8月16日に総合日刊13位に入りました。
本当にありがとうございます。邁進します。
斯くして、殺合は始まった。
ガァッという、呻きの様な気合を付け、神父の持つ斧が振り下ろされる。そしてまた、狼はそれを楔丸で弾いた。
バキン、ともごきん、とも言うような。
爆発のような金属音が響く。
落雷のような火花が散る。
神父は、正気を失っているなりにその技術に驚いているようだったが、狼もまた驚愕していた。その、膂力に。
あの聖職者の獣も、骨肉を容易く微塵にする程の怪力だった。だがその力は、巨躯に見合ったものでもあった。熊や象が強いというような、説得力を伴うそれであったのだ。
だが、この斧の一撃。
狼が思い出すものは、首の落ちた獅子猿の特大の剣。あれである。
あれを想起させるような一撃を、人の形をしたものが。ましてや、狼より二回り程度しか大きくない者が出す。それに驚愕していた。
弾いた斧撃は、再び狼を襲う。
苛立ちまぎれに、今度は連撃となって。
ぎぃん、ぎぃん。
二撃、三撃と振られ、その度に金属が弾く、火花が散る。隙を縫い、斬撃が飛び交う。
弾く腕が痺れるようだったが、弾くことが出来れば問題は無かった。
そう、弾く事ができれば。
危。
身体が危険を感じ取る。弾く事の難しい一撃が来るぞと。どこから?神父が一歩退く。気づいたが、遅かった。
神父のもう片方の手に、銃が燦く。
ドン、と。重い音が鳴り、散弾が炸裂した。
「ぐお…っ!」
その銃撃は致命傷とは程遠いものだった。寧ろ、その動きを止めるだけに留まるほど、薄い傷だとも言えた。
だが故にそれは彼を、狼を退かせなかった。
攻むべきか、退くべきか?
逡巡にも刹那にも満たぬ迷い。それを断ち切るように、野蛮なる戦斧が、胴体を薙いだ。
鮮血が飛び散る。
激痛が、意識を揺らぐ。何かが腹部より落ちる感覚がする。臓物であろうか。
それでも、忍は刀を構えた。
しかしそれは、最早防ぐ為の盾足り得ない。
熟達の技術を、万全で行えていたからこそ、攻めを防ぐ手となっていたのだから。
血濡れた斧が、頭部を引き裂く。
深く、深く縦に沈んでいく。西瓜の様に中身がまろび出る。
ぼたぼたと落ちていくものは、どれも落ちてはならぬもの。
手の内の楔が、零れ落ちた。
「フン…最期まで人のフリか。
だが、堪らぬ狩りであったぞ…」
…
……
「…む…」
紫のランタンに、目が覚める。
惨たらしい死に様が、未だ身体に残っているようだった。
だが、それに脳の動きを費やすつもりは無い。代わりに忍は思案を始めた。
あの敵は、なんであるか。
…恐ろしい敵と、出会ったものだ。つまり、獣の膂力を、狩人の技術を用いて奮う存在である。人の持つ技を、獣が用いるというのだ。
それはまた、狼がそれまでに経験を積む事の無いような手合いの存在であった。
人の技術を用いるものは、人の力を。
化物の力を用いるものは、化物のみの技を。
それが、それまでに戦ってきた彼の敵。
なのにその、微かな常識すら通用しない。
理不尽と言ってもいい。
あの神父はまるで、この街の異常をそのまま表す存在のようである。
ずきりと脳が痛む。それは、先程叩き割られた頭が、痛みの残滓を送っているのだ。もうあのような死地に、自分を送らないでくれよう、と。
しかしまた、その痛みの一方で、狼は思案を止めない。思い付くものは、あの火花。
(…弾く事は、出来た)
そうだ、だが、あの一撃。否、連撃を己は幾度も弾き、凌いだのだ。
獣に力比べでは勝てはしない。狩人としての技術も、恐るべきもの。
ならば自らが勝ち得る可能性のあるもの、己だけが持つ有利、優越は、忍としての技術。それだけだ。
どちらの技術が優れているか、ではない。
どちらが先に息絶え、どちらが生きるか。それが、技比べの真髄。
そして今の自分は、決して息絶えぬ化物。
ならばこれは、理不尽な化物と、理不尽な化物の戦。ただ、それだ。ならば、勝てないという道理も無いだろう。
楔丸を引き抜く。
刃に映る自分を静かに眺めた。
そこに映る、宿敵たる不死の首を撥ねるまでは、己は歩みを止める事は許されぬ。
そうしてただ、再び墓場へと歩を進める。
再び。
三度。
四度。
十数回…
…
……
墓場は血にしとどに濡れている。血を踏みしだくように、忍は歩いていく。刀をだらりと下ろしているようにも見える。だがそれは既に、卓越たる技の狼煙であるのだ。
開戦の合図など必要では無い。
ただここにあるのは、凄惨な死合のみ。
足音に気づき、その男が後ろを向く。
そのまま、銃を放った。
忍はそれを、斜め前方に踏み込み、走るようにして避ける。銃撃に退かず、寧ろ前へと躍り出た影を、無骨な斧が迎え撃つ。
一対の刃が閃く。
片方は掛かり、片方は止め、流す。
構わずに二撃目が繰り出され、それも弾き流す。攻撃が一瞬止む。その合間を縫って、楔丸の一撃が入る。浅い。また連撃が始まる。刀を構え、待つ。
「⋯匂い立つなあ⋯
堪らぬ血で誘うものだ。えづくじゃあないか⋯」
弾く。弾き、斬る。斬り、弾かれ、弾く。
均衡が生まれる。危く、死が隣り合わせの均衡だ。静かに、そして確かに追い詰めていく、技術の均衡。
神父が体勢を立て直そうと、退いた。
逃さぬ。身を乗り出す。
鋼で出来た忍義手を回転の軸として、跳ね跳び、間合いを詰め、そのまま流れるように斬り付ける。
寄鷹斬り。狼が過去に身につけた技の一つだ。
その襲撃に、神父は堪らず体勢を崩す。好機。心の臓を狙い、刺し貫く。
…未だ浅い。腕にて逸らされた。止めには程遠い。だがしかし、傷は残っている。血が流れるならば、そこが突破口となる筈だ。
逆回しの寄鷹斬りを行い、距離を取る。
傷薬の瓢箪をぐいと呷り呑む。
ここまでも修羅場。そして、ここからも。
ガシン、乱雑な変形音が響く。神父がその斧の柄を引き伸ばしたのだ。単純な力だけではそのような変形は成りはしない。つまりそれは、最初からそういう機構として作成されているのだ。
斧の射程が伸び、そしてその動きも、死の軌道も変化する。この変化に対応しきれずに殺されたのは何回前だったか。
深い呼吸を一つ。二つ。三つめの半分に差し掛かる所に、獣は飛び掛かって来た。
弧を描くような横薙ぎの一撃。
遠心の力を得たそれは、正に凶撃足る。だがそれでも、狼の弾きは冴え渡る。
弧を描くとは即ち、大振りになるという事。攻撃による隙もまた、増えている。その斧の長さ故に容易には攻められぬが、また確かに、じりじりと追い詰めていく。
それを打破しようとしてか、散弾銃を撃とうと片手が揺らめく。だが、それに呼応し忍の義手も動いた。
次の刹那、神父の掌は、手裏剣により銃の柄に縫い付けられていた。傷自体は浅く、すぐに引き抜ける。だがそれは、男に、この戦いでは最早銃は使えぬと思わせるには十分だった。
ならば、と言わんばかりに。
神父は一瞬だけ、動きを止める。半歩ほど後ろに下がった。
そして、突いた。斧をびゅんと前方へ弾き、敵を串刺しにする魂胆の一撃だった。
危。
それは、普通なれば後ろや横に回避せねばならない攻撃。点としての攻撃故に、弾く事すら困難。死に近しい攻撃。
だが、見切ればすぐにも殺せるのではないか。忍は、そう考える。
「グァッ…!?」
獣の理性が、初めて、理解できないモノへの恐怖を感じ取る。
死地へ飛び込み、それをあまつさえ踏み躙るなど、余りにも巫山戯ている。出来る筈が無い。出来たにしても、危機だけが利よりも極端に大きいそれを、普通ならば行いはしない。なのに、それを平然とやってのけた。無謀?蛮勇?どちらにも当て嵌まらない。実際に彼は成し遂げているのだから。
踏み躙られた斧から、狼の足が離れる。狙いはその、片方が空に浮いた足。長斧が地を這うように牙を剥いた。
狙いは、妥当だったと言えるだろう。
しかしその地擦りの強襲は空を切った。
狼は跳んだのだ。
忍の脚を、そのまま跳躍に用い。
そして、そのまま縫い目も継ぎ目も無く、落下の勢いを乗せた奇怪な蹴撃に移行する。
仙峯脚。これもまた、彼がかつて身につけた技の一つだった。
愛斧を踏み躙られ、落下を利用した蹴爆を食らい。神父はその体勢をぐらりと崩した。
その好機をまざまざと逃す事はしない。
楔丸が命を刈り取るべく、音を鳴らした。
再び狙うは心の臓。
ぞん。刺突の音がただ墓場に響いた。
(……)
貫いた。確かに、心臓を貫き破った感覚が手に染みた。引き抜き、残心をする。
だが、おかしい。
ただ、苦悶の声のみが神父からは聞こえてくるのだ。身体を貫かれ、苦悶をあげる事はなんら不思議では無い。だがまるでその身を横たえぬ。
否、苦悶は、身体に訪れし死を痛むものではなかった。
それは、残り僅か、最早ただの残穢でしか無い、幽かな人間性の悲鳴であったのだ。
アアアアアアアッ!!!
狼は初め、その爆声が、目の前に発生したとすら思わなかった。
この眼が受け取る認識は、余りにも真実で、なのに信じ難かった。
心臓を貫き、死する筈の男は今や、ヒトの形を失った。完全なる獣へと変化してしまった。余りにも、グロテスクな変容だ。
ともすれば別の獣が乱入したようにも見える。だが、身体にまだ纏わる服だったものが、変態をこれ以上無く詳かに語っている。
斧は既に持たぬ。だが、その両の腕にそれぞれ、それと同等に鋭き爪が有る。
義手に燃えるあの赤炎を思い出した。あれを放てるか?否、それだけは駄目だ。
此奴には、人としての技術のみで打ち勝たねばならない。それが、それだけが唯一縋る事のできる、心のよすがであるように思えた。
「Aghhhhh!」
「…ッ!!」
そのような想いなど知らぬまま、猛る獣性のままに、神父であった獣は忍へ襲い掛かる。何とか防ぎはした。だが、それでもその攻撃を無力化しきれはしない。爪が渋柿色の装束を深く切り裂いた。血が飛ぶ。
傷は深いが、まだ死にはしない。
しかし、切り裂かれ、荷物が落ちた。
瓢箪は腰に付けた為に無事だったが、この街に来てから持ったもの…
…少女のオルゴールが、地面に落ち、壊れたようにほんの少しだけ鳴った。
「!!」
しまった、と狼。だがその音色に止まった者は、猛る獣も、であった。頭を抱えて、悶え、苦しむ。頭を掻き毟るように。
「……!」
神父であった獣…
否、この獣は、未だに神父であるのだ。
(……)
狼はその獣をどこか物哀しい目で見た。
そして、鉤縄を伸ばし、跳んだ。
獣が苦悶を終え、頭を上げると、そこには誰も居ない。あの獲物はどこへ?そう、周りを見渡す。
自らの頭上より落ちて来た影には、気付く事が出来なかった。
「…御免……!」
忍殺。
頭蓋より、脳幹をも貫いたその一撃。
如何なる生き物であろうと、耐え切る事など出来はしない惨切だった。
神父の最期の言葉は、人の名前のようでも、誰かに赦しを乞う声のようでもあった。
「…」
落ちたオルゴールを拾う。
蓋の裏には古い手紙が書いてあった。
辛うじて名前が読み取れる。
ヴィオラ。そして、ガスコイン。
この神父は、ガスコインという名前だったのだ。
その事実に、何があると言う訳では無い。
ただ、狼は祈るように目を閉じた。
それだけだ。
ーー戦いの残滓・ガスコイン神父。
心中に息づく、類稀な強敵との戦いの記憶
今はその残滓のみが残り、
記憶は確かに狼の糧となった。
狩人であった彼は、妻と娘を守る為に獣を狩り、それはまた、血塗れの日々の中の確かなよすがだった。それ故に、そのよすがを失った時に、またその正気を失ったのだ。