隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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死桜が咲く

 

 

 

時計塔の霧が払われる。

この霧が晴れるは即ち、秘匿を守りし聖女をその手で殺した時。その死を願う獣が、鞘から楔丸を乱雑に引き抜いた。

 

マリアは彼を見て不思議な心持ちとなる。夢を見る狩人、彼が幾度も来る事は何もおかしくは無い。強固な意思を持っているようであるし、尚更である。だが不思議であるのは、その動作や、様々に怒りのような感情を感じるのだ。

 

人となりなどまるで知らぬが、しかし交わした剣戟から曰く、行く道の邪魔をされた故に怒るような、そう言った人間ではあるまい。

それともそれは、気の所為であろうか?

 

 

しかし、まあ、感情など双方にとってどうでも良い事だ。

ただ残るのは、結果だけ。

どちらかがどちらかを殺すという、結果。

 

 

隻狼の立っていた床板が、弾け飛んだ。

 

火花。鈍色の火花が散り続ける。

切り、弾き、弾け、瞬き、音が止まる。代わりに鮮血が散る。狼と狩人、双方の血。

 

互いに側腹部を、裂かれてある。どちらにとっても致命傷では無い。だが互いに、後ろに退くに至る。

傷薬を呑む忍びに、マリアがその銃口を向ける。

 

ばきん。

刀の、鍔が砕ける音。何故そのような部位が?

答えは単純だ。銃弾を、そこで受け止めたからだ。

 

飛来する位置が、心の臓に特定する事に成功した故出来た事。だがそれだけでは、到底為し得ない離れ業。最早、人間業では無い。

何を今更。彼は、此処に来るまでに、人をも越えた超常を幾らも超越して来たのだ。

 

 

「ほう…?」

 

 

受けた楔丸の、銃弾の熱すら冷めやらぬ内に再び飢えた狼が襲いかかる。やはり、この攻撃性。憤慨しているのだろう。だがその技術は些かも陰りはしていない。唯々、研ぎ澄まされている。

 

 

(何を、そうも怒る)

 

 

言葉にはせず、ただ刀を構える。二つの刀が一つとなった、奇怪な形の刀。落葉と、彼女はそれを呼んでいた。

 

落葉が楔丸を弾く。忍びの技術は用いられていない、ただ受け流すような弾き。それでも十分に勢いは死ぬ。

 

古狩人の一つの刃が、両の手にそれぞれ握られる。変形し、十字に刃が走った。

それを受けるは、これも十字の刃だった。だが、忍びの刀は一本。

 

疾く斬る事をただ一意に極めた居合いの剣。

それが、この狼が放つ刃だった。

 

葦名・十文字。

 

二つの十字は、共に相殺した。

本家本元の十文字なれば鬼の腕をも切り落としただろうそれは、それでも尚十二分の威力。

 

隙を晒したのは、マリアだ。

狼は辛うじて残心が間に合っている。

 

 

「…ッ!」

 

 

突き、刺した。だが浅い。

狙いは完璧だった。が、腕で逸らされた。

精々が肩を刺し、血を流させる程度が限界だった。

 

 

マリアが、後ろに退く。

そうしてまた、身体に自らの愛刀を突き刺した。

血が放たれ、血の刃が構築される。この男を殺さねばならぬと。

 

 

「!」

 

 

しかし聖女は、驚くべき光景を見る。

あれは、あの時自らを貫いた血か。

肩を刺し穿った、微かな流血。

否。それと共に、自らから迸る血をも使っている。

 

比較的には短い、忍刀・楔丸。

その刃は、今、その刃を大太刀に変化させていた。

その大刃は、今、相対する古狩人に酷似していた。

 

足りぬ流血を補う為。贖えぬ不利を拭うため、敢えて傷を受けたのか。それを受ける為、敢えて怒る素振りを見せたのだろうか?

 

 

忍殺忍術・血刀の術。

かつて、不死の介錯を通し、編み出した秘術。

 

一刀一足の間合いではあり得ぬ距離。しかし、互いの穢れた剣閃はそれを、そう足らしめる。

銃撃戦じみた間合いが、今や剣戟戦の間合いだ。

 

 

小蝿を払うように、マリアが刀を振るう。

ぎちゃん、と、血の粘着性と刃の鋭さが入り混じる音が響く。返しに、忍びが振るう。弾く。

 

再び、剣舞が始まる。

触れ合い、裂け。

放ち、放たれ。

そうしてまた、弾く。

そのような交合が、瞬きの間に幾度も行われる。

 

刀がまじ合い、血刀がぶつかり合う度に、血の花が宙空に咲いた。はらはらと蝶々が舞い、血の悲鳴に、死桜が咲き誇る。

 

 

(…このままでは、負ける)

 

目まぐるしく血を振るいながらそう思うは、狼。

目の前の女史の血の剣は、恒久的に見える程に安定している。対してこちらの血纏は、出来損ないの、間に合わせも良いところだ。

死合いを長引かせてしまえば、この血刀は融け、そのままに惨殺されるだろう。だからこそ、勝負に出る必要がある。

 

 

剣舞を一度取りやめ、後ろに下がる。

傷薬を飲む。気休めだが、それでも。

 

 

…血の刀をそのまま、す、と構えた。

忍びのその構えは、突きの構え。

それは偶然か、強者へ辿り着いた者故の必然か。

マリアの、あの突きの構えに酷似している。

 

 

(………)

 

 

羽が、散り飛んだような、無音の瞬発。

これは、忍び技の奥義。

 

古狩人がそれを向かい打つべく、件の突きを構う。

だが、遅い。奥義の瞬突には、間に合わぬ。

 

 

落葉と、楔丸が、互いに両者の手を離れた。両者共に、片方の掌が切れて落ち、掴めなくなったのだ。

 

離れた刀は、大技の勢いのままに、互いの頭上へ弾け飛ぶ。

 

そして。

狼はその突きの動作より、狩人を踏み台に、滑らかに、宙空に飛んだ。

 

そして。

近くにある刃を。落葉を、空にて手に取った。

 

おお、敵を穿ち、再び舞い上がる様は、梟の狩りの如し。穿ち、舞い上がり、また飛びかかる。

中空を自在に舞ってこそ、梟なり。

梟が、血濡れた鉤爪を翻す。

 

 

秘伝・大忍び落とし。

 

 

血の刃が、落葉が、マリアの身体に突き刺さる。

血を吐き、力が弱々しくなってゆく。

 

 

が。その眼に宿る力は、より強くなる。

 

 

 

(…!まだ、死なぬのか)

 

 

ぞくりとした畏れを、殺意で塗り潰す。

落葉を、刺し穿ち、捻り、傷口に空気を入れつつ、その場から離れた。

 

そしてまた、床に落ちていた忍刀を再び拾い直した。血刀は融けて久しい。

やはり、これがしっくりくる。

 

小指がある限り、辛うじて刀は握れる。

義手もまだ動く。まだ、戦える。

 

 

 

ぎりと、楔丸を構えて睨み見る。血刀を引き抜いたマリアは、その身に宿る何かの力を用いたのだろう。最早、それまでの彼女では無い。

 

先程よりも、少し遅い一撃。

避けて、踏み込む。瞬間、狼の身体が燃えた。

 

 

「ぐおっ…!?」

 

 

塞翁が馬。踏み込みが、疲労より遅れていた為に、助かった。そうでなければ、燃え盛り、荼毘に付していただろう。

 

どういう事か。

狩人が振るう刀。血の刀に、更に炎が纏っているのだ。

理屈や、理由などはどうでもいい。

少なくとも、彼女はそれを振るって来る。

 

 

「……ッ!」

 

 

叩きつけるような一撃。

それを辛うじて横に跳び、避ける。

溢れた炎が、足をちりと燃やす。

まだだ。まだ、動ける。

 

血刃を、潜るようにして弾く。致命傷は負わずとも、しかし、血刀で弾かねば、どうしても貫通してきてしまう。

 

最早、傷薬も無い。

身体も限界だ。

 

だが、それは相手も同じ。

一撃は確かに淀み、動きは鈍っている。

 

もう少し。もう少しなのだ。

血の刃を潜る事は、何とか出来る。

しかし、血を振るった後に奔る炎が、狼をマリアに近寄らせない。

 

そこには、恐れがある。

燃えて、朽ち果て、死ぬ恐れ。

 

 

炎だ。

 

炎に、委ねろ。

炎と成れ。

心中の焔に、怒りに身を任せろ。

 

 

(………!)

 

 

 

そうだ。あの残影の映像が脳裏に溢れる。

 

 

…葦名弦一郎が、その身を穿たれ、死している様を。

 

 

ごう。

古狩人の放つ剣と焔が隻狼を包み込んだ。

 

マリアの手に、手応えは無い。

剣自体には当たっていないのだろう。

だが、あの炎に巻き込まれれば、命も無い。

 

 

そう、その筈だった。

 

 

だが忍びはこちらに向かって来ていた。

忍ぶように、影をも置き去るように。

死神のように。

 

焔は狼を焼かず。代わりに、その手の楔には、火が纏わり付いていた。

 

奥義・纏い切り。

その、応用であった。

 

炎剣と成った楔丸が、マリアを貫いた。

焔の刃が内側から、焼き、爛らせる。

苦悶の断末魔が轟く。

 

体幹が、崩れる。

 

 

「……御免…!」

 

 

確かに。

心臓を貫いた。

だが、まだだ。とどめを刺す。

 

引き抜き、首を裂き。

そして、首から脳を通した。

 

 

「……ァァ……」

 

 

手を伸ばす。まるで、何かを求めるように。

手を伸ばす。何かを、憐れむように。

 

斃れた。

そうして、霧のように消えた。

 

 

忍殺。

 

 

狼の意識も、そこで尽きた。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

「……む…」

 

 

紫色のランタンの前に居た。

身体には、傷一つ付いていない。

切れ落ちた指も、炭になりかけた火傷も、義手の故障も、全てが夢であったかのように元に戻っていた。

 

もしや、と時計塔を見るが、かの聖女は最早居ない。

 

 

 

「……」

 

 

ふと、狼の心の中に虚しさが訪れた。

 

マリアを想う。

秘匿を暴く為に、殺さねばならなかった。

互いに、相入る事は出来なかった。

それでも、この悪夢で守るべき者が居たのだ。

例えそれが、胡蝶の夢であろうと。

 

 

弦一郎を想う。

唯一の、この異邦における同郷者だった。

このヤーナムで、並び立つ事すらしたのだ。

もし許されるのならば、共に戻りたかった。

例えそれが、かつての宿敵であろうと。

 

そう。この時計塔の残影の中には、鎧を着た弦一郎がマリアに殺される姿が残っていた。それ故に狼は怒り、怒った故に楔丸に血を纏わせ、勝利し得たのだった。

 

 

 

「………何だと?」

 

 

その思考。

あの時、そして、先程までは疑問に思う余裕は無かった。だが、心に少しのいとまが出来た今、不自然な点に気がつく。

 

 

『鎧を着た』弦一郎?

馬鹿な。そんな筈は無い。

 

共に戦った獣、エミーリアとの戦い。

あの戦いで、目の前に見ただろう。

 

あの戦いで鎧は粉々に砕けていたではないか。

 

 

そうだ。今までどうして思い至らなかっただろうか。この悪夢の中で見た残影は、全て鎧を着ていた。まるで、此処に来たばかりのような、真新しい鎧を。

 

この土地で鎧を造る事など出来はしない。

傷を癒すことも、出来はしない。

ではこれは一体、どう言う事だ?

 

ならば、過去に此処に来たのか。いや、そうであるならば、今そこの時計塔に、死した残影がある事に、理屈が付かない。

 

 

どうあろうと、矛盾している。

これは、どういう事だ。

 

 

彼の中に、何か秘密がある。

恐らくは、本人も知らないような何か。

 

 

……ひとまずは、その疑問を振り払った。どう考えても答えは出ない。

 

それに、己が今やるべき事は、目の前の秘匿を破る事。それは変わらないのだ。

 

だが、いつかは決着をつけねばなるまい。

そう、確信もしていた。

 

 

そうして狼は、マリアが座っていた椅子に置かれた、星の盤を手に取る。静かに掲げ上げた。

 

 

時計塔の針が動く。

 

止まっていた時が、動き出す。

 

 

 




ーー戦いの残滓・時計塔のマリア。
心中に息づく、類稀な強敵との戦いの記憶
今はその残滓のみが残り、
記憶は確かに狼の糧となった。

始まりの狩人たちは血を求め、血の医療を追求し、彼女は付き従った。それは青ざめた月との邂逅をもたらし、それが狩人と、狩人の夢のはじまりとなったのだ。
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