隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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月明かりの道標

 

 

 

 

 

 

血飛沫が散る。

 

度に、鉄の花と鈍色が煌く。

 

順繰りが逆ではないか?

否。魔物の攻撃に身を裂かれた狼が、そのままに刀を振るっているのだ。

 

身体が割れ爆ぜようと、意思が脳を動かしている。血の意思。血に宿る力。意思こそが力。力こそ血肉。

 

リゲイン。狩人として目覚めた狼が、持ってしまった、穢れた血の力。

 

 

 

血肉が血肉を切り、赤が赤を染め直す。

月の魔物は、ぶんぶんと触手を振り回しながらその身体を千切られていく。

 

血は赤い。

夢の全てが赤い。何もかもが赤い。

それはその身を焦がさんばかりの怒りに依るものなのか、赤き月が照らす光のものか。もはや知るよしも無い。

 

動きは、鈍い。少なくとも、今の隻狼からすれば、かなり。打力も、然程では無い。巨軀に似合うものではあるが、その程度だ。

 

分析を静かな行う裏で、激憤が心を占める。両方が矛盾せずに狼に有る。

 

殺す。一刻も早く。この身を粉にしても。

そうするには、どうするか。

怒りも分析も辿り着く事象は同じ事。

目の前の怨敵の殺害。

 

鉄の義手は、先ほどのゲールマンとの戦いで寸断されたままだ。そこに装填された多くの狩人の武器は使えない。

使うとなれば、義手に嵌め込んでいない武器。

一つや、二つ程度しか無いが。

 

 

 

とん、と。月の魔物が姿を揺らめかせる。

違う。空気が揺らめいている。

それも違う。湧き出た気体じみたものが、風景を歪ませて写しているのだ。

 

ずるりと両手を広げた。すると上位者が思う通りに、泡沫じみた蜃気楼が地から立ち上る。幾つも幾つも湧き上がったそれは、透明で白く、見ているものを麻痺させるような光のあぶく。

 

 

しゃぼん玉が、弾けた。

 

何処にあったか、その中からは赤々しいグロテスクな血が撒き散らされる。

白花が赤黒く染まる、渋柿色の装束が、赤赤と染まる。

世界が更に赤く染まる。目に血が入ったか。それでも敵は見える。拭うよりも先に攻撃を。

 

 

気迫に押されたか、単に様子を見ようとしただけか。一旦、引こうとする魔物。

その足を絡め取るもの有り。

地面からゆるゆると出てきた幻影。

 

地から這い出たものは先ほどのような血を含む泡沫ではなかった。それは、片目の無い獣。四足の狼。狼のまぼろし。

 

夢を同様に見るように。飽きを感じるように。

上位者は、我らと異なる思考を持ちながら、同じ思考を持っている。だから、まぼろしに騙されるだろうことも確信していた。

 

案の定、月の魔物が動きを止める。

 

しかし、そこに焦りのようなものは見られない。無貌故に読み取れぬだけか。否。

此方を観察するように眺めている。

その事実が、より隻狼を逆上させた。

 

 

じゃき。

背中の大剣に手を伸ばす。

 

月光の剣は、最早その赤に月光の力を狼に貸す事はない。ただ古びた大剣がそこにはあるだけだ。包帯が巻かれた、壊れかけの剣。

 

それでも、単なる刺突の一撃としてこの剣は有効。それが虚偽の月であろうと、二度と宿らぬ境地の力であろうと、神秘を宿してしたという事だけは事実。

 

ルドウイークを導いた欺瞞の光は、それでも、立ちはだかる愚者を滅するのみ。

 

まず足を刺し穿った。そのまま刺したままに、身体をなぞるようにぐんと押し上げ、肉体を裂いていく。脚から胴へ。革を裁断するようなその動作。

 

当然、中途に止められる。頭の触手が、それぞれ必殺の一撃になり狼を襲う。身体に当たる事自体は防いだ。だが、月光の剣が、代わりにその一撃を喰らった。

ぴしり。ひびが、大きくなる。

 

 

(……!)

 

 

まだ。まだ振るう。

縦に振るい、剣先を以て穿つ。

ひびが深く、深く。

 

遂に。魔物に風穴を開けた代償に、ひびが達した。

 

 

(……)

 

 

 

砕けていく剣の柄を放りながら、かの教会の剣聖に瞑目をした。

せめてこの剣で此奴を殺してしまいたかった。欺瞞に導かれ続けた男の最初で最後の叛逆を、その身に知らしめさせたかった。

哀しい哉、それは叶わなかったが。

 

傷は深い筈。

であるのに目の前の敵は焦ったような、追い詰められた様子を見せはしない。

 

抵抗はしている。

戦う事自体も、している。

であるのに、此奴からは、この闘いへの気概らしきものを感じ取る事が出来ない。

どういう事だ。

だが、どうであってもやる事は変わらない。ただ殺すのだ。例え死なずだとしても、それ自体が望みであろうとも。

 

 

「む…ッ!」

 

 

弾けるような触手の連撃が飛来する。全て弾きはしたが、その衝撃は片手故に捌ききれない。後方に跳ぶ事によりなんとか痛みを軽減する。ぐわんと云う金属が痛めつけられる音がした。

 

 

距離を取った間合い。

遠くを眺むその狭間を睥睨する姿は、赤き月を背に再び諸手を広げた。

 

 

豪。

狩人の夢が、丸ごと震えるが如く剛声。

近寄るだけで手傷を負ったと錯覚するような。

 

違う。

この感覚は。この力の入らなさは錯覚では無い。本物の、死に近しい感触だ。

 

身体から何かが失われた。

それに名を冠するなら、力。魂。意思。血の力。そういったもの。

一喝の元に、その全てが失われたのだ。

 

膝を突く狼。

たまらず、懐の傷薬を呷る。

そして瞬間、吐き出す。

血生臭く、飲めた物では無い液体。

いつもの薬の臭さはどこにも無い。

 

 

(…あの液体か!)

 

 

泡沫から溢れ出たあの液体に触れた時、痛みと共に何かの感触を感じた。一瞬の違和感はしかし、重要なものでは無いとして無視した。そのツケがここに巡って来ていた。

 

一刻も早く身体に力を取り戻さねば。

ならばどうする。

 

狼は、強く前に踏み出した。

血を抜かれた。

血の力を喪った。

喪われ、させられた。

ならばその力を目の前より奪う。

無くなった物を、そうして補う。

 

楔丸を突き立てた。

何度も、何度も。

懐から瀉血の槌を取り出し、刺した。

引き抜き、ぐちゃぐちゃと血を浴びた。

 

血に浴するその姿は、悪魔の様だ。

この呪われた夢に囚われた末の、悪魔。

 

啜り、浴び、血みどろに喰らう。

祈りも届かぬ悪夢の境地は鬼が笑う。

 

 

くつくつと、身体を揺らしていた。

苦痛の故でない。嘲るように。

狼が嘲っていたのではない。

月の魔物こそが、笑っていた。

 

 

触手が狼の鉄の義手に触れる。義手は、ゲールマンとの戦いで裂かれて壊れたままだ。その中にある武器も、全て機能しそうにない。

 

 

 

その、腕が。

鉄の義手をぶちやぶって、内側から触手がまろびでた。身体から、それが出てきたという訳では無い。それこそが、身体であるのだ。

 

黒色の、頭足類の様な触手の腕は、奇しくも目の前の月の魔物に似通っていて。

 

自家中毒じみて狼の精神が怖気に染まる。

であるのに、狂い切れはしない。

己が成りつつある内なる何かが、その存在をすら当然のものと受け入れようとしている。

 

 

なら、せめて思い切り開き直ってやろう。

目の前の此奴を、それでもいい。なにがなんでも殺す。どうあろうと、出来るだけ早く。

 

その『腕』が、魔物を絡め取ってゆく。

そしてそれぞれ毎に、忍刀じみた鋭さを以て月の魔物を刺し穿つ。切り裂き、千切る。

 

 

嬉しそうに、悦しそうに血を流す魔物よ。

同族が出来て嬉しいか。

新たな風が吹いたか。

自らの死も、夢となりて消えるか。

 

 

残念ながら、そうはならぬ。

 

 

思考が通じたかのように、月の魔物が狼を見た。ぽっかりと空いた穴が、知らぬ物を見た困惑に震えているようだった。

 

 

 

「応ッ!」

 

 

『腕』を振り抜く。

刺さった全てが、勢いよく身体を千切り取った。内臓も、骨も、あるならば全てずたずたに裂かれるような、内臓攻撃。

 

 

月の魔物は、降り立った時同様に静かに。

霧のように、その姿を消していった。

 

最後に伸ばした手は、未練を残したように。

 

 

 

 

Hunted nightmare.

 

 

 

 

 

……

 

 

 

人の形であれ。

そう願えば、『腕』は人らしい形となった。

 

脳も、瞳も、体も。

随分と人とはかけ離れてしまった。

自覚がある。

それでも彼はまだ、『隻狼』であり続けられている。

 

 

「3本の3本」。

学舎で見かけた奇異な文言。

その全てを用いようものならば、姿も心も、人を超え、人を失い、人とは然らばをした筈だ。

 

 

だが、そうはなっていない。

この姿は、全てにとってのイレギュラー。

 

これまで多くの上位者も、獣も殺してきた。

月の魔物の介入に身体も心も混じっている。

一度鬼に堕ちた経験。怨嗟に堕ちた者。

上位者が求める臍の緒の摂取。

狩人の悪夢が見せた呪いの集疫。

 

全てが中途半端でありながら、全てを合算すれば足りる。曖昧で、有耶無耶。今の隻狼は極めて茫漠たる存在だ。

 

そしてまた極めて珍しい事に。否、これからも、これからも無い事態と言っても良いだろう。この時、忍びには選択肢があった。

 

その曖昧さが産んだ可能性故か彼自身の精神性の故かは判らない。いずれにせよ、あったのだ。

 

このまま上に立つ物として、この魔都を、人を支配する古き支配者となる道を選ぶ事も出来た。否。あの月の魔物も、他の上位者すらも殺す事の出来る、何かになる事すら出来た。

 

 

だが狼は静かに、花畑に落ちていた葬送の刃を拾う。

答えなどとうに、決まっていた。

 

 

主人の願い。

残して来た者との約束。

確かに想う、生への渇望。

 

 

忍びは、選択をした。

葬送の鎌の柄を、思い切り引いた。

刃が首筋に迫る。

 

 

全てが白く染まった。

 

 

 

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