墓地を進み、梯子を上り、その先にある扉を開けた。身体は返り血に濡れているが、気にする暇は無かった。
扉が開けた先は、教会である。夕暮れであった外はすっかりと暗く、月光のみが窓を照らす。
見渡す限りには人は居ない。だが、確かに人の気配を感じてもいた。
横に目を見やる。そこに、気配の主が居た。一度見れば、ボロ切れそのものの様に見える風体の男だった。
「…ん?あんた、戻ってきたのか?…いや、ひょっとして獣狩りの⋯狩人さんか?」
「…そうだ」
「ああ、やっぱりそうか。すまない、あんたに似た香りの人を知ってて、その人かと思ったよ」
「…何?」
「ああ、怒らないでくれよ…悪かったからさ…」
「…怒ってはいない」
「そうかい?ならよかった。
…ああ、そうだ。狩人さんなら、お願いがあるんだ」
「もしあんたが、まともな生き残りを見つけたならこの場所、『オドン教会』を教えてあげて欲しいんだ」
「…」
「…獣狩りがはじまって、まともなのは皆閉じ籠ってる。⋯でも、今回は異常だよ。実際、閉じ籠った連中にも犠牲がではじめてるんだ。だから、何とかここまで逃げてこいってさ…」
「分かった」
「本当かい?ああ、ありがとう…
まともな生き残りが居れば…ああ、楽しみだなぁ。ヒ、ヒッ…」
狼は、この見るからに怪しい男を、しかし信用が置けるように感じた。
話す内容は真っ当であり、何よりその善意に嘘は無いように思われた為だ。
ただしかし一方で、自らにもよくわからない、違和感のようなものも、感じていた。それは、この赤い外套の男というよりは、この教会そのものへの感覚。
周りには何かの気配は無い。恐らくは気のせいだろう。
この街に来てから、悍しい事ばかりだ。それに疲労も溜まっている。神経が過敏になる事も仕方がないのやもしれぬ。
さて。この先が、一先ずの目標に定めた聖堂街。
この先に進まねばならない。
だがまだ、市街にはやる事がある。
故に、狼は今来た道を戻って行った。今知った、この安全な場所を教える事の出来る人間が居たはずだ、と。そう思い。
…
……
「ごほっ、ごほっ、ごほっ。ああ、辿り着けたのですね。おめでとうございます」
「…お主のお陰だ」
「いえいえ、成したのは貴方で…ごほっ、ごほっ」
「安全な場所が、ある」
「ごほっ…ああ、ありがとうございます。…でも、私の事はもう気にしなくて構いません。どうせもう、長くはありません」
「…だが」
「⋯これは不治の病、一縷の望みでこの街を訪ね⋯怪しげな血に頼ってでも、今まで生き長らえたのです。もう、十分ですよ…」
「…」
「もう、お役に立てる事もないようです。最後に、これを」
ギルバートが、窓越しに何かを差し出した。ずっしりと重厚感のある、何かだ。聞くに、それは「火炎放射器」であり、その名の通りに、火を吹くものだと言う。獣は火を恐れる。これからの役に立つのではないかと。
「私には、無用の長物でしたが、貴方ならば違うでしょう」
「…礼を言う」
そう言い残し、狼はその場を立ち去る。
もう此処へは来るつもりはない。自分の目的の為に役に立つものは無いのだから。
ただ、ほんの少し瞑目した。
せめて安らかな死であるように。
少しだけそうした後。
鉤縄をひゅぱりと鳴らした。
…
……
「⋯またあんたかい、しつこいね。
役立たずに用はないんだよそれとも、見つけたのかい?どこか安全なところをさ」
「…ああ。オドン教会に行け」
「へえ、そうかい。
よそ者も、たまには役に立つじゃあないか」
「…」
「さあ、もういいよ。いったいった
あんたの仕事は獣狩りだろう?
さっさと終わらせて欲しいもんさね」
また、一方的に会話が締め切られる。
会話というのにも、少し憚られるようなものではあったが、一応はこの老婆に場所を教える事は出来たので、まあ良かった事にしよう。
忍は、そう考えた。
そうして、次の場所へ。
…
……
ふと、探索を行なっていない場所に人が居るのではないかと思い、街の探索を少し行う。すると、そこには診療所らしき場所があった。血に塗れ、罹患者が徘徊している場所ではあるが、しかし確かに人の気配を感じる。
閉じた扉の前に立ち、叩いた。
内から声がする。美しく、聞き惚れるような声だった。
「⋯あなた、どなた?
獣狩りの方かしら?」
「ッ!」
「もしそうなら、あなたに、お願いがあるの。これから、獣狩りに出ていくのでしょう?だったら、もしどこかで、まだ獣でない人を見つけたらこの『ヨセフカの診療所』を教えてあげて」
「……」
「…違うのかしら。
なら、無理は言わないのだけれど」
「…いや。そうだ」
「あら、やっぱり、そうなのね。
それなら、是非お願いしたいわ」
「連れてきてさえくれれば、医療者として、私が保護するわ。治療もできる。もう獣や病に怯えることもないって、そう言ってほしいの」
「……そうか」
「ええ。勿論、お礼もするわ。貴方にとっても、悪い話じゃあないでしょう?」
「……」
「…ふふ、無口な人ね。
それじゃあ、宜しくお願いね」
そう言って、気配は消える。
その裏で狼は一人、汗を一滴垂らしていた。
話す声は確かに優しく、美麗だった。
だが、何処か、怖気がする。
ぞくぞくと、かの首の落ちた獅子猿の遠吠えのような感覚を覚える。
…否。怖気ともまた、少し違う。
これは、なんだろうか。この感覚は。この街に来てより、幾度も感じ取る何か。それを形容出来る言葉を、未だに見つけられぬ。
この先、それが判る時が来るのだろうか。きっと、来ない方が良い。だがそれでも、いつかは来てしまう。不思議と、そう感じた。
…
……
以前と違い、オルゴールの音は無い。それは今、彼の手元にあるのだから。窓を叩く。返事はすぐに来た。
「こんばんは、獣狩りさん。
…お母さんは、まだ見つからない?」
気が重かった。このような結末になる事は分かっていた。
だが、それをまた伝えるという事では、話が別である。
しかし言わねばならない。
少女が求める答えを、それでも伝えなければならない。
「……死んでいた」
「…えっ…」
「…母親は、死んでいた」
「……本当、なの?」
「……」
忍は、真っ赤なブローチを、窓越しに少女に差し出す。これは、あのガスコインを斃した後に墓地で見つけたものだ。
成る程、確かに少女の言う通り、一目でわかる大きさと輝きのブローチだった。いっそ、それを見つけられなければよかったと思うほどに。
見当たらなかったと、嘘をつく事も考えた。
だがそれは、いつかは嘘だと判る事。それも直ぐ先に。
少女が絶望の淵に沈む事は、結局の所、遅かれ早かれだ。
ならばこそ、その責任を負うべきだと思った。憎まれるやもしれずとも、それが約束をした自分がせめてしてやれる事だと。
「⋯お母さん⋯お母さん⋯一人はいやだよう⋯」
「……」
少女は己を憎むでも無く、狼を憎むでも無く、ただただ泣き始めてしまう。
オドン教会についても話したが、聞こえたようには到底思えぬ程に泣いていた。当然の事だろう。慰めの言葉でも言えたならば良かったろうが、忍はそういった事には滅法疎かった。
ただ、ここは一人で泣かせるべきであると思い、そのまま立ち去る。
少し時が経った後、この少女を迎えに来れば良い。そう考えて。
…
……
再び、教会へ戻ってきた。
まだ件の老婆は居ないが、じきに来るだろう。それまでに、しておきたい事があった。まずは、この場近くの探索。
そしてもう一つは、教会の男ともう一度話す事。
先程の発言についてを聞かねばならなかった。
「おい」
「ヒッ…ああ、狩人さんか。無事でよかった。どうしたんだい?」
「…俺と似た香りがする者が居ると。
そう、言っていたな」
「ん…ああ。もしかして知り合いかい?
それなら、そう遠くには居ないはずだ、探してみたらどうだい?」
「…ああ」
勧められるがままに外に出る。
同じ香り。もしかしたら、自らと同じような境遇の者か。そうでなくとも、人であるのだ。何かを聞き出せるやもしれぬ。
門を出たすぐそこに死体が有った。
この街、この異常の最中では、死体が有るという事自体は至極当然だ。
しかし、その死んでいる者と、それの下手人。それが狼の気を惹いた。
死体は、人だった。しかしその背丈は異常に巨大で、顔は青白く、眼には死して尚、狂気しか写っていなかった。
そして、それを殺したであろう武器。矢である。刺さったままのその矢には、見覚えがあった。和弓のものであった。
「…久しいな、御子の忍よ」
その聞こえて来る声にも、覚えがあった。
この腕を斬り飛ばされ、掟が定める復讐の相手になり、そして、二度、この手で殺した。
信じられぬような心付きで顔を上げる。
そうだ。この手で斃し、そのまま彼は、首を自らで落とした筈なのだ。
声の先を見やる。
月明かりを背に武者が立っている。
葦名弦一郎。
そこに居た者は、確かにそれであった。