隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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メルゴーの登楼

 

 

 

 

「ハァ、ハァ…」

 

 

光を避け、岩の陰へ。禍々しく恐ろしい姿のそれが、今は頼もしくすら見えた。

 

引き抜こうとした槍は、物陰に隠れ、光より逃れたその途端に姿を消す。それはまた、仮初にでも血を止める蓋となっていたものが無くなってしまったという事。身体から、みるみる血が抜けていく。

 

あの槍はどこから飛んできたという訳では無い。

光が刺さる、という訳でも無い。

身体から弾けるような。

そしてその感覚を一度だけ味わった事がある。

 

 

(…あの、『ほおずき』か)

 

 

遥けき悪夢の漁村にて、一度出会ったそれ。あの視線が喰らわせてきたものと同じようだった。内なる狂気を増幅させるのか、はたまた狂気を脳に擦り込んでいるのか。発狂せんばかりの怖気がどんどんと溜まり、終いには、そのまま息絶える。

 

あれに、耐えるという事は難しいだろう。

傷薬の瓢箪を傾けながらそう考える。

ならばあの膝下へと潜り込む。

そうすればいい。

 

 

行動は早かった。義手が換装され、展開される。

 

次に、鉄が咲いた。

折り畳まれし鉄が咲く。それは比喩であり、比喩ではない。

 

葦名に、鉄壁の名を冠した傘が有った。

それは黒笠という渾名の間者の道具。

 

元はそういう手合いだったものが、今は無い。ならば、なんとか再現しようと、修羅の己が作り出された道具だ。

鉄の兜をひしゃげ、伸ばし、畳んだ。怨嗟の力が無ければ為し得る筈も無き、「いかれ」の技。

 

仕込み傘。

雨風の如く降り注ぐ死を、その下に凌ぐ為の物。

狂気の光をそれに受けさせながら、走る。

 

がす、がす。鉄に穴が空いていく。

その音と共に、光を走り抜ける。身体には槍が発生し、血が流れるが、まだ耐えられぬ程ではない。着く迄には、まだ耐えうる。

 

 

とん、と、走り抜けた先に建物がある。

其処こそが忍びの目指す、今の光の発する足元。

 

扉を開けて、逃げ込む。

入った先で一口分、ふう、と息を吐く。

 

そうした一方で、息を吐いている場合では無いと言うことも分かっていた。

つまりは、この先から、うぞうぞと気配を感じていた。

人ではない。だが、生き物ではある。

犬か。烏か。そういった、生き物。

 

 

「!」

 

否、獣では無かった。

見上げた先には巨大な、巨大な蜘蛛が居た。

上からの気配はこれだ。

 

咄嗟に刀を構えた。

だが、どうにも動く気配は無い。ならば無理に戦う事は無いだろう。彼はその広間を忍びらしく、影らしく、するりと抜ける。

あの数全てと戦うとなれば、死なずにしても苦戦は免れ得なかった。此処で消耗を避け得た事は僥倖であった。

 

 

先を進む所には、人影があった。

 

悪夢の思考に賛同した者か、はたまた、迎合せずに叛逆する者か。前者であるならば、外敵である己を許せぬのだろう。後者であるならば、己を使命を邪魔する敵であるように感じるだろう。

 

その人物は剣を、構えた。

そしてまた、狼にはこのような所で止まっている暇は無かった。

 

 

「…退け…!」

 

 

その言葉が通じてか通じずか、飛び込んで来る鉄塊。一度見たことのある武器。ルドウイークの聖剣。それを横に弾く。弾いた流れのままに返しの一撃。相手が行う、すれ違うようなステップを読み切り、更にもう一撃。瞬く間に二撃を喰らわせた。どちらも血肉が飛び散る深手。

 

血を身体に入れて癒やそうとしたのか、後ろに引く敵対者。そこへ手裏剣を放つ狼。こちらへと近寄らせぬように奇怪な装置…ロスマリヌスで水銀を散布し、牽制をしていた男だったが、飛来する物体を止める力は無い。それはただ、胸元を貫く。

 

ぞん。

踏み込む。楔丸がぎらりと燦く。

おお、華麗なまでの抜き胴。それは腑をずっぱりと二つに分け、そうして息絶えさせた。

 

 

勝負はそれだけで終わる。

あ、という間であった。

何か異端の力を用いた訳では無い。

そしてまた、相手が弱かったという訳でも無い。

 

だが、あの悪夢を超えた先での彼。

少なくとも、剣聖や、時計塔の聖女、遺児。彼らの、圧倒的な暴威を超えた忍びには、彼は最早力不足であった。

 

刀の血を払い、すぐにでも前へ。

前へ。止まる事は無い。

放たれた鉄砲のように、熱のまま、勢いのままに。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

鉄仮面の従者は、ただ忍びを眺めるのみで攻撃こそしてこない。ただじっと、その瞳を向けてくる。だがその眼は、確かに敵意を帯びていた。

 

先に居た、巨大な鉄仮面。

それは問答無用に襲いかかってきた。

その重厚な鎧を逆手に、重みのままに落とした。

 

この足場は、酷く脆いようだ。

所々に穴が空き、今にも崩れそうだ。

下は暗澹ある闇が広がっている。

 

その、重みを持った檻がそこかしこに置かれ、そしてまたその中には本が山積みにされてある。そして、その周りには蜘蛛の巣に絡め取られた無数の目。

 

それは肉体という檻に、本という知識の証座。そこに、瞳を持つという理想、もしくは現状を表しているのか。

 

ふ、と一笑いに伏した。

その直後、自分でも何を笑ったのか。

よくわからなくなり、そこを足早に通り抜ける。

 

それは、その場所に長々と居てしまえば崩れて落ちそうであったからでもあるし、猛毒の吹き矢を放つ者が居たからでもあった。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

獣の病に罹患した犬が居た。

そう思って刀を構えた、その彼を向く犬。

その顔は、烏であった。

 

 

「…ッ!?」

 

 

死肉を啄む烏の口。それが犬に張り付いているのならば地面を這う烏の顔は?

それはまた、犬の頭。戯れに入れ替えたような。

がつがつと死肉を漁っている。

 

 

それぞれの頭を単に継ぎ合わせた所で、生きる筈もない。だが目の前のそれは当然のように生き、此方へ牙を向けている。

あくまで、健康体の動物ですらあるようだ。

 

一瞬、反応が遅れた。クチバシが狼の身体をガリ、と突いた。その口の中には咀嚼しきれない目玉が数えきれぬ程。

ぐわん、わん、わんとけたたましく叫びながら羽を広げる烏。犬の牙はぴちゃぴちゃと蠢いてある。

 

皮肉にもその気色の悪い光景が、気つけとなった。

クチバシを楔丸で貫く。刺したままに、身体の方向へ刃を無理に押し込み、半身を断絶させた。

二つ目のクチバシが迫る。今度は、避ける。そのままに、狂気的姿を忌避するように振り下ろし、首を落とした。

 

残るは狗頭。義手に装備された仕込み武器をまた換装させる。それは、変形をしない状態のままに振り回され、遠心の力を得た孤月は、華奢な見た目から想像も出来ぬような破壊となって、烏どもを叩きのめした。

獣狩りの曲刀。その一撃であった。

 

物言わぬ骸と化した化け物を前に、息を整える。

二呼吸ほど、深く息を吐いた。

 

悪夢の中である以上、不気味、悍景に対しては心備えはしてきていた。其処らに散らばる瞳。蜘蛛の巣に絡め取られた智慧。何処からともなく聞こえてくる赤子の声。どれにも心を揺さぶられぬように、進んで来た。

 

だが此処に来て、明らかにおかしい物が現れた。そしてそれはつまり、『何故ここまでには居なかった』のか。そういう疑問に集約する事になる。

 

悪夢の思考に慣れたつもりだった。これが誰が見ている夢であるのか。誰が作り出したものであるのか。それを考えるだけ、無駄であると。

 

だがこれには、どうも考察の余地がある。こういった改造を行われたものどもがいるならば、この悪夢の初めから居るべきであろう。

 

で、あるのに、そうで無いという事は、近くにこれをした者がいる、という事なのだろう。この近くに、この露悪的裁縫を行なった者がいる。それはまた、真実に近づいているという事だ。

 

 

(……)

 

 

 

たん、と、風のようにその場を過ぎ、進む。

橋のような場を渡る。

不思議なそれは、ワイヤーに吊られているようだった。どこから吊られているのだろうか?

 

そう考えようとした彼の視界に、白い影が映る。

 

骸骨。

そうであり、そうでない。

人形。

そうであり、またそうでない。

 

傀儡。糸に操られ、血すら無い。

そういったものが二体程此方を見ていた。

 

それらに、狼を足止めする事すら出来はしない。だが重要な事は、またそれでは無い。やはりというべきか、操る者がいる。それも、近くに。

 

その確信のままに扉を開く。

 

 

 

『…おお、ゴース。あるいは、ゴスムよ。

我らの祈りが聞こえぬか』

 

 

声がする。

次第に、姿も見えて来た。

それはあの奇怪な檻を被った男の姿。

木乃伊が着けた、塔じみた鉄の頭。

 

 

 

『けれど、我らは夢を諦めぬ!

何者も我らを捉え、止められぬのだ!』

 

 

正気を失った声で語りかけるその姿。

その姿は、ただただ楽しそうに。

 

 

話終えたように、此方を笑う。

そして、ととん、と足を動かせた。

あれは、走る前の動作。

 

 

(来る)

 

 

思い刀を構えた。

 

 

 

そう、忍びの読み通りに。その男は走った。

 

……忍びとは、真逆の方向へ。

 

 

「……」

 

 

はっ、と。

追いかけ始めるまで、やけに時間がかかった。

 

 

 

 

 

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