互いに、構えて、待つ。示し合わしたかのような空白は、達人同士にのみ顕る静止である。終末が約束された、泡沫たる瞬間。
瞬間が、終わる。
そのまま、壮絶な死闘の口火となって。
先に動くは剣聖。短い気合いと、大剣の一振りと共に、蒼い光波が放たれる。それを、前に飛び込むようにして避ける、忍び。その動きは、疲労を溜めた筈の身体とは思えぬ程に俊敏。
踏み込み、一刀の間合いに踏み込んだ狼を、月剣が迎え撃った。蒼く眩い剣撃を、その巨大で強大な迎撃を、しかし弾き、受け流す赤い黒。炎が揺らめく。
しかし、火には最早よろめかず、凜然とした目で、ルドウイークは相手を見据える。そうして、弾かれた剣をさらに振る。薄暗い空間に月が顕現したように、仄かに照らす。
今度は弾かなかった。連撃をそれぞれ横に避け、避け、避ける。亡霊のように、擦り抜けるように。そして、連撃が終わると同時に更に前に踏み込む。
間合いに入った。この間ならば、あの長大な特大剣を振れはしないだろう。好機。楔丸の腕に力を込める。
それは、正しい考えだった。確かに振えはしない。
足元を刺すならば兎も角、この体勢から振えは。
だがルドウイークは振ろうともせず、剣を掲げ上げた。一瞬面食らう。が、それを意にかけず、斬り掛かり…
「!」
瞬間、剣より球状に光が放たれた。
その威を、光を、そのまま現したかのような波動。
なんとか、致命的な傷は避けた。
攻撃を取り止めたのは、この義手の中の小アメンの蠢きにより。これが、光を嫌がるように殊更に暴れたのだ。
お陰で命拾いをした。
危。
息を吐く暇も無く光波を纏った突きが飛来する。見切る余裕も無く、何とか横へと避ける。
避けた筈のそれはしかし、光が掠め、傷を負う。
まともに喰らえば、一溜りも無く蒸発するだろう。
離れ、距離を取らざるを得ない狼をその眼に捉え。
しかしルドウイークは敢えて剣を再び掲げ上げる。
これまでに見せた行動が彼の攻撃の全てであるならば、この距離に於ける行動は再び剣を払い、光波を放つ事の筈。
そうしなかったとは、つまり。
あれよりも更に正しく、恐ろしい技を持っていると言う事。
だが、臆しはしない。
特に、今の隻狼は。
如何なる技を放つつもりにしても、あの構えから爆発するように波動を放つ行動へと派生出来るのは確か。故に近づかずに攻める。
がしんと、仰々しい音を立て義手が鳴る。忍びの基本兵装である手裏剣は今や、穢れた炎を纏い、鬼をも射斃す凶刃と化している。
ぼお、と、火吹き筒の放たれるような音と共に、刃が放たれる。手裏剣車の機構と修羅の投擲を併せたそれは、人も獣も、避け能わざる物だった。
一発、二発とルドウイークに焔が生える。
何発、何発も身体に突き刺さり、怨嗟の炎が獣を抉る。じくじくと無花果が腐食するように、剣聖の身体を崩す。
だが、ルドウイークは折れぬ。
ただ月光の元に於いては。
その炎刃を全て喰らい、尚掲げる。
剣は今や、光の柱に成りて天を衝いていた。
あれが振り下ろされ、己に叩き付けられれば、塵芥も残らない。それはわかる。
ではどうするか。避けるか?
否、それでも、攻める。
穿ち空けた傷口に、触手じみた腕が突き刺さる。小アメン腕が、流血を逃さんとばかりに延び、傷口を辿るようにしてその爪を突き立てる。そうだ。この為に、手裏剣を投げたのだ。
その傷自体は、浅い。だがこれで義手と獣に、導線が出来た。
何かを伝え、相手に与える為の線が。
獣がはっと目を開く。だがもう遅い。
刹那。狼は豪、と。導線を通し、焔を流し込む。
『ぐおおっ…!』
苦悶の声が上る。
獣の姿であれど、人を取り戻した狩人の声。
苦悶とは、つまりこれが有効であると言う事。
この怨嗟の流し込みが、無視できぬ手傷を与えているという事。
そうだ。人を取り戻し、立ち上がったとはいえ、先ほど与えた傷は真実。獣の病に罹患し、恐ろしい回復力を身につけようとも、この逡巡に癒えるはずもない。最早あの身体は、瀕死の程を為している。
嗚呼、それでも剣聖は掲げる。
崇拝するように、崇めるように。
光の柱が雄々しく猛り狂う。
赤焔が燃え盛る。光波が猛る。
炎が身体を蝕む激痛に耐えた、その光は煌々と。
そして何処か、凶々しい。
それでも焔を送り込む事をやめない。
手傷を与え続けるべきと考えたからなどという、打算や計画では無い。ただ本能の赴くままに。殺戮の為だけに紅の怨嗟を流し込む。
淡々と、ただ、頬を歪めながら。
流し込む。耐える。光が増す。
均衡は、瞬間であった。
終には、放たれる。
「ーーーッ」
光が、逆流する。
そのような錯覚に陥る程の波動の奔流。逆巻く月明かりを、ただルドウイークが指向性を持つ力の一撃とする。奥義と言って、差し支えが無いだろう。
獣の身体に張り付いた炎の導線が、切れた。
遥けし上位者の腕をも断ち切る程の光の一閃。
…光が止む頃、目の前に忍びは最早居なかった。
光の中に消え失せ、芥すら残らず、消滅したのか。
影のみを残し、消え失せてしまったのか。
答えは、否。
先ほどまで影が在った場に置かれているのは、断たれ、ぼろぼろになったアメンの腕のみ。義手より取り外されている。
ひゅぱり。
ひゅぱり。
鉤縄が撓み、張る音。何処に居る。
おお、中空に、居る。
狼がざんと、血溜まりに着地した。
炎が揺らめく。
獣の目がぴりと張り詰める。火にではない。この、忍びそのものに、畏れを感じた。
『オオ…ッ!』
着地を狙い、脚元を削ぐような聖剣の二撃。
初段を避け、二段目を弾く。
ぐらりと体幹が揺らぐ。先程の焔が、やはり確かに身体を蝕んでいた。
刀を、楔丸にて一撃を決める事が出来れば、この闘いは終わるであろう。そう確信し、狼は更に踏み込む。
それは正しくもあり、また一方で誤解でもある。
一刀の元に獣を下す事が出来るという事は事実。しかし、寧ろ逆に、それ以外。手裏剣やアメン腕などでは斃れず、耐えていただろう。
詰まる所、理由は違えども、忍びは最適解を選んでいたのだ。
狩人は距離を詰める狼に再び剣を振るう。
下手な斬撃は弾かれ、隙を作るのみ。
ならば、弾けない一撃を。
光波を放つ事はこの近距離では難しい。
答えは一つ。
危。
狼の脳裏に死がよぎる。
飛んでくる一撃は、あの、あれだ。
光波を纏った突き。
これを、この死地を待っていた。
『ッ!?』
半身で避け、剣を踏みしだく。
見切り。
従来なればその足蹴は、獣の膂力で造作も無く払い除けられていただろう。しかし修羅の剛力がそれを許さぬ。
従来なれば、それでも剣に纏わる月光が忍びを引き裂き再起不能にしただろう。しかし修羅の炎がそれを相消し、殺す。
刀の射程に、入った。
楔丸が、陽炎に揺らいだ。
ちん。鞘へ、刀を仕舞う音だけが響いた。攻撃は、しないのか。介錯を受けようとでも言うのか。
否、否。
鍔鳴りの次の瞬間。
無数の剣戟がルドウイークを覆った。
それは全て、隻狼が放った斬撃。
神速。
秘伝・一心。
いよいよ崩れ果てた身体。納刀した狼の前に差し出されるように、獣がこうべを垂れた。
斬。居合の一撃が、首を撥ねた。
首だけになったルドウイークは、しかしまだ息をしている。それの前に立ち、刀を振り上げる。突き刺そうと。血を、浴びようと。
瞬間、足元の血溜まりが目に入る。
闘いの最中では見る余裕は無かった、自らを見た。
刀を突き立てようと、歪んだ笑みを浮かべた自分を。
「……!」
(隻狼よ。修羅の影があるぞ)
(恐れを知らぬ狩人など獣と何が変わろうものかね)
脳裏に、言葉が浮かび上がる。
己は、なんだ。これでは醜い獣ではないか。
(御子の忍びよ…)
(狼どの…)
(のう、隻狼よ)
己は、己は。
(…我が生涯の忍びよ)
……
…ああ、そうだ。己は御子の忍びだ。
例え最早主人がこの世に居なくとも。
それだけは、亡くしてはならぬ。
炎が、収まっていく。義手は熱を無くし、頬からは笑みが消え、代わりに、額に消えない皺を寄せている。
…何とか、人として、戻る事が出来た。
それはまるで、人間性を取り戻した獣を殺し、抉り取り、奪ったかのようである。
さて。改めて生首の前に立つ。
その眼は朧げなれど、未だ光を宿している。
まだ人としての、理性を。
『⋯狩人よ、光の糸を見たことがあるかね?』
「……」
『とても細く、儚い。だがそれは、血と獣の香りの中で、ただ私のよすがだった』
狂気の最中に唯一心を慰める、よすが。それが、彼にとっては、その光の糸だったのだろう。
『…真実それが何ものかなど。
決して知りたくはなかったのだよ…』
決して、知りたくは、無かった。
その言葉の意味は恐らく、『知ってしまった』という事なのだろう。その実態を。存在を。朧で、吐気を催す事実を。
それが何かなど、到底分かりはしない。
だがきっと、おぞましい代物だったのだろう。
身を、獣にやつす程。
『ヒイーッ、ヒィッ、ヒイッヒイッヒイッ⋯』
「…気を……」
『ヒイッ、ヒイッヒイッヒヒ、ヒヒ…』
「…」
『ヒヒヒヒヒーッ』
眼から、人としての理知が、光が消えてゆく。
全て消え去り、獣に戻って行く。
あまりにも、哀れだ。
救いと祈りの闘いの果てに辿り着いた先が、このような獣の死であるべきでは、無い筈なのに。
自らをも重ね合わせて、そう感じる。
どうして、自らもそうならないと言えようか。
『ヒヒ、ヒヒ、ヒッ…』
どすり。
脳を、楔丸で貫く。
…せめて、最期に。獣としてでは無く、狩人としてのまま、死を与えてやりたかった。これは、ただのエゴだろうか。或いはそうかもしれない。だが、せめてこれが彼にとっての慈悲であると、願ってやまなかった。
忍殺。
…
……
血溜まりに、紫色の光がある。
いつもの、ランタンだ。
身体を仮初にでも癒そうとそれに向かおうとした時。背後に、何かの気配を感じた。生き物ではない。
緩慢に振り向く。
そこには、あの古びた剣がある。
いまや月光は遠く、嘘であったかのように。
ただ、その身を横たえていた。
(……)
まるで、夜盗のようだ。
屍体を漁り、物を手に入れるなど。
そう思う反面で、こうも思った。
無念の内に獣になった、彼の思い。
出来ればそれも、背負っていきたいと。
考え、考えた挙句。
狼は、その大剣を、背負った。
丁度、不死切りが有った分、背は空いていた。
斬獲。
一人の狩人を殺し。
そして、一つの月明かりを生捕りにした。
その報いは、いつか受ける事だろう。
それでも良い。この夢を覚まし、任を全うする為ならば。
背中の月光の剣が、嘲笑うように光った。
ーー不死の月光
かつてかの狩人が見出した神秘の剣。
その古びた剣は不死たる忍びが手をかざし、宇宙の深淵を宿す時、赤い光を迸らせる。
赤い光は、青白い月の光と似付きはしない。なればこそ大刃は、真実を照らし、先を歩む者の剣となり得るのだ。