隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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マリケス剣強化に興奮して衝動的に書きました。


存在しなかった世界:ミケラの刃

 

 

 

 

 

それは、泡沫の夢。

任を失った忍びがヤーナムに、魔都に赴いた時のような、身体を蝕むような悪夢ですら無い。夢の中での戦いであり、それが実際に世界に影響を及ぼすでもない。

 

ただ唯一、それが別の世界とは言え実在がしている事は、一瞬なりとも、彼が上位者になりかけたという事実に起因している。他の世界を認知する上位の者の、ほんの少しの残滓であったのかもしれない。

 

では、その夢を見た理由はなんだろうか。

それもまた、修羅になりかけた、その残滓だろうか。彼の中の悦楽が、強き者と戦うことを望み続けた、深層心理。

 

 

いずれにせよ、の話である。

彼は、素晴らしき強者と出逢った。

 

それは朱き腐敗に蝕まれた、ある女剣士との、死闘の話。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

気付けば、その男はただ夢の中で、大きな大きな樹の前に立っていた。人の横顔のような。それでいて、神の姿のような。人を模した神の姿か、はたまた神の沙汰を人が模したのか。

 

 

隻腕の忍び、隻狼は。

ただそこに歩いて近寄る。

空っぽなそれよりも、その根本に。

花の咲くように華美で、恐ろしい気配を感じた。

 

 

大樹に、縋り付く人影がある。

朱い髪色をした、毒花のような女性だった。

 

近寄る気配を感じ取ったか。はたまた、こっちが感じ取ったその女傑の気配で、殺気が漏れたのか。

かたり、とその朱が動く。

枯れたようなその身体に、生気が戻る。

 

 

 

『……長い夢を見ていた』

 

『身体は貧金、血は腐れ。

幾万の屍を積み上げ、ただ一人を待つ…』

 

 

うわ言のように呟きながら、それとは裏腹に、緩慢でありながら、確固たる動きで、黄金の義手を身体に付けていく。

義手には長い、長い刀が付いている。黄金に光り、過剰なほどに長いそれはしかし装飾用などでは断じて無く、多くの血を吸った剣。

 

 

何故、睥睨する必要があるか。

何故、互いに剣を抜く必要があるか。

理由は、きっとどこにも無い。

ただそれでも、理由があるならば。

此処に辿り着いてしまったこと。

遭ってしまった事が、ただそれだけで殺合の理由となる。

それは、そういうものなのだ。

 

 

 

『……貴公も知るがいい』

 

『ミケラの刃、マレニアを』

 

 

 

全身が四散しそうな程の、神子の敵意。

狼はただ、歯を噛み締め、楔丸を引き抜いた。

 

 

 

「……参る」

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

悠然と、歩いて近づく両者。

それは断じて余裕や驕慢などでは無い。不用意に近づく事が、互いにとってどれだけ危険であるかが十二分に理解していたからだ。

 

 

それを、承知で。

敢えて、狼は疾った。前に踏み込み、風のように刀の範囲の内へ。

相手の獲物である義手刀は、長物である。危険など承知の上で飛び込まねば、楔丸は届かない。長物故、近く行けば有利であるだろうという打算もあった。

 

 

「!」

 

 

それは、確かに不意を突いた筈だった。

しかしマレニアはその義手刀をかしり、と持ち直す事でその距離の不一致に容易く対応する。長巻と同じ理屈だ。遠い相手には柄を長く持ち、届かせ、近い相手には柄を短く持ち、短刀のように扱う。

 

 

短くなった義手刀が左右に振るわれる。

だがこの距離は、むしろ、狼の本領である。

 

がき、きぃん。

それぞれを、『弾く』。

その後の追撃の一太刀を、更にもう一度。

 

 

マレニアに一瞬、驚愕が浮かぶ。微動だにしないように見えた身体の芯が、ほんの少しだけ、ぶれた。

蝶のように舞う攻撃をする鋭き剣士故か、その身体そのものが持つ強靭さや、体幹は、特筆するほど強くはないらしい。

 

 

だがマレニアは退かない。更に義手刀を振るう。がしん、と、今度は長く刃を持たせてから、狼の射程の外から連撃を放つ。

 

袈裟切り、帰す刀でもう一度。一歩引きながらの斬撃、踏み込み、空を舞うように飛び上がりながらの斬撃。そして再び義手刀を短く、かしりと駆動させての切り、切り、切り。

 

弾いていく、防いでいく。技や仕込み忍具は使わない。拘りや、理由があるわけでは無い。ただその、恐ろしき波状攻撃で、技を用いる余裕すら残っていないのだ。幾つか弾ききれずに、身体を切り裂かれた。

腕、頬、胴から決して浅くない傷と出血。

 

 

切り裂かれた瞬間に、感覚があった。

痛みや、苦しみではない。

相手が活力を取り戻していくような感覚。

錯覚ではない。実際に彼女の剣は鋭さを増している。

 

あの刀の特性というよりは、このマレニアという女傑が持つ、意志としての力なのだろう。

彼女自身の、戦いそのもの、運命に近い不条理に争う意志であり、そうしたものが彼女自身の活力を、敵を切り裂くたびに蘇らせるのだ。それはつまり、ヤーナムの狩人が敵の返り血を浴びて生きる意志を励起させた、その現象のように。

 

 

 

傷を負い、反射的に背後に下がる。懐から瓢箪を取り出し、その中身を嚥下しようとする。

 

瞬間、マレニアの足が跳躍する。義手刀を駆動させ、伸ばしながらのそれは恐ろしき刺突となって忍びの目の前に現出する。

鋭い。否、鋭すぎる。

鋭い突きは死を穿つ点となって、防げぬ危となる。

 

 

だが誤算は、その突きは忍びにとっては防げぬとも、それを目で追い、対処する術を知っているという事。

 

 

ず、ん。

刀を踏みしだく。

見切りが、冴え渡る。

 

 

『……ッ!?』

 

 

ば、と互いに再び距離を取る。

牽制のように刀を持ちながら、改めて瓢箪を呷る。

マレニアもまた、その崩れ掛けた体幹を正す。

 

 

今までの咬合で分かった事。

それは、長期戦は不利という事。

互いにとってそうだ。

狼にとっては、あの活力を取り戻す力が。

マレニアにとっては、『弾き』そのものが。

どちらにとってもどちらもが天敵であり、故にその喉笛に剣が届く位置にある、矛盾じみた、対等な関係だった。

 

 

豪。

狼は懐から飴を取り出し、噛み締め、神の力を身体に降ろす苦痛に耐える。荒ぶる御霊を降ろし、攻め力を一時的に深める。

そして、息を吸う。

 

 

示し合わせたように。

互いが技を構えた。

 

 

マレニアが放つは、見たものがその流麗なる動きに、美しさすら感じる剣舞。名を、水鳥乱舞。

 

対するは、秘伝・渦雲渡り。

巴の流派の、秘伝にして奥義である。

 

 

「雄々ッ!」

 

 

短い気合を入れるは、狼のみ。

画して、斬撃の乱舞の、壮絶な打ち消しあいが始まる。

切り、弾き、切り、切って、また弾いて、切る。その空間の中に和紙でも入ろうものなら、瞬時に粉微塵の紙吹雪になるようなほどの、雨嵐。

 

 

がぎぃん。

斬撃がぶつかり合う音が、止んだ。

どちらも、立っている。

そうだ。その時点では全くの互角。

 

だが問題はその後、だった。

マレニアが更に身を沈める。先よりも強き殺意と鋭さを持って。そうだ。狼が全霊を掛けて出した渦雲にて相打った乱舞は、その一段目にしか過ぎなかったのだ。

 

乱舞の二段目が放たれる。

狼は、死に物狂いでそれらを防いでいく。そのあまりの剣の速さに、弾く事は難しく、ただ死なないように、防ぐが限界だった。

 

もう一度、マレニアが身を沈める。

三段目が、飛んでくる。

狼の体勢は、崩れている。

 

 

「………ッ!」

 

 

ざ、ん。

水鳥が狼をずたずたに引き裂き、切り裂く。

その服布も肉も、霧になったように粉微塵に。

 

 

『……?』

 

 

……否。

霧に、なったように。ではない。

霧になったのだ。

マレニアはその違和感にいち早く気付く。

斃したはずの目の前の男から、手応えを感じない。

 

霧からす。

 

黒い霧になって姿を消した忍び。水鳥の羽ばたきは、霧烏の飛翔を捉えること能わず。

 

 

狼は、何処か。気配で感じ取る。

更に、上だ。飛び上がった水鳥の、更にその上から強襲した黒羽を纏う忍びは、死を纏う半神のようですらあった。

 

 

まだだ。

更に、そこから舞う。

身体を捻らせて、宙空を狙う義手刀の一撃を、薄皮一枚で凌ぎ、回る。桜の花が咲くような回転撃は、舞いであり、その武でもある。

 

秘伝・桜舞い。

 

 

『グアッ…!』

 

 

水鳥乱舞で崩れ掛けた姿勢に、秘伝を身に受けたマレニアがその身を崩す。空中から、楔丸が煌めく。

兜を貫き、頭を貫いた。

 

 

「…奮ッ!」

 

 

そうして、更に首をへし折り捻り、刀を引き抜きざまに切り裂く。最後の一撃であらんと、そうする為に。

 

忍殺。

 

 

 

「………」

 

 

そこまで、入念にした理由は、確信があったからだった。

違う。これで終わりでは、無いのだと。

 

内側にあるものが何かはわからないが、ただそれだけはわかった。

秘めたるそれが咲き誇り、ただ麗汚関わらずに、力となりて立ち上がる。そのような光景を何度か見ていた。

 

 

 

『…待て』

 

「……!」

 

 

 

だからこそ、これで殺し切れればよかったのだ。

本当に、そう願っていた。

だが斃れた女傑から感じるは、おぞましい危機感。

 

その危機感は、強者や人に向けるようなものではない。その異質さに、狼は震えた。

例えば、火が着いた導火線。

或いは、水源に撒かれた致命的な毒。

そのような、根源的恐怖を覚える気配。

 

目を離した訳では無い。であるのに、そこにはもはや戦士の身体は横たわって無い。

 

 

代わりに有るものは、一輪の、巨大すぎる花。

 

朱い、花だった。

 

 

 

『……貴公は、おぞましいものを見るだろう』

 

 

 

ああ、まさに。

目の前にあるものはおぞましい。

 

咲いた花の、腐った蜜のような匂いと共に姿を表す、変わり果てた姿。枯葉が埋まって出来たような、血管がうごめく翼。鎧が無くなり裸体となった姿は猥褻にして無謬。過剰にして、無垢。

 

生まれし時より、身体に抱きし、呪い。

朱い腐敗に呑まれた姿こそが、そのおぞましさ。

おぞましく、美しいそれはなんだろうか?

狼には、それをどう呼ぶべきか分からなかった。

 

 

嗚呼、腐敗の女神が翼と共に浮き上がる。

 

 

 

 

『……腐れ』

 

 

 

それは、絶対的な宣告のように。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

咲きし朱い花の蜜と粉は、ただそれを吸うだけで身体を蝕んでいく。体の内側からぐずぐずに腐らせ、生き物を、土をも、全てを殺していく禁じられた力。狼はそれを、幾度なりとも実感した。身体が腐るその朱い苦痛は、狂いそうなほどだった。

 

幾度の敗北を得て、死を得て、それに対抗し得る策を思う。果たしてそれが真に有効であるかは、分からぬままに。

 

 

幾度となく現れる狼に、腐敗の女神が踵を向ける。

またそれに引かず、忍びが疾っていく。

 

ぎぃん。

義手刀と楔丸が鎬を削った。

きん、と離れ、一撃を弾く。弾き、攻撃に転じようとしたところを、女神の強烈な蹴りが炸裂する。口から腑が出そうなほどの一撃を、なんとかその方向に飛ぶ事で緩和し、着地。

 

それを見て、翼をはためかせ、空中から叩きつける一撃。防ぐ余裕も弾く余裕も無い。横に避ける。瞬間、足元から朱い旋風が立ち上り狼を裂いた。もしその場から避けなければ、直撃をしていただろう。

 

 

「ぐ、ゥ…っ!」

 

 

駄目押しに飛ぶ、水鳥乱舞。

真っ向から押し合えば確実に負ける。故に狼は背後に全力で走った。追い縋るようなその乱舞に、背中を裂かれながら。

 

攻撃を、出す暇も無い。

ただ、生き残る事で精一杯。

手裏剣を放つも、それを意に介しすらしないように。中空に留まりながら、警戒するようにこちらを睨んでいる。

 

 

違う、睨んでいるのではない。

 

これはもう、次の攻撃だ。

羽から舞い散る鱗粉が形を取り、人の姿となっていく。それぞれがマレニアその人の鋭さを持ったまま、こちらに刃を向ける。

 

分身がそれぞれ、4体。なんとか弾く事は出来るが、分身故にそれを弾いても意味がない。

 

 

 

危。

 

 

「!!」

 

 

とびきりの、危険信号が身体から発せられる。

身体がざわつき、鳥肌が立ち、四肢が固まる。

 

・・

あれだ。

あれが、来る。

あの朱き、開花が。

 

それは、彼女の持つ最高の技にして、最悪の破壊。故にこそ、もう一度打ってくると信じていた。この、目の前のしぶとい敵を、徹底的に殺す為に、と。

 

 

そしてそれこそが、隻狼の、ただ一つの勝機。

女神に打ち勝つ、唯一の勝筋だった。

 

 

翼が朱い花弁と成り、空に色彩を撒き散らす。黄昏よりも赤く、美しく、破壊的な景色を前に、狼はただ呆然としたように動きはしない。何も知らぬものが見れば、それは諦めたのだと思うだろう。

 

 

 

朱花が、咲いた。

 

 

咲き切った花弁の爆発。

そして、腐敗の嵐の中。

 

 

それでも、狼は生きていた。

それは彼が見出した、ただ一つの有効打。

纏う、神なる風。

全てを、腐敗をも祓う権現たる風華。

 

その名を、神隠し。

神の名を冠する、現象の忍具。それを扇ぐのみでなく、扇ぎ、作り出した風を刀にのみならず、全身に纏わせたのだ。

 

 

咲きし朱花が散らす腐敗の花の粉をもかき飛ばし、吹き散らし、掻き分けてすすむ。風を纏いた突進はその風を腐敗に穢されながら、それでも狼は進む。征む。

ぐずぐずと、だんだんと、身体が腐っていく。

その痛みに飴を噛み締めて、耐える。神の風は朱い腐敗に汚れても、それでも纏う狼を天狗の外法がごとく、気を清浄にしていく。

 

 

 

 

きっと、この瞬間こそ、戦った理由がわかった。

 

彼は、哀れんだのだ。剣士として練り上げたそれが、内側に秘められた腐敗などに屈したこの女戦士を、どうして同情せずにいられようか。

せめて武人として、介錯をしてやりたかった。

武人の誉を残したままに、首を刎ねてやりかった。

 

 

東方の国の、狂った死生感。

命よりも誉ある死を求める狂った価値観は、だがその腐敗に囚われ、心を忘れてしまったマレニアの唯一の救いだったのかもしれない。

 

 

 

「……御免ッ…!」

 

 

 

纏い、切り。

 

忍び義手を極めに極めた者のみが使える技。

彼は、楔丸にその風を纏わせた。

腐敗を防ぎ、穢れきった風を。

 

それは、矛盾してるようだが。腐敗を内側に秘め、爆発するような本性であったマレニア自身にも、その朱い腐敗は、有効だったのだ。放つ事のみを考えていたが故に、それを返される事など想像だにしていなかったのか。

 

はたまた腐敗の女神の、最期の誇りの一欠片か。

今となってはわからない。

 

 

 

『……グ…ああああ、あああああッ!!』

 

 

 

身体の奥底に、身体を内側から切り裂き、腐らせ、蝕み壊していく、穢れた神風を打ち込まれたマレニアは、壮絶な悲鳴をあげる。ただその一撃のみだった。ただ、その一撃のみだからこそ、事足りる。それほどの蓄積と、腐敗。英雄を堕とす毒薬は、その一滴で十分であるように。

 

 

背から、剣を引き抜く。

赤い、赤い光を放つ大太刀。

不死身を殺す刀。

例え不死ならば、神ですらも殺す。

 

そして今や狼は、その斬撃をもそこに留まらせない。

剣聖の、その高みに足をかける程に。

 

 

赤黒き剣閃が、飛んだ。

 

不死切り・竜閃。

それは、彼が編み出したもの。

故に、秘伝ですら無い。

 

 

 

 

『……貴公……』

 

『……礼を…言う…』

 

 

 

頸が落ちる音が、そう聞こえただけであろうか。

ただの幻覚で、そのようなものであろうか。

狼は、しかし一言、それを聞いた気がした。

 

 

「………」

 

 

色褪せた、朱い花の中。

忍びはただ、手を合わせて瞑目をした。

 

マレニア。

名しか知らない、異郷の剣士。

故にこそ、その強さ、誇り高さ。

それだけは、深く、深く解った。

 

その名を忘れる事は、無いだろう。

 

 

 

 

忍殺。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

それは、泡沫の夢。

任を失った忍びがヤーナムに、魔都に赴いた時のような、身体を蝕むような悪夢ですら無い。夢の中での戦いであり、それが実際に世界に影響を及ぼすでもない。

 

だからこそ。

その戦いは、彼らに残り続けるのだ。

それは、有り得ないからこそ。

故にこそ、色濃く。

 

 

黄昏の空が、朱く光を放っていた。

 

 

 

 

 

 




ーー戦いの残滓・ミケラの刃、マレニア
心中に息づく、類稀な強敵との戦いの記憶
今はその残滓のみが残り、
記憶は確かに狼の糧となった。

朱き花は、三度咲いた。
三度目に彼女は女神となった。
腐敗の女神は、それを望み
ミケラの刃は、きっとそれを望みはしなかった。



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