隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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狂気万来(追憶:血に渇いた獣)

 

 

仏の前に眼を瞑る。

 

 

今日はどうにも、気疲れてしまった。

仏が、人里へ売れた。

それ自体は喜ばしい事だ。ただ、その時に随分と強引に『値切り』をされたのだ。

それもまた、法外な程に下げるような。

 

狼自身はただそれに、むっつりと押し黙る事しか出来なかった。

横に居るエマが口を出し、便宜を図ってくれたが、今度からは貴方自身がするようににならないといけません、と渋い顔で言われてもしまった。

 

忍びはただ、従う者。そうあるからこそ権謀術数を用いる必要が無い。

 

故に彼は無口であり続けた。

愚直なまでに、愚鈍なまでに話す事が下手でも、困る事は無かったのだ。

だが彼はもう忍びではない。

故に矯正しなければならない。

そうはわかっているが、やはり難しい。

 

そんな、胸の中にあるもやつきを、そのまま誤魔化すように、仏を彫っている。

 

 

そうしてまた、仏を彫ると、心に静かに過去が浮き上がってくる。

ああそうだ。

そういえば、あれはいつの事だったか。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

あれは、悪夢に一度辿り着き、ルドウイークよりその剣を奪い取った後の事。

一度ヤーナムに戻り、『ビルゲンワース』の手がかりを探しに探索をした時の事だ。

 

教会を通り、その先へ。過去に『血族狩り』と自称する男、アルフレートと会った場所に隠れていた道を先に進んだ場所に、それはあった。

 

 

(…張り紙?)

 

 

小さな扉に、紙が貼られてあったのだ。

 

獣がこのような手の込んだ事はしないだろう。更に文字までが書いてある。埃の積もり方からして、過去に貼られてそのままという訳でも無いようだ。

 

 

この先、捨てられた街。

獣狩り不要。

 

 

そう、書いてあった。

 

それを静かに剥がし、扉を開ける。

何にせよ此処で『ああそうか』と戻る訳には行かない。何かしらの妨害や意図があるにせよ、それでも征くのだ。

 

 

入って直ぐ。声が聞こえて来た。

さほど大きくは無い声。

しかし不思議と、耳元に届くような声だった。

 

 

「狩人よ、警告は読まなかったのか?」

 

 

しわがれた、しかし意思の宿る声。その声だけで古い狩人のものであると読みとる事が出来た。

 

 

「…引き返したまえ。旧市街は獣の街、焼き棄てられた後、ただ籠って生きているだけ。上の人々に、何の被害があろうものか」

 

 

その声をものともせずに、狼は前に進む。

 

 

「引き返したまえ。

…さもなくば、我々が君を狩るだろう」

 

 

それを踏まえてか、踏まえずか。そう、発言が飛ぶ。それを最後に声は聞こえなくなる。

 

 

(……)

 

 

とん、と跳ぶように、軽やかに前に。

そのまま、狼は駆け始める。

楔丸を鞘に仕舞い、散と駆け続ける。

 

周囲に屯する獣が、その狼を襲う。

皆人型であった名残りのように、二本の足で立ってある。しかしその牙と爪は最早人とは言えないような代物。

 

数は多い。

だが、早急に駆ける彼を捉える者は居ない。

 

風を捉えられる者が居ないように。

影を掴む者が居ないように。

皆々がその牙を空に切らせる。

 

ただ無尽蔵の体力を使い、ぎゅんと駆け抜ける隻狼。はやての如しである。

走る先は、古狩人の声が聞こえて来た場。

あの、石建の天辺。

 

 

「!」

 

 

危。

忍びの感覚が死を感じ取る。

脚を止め、即座に横に飛んだ。

 

 

瞬間。先程まで進んでいたであろう位置に何かが飛来し、石畳を穿ち削った。

 

それは水銀の弾。

狩人が用いる火器が放つ銃弾だ。

 

 

そしてそれは、単発では到底終わりはしない。

 

 

 

「……クッ…!」

 

 

斜め前方に駆ける。コンマ数秒遅れ追従する銀の弾丸の破砕。

からがらに、建物の中に駆け込む。銃弾が石を破壊する音が響くが、流石にここまでは追っては来ない。

 

息を吐こうとした刹那、背後に殺気を感じる。

 

 

(糞…っ!)

 

 

楔丸を咄嗟に引き抜き、斬撃を繰り出す。

赤く目の光る罹患者の片腕が落ちた。

居合一閃。期せずしてその一撃は、かなりの威となったのだ。

その斬撃は、獣の首までもを落とした。

 

 

(…しまった…)

 

 

再び刀を仕舞う。

そしてまた、勢い付け建物から跳んだ。

高度のある場から、大きく助走を付けて。

 

 

空を切る風が渋柿色の装束がたなびく。

位置エネルギーが、落ちる彼の速さを加速度的に増してゆく。このまま落下すれば、如何に忍びといえどただでは済まないだろう。

 

だがそれは、そのままに落ちた場合。

 

ひゅぱ。鉤縄がたわみ、伸びる音。

建物の飾りへかかり、そこへと身体を引っ張る。空中機動。移動の直前までに狼が居た空間を弾丸が通過する。

 

 

ひゅぱ、ひゅぱ。

続けて、幾度も鉤縄が駆動する。

上へ、上へ。

ゴシックの装飾を辿り。

 

 

とん。

 

 

辿り着くは、石建の天辺。

 

其処に居る狩人の眼は、驚愕に見開いていた。

灰色の狩装束に身を包むその老人は、仰々しい鉄の塊を手に装着し、ガシンと駆動させる。

 

 

「……お主と戦うつもりは無い」

 

 

剥き出しの刀を片手に、しかし狼がそう言う。

その勧告が無駄だとも分かっていた。

 

 

「…ああ、確かにそうなのだろう。

実際に、極力彼らを殺す事も控えていた」

 

 

「……」

 

 

 

穏やかな声が返ってくる。その穏やかな声音とは裏腹に、殺気は消えない。

 

 

 

「だが…君は獣を殺しただろう」

 

 

「……ああ」

 

 

「責めはしない。仕方がない事だったのだろうし、私が追い込んだせいでもあるのだろう」

 

 

「それでも、私は決めてしまったのだ。

彼らを守り、傷つける者を殺すのだと」

 

 

 

狼にも薄々解っていた。

この街で人として生きる為には、何か狂信的なまでの信念を抱かねばならない事。生中に破るようでは、獣に堕ちてしまう事。

 

心の奥に残る信念こそ、唯一縋り付くことのできる人間性のよすがであり、それを無くす事など出来ないという事を。

 

それを少しでも破る事が出来ない。

彼はもう、そう成っているのだ。

譲れないからこそ、此処に居る。

 

 

だから、この戦いは必然だったのだ。

少なくとも、己が獣を殺した瞬間には。

 

そうして、死合が始まった。

 

 

 

戦いは、長引かなかった。

 

狩りから離れ久しかったのだろう。錆付こうとも驚嘆すべき技巧ではあった。

 

ただそれは、剣聖を下した狼を苦戦させるようなものでは無かったというだけだ。

 

火爆を起こす武器の一撃。その背後に立ち、忍びは蹴爆を放つ。それに体幹を崩した古狩人の心の臓を、楔丸が貫く。

 

 

 

「御免」

 

 

刀に乗る血を払いながら、片手の合掌。

少なくとも、彼の魂が救われん事を。

 

 

 

「……貴公、覚えておくがよい。貴公は獣など狩っていない。あれは…やはり人だよ…」

 

 

 

何だと。そう返すが、当然ながら問いかけには何も返っては来ない。

どういう事だろうか。あれは、獣の病。人が獣になる病が生み出した獣達。そういった事は、既に知っている。だが、それを今改めて言ったとは到底思えない。

 

何か、あるのか。灰の古狩人が、彼らを、獣を守ろうとした何かしらの真実が。

 

 

悩む代わりに、狼は、彼が使っていた火器を拾い上げた。ずしりと重いそれは、未だに熱を帯び、衝撃が反響している。

 

 

そしてそれを懐に仕舞い、先へと進む。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

夜闇の中に、こおん、こおんと脳裏に響く音がある。その鐘の音はしかし、脳を貪るような不快をもたらしはしない。

 

ふと目を向けると、使者達が我先に、鐘を鳴らすように促している。これを鳴らせと言っているのだと、流石に解る。

 

 

狼は、静かに鐘を鳴らす。

鐘の音が二つ、共鳴してゆく。

 

 

 

こぉん、こおん。

こおん、こぉん。

 

 

二つの音がだんだんと重なり、混じり、再び離れて、再び重なり合う。

 

音の交わりが、世界の交わりとなった。

 

 

 

「…おお、貴方。

私を呼んだのですね」

 

 

呼び、目の前に来た者は、『血族狩り』アルフレート。処刑者の服はあの時同様に白いままである。

 

 

 

「……ああ。頼む」

 

 

「はい。そうでなければ。

協力とは、かくあるべきです」

 

 

そう、人懐こく言った直後には、既にぴりと気配が研ぎ澄まされていた。

やはりというべきかこの男も、一流の狩人だったのだろう。

 

 

二つの影が廃棄されし教会に脚を踏み入れる。

そう。今彼らが居る場所は、灰色の古狩人…デュラを殺した、更にその先。旧市街の奥、

 

下へ下へと潜り、そこにある谷底。

それの、行き着く果てだった。

 

 

その廃教会は広く、縦に長い。

そしてまた、先に、大きな影がある。

形が、既に人では無いと分かる。

 

 

大きい。

フードを纏っている。

否、あれは糜爛した皮膚だ。

 

 

ぎょろりとこちらを向いた。大声で鳴いた。からからに渇いた者が出す、乾いた慟哭だった。

 

その血に渇いた獣は、二つの餌袋を見てその牙を剥き出しにしていた。

 

 

 

「行きましょうッ!」

 

 

「…ああ」

 

 

 

石鎚を手に、アルフレートが先陣を切った。

それに次ぐように狼が往く。

 

獣は獲物をどちらにするか決め兼ねているらしい。これは好機だ。

両端から、攻め立てる。

 

 

重々しい石鎚が獣の胴を打つ。

そして、逆側では鋭き刀が皮膚を裂いた。

 

 

 

「ーーーーー!」

 

 

言葉にならぬ悲鳴が教会にこだまする。

瞬間、身体を回転させるように爪を繰り出す。

 

瞬発的なその攻撃を何とか刀で受けるが、弾く事は出来ない。

アルフレートの胸が裂けていたが、出血量からして、軽いようだ。

 

 

獣が此方を向いた。

先程防がれた事が、奴の注意を引いたようだ。

丁度いい。今は此方に気を向けて欲しかった所だ。刀を構える。

 

 

爪による、連撃。それぞれ弾いた。

回り込むようにしての噛み付き。身を引き、避ける。咆哮一閃、強烈な爪。弾く。

 

 

何故攻撃が当たらない。

どうして血が出ない。

血に渇いた獣にはそれが判らぬようだった。

苛々したように、両腕をかちあげ、力任せに狼を叩きつけようとする。

 

だが、その背骨を、重々しき槌が叩き折る。

 

みしり、びきり、という音がした。

アルフレートの重打が打ちのめしたその一撃は、随分と重く突き刺さったようである。

 

 

止めを。そう、走ろうとした時である。

がくりと足から力が抜けた。

 

疲労ではない。何かがおかしい。

光景が傾いていく。

目から血が流れる。

 

 

(…これは…)

 

 

この、身体が蝕まれる感覚に覚えがある。ヤーナムに来てからでは無く、忍びとなりてから幾度とも無く。

厳密に云うならば、『今のこの状態』を味わった事は無い。だが経験則が此れが何かを示している。

 

 

(…毒か!)

 

 

中毒。

身体から活力が奪われてゆく。

 

治癒出来るような薬は持っていない。

代わりに、薬の瓢箪を呷り呑む。

無論毒が無くなる訳ではないが、目減りしていく活力を無理くりに嵩増しさせ、立つ。

 

 

アルフレートもそれに、否応無しに気づく事になった。咳き込み、鼻から血を流している。

何か治療出来る物を持っているのだろう、懐を垣間見ている。だが、反撃を繰り出す獣にかかりきりとなり、それを取り出す事が出来ない。

 

 

ならば、と。獣の注意を引かぬようにする。

今はまだ、彼に注意を惹いてもらう。

 

背中の大剣を、抜いた。

月光の剣。不死の月光。

 

 

 

毒がある。

毒とは、長き事浴びるほど悪化する。

だが今、己の症状が悪化する様子は無い。

 

つまり、奴の周り。獣が居る、その空気そのものが毒となっているのだ。それは奴の灰色の血が素になっているのか、はたまたその空気を汚染しているのか。

 

どれにせよそうなれば、長く奴の近くにある事は得策では無い。

 

一発必倒。

一撃を当てて、終わらせる事が最良だ。

 

 

 

豪。

紅く光る剣は、やはりその威力を増していく。

 

 

「!」

 

 

アルフレートが、その光を見る。

刹那、石鎚が獣の膝小僧を砕く。

 

 

「今です!」

 

 

その声と共に身を離して行く。

成る程、元より当てるつもりではあったが、ここまでされれば外す筈も無い。

素晴らしい手助けである。

 

 

光を解き放つ。

不死斬り・擬き。

禍々しく黒き赤い奔流は、毒血を撒き散らす渇きを飲み干した。

 

 

古びた剣を背に仕舞う。

これを受け、耐えられる道理は無かった。

それ程の威力だった。

 

 

 

忍殺。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

「素晴らしい狩りでした。

…それでは。また逢いましょう」

 

 

「……ああ」

 

 

 

鐘の共鳴が消えていく。波動の共振が消えるにつれて姿も朧に、幻へとなっていった。

まるで、元より何も無かったかのように。

 

 

教会の祭壇は滅び、久しい。

だがその上に輝く何かが置いてあった。

 

それは宝のようであり、そうではない。

それは、杯であった。

儀礼に用いる、聖杯。

 

 

ああ、そういえばそうだった。

始めて手に入れた時はこの時だった。

 

 

 

「…殿」

 

 

あの杯を、儀礼として墓前に備える。

それが、新たな悪夢の始まりであったのだ。

ああ、いっその事それを知らなければ。

 

 

「狼殿…」

 

 

しかしこの時、たしかに己は知ってしまったのだ。この存在と、地下に潜みしおぞましき想いと過去を。ヤーナムがどのような世界を土台にしている存在であるのかを…

 

 

 

「…狼!」

 

 

 

 

は。

その、声でようやく我に帰る。

 

 

目の前にあるのは、安堵したエマの顔。

 

 

 

「ああ、良かった。

また、行ってしまったりしたのかと…」

 

 

「…済まぬ」

 

 

「いえ…眠りの邪魔をしてしまいましたか」

 

 

「いや」

 

 

 

会話は、そこで静かに途切れる。

だが、その沈黙は不思議と心地の良い雰囲気を作り出していた。

 

 

その心地よい沈黙。

先程までの地獄じみた回想にささくれた心が安堵するようであった。

 

 

これ以上の回想は、また今度に。

そう、思った。

 

 

 

 

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