「AAAGHHH!!!」
産声か、苦痛からなる悲鳴か。声を上げながら手に持つそれを地面に叩きつける赤子。自らを産み出した母胎の胎盤は、蠢き、そしてその皮膚同様、異常なまでに硬質。
手に持つままならば届かぬだろうと、遠ざかる距離。だが遺児は胎盤を手放していた。手放して、外敵に当てようとしていた。
ただ装束を掠め、避けられた胎盤。紐を元に手繰り寄せられ、再び子の手に戻る。紐とは、母胎と赤子を繋ぎ止める絆の証。赤子が赤子であった証座。臍の緒が鎖となりて繋いでいる。
「……」
刀を構える。目の当たりにした悍景から、意を逸さぬように。
青黒い砂浜を、抉り削ぎながら遺児が迫る。
弾き上がるその一撃は、狼の体幹を一撃で崩した。
「なッ…」
瞬間を誤ち、弾く事に失敗した事には間違いない。だがそれでも、これは、この破壊は。
膂力による手の痺れは、これまでに幾度も体験してきた。聖職者の獣。ガスコイン神父。教区長エミーリアに、ルドウイーク。獣だらけのこの有様の街で、幾度も。
単純な怪力由来の轟撃ならばこうはならない。
怨念、呪法、破壊と断絶。呪いと呪い、その、ずっと先の地獄の沙汰がこの赤ん坊の全てに乗り、その全てそのものであるのだ。
故にこそ、その一撃は、何よりも重い。
体勢が崩れた忍びに、横薙ぎの一撃が来る。
避ける事も能わず、直撃。骨と臓器が軋み潰れた。
よろめく様に後ろに下がる。
「AGhhh!」
悲鳴が後退を追う。再び地を削りながら、股の辺りから脳天を潰し割るような一打が弾ける。
蠢く胎盤は、忍びの最期の光景になった。
打撃に耐えきれなく、身体がぐちゃぐちゃに等分される。その外敵を一瞥して。
ただ、遺児はまた海を眺める。
…
……
ぐるりと、首を100度程此方に向けて。
1秒遅れて身体が此方を向き、そして脚が駆ける。
その動作は正に子供じみている。好奇心と、幼さ故に持てる剥き出しの殺意。それらの衝動から、身体の用意もしないまま獲物を見定める、子供の感情。
人ではない上位なる者より産まれようと、子供の姿は変わらない。だからこそ彼らは、ビルゲンワースや教会の情けのない下等の全てに頼ろうとしてまで、赤子を求めるのだろうか。
場に不釣り合いな思考を咎める様に、胎盤が飛来する。一撃は、弾く。それでも尚身体が重くなるような、呪いの重打。
弾かれたそれに、遺児は驚きはしない。
それは、そうだ。生まれたばかりの彼にとっては、全ての技術は等しく新鮮であり、等しく無であるのだ。
振りかぶり、叩きつける。
弾く。弾かれたまま、大振りに左右に振り回す。
なんとか、それをも弾いた。
(…成長の速さは、そのまま赤子、か)
今。遺児は弾かれる事を予測した次手を即座に繰り出して来た。それはやはり、全てまっさらである故の飲み込みの早さ。吸収の本能。
今、忍びはそれをすら弾いた。
ならばこの赤子は、それをまた学習して攻撃を繰り出して来るのだろう。本能と天性の凶暴性で振り回す魔撃は、戦う毎に人の悪意を煮詰めた知性を持ち放たれるようになるのだ。
死合いを長引かせる事は不利になる。
「Gyahhh!」
少し離れた狼を、纏わる全て毎叩き潰さんとばかりに、長く振りかぶり、臍の緒を展延させて薙ぎ払う。砂が爆発したように散る。
それを、それまでの戦、狩人より眼で学んだ足取りで前に避ける。ヤーナムにおけるその踏み込みは、幽鬼のように姿を曖昧にする。
絶好の機会に、楔丸を突き刺す。
短期決戦を狙い、心臓を狙って刃を突き立てる。
固い。そして、湿っている。
じっとりと濡れそぼり、ぬめりが付いた皮膚は、名刀の先を皮膚の少しに刺さるだけに努め、肉には達しはしなかった。
ゴースの遺児がただくすぐったがるように、手の内にあるものを振るう。
刺さったままの楔丸は最早盾となり得ない。抜き、構え、防ぐにはこの刹那は死に近しすぎる。やむを得ず背の月光を半ば引き抜き、防いだ。苦痛の悲鳴のように赤光が鳴った。
そのような付け焼き刃の防御では、弾く事など出来ない。そして弾けなければ、一発で身体を崩される。
よたりと、体勢を崩す。死を覚悟する。
だが攻撃は来ない。
こっちを観察するようにただ見ている。
これは、どういう事か。
ほんの少し考え、理解し、ぞっとした。
遊んでいるのだ。
子供が、蟻の足を一本ずつ捥ぎ、のたうつ様を観察するように。指に噛み付いてくるその顎の強さを、けらけらと笑いながら。
足を、羽根を、少しづつむしり取っていく。無邪気と無知が生む残酷を、人の悪意と呪いを以って行っている存在。
それこそが、目の前の赤子。
その蟻とはそして、己だ。
「AGhg!」
ようやく体勢を立て直した瞬間に、雄叫び。
立て直した己の懐に何かが飛んでくる。
肉片。手に持つ胎盤の筋層を捥ぎ取り、蟻に投げつけた、それである。
退避は間に合わず、呪いが爆ぜ、狼を蝕む。
「…〜〜ッ!」
だが、まだ動ける。
直接の一撃に比べれば、まだ優しいものだ。
それともこれも、敢えての手加減だろうか。
いずれにせよこれは好機だ。
死なぬとは、つまりまだ殺せる可能性があるという事。刀は通らない。針に糸を通すような精密を気の遠くなる程の施行分強制される。他の牙を試す暇すら与えられない。
それでも、血が流れるならば殺せる。産まれ、受肉した呪いならば、その身体を殺す事は出来る。
身を翻し、ゴースの遺児がこちらに向かう。
刀を、辛うじて構える。
振りかぶりに合わせ、弾きの構え。
が。攻撃が、予期した瞬間に来ない。
(!しまった…ッ)
敢えて、遅らせていた。弾きを念頭に置いた攻撃。
叩き潰す一撃が、弾きを間に合わぬ忍びを襲う。
ごぎん。鉄が、痛めつけられる音。
弾きは失敗した。ただ、刀にて防ぐのみ。
…しかし狼の体勢は今までの如く、崩れては居なかった。
崩れた忍びを予期していた遺児の一撃が、今度こそ弾かれた。
「Gooh…?」
吸収が、学びが早いという事はしかし、その学んだ事が変化すれば、騙されるという事でもある。
自らを変化させる事。中でも、戦の最中に変化させる事は至難である。だが隻狼の中にある、燻った修羅がその変化を齎す。
怪力がそのまま、防いだゴースの赤子の一撃から、大地に足を残させしめた。そしてその隙に、再び楔丸を閃かせる。
最早切ろうとはしない。
代わりに、この刀で殴打する事を意識する。
刃そのものが通らずにしても、その衝撃と痛みは伝わる。そして、それはこの化物の体幹を、確かに崩すのだ。
一撃に頼りはしない。手数で押し切る。
すぅ、
ふぅ。
深呼吸を一つ分、した。
懐に潜り込む。
瞬間、絶技が繚乱する。
葦名一文字。拝み連拳。反撃を崩し裏回りで避け、背後より火炎放射。そのままに、奥義・纏い切り。その火を纏わせたままに、葦名十文字。逆さ回しの寄鷹切りで距離を取り、離れた位置から、秘伝・竜閃。まだ止まらぬと、手裏剣から、再び距離を詰める追い切り。
忍びの技術と修羅の怪力の髄を込めた奥義の連撃。
それでも、まだ、倒れない。
苦痛から呻きをあげようとも、死なず、崩れない。
どれほどの呪いがあるというのか。
どれほどに怨嗟が降り積もるというのか。
その身体が、灰色の肌が宿すは、神秘ですら無い。
痛みに怯んだゴースの遺児は、尚その胎盤を振り回す。前にすり抜け、すれ違うような踏み込みは、読まれ、一撃を頬に掠める。それだけで肉が削ぎ取れた。
よたつく、忍び。その足元を狙い、破壊が飛来する。当たれば、足が弾け飛ぶような一撃。
だが、跳んだ。
その一撃を読んでの跳躍。
否、忍びは、よたつきからこの攻撃を誘ったのだ。
空中に身を捩り、蹴爆。そして、蹴りの後に、流れるような連撃が自ずと繰り出される。
奥義・仙峯寺菩薩脚。
それは、無形の技であり、連撃の形は人により異なる。心の在りよう、拠り所とするものが現れるのだ。
それまでの狼ならば、楔丸を用いた攻撃が現れていた。
だが、今の狼は。
悪夢に依り、夜に狂わず、血に狂う彼は。
懐より、槌を手にした。瀉血の槌。
それを、ゴースの遺児の身体に、思い切り捩じ込んだ。
苦悶の声と暴れを黙らせるように、深く、深く。
刀より余程切れ味などあるはずも無い槌は、不思議とその身体に深く深く埋もれて行く。
そして、引き抜いた。
「Aghhhhh!!!!」
ぶちぶちぶちと、肉と腑を千切りながら槌は悍しい姿を表す。その棘棘しい血の凝固は、赤子の体内で更に暴れ回りながら引き抜かれて行く。
体内で展開し裂きながら咲く、苦悩の梨の様に、激痛を与えた。
流石に瀉血とは、名負けしていない。
激しい痛みだけでは無く、恐ろしいほどの出血を伴わせてくれた。それはまた、敵対する赤子より、力を奪っていく。
体幹を、削る。膝を付いた。
動きを止めたこの瞬間ならば。
狙いを定め、楔が光る。
皮膚の薄い場所。そしてまた、致命の部位。首。
貫いて、横に裂いた。
…殺し、切れていない。
手応えがそう語る。
離れ、再び刀を構える。
瞬間。
「yghaaa!!」
爆発したような、錯覚をした。
遺児が雄叫びをあげる。
悲鳴では無い、確かな鬨の声。
呪怨の揺めきが去り、目に映るは…
(……成長した、のか…)
羽が生え、その身体は巨躯と変わり、手に持つ蠢く肉塊は、大鉈のように形状を変化させている。
再び、雄叫びを上げる。
声すら、変わっていた。
そして瞬間、落雷が発生する。
ゴースの屍体より扇状に放たれる電撃を、跳躍し、からがらに回避する。足が、避け切れなかった電気に痺る。
「……Uuuuugg…」
最早、海を見つめはしない。
ただ確かに、こちらをじっと睥睨する。
最早、弄びはしない。
自らを害する存在として認識した、抜き身の殺意がびりびりと襲う。
その害意を身に感じ、修羅の炎が身体の奥の奥より吹き出す。
身体が熱い。右眼が、燃え盛るように熱い。
身体から、怨嗟が燃え盛る痛みと快楽を感じる。
限界だ。
騙し騙し、使って来た修羅の力。
その累積したものに、身体が、心が耐えきれなくなっている。
そうだ。忍びの道具も。
剣聖の奥義も。月光の剣も。
全て、形代に身代わりをさせずに使って来た。
その歪みが、今こそ身体の至る所から噴出してきている。
薄々、感じてはいた。
だからこそ先んじたマリアとの戦いでも、この戦いでも、修羅の力には頼るまいと思っていたのだ。
だが、この敵は最早それ無しで闘えるような代物では、無い。
「構う、ものか……」
この後に、何が待っていよう。
この歪みの代償に、何があろうか。
それでも、この目の前の呪いを斃すのだ。
それが、今の己の、為すべき事なのだ。
「雄々ッ!」
「Aghhhh!」
両者の狂気が、鬨の声と共にぶつかり合う。