執務室へ向かう廊下で、後ろから声がかかった。
「お早いのね、提督」
妙高だ。コイツに関わると碌なことが起きない。ルパン三世の不二子ちゃんからミステリアスさを抜き取って、腹黒さを割り増しした女だ。無視するとしよう。
「ふふ、お待ちになって?」
無言で通り過ぎようとしたが腰に右手を回され、左手で股ぐらのキンターマニー大統領を鷲掴みにされた。なにしやがる。
「こちらの科白ですわ。なに無視してやがるのかしら?精神的苦痛を被りました」
無視されたからと言って人の股間を潰そうとするやつなんぞ、無視されてしかるべきと思う。盗っ人猛猛しいことこの上ない。大事なところが潰れちまったらどう責任をとってくれるのだ。
「一般男性は大事なんでしょうけど提督は例外です。邪魔な部分は、除去するでしょう?爪とか髭とか、ね?」
「ね、じゃない。また生えてくるもの限定だろが。除去されてたまるか。いいから離してくれ」
まったく動けない。一通りの格闘術を会得した妙高。その上で、艦娘の膂力が加わるとこうも厄介なのだ。女ゴリラめーー否、ゴリラに失礼か。
「5秒以内にしっかり謝れたら離しますよ」
「すんませんしたぁー」
「誠意が感じられませんね。ごーお、よーん、さーん…」
ちょっと待て。なんのカウントダウンだ。よせ、やめろ。
「ほら、謝罪なさい?にーい、いーち…」
「申し訳ありませんでした、妙高さん」
「よろしい。では謝罪ついでに、朝食を作ってくださらないかしら?」
「あぁん……?」
何故私が、と突っぱねてやりたいところだが、先刻爪だの髭だのと同じ扱いをされた我がムスコは、依然として人質にとられている。私が嫌そうな顔をすると、ヤツは残酷にも掌に力を込める。グニュウ、という嫌な感触を伴って大事なところが変形した。いつでもイけるぞ、と言われた気がする。不能なのに生殖器を守ろうとしてしまうのは、雄の本能か。私にチンチンがついているのか、あるいは、チンチンに私がついているのか、それが問題だ。シェイクスピアも言っている。
「……献立は任せてもらうぞ」
「貴方の作るものなら、何でも良いわ」
コイツは誰と接する時も、言葉と仕草を選ぶ――それは決して相手を慮る為ではない――相手に取り入る為だ。男心をくすぐるのに長けているのである。本音は「自分が作るもの以外なら何でも」であろうと察せられる。妙高は絶望的な料理下手で、作るものすべてがとんでもなく薄味になる。舌が狂っているから仕方ない。とりあえず自覚はあるからまだ良いとして、自給自足自助自立が原則の本泊地においては致命的だった。
「じゃ、いつも通りだ。海苔と干物と潮汁」
「まぁ、素敵」
頬に手を当て慈母みたいな笑顔を作った。何も知らん男ならもれなくオチているのだろう――騙されてはいけない。だいたい、上官のムスコを人質にとって飯を強請り取ろうとする奴なんぞ、悪以外の何者でもない。コイツの言動はことごとくが打算である。この泊地の連中には本性を知られているのだから、隠す必要も当然ないが、体に染みついているようだ。
「本来であれば、私の仕事じゃなかろうに」
「あら、そうかしら。食事なんて誰が作っても一緒では?」
「それなら、なおのこと千代田に作らせればいい」
至極真っ当な指摘は、うふふ、と笑って流された。千代田の飯は非常に美味なのだが、奴は空母の分際で完全に夜行性なので、朝飯なんぞ作れようはずもない。適当にとった出汁と魚の身を鍋に放り込み、七輪にかける。しばらくすると鍋がグラグラ音をたて、芳しい香りが台所に立ち込めてきた。干物を軽く焼く。飯盒を開くと、麦飯が優しい薫りを立ち上らせた。
「そら。勝手によそって食うがいい」
「はい、どうも」
感謝の言葉が足りん。ご飯を食べるときはしっかり手を合わせなさい、と実母に口酸っぱく教わった。
「ちゃんと食材に感謝することだ」
「あら、不能でも命の大切さを語るのねぇ。頂きますわ」
よろしい、と返した。一言余計であるが、相手が正しいと思った時は素直に従うのが、彼女の長所だと思う。本泊地No.3の戦闘員。天龍を突撃銃に例えるなら、妙高は狙撃銃である。敵陣形のど真ん中に切り込んで剣を振るう天龍が毎回無傷でいられるのは、妙高の高精度な中・遠距離砲撃によるサポートのお陰もあった。欲しいトキに、欲しいヤツを、欲しいトコロに撃ち込んでくれる、とは天龍の談だ。舌は狂っているが、目は良い。何百何十という深海棲艦の脳天を吹き飛ばしてきた女である。
「ふむ。大して美味しくないわね」
私の作った朝食を綺麗に平らげた後、奴は云った。汁を掬ってひと舐めしてみると、確かに塩気が濃い気がした。
「君が作るよりマシだろう……そういう正直なところが嫌いなんだ」
「うふふ」
作って貰っておいて、なんなんだよコイツ。こちらも正直に毒づいて、執務室に向かった。
読んで頂き申し訳ありませんでした。