隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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元凶

 

 

 

霧のように消えて行く助言者の姿。

 

悲願を遂げれず、ただ囚われた挙句に死したその者は、それでも穏やかな死の顔であった。少なくとも隻狼はそうだったと、信じたかった。

 

 

 

 

どくん。

心臓が鳴り響いたような気がした。

舞い降りし音が、空気にこだまする。

 

どくん。

血が、鎮まるようにすら感じた。

 

 

 

 

赤い姿が降臨する。

その姿は、月の赤を。血の赤を宿したようで。

 

赤色がまた、狼を誘う。

その誘いのままに、狼が紅に向かわずには居られない牛の如く。焔に自ら向かう毒蛾の如く。

ふらふらと、幽歩を進めていく。

 

 

意識はある。

あるが、無い。

矛盾しているが、そうとしか言えぬ。ただ頼りの無い足取りを、白い花畑に似つかわぬ不釣り合いな体躯に、魅了されたかのように。

 

 

『それ』が、両腕でがしりと隻狼を掴んだ。

胴も、頭部も、それに生えた髪のような触手も、当然の如く赤黒い。

 

うっとりと見入るように、手の内の忍びを睥睨する『それ』。否、果たして真に睨んでいたのかはわからない。その頭には、顔は無かった。あるべき場所にはただぽっかりと穴がある。

 

無貌。

それはまた、上位に在る者の共通項であるのか。はたまた、ある筈のそれを認識出来ていないのか。はたまた、顔が在るべしという考えこそが、次元の低い思考だとでも云うのか。

 

 

それは、間違いなく上位者。

アメンドーズに、ゴースの遺児、エーブリエタース、メルゴーの乳母。

それらに連なり、そしてまた連なって居ない存在。月から降り立ったその存在をただ受け入れていた。

 

 

(……?)

 

 

何かの感触が狼に正気付かせる。

それは掴まれている感覚でもまさぐられる感覚でも無い。そも外部からの要因では無い。

懐に、ずるずると這い巡るような感覚。

 

 

懐に、最後に入れていた物はなんだったか。

思い出せずに居る。

記憶に薄ぼんやりと白い膜がかかっている。

それをすら剥がさんばかりに、懐が蠢く。

 

なんだったか。

何が、こうも動いている。

何かを伝えようと、している?

馬鹿な。まるで生き物のようではないか。

生き物を懐に入れた覚えなど無い。

 

そうだ。懐に入れた物は。

あのメルゴーの乳母が死に際に遺した物。

細長く肉肉しいそれは、以前にも一つ手に入れた事がある。己が虐殺を行ったオドンの教会にて、何かを孕んでいた娼婦が産み落としたものより簒奪したもの。それと、同じ。

 

そうだ。懐に入っていたものはそれだ。

それが動いていたのだ。

何を伝える為に?何かを教える為に?

何をだ。

何がある。

何が起きている。

 

ずぐり。

懐のそれが、身体に埋まった。

豆腐に指が沈むかのように、忍びの身体に臍の緒が、ずぶずぶと沈んでいく。

 

 

(なッ……!!)

 

 

神経毎に針を刺されるが如く激痛。

その痛みと感覚。何が起きているのかという認識。同化に伴う目の冴え。

それらが、忍びの思考の膜を取り除いていく。

 

そうして眼に映る者は。とうに映っていた。

しかし、初めてその眼で見たのだ。

 

明らかな異形。

敵だ。

胴体は脊椎のみが残ったかのように細く、頭部には頭足類の足じみた肉体。

 

 

感情が、湧き上がる。

 

それの噴出のままに、己を掴む腕を裂いた。

ゲールマンとの闘いが終わると共に今の状況になった。つまりは、まだ楔丸はこの手に握られているのだ。

その傷は、とても浅い物だった。

それでも『それ』は手を離し、身を引いた。その様子はまるで、狼狽しているようだった。

 

 

狼に湧き上がった感情。

それは怒りだ。

全てを焼き尽くすような怒り。

此奴が。この目の前の存在が。

 

狩人の夢に現れたということ。

つまりはゲールマンを夢に囚えし者。

そして、月に囚われし助言者を唆した者。

彼にその足をすら夢の中で戻し、その尊厳をも粉々にした存在。

 

 

無論それだけでは無い。

それだけではこの怒りは到底湧きはしない。

 

 

 

己がこの、ヤーナムに来た時。

初めは、悍しい彫刻に祈った時だった。

あの時は疑問にも思わなかった。

あの彫刻は如何にして彫られたものなのか。

何故己はそれに『祈りを捧げた』のか?仏ですら無いそれを捨てずに、畏んだ理由はなんだ?

 

 

 

答えが目の前にある。

あの時。

あの夜。

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この見た目を見てようやく分かった。

彫刻と、まるで同じ姿のこれを見て。

 

此奴が全ての始まりだったのだ。

己がこの魔都に送られた事も、この夢で不死の夢に酔った事も、弦一郎の命を弄び、再びこの世に顕現させた事も。

 

己が人ならざるものへと成っている事も。

 

不死であるというそれでは無く。

どんどんと、人としての感覚が失われているのを狼は恐々としながら感じていた。啓蒙は通常の如く得られず、眷属を忌々しい心持ちで見つめ、上位者を葬る事に罪悪感すら得ていた。

 

 

 

忿懣が、湧き上がる。

何故、そうまでして俺を此処に呼んだ。

停滞し、滅びる世界を憂いたか。

夢が覚める事を恐れたか。

 

違うな。

 

狼は、2本の臍の緒と同化し、更にそれらに近しい存在となり、思考を得ていた。

故にこそ判る。

 

飽きたのだろう。

変化の無い現況に、ただ獣狩りの夜を受け入れているこのヤーナムに飽き飽きしたのだ。

 

だから、狼を呼んだ。

主人を亡くし、任を終え、抜け殻になった、強者の存在を目敏く見つけた。

呼べば、面白くなりそうだと思ったのだろう。

そのぽっかりと空いた顔で。

その、巫山戯た思考で。

楽しい玩具だと思ったのだろう。

 

 

背中の月光が己に力を貸した理由も分かった。

赤い光の理由も、何もかも。

 

此奴だ。

此奴だ。

此奴だ!

 

 

ぎりりと、楔丸の柄に力が籠る。

『それ』…月の魔物、は、その姿を見て、どうにも楽しそうに身体を歪めた。

 

 

 

思えば、葦名に居た頃も、此処に来てからも、狼は己の意思のままに戦う事は無かった。

命ぜられた為。先に襲われた為。何かの目的の為。闘い、殺す事は幾度もした。

 

だがここに初めて、狼はその激情のままに目の前の敵を殺そうと決心した。

迸る感情のままに、殺意を抱いた。

 

皮肉な事ではあろう。

それもまた、彼が望む、人らしく生きるという事であるのだ。

 

 

 

白い花弁が散った。

最後の戦いの幕が、開いた。

 

 

 

 

 

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