荘厳な扉が開いた。
不思議と、重さはまるで感じなかった。
鐘が鳴り響く。時の静寂を打ち破るようだった。
時計塔に光が刺す。
目に毒な程に、神聖な趣きである。
ひらひらと、蝶のように桜が舞う。
残影である。彼のだろうか。
しかし、それを見る暇は、無かった。
「…ほう。訪問者とは、珍しい」
そうして、何者かに声を掛けられた故。
その声を見て、聞くしかなかった。
女性の声。
いでたちを見る。その紳士然とした狩装束には、血の跡がそこかしこについていた。
「貴公、教会の秘密を見てきたのだな」
「…お主が、マリアか」
「…質問には答えるものだよ。
だが、そうだ。私がマリアだ」
椅子に座り胸に手を当て、自己の紹介をするその姿。しかし、それに全くと言っていいほどに隙が無いというのは、どういう事だろう。
隙そのものの、動作であるはずなのに。
「貴公、悪夢を彷徨う狩人よ。見たのだろう?英雄の獣、そして教会の、憐れな患者たちを」
「ああ。全て、見てきた」
「⋯そして、殺した」
「……」
「ああ、責めはしない。あれらは悪夢に囚われていたのだ。それもひとつの救いだったろう。…それで。貴公、何か得るものはあったのか?」
「いや。俺は、何も得てはいない」
それは、正確な答えではない。この悪夢で、限りない恐怖と狂気、そして異常なる武器と実力を。それぞれ手に入れている事は事実なのだから。
だが、今、このマリアが、忍びが言いたい事はそれでは無い。双方ともに分かっている。
「⋯そうだろうな。悪夢など、また悪夢の抱える秘密など、所詮はそういうものだ」
「……」
「ならばもう、この悪夢を離れたまえ。此処には、既に貴公の求めるものはないのだから」
「…ああ。此処には、無いだろう」
「…ほう?」
沈黙と共に、ぴりと、空気が張り詰めた。
くく。駒鳥のような、含み笑いが響く。
「…貴公、成る程。
こんなものが秘密ではないと、分かっているか」
返答はしない。
ただ、鯉口を切った。
「どうあろうと、暴きたいのだな。私が守っていると知っていながら」
「為すべき事の為だ」
楔丸を、引き抜いた。
最早、諫言操りの必要が無い。
目の前に居る存在はただ、己が殺すべき存在なのだから。
「大義の為。
であろうとも、秘匿を漁るのは感心しないな」
「…」
椅子から立ち上がる。ただそれだけで、女性にしては大きいという程度である体躯が、膨張したように巨大にさえ見えた。威圧感、殺意。練り上げられた視線。
びりびりと、肌が震えた。
先程までに話していた、『マリア』は居ない。
「だが、わかるよ。秘密とは、甘いものだ。
好奇の疼きも、得られる大義も」
彼女は、世間話でもするように西洋式の刀を取り出す。否。それは、西洋でありながら、また異なる、狩人の刃。両刃の刀。
諸刃の剣という訳では無い。
上、下に刀が付いているのだ。
「だからこそ、恐ろしい死が必要なのさ」
バキィン、と。
その両刃は双刀へと化する。
狩人の武器とは、その悉くが変化を伴う。
そうだ。彼らは知っているのだ。戦いを生き残る者が、自らを変化させるものだと云う事を。
話していた、『マリア』は居ない。
今、眼前に居るは、
遥けき時代をすら生き延びた、熟練の狩人。
そして、狩りの獲物は、隻腕の狼。
「…愚かな好奇も、使命をも忘れるようなね」
互いに、譲る事能わず。
故にこそ、死合いだけが有る。
…
……
ゆっくりと、互いににじり寄る。
距離を、実力を測るように。
歩く。歩く。
「……」
互いの刀が鈍色に煌めく。
影が共に失せた。
ぎぃん。
掛け声も、気合いの雄叫びも無く。
先ず響く音は刀のかちあう音。
鍔迫り合いを、狼が疾く後ろに跳び、逃げる。
先程まで忍びがいた空間に刃が刺さっていた。
「…!」
手裏剣を放つ。が、瞬間に姿が掻き消える。
否、消える筈は無い。
消えてなどいないと本能が囁く。
懐だ。
楔丸を構えるや否や、二つの刃が交差し翔ける。
辛うじて防いだ。
狩人の足取りは、俊敏で、擦り抜けるようなまでにその姿を捉えにくい。この古狩人のそれは、更に『何か』の要因が加わり、忍びの目すらも欺く魔技となっていた。
矢継ぎ早に、双剣が襲い来る。
だがこれならば見える。狼は一撃、二撃と弾いた。
その技術はヤーナムには存在しないもの。
古狩人の顔に、驚きが浮かぶ。
一瞬の隙を前に楔を振るう。
肩口に当たるが、浅い。
狩装束は、ただ人間性のよすがとなるだけでは無く、その防御性も高い。獣相手のそれにはどれほど意味があろうか。だが少なくとも、今戦う相手は人であり、人相手ならば有効であるのだ。
危。
忍びの斬撃を意にかけず、殺意が飛んでくる。
防げぬ攻撃が来る。
両の手より、二つの刺突が飛んで来た。
踏み込みは間に合わない。何とか、弾く。
マリアが両腕を上げる。大振りの一撃。
しめた。振るった瞬間に背後に回る。
そうして、背後より刃を突き立て…
「!」
目が合った。それで、悟る。誘われた。
だが、振りかぶりは最早止められない。
そこを狙い澄まし、銃弾が飛んだ。
「ぐおっ…」
勢いをそのまま殺され、勢いが逆流し、膝から力が失せる。どうしようも無く、無防備を晒す。その狼に、ふわりと包み込むようにマリアが近寄った。
隻狼が血を吐く。
狩人は、銃創にそのたおやかなる指を抉り入れながら、和やかなまでに優しい笑みを浮かべていた。
内臓攻撃。
だが、狼はまだ死していない。この攻撃では殺しきれぬのか、それとも、ただ、甘く見られているのか。いづれにせよ、まだだ。
狼はマリアを蹴り飛ばし、勢いのまま狩人の指から、身体を引き抜く。苦痛を介している暇は無い。そのままに、背後に逃げた。
なんとか、傷薬の瓢箪を呷る。
苦く、臭い良薬は確かに身体を癒す。
(良く味わい、薬の味を知りましょう。
体に覚え込ませることで、薬効が増します)
薬師の知識が脳裏によぎる。彼女の知識が、今の半死半生の忍びを、事更に生かしてくれていた。
エマの薬識・利き薬。
…感謝は、後にしよう。
強い。
獣の膂力でも、穢れた神秘でも無い。
ただひたすらに、研ぎ澄まされた技術。
羅刹のような、途切れの無い連撃。
だが、途切れの無い連撃。
それこそ、ありがたい。
一方的に攻め立てる事は、このヤーナムにおける必勝の策であるのかもしれない。そしてそれは、殆どの場合に於いて正しい。しかし優れた忍者の防御は、即ち攻撃を兼ね備えるのだ。ならばこそ、全てを弾き、流せばいい。
言うは易し、行うは難し。
だが、出来ねばならぬ。
集中し、鈍磨した狼の体感時間。
それがついに限界を迎える。
再び、消えるような踏み込みと共に、狩人が飛来する。
だがそれは一度見て、覚えた。今度は視界に捉える。
長刀の一撃。弾く。もう片方の手の短刀。回避。それを追うように再び長刀。再び弾く。両の手、刃が同時に来る。同時に弾き流した。
一瞬の隙。ねじ込むように拳打、そして重い背撃を放つ。出鼻を挫くような強烈な拳。
拝み連拳・破魔の型。
しかしまだ、崩れない。
体幹が、重い。
少しだけ距離を取り、マリアは、両手の刃をまた一つへと戻す。もう片方の手には、再び短銃。
今度は、狼より攻める。
近寄り、袈裟斬り。それを狩人が避ける。反撃の刺突。予測の範疇内。弾き、更にそれへ反撃。当たるが、まだ浅い。
銃口が閃く。しかし、今度は見える。
ばきぃん、と、派手な音と共に銃弾を弾く。
衝撃が骨に響いた。
義手を鳴らし、装填した武具を扱おうとする。
しかし、どうも動かない。先程の、失敗作たちとの戦いにおける変形が、ある程度の駆動を狂わせてしまったか。
は、と。その一瞬。しかし刃は襲って来ない。
むしろ彼女は距離を取っていた。
回復を狙っての事だろうか?
答えは、否であった。
「…!?な……」
マリアは、双刃を自らに突き立てたのだ。
貫通し、鮮血が飛び、苦悶の声をあげる。
自死?正気を失った?
困惑が動きを、また、一瞬止めた。
「アァッ!」
雄々しき轟きが空間に響く。
穢れた血が、八方に飛散する。
「…ッ!」
血の刃。凝固した血がそのまま、あの刀と遜色の無いまでの輝きと鋭さを持ち顕現しているのだ。
危。
再び、脳髄が危険を感じ取る。見れば、女史は片手を前に、突きの構えをしている。先程までならば、到底届かないような距離。しかし、今は届くという事なのだろう。
受けるか、避けるか。
避けるにしては、情報が足りない。
このまま、突くのでは無く、別の行動をするやもしれない。
ここはやはり、受け、防ぐべき。
そう考えて刀を構える。
その判断は誤ちではなかった。
が、想定外だった事は。その穢れた血族の刃は、通常では到底弾ききれないような、そんな斬撃であった事。
確かに弾いた突き。
しかし、血刃が、狼の心の臓を貫いた。
どうしようもなく、ただどうと倒れる。
今回は、此処で終わりか。
そう、思いながら。
次に活かすーー
その意識さえも、ただただ、血に塗れて消えた。
死の間際。
残影に映る姿を見た。
(……!!)
衝撃と、憤懣。
紫色のランタンが、導くように光った。
普通は、一度死んだらおしまいだ。