隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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教典聖骸(追憶:星海からの使者)

 

 

 

 

 

こつり、こつりと仏を彫る。

こりこりと、薬が配合される音。

その二つの音に、蛞蝓の音が混じる。

じめじめと湿った音。

 

 

「もう、そのような季節ですか」

 

 

こりこりと、そう薬師が話す。

ただ、こつこつと仏彫の音がそれに返答する。

 

 

 

「少し前まで、春でしたのにね」

 

 

「…ああ」

 

 

 

雨が降り、蛞蝓が闊歩し、紫陽花が咲き始める。じめりとした気温が全身に絡みつくように、不快感を味合わせてくる。

 

葦名は、すっかりと初夏だ。もう少しでも時が経てば、蝉時雨も降り始めるだろう。

 

が、狼はその季節の事には関心が無い。少なくとも今は。それよりも、蛞蝓が魔都の記憶を、忍びの脳髄の記憶を刺激する。

 

 

それらへの回想が、脳を支配し始めていた。

 

 

それらは、そう。これもまた、修羅としての暴走を終えた後の事。

アルフレートを殺し、また、足をやり残した事がないかとヤーナムに向けた時の出来事だった。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

オドン教会を登り給え。

遥か前の事にも思える助言者の言葉。

 

それについてはその時の彼には、正直よくわからなかった。というのも、登った上で手に入れた物はくたびれた狩人の証だけであったからだ。道中の敵は皆凶暴であり、そしてまた上にある扉は閉ざされていた。

 

それを思い出したのは、何がきっかけだったか。だが少なくとも、そこに開かずの扉があるという事を思い出した彼は、再びその扉を開けに教会を登ったのだった。

 

 

 

 

聖堂街、上層。

 

その扉を開けてすぐに目に入った生き物。それは身体中に唇が張り付いたように、ぐねぐねと、いっそ官能的なように動いていた。無論それは艶かしいどころかただただ悍ましいだけだ。

 

何かを陳情するようなその姿は、此方を見てはいない。故に、下手に手を出す事もなかろうとそのままに先に進む。

 

 

陳情。

陳情。

 

先に進むと、その悍ましき生き物が、無数。

ひい、ふう、み。十までは数えた。

だがそれ以上は、直視に堪えきれず止めた。

 

皆が皆、何も無い宇宙に向かう様に、柵へと乗り出すように陳情をしていた。腕があるならばその手を差し出していただろう。

 

 

その光景は、ひどく不気味だった。

獣が祈りを捧げる光景を一度彼は見た事がある。教区長が、その祈りにて身を癒す姿。

 

だがこれはまたそれとは趣が違う。

祈りではある。だが、何かが違う。その違和感を、この時の彼は言い表す術を持たなかった。

 

 

何が、この先にあるというのか?

好奇心半分、怖気半分のままに先へ。

 

 

 

 

 

 

ぺちゃ。

ぺちゃ。

 

 

仄暗い部屋で、何かを啜る音だけが響く。

建物の中に、光源は何一つ無い。

ただ音だけが聞こえて来る。

啜り、吸い、貪る音だ。

 

 

『……Vooyeeee…』

 

 

ずるり、と、口をその貪っていたものから引き抜く。ああ、闇に目が慣れて見える。

その貪っていた物は、人の脳味噌だ。

 

そしてそれを喰らっていた者は……

 

 

 

「ッ!」

 

 

ドン、と、放たれた光弾をからがらに避ける。

それと同時に楔丸を引き抜き、前へ。光弾を放った隙を狙い、斬る。

だが、いまいちその一撃は手傷を与えたようには見えない。感触もまた生き物を裂いたそれではない。幾度か経験した、妖のような。それでいて受肉してある、化物の感触である。

 

 

白く、銀色に光ってすらあるその体躯は決して大きくは無い。むしろ、小柄と言うほどだ。

なればこそ伝承の醜い小鬼じみた悍ましさが、狼の認識を襲う。

 

元より、そういう生き物であったのか。

脳を啜るあまりに、こう変化をしたのか。

 

後者であるならば、かれらはもう黄泉戸喫じみて、元に戻ることは無い。その知識を喰らい貪ったもの達は、もう二度とそれまでの地平を彷徨うことは出来ない。

そもそも、願うことすらないだろうが。

 

 

脳喰らい。

神秘の身体を持つそれらが、忍びの啓蒙をも啜り取ろうと口腔から水音をたてる。

 

すいと潜り抜け、背後から一撃。

しかしまた、その手傷は浅い。

 

 

危。

足元から寒気がする。瞬間、足元から光弾が放たれ、その光に拘束される。

 

 

「……ッ!」

 

 

弾き飛ばすでも、消滅させるでもなく、この光は喰らったものを「捕らえる」という事。

それはつまり。

 

 

ずるり。舌舐めずりをするかのように、脳喰らいが変化をする。否、本性を表す。

頭部からまろび出た筒状の、ぐねぐねとした器官。ストローじみたそれが、我慢できないと言わんばかりにぽたぽたと不浄の液を垂らす。

 

 

暴れても暴れても、光からは逃れられない。

忍びの脳に、ストローがぐずりと刺さる。

 

 

「……〜〜ッ!」

 

 

 

瞬間。

青き雷光が走る。

その衝撃に脳喰らいが動きを止める。

光の拘束が解けた。

 

義手を動かし、その中にある仕込み武器、トニトルスを、何とか駆動させたのだ。もうほんの少しでも駆動に遅れれば、手遅れになる所だった。

 

やはり、これらには雷光が効くらしい。のたうち回る化外の首を、鋸のようにして落とす。

 

 

恐ろしい敵だった。それは、強さという意味でもあり、本性もである。

 

そして、一番恐ろしきは。この場所にこの脳喰らいが居るということは、門番ということではない。そう、それは恐らく。

 

 

 

『Vooyeeee……!』

 

『vooo…』

 

 

 

一体の死を呼び水にしたように、声が、幾数もの声が聞こえて来る。

その声こそが彼の予想の裏付けである。

 

この場所に、この者らが、夥しく有るという事。

 

 

ふぅ、と短い気合いの息を吐く。

頬に付いた白い血を、ぐいと拭った。

 

 

 

 

……

 

 

 

この有様は、信仰が基であったのだ。

それが悪性に変異を重ねた。

信仰がそのまま救いとなるなど、そうであればどれほど良かったのだろう。

 

否、元より救いなど求めていなかったのかもしれない。探求と欲求の赴くままに神を求め、信仰を続け、そしてまた、この惨状を作り上げたのだろう。きっと、そうだろう。

 

 

あの陳情していた蛞蝓じみたあれは、失敗として捨て置かれたのだろう。その陳情の内容は、人に戻して欲しいという切なる願いであったのか、それともあの姿になってもまだ願う信仰であったのか。

 

それを答える者は居ない。

だが唯一わかることは、医療協会が孤児の受け入れを積極的に行なっていた事。そして、この場にいる化物どもは皆、背丈が低いという事。

 

 

狼が庭に出る。目を凝らすと、その草原からぬるりと何かが立ち上がる。

 

とてとてと、目の前を稚児のように歩く青い生き物。頭は蛸の腹じみて膨れ上がり、目は昆虫のように感情を読み取れない。

そしてまた、背丈は低い。

 

それが幾数も、幾数も立ち上がる。その光景が隻狼に星輪草の庭に群がる失敗作の姿を想起させる。

 

いや、そうだ。それは逆なのだ。あれを見て、こちらを想起するのではない。これの失敗として放棄され、忘れられたのがあの悪夢で見た「失敗作」たちなのだ。

 

 

神秘の外胤。

実験の、成功作。

ならばこの先に何が待つと言うのか。

それを成功に導いた何かが居るのだろうか。

 

 

危。

青い、星海の使者たちが此方を狙ってきている事を身体が感じとる。

ば、と身を翻しそれを避ける。成る程、わざわざ此方が殺そうとする理由はない。だが道を阻み、己を害そうというのならば仕方が無い。

 

 

じゃきり。楔丸を構える。

襲い掛かってくる一個体に、楔丸と義手、そして雷光が同時に動いた。

 

どさり、と、その個体が倒れる。傷口には雷が流れる。

 

彼の忍刀には、今や雷光を纏っている。それは、義手に搭載された雷光を放つ武器に由来するもの。そしてそれを纏い、斬るのは忍びの技。殺し、極めた義手忍具の髄。

纏い斬り。

 

雷光を纏う剣。これはまた、神秘を纏う者たちへの新たな武器となるやもしれない。最早闘う敵も少ないだろう。だがそれでも一助となるならば、それで良い。

 

 

ぷるぷると、多くの個体が同時にその腕を振るって襲ってくる。だがそれは忍びを捉え得ない。襲い掛かり、彼を斃すには、その動きはあまりにも冗長で、とろく、遅すぎた。

 

 

渋柿色の旋風が翔ける。通り過ぎた直後に、ことごとくの個体が地に臥し、霧散してゆく。紫電と風が通る度に死が現れ、そして新たな死となる。星海の使者はそれに、ただおろおろと目を見張るのみ。

 

 

また一つの個体が、その身体を巨大化させた。外敵を踏み潰さんとする自己防衛。尋常の敵ならば、それで踏み潰し、神秘の魔法を用いれば微塵にする事が可能だったろう。

 

だが、狼は尋常の者ではない。忍びの技術を極め、狩人の業を知り、修羅の力を通じ、此処に居る。この程度の巨体ならば、もう見飽きた。

 

膝関節を切り上げた。がくりと引き攣るように体制を崩すその隙に、もう片方の脚を裂く。地に着いた手を斬りながら、鉤縄がその肩を巻き取る。そうして、その肩先へと飛び乗った。目の前にある眼球へと義手を打ち込み、雷光を走らせる。

 

止めに、刀を頭部に幾度も幾度も突き刺した。

そして突き刺したままに肩先より飛び降り、重力のままにずぶずぶと下方向に割いて行く。

 

 

さあ、次は何処から来る。そう刀を構える。

 

しかし最早、立ち上がる使者は居ない。ただそこにあるのは霧散した白い血の跡と、今しがた命の火を絶やした巨大な使者の死体のみ。

 

 

忍殺。

 

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

狼は、若干拍子抜けしていた。そう半ば呆然としながら刀に着いた白い血を払う。

 

思いの外、強くはなかった。

弱敵と言っても過言では無かっただろう。

 

 

いや、そうだ。彼らはあくまで実験の為に作られた存在。であるならば、その目的に闘いが無いならば強くある必要など無かったのだ。

故にこその、一方的な戦い。それはただの虐殺と言っても良かったのかもしれない。

 

では、この実験は、何の為にあったのか。

この成功作達は、何を成功したのだろうか。

何を秘匿として隠そうと、己を襲ってきたのだろうか。この先に何かがまだあるのだろうか。

 

脳髄が痒みを訴える。

あの先だ。あそこへ行けと命じ立てる。

あの瑠璃の窓をこじあけ壊し、先へ行けと。

 

 

 

脳喰らいどもを一掃した。

この地を守る使者を殺した。

 

だがまだ。この回想にはまだ続きがある。

まだ、その先が、この上層にはあったのだ。

それこそが彼らが守ろうとした秘密。宇宙は空にある。瞳の映るはその先にのみある物である。彼らのよすがであり、唯一の教典。

 

 

そしてまた、それこそが彼らの……

 

 

 

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