド』って名乗るようにしたのさ。ま、コードネーム、って奴かね? アンタもこれからは、気軽に呼んでくれや」
「そ、そうですか……。と、申し訳ないのですが、できれば先程の呼び方はやめていただけないでしょうか? 悪気はないのでしょうが、あまりいい思い出がないものでして……」
ひとまず疑問が解決したところで、千冬は吉美に呼称の変更を希望する。顔を見た途端そのまま畳みかけられ、
「あ~、イヤだった? じゃあ無難で面白くないかもしれないけど、イチに合わせて『フユ』なんてどう?」
「まぁ、それなら……。ところで、安崎さんは何故こちらに?」
会って早々に
「あぁゴメンゴメン。イチのこと迎えにきたんだけど、お取り込み中みたいだったから、ついザドとだべっちゃっててさぁ。ただ、流石にフユは泊まる準備なんてしてないでしょ? だから後でこっちが準備しとくわ。アンタのことは歓迎するから、ついてきてよ。それと、アタシのことは気軽に『ゼディ』って呼んでくれていいからね?」
吉美が言うには、ガルガロスの送ってきた迎えの車とその運転手が地下の駐車場に待機しており、悠紀耶との顔会わせも兼ねて同伴してきた彼女が、到着の報告がてら顔を出しにきたらしい。更に一夏が千冬の同行を希望することも、予想済みだったようだ。
「そうでしたか。それは色々と、申し訳ありませんでした」
「いいっていいって、久々の姉弟水入らずな時間だった訳だし、
至れり尽くせりな対応に思わず呆れながら礼を言うに対し、吉美は千冬の肩を軽く叩くと、袖をつまんで引っ張りながらそそくさと玄関に向かう。
「おぅ、悪いな。んじゃ、イチの準備手伝ってくるから、少し待っといててくれや」
「もう…できてる。後は……持って、くる…だけ……」
「あ、そう。んじゃあ、おれが持ってっから、ゼディは2人連れて先行ってな」
「アイッサ~」
そう言うと悠紀耶は一夏の部屋へと向かい、残された一夏は千冬とともに、吉美の案内で地下駐車場へと足を運ぶ。
エレベーターで地下駐車場に降りると、吉美はすぐ近くに停まっていた黒い大型ワンボックスカーの元に向かい、待機していた運転手を呼び出す。
「うぉ~いビディ~、連れてきたよ~」
悠紀耶の『ザド』や、吉美の『ゼディ』のように、『ビディ』と呼ばれた女性は、後ろ髪を腰まで、前髪は左側だけ目を隠すように伸ばし、腰程までのジャンパーこそファスナーを全開で広げているが、その下に胸元が見えるカーディガンとそれを隠すキャミソール、膝丈程のスカートに裾広のズボンと、吉美とは対象的にゆったりした余裕を持ちながらも、肌の露出を抑えた衣装を若葉色で統一していた。
「お待ちしておりました、織斑千冬様。
珍妙な名乗りとともにスカートの裾をつまみ、頭を下げる『ビディ』ことウィンディ。彼女もまた、一夏のことを知る者らしい。そこに、後方の扉を開け、乗り込むところだった吉美が割り込んできた。
「ビディはねぇ、誘拐されて死にかけてたイチを助けて、うちに連れてきたんだ。いやぁビックリしたよ。今言ってた陛下ってのはガルのことだけど、アイツ一筋の彼女が、見知らぬ子供連れて帰ってきたんだから」
「!? それは、本当ですか…?」
「詳しくは車内でお話しますので、どうぞお乗りください。これ以上陛下をお待たせさせる訳にもいきませんから」
眼前のウィンディを「
慌てて2人も乗り込み、ドアを閉めると同時に、車を発進させるウィンディ。窓には外の景色を遮断するかのように――ウィンディ曰く、「実際には自動運転なので大丈夫」らしい――黒いシートがかけられていたが、千冬はそれ以上にガルガロスやウィンディのことが気になっていた。
「それで、シルフィードさん。先程安崎さんは『一夏を助けた』とおっしゃられましたが……」
「そうですね。着くまでにも時間がありますし、いい暇潰しにはなるでしょう」
そうしてウィンディは、一夏が誘拐されたあの日、第2回モンド・グロッソ決勝戦の裏で何があったのかを語り始めた。
『これでいいだろ。後は
かつては町工場だったと思われる郊外の寂れた廃墟で、不慣れそうな英語で会話しながら、下卑た笑いをあげる数人の男。その足元では、ズタボロに痛めつけられた少年――一夏が、全身を束縛され、左目から血を流して生気のない顔で横たわっている。
この男達は千冬のモンド・グロッソ連覇を妨害するために、唯一の肉親である一夏を誘拐、監禁する実行犯として雇われた無法者で、少し前まで千冬や日本政府関係者に送る脅迫状に
後はそれを直接見るなり、政府関係者に報告されるなりで千冬が決勝戦から身を退けば、目的は達成される。そう確信していた。
『おい大変だ!
『は? 何言ってんだよ。肉親誘拐されて脅迫状に
別の部屋で大会の中継を見ていた仲間が、慌てた様子でしてきた報告に、誘拐犯達が信じられないと思いながらも、確認のため部屋に向かうと、確認用の小型パソコンの画面に映し出されていたのは、あろうことか
『チィっ! 上の連中めぇ、あのガキを見捨てやがったか……。しかたねぇ、アイツを殺してズラかるぞ! 万が一俺達のことをしゃべったら――!?』
リーダー格の男が口封じのため一夏を殺すべく戻ると、そこにはいつの間にかきていた女性――ウィンディが誘拐犯達に背を向けた状態で、解放した一夏に何か話しかけていた。幸いにも一夏は相手に対し怯えていて、禄に会話できる状態ではないが、恐らく身元や、連れてこられた経緯を聞き出そうとしているのだろうとしていると判断したため、まとめて始末しようとした1人がウィンディに拳銃を構えるが、ウィンディが左腕を軽く後ろに振ると、
『ヒィっ! な、何だアイツ! 腕動かしただけで、首を
『ビビるんじゃねぇ! どうせISの装備だ! もっと火力あるの持ってこい! 今はガキの方を――!』
「許すと思いますか?」
理解不能な現象に浮足だつ誘拐犯達は、
「そのようなことが……しかし、シルフィードさんは何故、何の関わりもない一夏を助けてくださったのですか?」
何故彼女はわざわざ廃墟に立ち入り、そこで発見した見ず知らずの
「私は風が好きなのですが、風が吹くままに偶々あの付近を歩いていたところ、彼の血の匂いに釣られ、気付いたらあそこに来ていました。それに、折角の『
「す、『
新たな謎の言葉に千冬が困惑していると、吉美が助け舟を出す。
「『
「私のは陛下への忠誠の
それに乗るようにウィンディが振り返り、左目周辺を隠していた髪を持ち上げると、その下には眉の上から
「そ、それを自ら!?」
「うちじゃあ、もっとすごいのがワンサカいるぜ。自分で左目潰した奴とか、眉間で×になってる奴とか」
ケラケラと笑いながらより凄惨な傷痕を持つものがいると豪語する悠紀耶に、千冬は最早かける言葉がなかった。結局到着するまで、一夏共々口を開くことはなかった。