隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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しじまの黒

 

 

どんよりと、据えた気配だけが身を包む。

 

下を見やれば、随分と昇ってきたものだと実感するような光景。そして、そこに高い山のような息苦しさは存在しない。既にわかっていた事ではあったが、此の場は現実から随分とかけ離れているようである。

身体から血が出、死ぬ。そんな、現実と真実味を帯びた感覚と、この夢の中そのものの感覚が同居しているという事実。それは、真正面から考えると頭がぐるぐるになってしまいそうだった。

 

ええい、と鋼の技術で頬を軽く叩く。考えるより、身体を動かすべきだ。ましてや、考えても無駄な事なれば、尚の事。

 

先を見れば何かが居る。それは周りの光が足らずしてか、真黒の影のように見えた。否。実際に、そうであったのだ。

彼の様子を、忍びは一度見た事がある。

影がそのまま一人歩きしたような、その様。

 

影のような。否、影そのものである。

何かに光が当たり出来た闇という意の影であり、そしてまた、何かに仕える者としての影である。

 

ヤーナムの影。

その姿はあの森で見た姿である。

ただその中に蛇は巣食っていないようだ。

 

何故わかるか。見れば、わかる。

忍びはそのようになっていた。

ここに来て、内に潜む怪物性を嫌と言うほどに見てきた。獣の病による暴虐性、寄生し動く生き物、元より皮のみを借りた上位の者。そしてまた、悪夢により生かされた怪物たち。

 

それに触れる内に、だんだんと判るようになって来たのだ。いのちの感覚を。そこに潜む、生命の感性を。

見えるでも、聞くでも、感じるでも無い。

ただ、そこにある事が判るのだ。

これは忍びの技か、狩人としての業か、はたまた。

 

いずれにせよ影には、何も内なる者を感じない。故に、ただ足音を消して、二体が並ぶヤーナムの影の背後へと行く。

 

ぞん。楔丸が首筋を掻っ切り、沈んでいく。

それに気づき、もう片方が刀を振るう。その一刀を弾き、斬りかかる。

 

危険を感じとり、身を引く。するとそこに、火の玉が着弾する。そうだ。あの時。あの森で、彼らは「三人組」だった。

やはり、此奴らもそうであったのだ。火の玉の飛来先を睥睨すると、そこには蝋燭を手に持つ影があった。避けられた事実に、動揺しているようだった。

 

どん、と蹴りをかます。

怯み、しかし返して来た影の攻撃をすり抜けるように避け、串刺しにする。そしてその身体を、火球の盾とした。

 

 

…そのように、次に、次にと進んでいく。

彼の技術の洗練は、あの森の比では無い。

 

 

さて。

進んでいくと、ふごふごと耳障りな音が聞こえてくる。

その音は彼に嫌な光景を想起させる。血塗れの髪飾り。少女との約束。子守唄のオルゴール。

 

 

(…!)

 

 

人喰い豚。

徹底的に肥大化したそれの音だ。

醜いそれがいななく、汚い音。

 

先を見ると、そこには大きな大きなそれ。

尻部を此方に向けたその姿は、ヤーナムの市街の地下に居たそれよりも随分と巨大なように見えた。

 

忍び寄り、殺害しようとする刹那。

ぞっと感じとるものがあった。

先ほど、影には感じ取れなかった、内なる命の感覚。

 

なんというべきか。何かが、その肉に潜んでいるという事では無い。むしろ、その一個体である事に間違いは無いのだ。

だが、この目の前の豚は、何かが異なる。

身体が盾になり見せぬ前方に、何か。

決定的な違いがある。何だ。何かが、瞬くように。

 

 

ぴくり、とその豚が反応した。

こちらの音は聞こえなかった筈であるのに。

何故気づいたか。その答えはすぐに出る事になる。

 

視界の端に捉えたのだ。

二つの眼には、絶対に映らない場に忍びは立っていた。

それでしかし気づくという事はつまり。

 

 

ぎょろりと。

十数はある瞳が、全て忍びを睨む。

豚の、貪る事しか考えない瞳。化け物の姿。

 

 

「……これはッ…!」

 

 

背中に氷柱が刺し入れられるようだった。

悍しい光景には、ことヤーナムに於いては茶飯事。

故に慣れが生じ、怖気死ぬ事は無くなった。

それでもたじろぎ、戸惑う程の気色の悪さ。人としての倫理へ真っ向から否定され、常識を否定され、そしてまた実感する、悪夢の世界。その異常。

 

足を止めてはならない。

動け、動け。

そう言い聞かせ、頬を噛み、目玉豚を見る。

そうしたお陰で、何とかその初弾を避けれた。あの質量による突進。目の前に食らってしまえばひとたまりも無い。

 

避け、側頭部に立った。

が、それでも眼が合う。ならばと。

 

義手が鳴り、2回程振られる。

手裏剣が飛び、その眼を幾つか潰した。

ぴぎいという、豚の苦痛による悲鳴がこだまする。

そうだ。その気味悪さに気を取られていたが、あの目は即ち、弱点が増えているという事でもある。粘膜は、脆いのだ。

 

怯んだその豚の眼を狙い、跳び、刀を突き刺す。暴れ回る獣を御するように、頭蓋骨をなぞりながら眼を通して脳を攪拌していく。

如何に強靭であろうとこれをされ死なぬ筈は––––

 

 

ぐちゃ。

狼の、身体から鳴った音だった。

即ち再起不能を知らせる。そんな音だった。

 

何が起きたのか。

後ろからの衝撃。

そこには、目玉豚が、更に1頭。

否、己の身体に突進してきたものも含め、2頭…

 

あの、苦痛の悲鳴。

あれが此奴らに敵の所在を知らせていたのだ。

 

死の間際、忍びはただ自身の迂闊さを噛み締めていた。

 

 

 

死。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

人面がついた蜘蛛。曲がりなりにも会話を行えた、学舎に居た「パッチ」を思い、話そうとしたが無駄だった。

そもそも、話す余裕もあまり無かった。らん、らららんと聞こえてくる歌が、聞こえてくるだけで正気を蝕み続けるのだから。

 

ここは、登楼の中腹。

そしてその中。此処にある筈の者を探しに来た。

橙色の光を放つ存在は何であるか、の探究。

 

 

ほおずき頭が二体並ぶ場に出た時は、実に肝が冷えた。

しかし、その口を露わに襲いかかってくる瞬間を狙い澄まし、背の月光を体内へと叩き込む事によりそれらを滅却する事に成功。なんとか死なずに打ち勝つ事が出来た。

久方ぶりの血。不死の月光はその光を一層増したようだ。

 

その月光が、疼くように、更に反応している。

 

直前に、狼は一つ、レバーを下げた。鎖の音が聞こえたものの、何処のものが落ちていったのかはさっぱりだった。

それを心残りに探索していく中に、大きな大きな虚を見つける。その中に、月光は反応しているのだ。

 

 

(この中に、橙色の光の元があると云うのか)

 

 

心中に、そう呟く。当然答える者は居ない。だが背中の赤い光だけがただそこを見ろと言わんばかりに輝く。

 

 

「……」

 

 

ままよ、と、そこへと飛び込む。

 

身投げは、初めてでは無かった。

葦名の底へと飛んだ事がある。その時のように。落ちる最中に、夜目の効く忍びの眼光はかすかなとっかかりを見つけ、そこに鉤縄を放つ。落下のエネルギーを身体の回転により全て消し、無事に下に着地した。

 

 

そこは、真っ暗である。幾ら目が効こうとも、そもそもの光が無く、光が届かぬならば見る事が出来ない。

仕方が無いと、勿体無いような気がしながらも、火炎放射を放ち、それを布に移し松明のようにする。さあ、何があるのか。

 

 

巨大な眼光が、また此方を見据えていた。

 

目、目、目。

豚からまた、延々と眼が此方を見据える。

しかし今回に限り、その目はさして重要では無かった。

その目が、何に付属しているのか。

何にへばりつき存在しているのか。

 

心臓のようでもあった。狂気そのもののようでもあった。

そしてまた、生き物のようでもあった。

どくんと、未だに全身で鼓動を続けるそれは、巨大な脳味噌だった。

 

脳に、瞳を持たねばならぬ。

学舎で幾度も幾度もメモ書きに見た言葉だ。

まさか、この様な意味合いであった訳ではあるまい。

だがそれが今目の前にある。これはどういう事だ?

 

ただ迷走であるというだけなら良い。だがこの脳味噌は確かに狂気を増幅させ、神秘を穿ち、悪夢を存在せしめているのだ。ならばそれは、ただ一方的に『間違いである』と断ぜぬ思考の産物だ。

 

上位の者が赤子を求め、人々はそれに呼応した。

赤子の代わりに、上位の者がこれを与えたのだ。

そうでなければここまでの物を存在せしめられる訳が無い。こんなもの、人の所業で為せるものでは、無い。

 

 

(ならば、赤子を得た上位者が此処には居るのだ)

 

 

は、と気が付く。

そうだ。

上位者は、見返りとしてこの瞳の脳を渡した。

では、このような見返りを用意するには、欲しいものを貰えたと云う取引があったはずなのだ。

 

故にこそ、ここには悪夢があり、悪夢がこの夜を終わらせぬのだ。夜が終われば夢が覚める。そして夢が覚めれば、この狭間の邂逅における出逢いは全て無くなってしまうのだから。

 

そして目覚めぬ夢。それは己の、不死の遠縁になっているのだろう。

 

何故、狼はこのメンシスの悪夢へと来たのか。

彼自身、よくわかっていなかった。

だが、ようやく分かった。

彼の中にある、変わりつつある何かがそれを理解し、それを根本から断ち切ろうと思っていたのだ。

 

ならばもう、迷う事は無い。

この脳味噌を、破壊する。

そしてそれでこの夢が晴れぬようならば、上位の者が居るという証拠になる。それがわかったのならば…

 

 

(…それを、斃す)

 

 

がしん。

義手に換装された仕込み武器が入れ替わる。

回転ノコギリが、目の前の肉をすり潰そうと火花を散らす。

 

 

  

 

 

 

 

……

 

 

 

血濡れた忍びが道を歩む。

この血は、全て返り血である。

ぐちゃぐちゃに、掘り進むように挽肉へ変えた脳の血。

据えた、腐った臭いは吐気を催す悪臭を放っている。

 

生きているように蠢くヒモだけを残し、巨大な脳味噌は霧のように消えていった。それは恐らく、それ自身の消滅。完膚なき破壊に成功したという事だろう。

 

それでも尚夢は覚めない。

つまり。

居る、という事だ。

 

何が。

何かだ。我らの上に立つ、何か。

 

 

石畳を歩く先に、血を流す何かが居た。啜り泣くその、亡霊の如きドレス姿の存在は、ただ悲しげに道の先を睨んでいる。

 

 

 

「…あの先に、居るのか」

 

 

返事は求めて居なかった。

が、亡霊はこくりと頷いた。

それに確証を得、ゆっくりと進む。

 

 

エレベータが、がこんと上に上がる。

 

その最中、様々な事が浮かんでは消えていた。

ここに来てから、多くの事がありすぎた。

それらの終着が、此処に有るのやもしれぬ。

がらにもなく、心がざわつくのを感じた。

 

 

登楼の果てに辿り着く。

 

 

登りつめた先は、頭蓋骨が敷き詰めたれた広場。

そして中央に乳母車が。

中より、おぎゃあ、おぎゃあと泣く赤子の声。

 

 

刹那、黒羽が世界を支配した。

 

 

「……!」

 

 

これが。

これが、上位者。

これが、斃すべき者。

これが。

 

 

肉体の持たぬ姿に、ローブを纏い。

その先にあるべく掌には代わりに刃を持つ。

 

メルゴーの乳母。

 

10はあるだろう刃を前に。

ただ忍びは、一本の刀を向けた。

楔丸。

彼を表す、彼の刀であった。

 

 

 

「……参る」

 

 

 

狼と、夜闇の上位者。

一本と、十数の刃。

 

それが今、鎬を削る。

 

 

 

 

 




次回、vsメルゴーの乳母。
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