隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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桜流し

 

 

 

鍛冶場じみた、絶えず鳴り響く鉄の音。

再誕の広場に轟音となりて響く。

 

 

灰神楽が立つ。

汗、血、涎。熱に浮かされ、立ち昇る。

互いの体液が闘気のように。

 

 

雷光が迸るごとく、剣の咬合が繰り返される。

 

切り込み、弾かれ、弾き、切る。受け流し、再び切り、また、弾かれる。後ろに跳び、弓。避けられ、しかし回避の後の隙を狙う斬撃。修羅の肌に浅く、赤い線が生まれる。

 

その一瞬を狙い、刀。だが、弾きが冴える。

弦一郎は、はっと、体幹が揺らいでいる事に気付き、背後に跳び逃げた。傷のお陰か、こちらを追って攻撃してくる事は無かった。

 

 

『弾き』。その受動の攻めは重々しく、弦一郎にのしかかる。己がかける力は怪物の剛力と共に、己自身に返ってくる。さしずめ、岩壁に斬りかかっているような感覚。

あの頃よりも、更に更に、重い感覚。

 

 

灰神楽が立つ。

赤い灰神楽。それが示すは、切傷が炎により、焼いて塞がれたという事。出血は止まり、傷はその橙炎だけを残す。

 

 

それを見て、ふぅっ、と、息を込め直す。

降り積もっていく絶望を気合と共に消し飛ばす。

 

どれほどの間、戦っただろうか。

幾度目の仕切り直しだろうか。

息が切れる。刀が重い。矢筒の重みが頼りない。

 

 

そのような逡巡をすら許さぬばかりに、手裏剣が飛来する。ひぃ、ふう、み。気配と視界を頼りに矢を放つ。矢と刃は互いにその中道にて相当り、塵をも立てずにその場へ落下した。

 

瞬間気付く。

今なら、四射目を撃てる。

それは、確実に当たる。達人である故の確信。

神域に到達した技の粋が、一矢を当てさせ給う。

 

 

「波ッ!」

 

 

気合と共に、渾身なる矢が放たれた。

どすり、と、首筋に突き刺さる矢。

()った。

 

しかし、ただ斃れる筈のその影は消え去り、代わりに幾重もの黒羽がその場を支配する。

 

 

 

「…ッ!おのれッ!」

 

 

これは、見覚えがある。

だが何故だ。ここに来る際、忍具の類いは置いてきた筈だ。彼の手元には無かったはずであるのに。

 

彼は知らぬ。烏羽の狩人の羽を。流血鴉の羽を。彼女らの未練と怨念を用いた羽を奪い去り、牙を再び用いるようになったその顛末を。

 

霧からす。手を伸ばしても霧の如く、鳥羽の如く、捉える事能わず。

 

 

(…上か!)

 

 

黒羽が視界の端に写り、不意の一打を防ぐ。が、その後の獣性のままに襲い掛かる修羅の一刀が弦一郎の胸部から腹部にかけてを、深々と裂いた。

 

だが、苦悶しつつ、まだ引ききれない楔丸を横目に刀を振るった。剣は、手傷と引き換えに鬼の脇腹をずっぱりと引き裂く。

 

互いに、後ろに引く。

 

傷は、深い。変若の澱を摂った身体でなくば、この一閃だけでも動けぬ程の傷であろう。血がぼたぼたと溢れる。

それまでに負った傷もまた、決して浅くない。

今はまだ動く。だが、いつまで保つか。

 

対する修羅の傷も、深い。

軽い傷ならば炎で焼いて塞いでいた。だが、あの深度の手傷ならば最早その止血は通用しない。今にでも臓物が溢れ落ちそうだ。

 

 

その傷と弦一郎を見て、修羅は。

嗤った。

 

 

「……!」

 

 

ついぞ顰め面しか見なかった顔の、笑顔。それはしかし、どのような怨嗟の表れよりおぞましく感じた。

その笑みは、一度も見た事が無いにも関わらず、『彼』の笑みなどでは到底無いと分かった。

 

 

(…貴様は最早、消え失せたのだな、狼よ)

 

 

再び刀を構える。

奇しくも、瞬間を同じとしていた。

 

 

「…ならば、心置きなく殺せるという訳だ」

 

 

汗がつたい、落ちる。

その雫が地に触れるよりも早く、火花が散った。

 

 

修羅の一撃をいなし、上に跳び、そのまま四連続の弓射。それぞれを狩人の足取りで避けられ、斬りかかられる。再び刀傷が深く刻まれる。それをものともせず、再び跳び、中空より斬りかかる弦一郎。

 

防がれるが、それをそのまま突きへ移行させる。しかし、それをすら見切られる。見切り、刀を踏み躙られる。ぐらりとよろめく身体を、なんとか保たせる。刹那、納刀する修羅の姿を見た。

 

衝撃へと備える。瞬間、次元をすら切り裂くような斬撃が空間を刻む。

秘伝・一心。

 

 

「……ッ!」

 

 

反射的に引こうとする。

だが、がくりと止まる。

手裏剣が、彼の足を地面に縫い、止めていた。

 

(…技を放つ直前か…!)

 

 

は、と修羅を見る。

居合いが来る。剣を構え、盾にする。まだだ。一閃をいなし、斬りかかると共に足の刃を引き抜けば----

 

 

ずん、と衝撃が身体を伝う。

 

刃が、弦一郎の心臓に刺さっていた。

楔丸の一撃では無かった。それならば、例え仮初にであろうとも、弾けていた。

 

居合いはブラフ。彼を貫いていたものは、義手から伸びた刃。異国の剣。

変形を伴い姿を変える。そう、それはまるで。

盾を超え、相手を穿つ、ショーテルのように。

 

獣狩りの曲刀。

心の臓を貫き、背まで、貫通した。

 

 

 

「ーーーー」

 

 

どお、と倒れる。

 

修羅が、背を向けた。

死んだ者に用など無いと。

千万の殺戮を求める鬼が、死を確信した。

 

 

嗤わず、ただつまらなそうに顔を歪めた。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

(負けた。俺は、負けたのか)

 

 

 

遠ざかる。

陽炎の揺めきが、遠ざかっていく。

 

 

 

(…俺はまた、何も出来なかったのか)

 

 

 

獣の病。血の医療。赤目。葦名の復興。お祖父様。竜胤。鬼刑部。不死。心残りの単語が止めどなく現れては消えて行く。

 

 

(国を。あの葦名を。ただ、取り戻す…)

 

 

心に残った信念すら解けていく。思い出が消え行き、走馬灯がすら、曖昧になっていく。

 

心が、記憶がゆるゆると溶けていく中。彼の脳裏に残った光景は、彼自身、意外なものだった。

 

 

それは、すすき野原。

 

忍びと初めて死合った葦名の地。片腕を切り飛ばし、しかし上回る牙を身につけ、己を下した場。 

己を下した者。

御子の忍び。

 

狼。

 

 

どくん。

 

 

 

 

(……このまま、斃れるのか)

 

 

どくん。冷え切った身体に、丹田より溶岩のような熱が発せられていく。

 

己に問いかける。

そのままに死ぬか。そのまま、己が何をしてでも守ろうとした故郷をすら守れず、生まれ直した命を、何も成し遂げず。

 

あまつさえ、己を倒した相手に再び敗れて!

 

 

 

(否。否。断じて否!)

 

 

どくん。

葦名を生かす事は出来なかった。

葦名を、黄泉返らせる事すら、出来そうにない。

 

だが、一つ。ただ一つ。

ただ認められぬ。武人としての誇りが心を滾らす。

 

 

(俺は此度こそ、奴に勝つのだ。

断じて、負けられぬ!)

 

 

俺は、お前に勝つ為に此処に居るのだ。

貴様を、負かす為に。

それだけは、為す。為さねばならぬ。

 

 

どくん。

刀を握る腕に、再び、万力が籠る。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

危。

背から、何かが飛来する。感覚の従うままに修羅が楔丸を抜くと、そこに矢が炸裂した。

 

 

 

「…!」

 

 

「……クク、『修羅』が。

随分と人らしい顔をするものだ」

 

 

 

 

矢を放ったそのまま、最早持っていられぬと弓を取り落とした。丁度よい。どうせ、矢は今のもので最後だ。

 

変若の澱を得た身体とて、限界。そもそも、これは紛い物の不死にしか過ぎぬ。死ににくくなるだけで、傷が治る訳でもない。

 

血は巡らず、身体には力がまるで入らない。

刀をすら、構える事が精一杯だ。

 

 

だが、その脱力こそが彼に足らないものだった。

 

葦名の為に。師の為に。主人の為に。

あまりにも、多くの物を背負いすぎた。

背負ったあまりに、常に、肩肘を張っていた。

 

故にこそ、届かなかった技の境地が有った。

それはある日、城裏で見た、舞い。

 

 

 

修羅が実に嬉しそうに、刀を煌めかせ襲いかかる。

 

 

 

彼の師である巴が舞った、捧げの舞踊。

桜散る日は、近い。

帰れぬならば、せめて舞いを。

 

 

 

楔丸の一撃は空を切る。

狙いを定めたそれは、中空に跳んでいた。

 

 

背負った全てを、今のこの瞬間だけは忘れていた。

ただ、目の前の男に勝ちたいと願っていた。

その脱力が、奥義をその身に宿らせた。

 

桜が散る。

その独舞は、どこか哀しかった。

 

 

秘伝・桜舞い。

 

宿敵との死闘を重ねた弦一郎は。

異界の中なれど、師の高みへと至った。

 

 

末魔を断つ音。

鬼が断たれる音。

初めて見る動きに、彼は対処しきれなかった。

この動きを見る者は、葦名弦一郎ただ一人だった。

 

 

焔が、消える。燃え盛る黒炎は消え失せ、ただ、目の前に残るは彼が良く知る、忍びの死体。

 

 

(……貴様の、負けだな。御子の忍びよ……)

 

 

修羅になってから、狼は一度も死ななかった。

逆に言うなれば、『死ねば戻るかもしれない』。

 

あのランタンは、夢の中の狩人を、その一番健全であった状態に戻す。つまりは、積み重ねた怨嗟も、狂気をも祓えるやもしれぬ。

 

 

そのような、試みで、彼と戦い始めた。

だが、今の彼は、そのような事はとうに忘れていた。

 

 

ただ、達成に伴う爽快が心を通る。

そうして、鼓動が再び弱まっていく。

 

 

 

 

(………案外と、悪くは、無いか)

 

 

 

くく、と含み笑いを、最後にした。

 

からん。

刀が、取り落とされる。

 

 

 

 

 

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