初めに思い浮かんだのは、あの廃寺にある、「本物の仏」へ鈴を供えた時のそれ。
だが、すぐに心の内で首を振る。
あれは供えたものの心象を思い返させる、そういったものだった。故に自らが知っている場ではあり、又、体験した修羅場でもあった。
だがこれは。そういったものではない。
見た事も聞いた事も無い、異国の様だ。
頭の中には疑問が渦巻いている。どれも解決させようの無い問いだ。故に、それらを差し置き、忍は一先ず歩き始めた。
(葦名の地へ戻らねばならぬ)
ただその一念で。『目的』と言うにも弱いそれは、ただ、自らの親しい者が多く眠るあの地に居たいという、まるで忍びらしくない想いから来ていた。
危。
人の気配。共に、殺意を感じた。
腰に付けた刀を抜き放つ。そのまま、その方向へと切り抜ける。
楔丸。この刀は、常に身につけていた。
それが、この時は役に立ってくれた。
「Cursed beast..」
狼には判らない何かを呟き倒れる下手人。
死体を見る。
形は人。服も着ている。しかし、その身体には野獣の如く体毛が生え、その目は…
(…蕩けている)
瞳孔が崩れ、形を無くしている。
人にも、獣にも当て嵌まる事のない異常。
それでも前に進む。今一度戻る為。
かしりと、義手の動きを確認させてから進む。
すこし先。
大きな焚き火が見える。それは野営を目的としたものではなく、燃やし、晒し、猛る為の蛮的な炎。それに集うように、松明や斧などを持った市民がぞろぞろと歩く。
潜み、影より音を立てずに幾人か殺した。
だが数が多い。仕舞いには見つかり、正面より戦うしかなくなる。
受けた傷を確かめようと懐に手をやる。すると違和感がある。何かがそこにはあった。
瓢箪だった。此れは特別製。自ずと傷薬が染み出てくる逸品である。
(何故、ここに)
しかし、それを直ぐに頭から打ち払う。
何にせよ今の自分にありがたい物品である事に違いは無かったし、それに、疑問はもう沢山だった。
危。
死の予感が脳裏によぎった。だが、瓢箪の中身を飲もうとしていた狼は、その対処に一歩遅れた。
刹那、銃撃が身体を撃ち抜く。槍が飛んで来た。松明の炎が押しつけられ、燃え上がる。
「ぐお…ッ!」
一発一発ならば、或いは耐えられたかもしれない。だがその全ての合算は、到底耐えられるものでは無かった。
地に伏し、死を待つ。
あの頃ならば、蘇る事が出来た。だが竜胤の呪いは最早無い。故にただ、死ぬのみ。
思う事は無かった。ただ、目を閉じた。
…
……
(ああ、狩人様を見つけたのですね)
脳に、声が響いた。
染み入るような声、美しい音。
跳ね起きた。何故己は生きている?
気がつけば、周囲はあの市街では無い。代わりに、木花、墓がある、穏やかな場。
(…これは、末期の夢か?)
「初めまして、狩人様」
声が、また聞こえた。今度は背後より。
それが人であるならば気配を感じたであろう。しかし、何も感じなかった。毛外の怨霊か、否か?
楔丸に手を掛け、こう、問う。
「…お主は、なんだ」
「私は人形。この夢で、あなたのお世話をするものです」
「…何だと」
「獣を狩り、貴方の意志の為に。
どうぞ私をお使いください」
そう、深々と頭を下げられた。
敵意のない事は判る。だが、それ以外がわからなかった。
お前は、何故人形でありながら動くのか。狩人とは、己の事であるのか。
「お困りでしたら、ゲールマン様にお聞きしては、どうでしょう。助言を頂けると思われます」
「む…」
悩みが顔に出てしまっていたのか、『人形』が、自分にそう話す。
真実が話されるとは限らない。しかし、全く情報の無い状態よりは、例え虚偽であろうと少しでも知っている方が良いだろう。
案内に引かれ、助言者の元に。
「やあ、君が新しい狩人かね?ようこそ、狩人の夢に。ただ一時とて、ここが君の「家」になる」
「…私はゲールマン。
君たち狩人の、助言者だ」
車椅子に座る老人は、囁くように話した。
これもまた、気配を感じない。
まるで霧のように、姿だけが見える。
「…夢、だと」
「ああ。今は何も分からないだろうが、難しく考えることはない。狩人とは、そういうものだ」
「…俺は、一度死んだ。
しかし、此処に居る。何故だ」
「君が狩りを全うするまでは、この夢に、再び目覚め直す。それまでが悪い夢であったようにね」
「…ここに囚われる限り、俺は死なぬという事か」
「目的が死ならば、それの為にでも良い。君はただ、獣を狩ると良い。それが結局は君の目的に叶う」
「……」
無言のままに、その元を離れる。
この地に、何故俺は居るのか。この場所は何であるのか。お主達は何者か。
そういったことを、尋ねる事はしなかった。
代わりに、一つの考えが狼の脳を埋めている。
死ぬ事が、出来ない。
不死。
今や、葦名に戻るという想いは消えていた。
ただ思考に有るのは、この、死ねぬ身体。幾ら死のうと蘇る、この自らだ。
我が主人が命をかけて絶ったもの。命を捨ててまで主君の絶った不死が、ここに今また、有る。
不死なぞは、この世より無くすべき。
それが主の。九郎様の、悲願であった。
(…)
赤の不死切りは、失った。
元より、今の自らを殺せるのかは不明だ。
あの時のものとは、何もかもが異なる故。
楔丸を引き抜き、自らの顔を映す。忌むべき不死の、最後の残党がそこには居た。
狼の心が、使命を得る。
最後の不死を、成敗せねばならぬと。
助言者、ゲールマンは言った。
目的の為に獣を狩れば良いと。獣を狩れば、目的は達せられると。
目的を。死を、得る事の出来る手段があるという事だ。
(…為すべき事を、為すのだ)
錆びた忍びの牙が、再び研がれ始める。
自らの首を、撥ねる為に。
義手が、赤炎に揺らめいた。