遅れてしまい申し訳ありません。
隕鉄の輝きが月光を受けて煌めく。
ざふ、と足元の花が踏まれる音がした。
瞬間。葬送の刃がぐるりと、狼の首を覆っていた。後はただ、ゲールマンが自身の方向に刃を引くだけで、首が落ちる。そのような状況。
そうはさせぬ。既に刀は構えられており、そこを守り、弾く。
一度目。
この神速に首を刈られ、瞬く間に死した。
柄が長い得物。一度の攻撃に、否応無く隙が出来る。それを目視し、懐に潜り込み、刀を振るう。
ざくりと一撃が入るが、それを受けながらも、敢えて鎌を構えるゲールマン。そも、受けるつもりであったのだ。
危。
眼前に、死が迫る。
それをわかって居ようと避ける事が叶わなかった死が、二度目であった。ぞくりとするような速度。威力。
今度は防ぎ、弾いた。
で、あるのにも関わらず皮膚が裂け爛れている。
熟達の狩人の斬撃が、受けをもすり抜けて切り裂いているのだ。流血は少ない。ならばそれを気にする理由は無い。元よりそんな暇も無い。
大鎌は、戦闘に於いて適する形では無い。
振りにくく、刃も突き立てにくく、いたずらに重い。
槍や、薙刀。戦用のツルハシでいいだろうと云う考えが一般的である。
で、あるのに。大鎌を武器として扱う者は居る。
多くは、威圧の為。
根付いた死神への信仰が、敵の心を殺す。
そして少なくは、相手への敬意の為。
刈り取る命を、それでも儀礼を以て奪う敬礼の形。
前者としての鎌は、ただの見掛け倒しが多い。
しかし後者は、その道を極めた故の局地である。
このゲールマンは、明らかに後者であった。
「ハァッ!」
気合いが、狼の胴を薙ぐ。
その一撃をまたからがらに弾く。胴に切れ込みが入った。
防戦一方であるだけならば、良い。
だがこれは、違う。
徐々に裂かれて行く様は、ただ死を遠回しにしているだけだ。
ずん。
踏み込みが成される。
一か八かの賭けへと出た狼の足音。
それと同時の、ゲールマンの足音。
偶然合わさった。否。読まれたのだ。
「……くッ!」
義手を、ひりひりと感じる殺意と己の間に割り込ませる。
刹那、義手が曲がった刃の形に等分された。
この戦いが再び夢と成ればこの義手は治るだろう。
だが、ああ。今は片手で戦わねばならない。
この腕に仕込んだ狩り道具も、この様子では、使えたとして一つ。
両腕での構えを解き、生身の腕のみで楔丸を構える。
両手で持つべきその刀はいつもより重々しく感じる。
「フぅッ…!」
吐き出すような呼吸と共に、ゲールマンが上へと飛ぶ。
中空に留まるその姿は、正に死神じみている。
幾度目だったか。
この状態より飛んでくるかまいたちに、半身が泣き別れた。
ならば鉤縄であの元へと行けば。
そう、ちらりも見た義手は切断されており、動かせはしない。
(………!)
花畑に飛び込む。
飛び込むように、避ける。
幾つか、避け切れずに弾いた。
その度に白き花が血に汚れた。
白色が、影形も無くなってしまったように。
(…このままでは、負ける…)
負ける、という事自体は、最早慣れてしまった。
だがここでの問題は、勝つ見当が付かない事。
何故、こうまで強い?
かの時計塔のマリア。
あの女傑の強さと似通った、隙の無い、練り上げられた力。
そしてまた、老いた姿なれど、彼女よりも強い。
その要因としては、あの足が大きい。
車椅子に座っていた、『助言者』の頃には無かったあの足。いつの間にやらあるそれが踏み込む力は、正に大地そのものの威。
やはり、あれだ。
あれこそが強さであり、恐ろしさ。
…だが、一方でそれがまた付け込む可能性であるやもしれぬ。
狼は不思議とそう思っていた。
それは、自らが築いてきた死戦の感覚。
『彼自身も、あの足の存在にまだ慣れきっては居ない』という、根拠の無い推論。否、根拠は、この忍びの眼が捉えているのだ。
あの足への慣れは、即ち己の勝算が0となるカウントダウン。
そのカウントダウンは、己と戦う度に、進む。
だから、攻める。今此処で。
かまいたちを放ちふわりと着地をする老狩人の身体の、末端部分。正に、足へと切り掛かる。当然の如く防がれるが、その返しの刃への対処までは間に合わない。
片手に振るう楔丸の一撃に、重さは無い。
だが忍びの粋を極めた彼の一撃には代わりに鋭さがある。
今の隻狼は空に浮いた和紙であろうと易々と断つであろう。
それが、もろに当たった。
先ほどの、当てる事を前提とした受けでは無い。
初めて、老狩人が苦悶に顔を歪める。
しかしながら、致命的な傷では無い。
鎌の射程を最も有効に扱えるは中距離。
故にゲールマンは距離を離そうと退却する。
それを狼はさせぬ。後ろへの踏み込みへ追従する。
さあ、この隙に殺しきるのだ。
好機。
だが、忍びとしてでは無く、狩人としての感覚。
変形する武器の姿こそが狩人の武器であるという知識が、狼の脳裏をよぎった。その躊躇が、追従を鈍らせた。
その鈍りこそが、狼の命を救う。
刹那、狼の胸から臍の辺りまでが縦に裂かれる。
薄皮一枚で済んだそれは、後一歩でも踏み込めば臓腑を散らしていた事だろう。それはあの鎌の一撃。
…否、それは今は鎌では無い。
大ぶりな曲刀を片手に持ち、もう片方には銃を持つゲールマンの姿。あの狩人の武器は、間違ってもただの大鎌では無かった。変形を用い、姿を変え、相手を狩る。その原点の剣。『葬送の刃』。
そうだ。先ほどまでの退却は、己を誘っていたのだ。
死出の誘い。
ざくっ。
花が押し踏まれる音。
先ほどよりも、強い踏み込み。
老人の巨大な体躯が目の前にあった。
葬送の刃の射程距離は、先ほどまでのような中距離では無く、忍びの手にある楔丸じみた、至近距離でのかち合いを得手とするもの。だからゲールマンは、先程までの距離感で無く、ずいと近寄って来たのだ。
(…弾、ける…)
流れるような斬撃が次々と襲い掛かる。
だが、弾く事が出来る。
威力は先程よりも下がっている。その圧倒的な手数も、ごく最近のメルゴーの乳母に較べれば、まだ、弾けない程では無いのだ。
弾く、弾く、弾いた。
瞬間、隙が見えた。
斬撃がそのまま入る。
(…!)
ば、と飛び掛かる。
刹那。
銃口が、煌めいた。
ばん。
その銃声は、襲い掛かる敵を穿つ。
獣や、獣に堕ちた同胞の力を利用し、その敵の力を体内に逆流させる。膝を付き、動けなくさせる。狩人の技術の一つ。
ただ、それは。
あくまで銃弾が当たればの話である。
「何…!」
驚愕。
ゲールマンの表情に、初めてのそれが浮かんだ。
忍びは、狼は。銃弾を避けたのだ。
完璧に攻撃を誘い、それに乗った筈であるのに。
何故、あれを避けれたのだ、と。
狼の回避は、既視感によるものだった。
時計塔のマリアとの戦い。
彼はその戦いで、攻撃を誘われ、銃に貫かれ、臓腑を抉られた。
その一連の動作に、とても、とても似ていた。
そう感じた狼はただ、身体が赴くままに身体を捩り、その弾丸を避けれるような体勢のままに攻撃をしたのだ。
寄鷹切り・逆さ回し。その、応用である。
狩人の技術の局地へ辿り着いた者の必然か。
それとも、彼らの間に何か関係があったのか?
いづれにせよ、悪夢と狩人の気配こそが彼を救い、そしてこの戦いのイニシアチブを彼に握らせるに至った。
ゲールマンが、即座に攻撃を繰り出す。
しかし、空を切る。
虚を突かれし者の一撃とは思えぬ鋭さだったが、それでも。
狼は、何処に?老狩人の目には、消えたように見えた。
ふと視界の端に、花びらが散った。
それは、足元の白い花では無い。
淡く、桃色が散りばめられた…
ば、と花弁の方へ視界を向けた。
狼は、上だ。
瞬間に、上空へと飛んだのだ。
すう。
忍びは、一つの呼吸をした。
この技は、己が破れた技。
己でありながら己でない己が、負けた技。
追憶の中で、己を斃した姿を幾度も見た。
最早二度と会えぬのならば、せめて舞を。
桜が、舞う。
秘伝・桜舞い。
「グ…ウゥ…!!」
回転を伴う斬撃は、ゲールマンを深々と切り裂く。
だが血は流れぬ。
そしてまた、倒れる気配も、無い。
「……ア…」
「…Ghaaaaaaag!!」
「!」
ごう、と老狩人より風が吹いたようだった。
その力の奔流は、人間が出すべきものでは無い。
これは。
この、穢れた力は。
ゲールマンが此方を向いた。
その眼に、人らしくない輝きを携えて。
虚しき、姿であった。
狩人としての実力を誇りに思っていただろう。
そこまで練り上げるには、挫折もあっただろう。
その実力だけで、己を圧倒できていたのだ。
そのままで、良かった筈なのだ。
であるのに、神秘の力に頼るゲールマンの姿。自らの努力も、強さも、全て灰塵に帰す、それのなんと虚しき事か。彼の狩人としての技術は、生涯は、この瞬間無駄になったのだ。
一瞬、滑稽なまでの、グロテスクさだった。
(……)
お主は、それを求めていたのか。
言葉に出来る訳も無く、ただ刀を構える。
「Hagh!!」
曲刀での一撃。
重い。速い。先ほどよりも、もっと。
で、あるのに。
忍びはその攻撃を、先程より余程弱く感じた。
感情論だけでは無い。
その有り余る力を前に、技術が追いついていないのだ。
当人が、一番わかっていた事だろう。
己よりも、その技を手にした自身が。
そうまでして止める理由があった。
そうまでせねば、救いは無かった。
そうせねば、彼は救われる事は無かったのか。
「Hagaa!!」
単調な一撃は、軌跡が読める。
その軌跡の延長線上に、す、と義手を差し出す。
最早、義手に仕舞い込んだ武器は、まともには使えぬ。
だが、いくさには、まともでない使い方が、多々ある。
トニトルス。
仕込んだきり、強敵に用いる事も殆ど無かった武器。
それが裂かれ、内部機構が暴発した。
「ぐお…っ!」
「ga……ッ!」
互いに、感電する。
痛みに怯みはしないゲールマンだが、肉体を通う神経を、電気が犯し、びくびくと痙攣させている。
先に回復したのは、狼だ。
不意を打たれたものと、覚悟したものでは、回復の速度が異なる。
大忍び突きの構え。
この技が唯一、今の片手の己が彼を苦しませずに、送ってやれる技だ。
最後の一瞬の世界が鈍化する。
助言者よ。救いは与えてやれぬ。
だからせめてもの、介錯を。
「……
⋯ああ、君。介錯のつもりかい?
であれば、感謝を伝えておこう⋯」
「フフ…
すまんな、ローレンス。待ちきれなかった⋯」
「…すべて、長い夜の夢だったよ…」
ーー戦いの残滓・助言者ゲールマン。
心中に息づく、類稀な強敵との戦いの記憶
今はその残滓のみが残り、
記憶は確かに狼の糧となった。
ただ一人の狩人であった彼は、それ故に夢に囚われた。
狩人の夢は、彼が見た憧憬であり、友との約束だった。
同胞との約束。ただその為に彼は忍びを引き留めようとした。