隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

8 / 50
愁訴を愚する

 

 

 

ぴりと空気が張り詰めた。

 

過去に一度ならず撃ち破った相手ではある。だが錆びきった今の己が敵うような者では間違っても、無い。鯉口を切ろうと指を添える。だが、刀は抜かない。それは、弦一郎も同様だった。

 

そのままに沈黙と時が流れる。

 

 

 

「…止めにするぞ。

今、我等に戦う意味は無い筈だ」

 

 

そう言い、弦一郎が背を向ける。確かにそうだ。あの時は互いに譲れぬ物の為に、成す事を成す為に、戦う他無かった。

 

だが今はどちらにもそれは無い。主の命は忍に無く、護るべき国は武者にはもう無いのだ。故に戦う必要も、無い。

 

 

「付いてこい、忍よ」

 

 

「…」

 

 

彼はそのまま、そう狼に言って歩き始める。

罠かとも考えた。しかし、付いて行く。いずれにせよ情報の共有は必要な事である。例えそれに危険を伴おうとも。

 

奥へ征みながらに、二人は話す。

その様子は何処か滑稽な様子を帯びてすらあった。

 

 

 

「…生きておいで、だったとは」

 

 

「いや。確かに俺は、死んだ。黒の不死斬りに、この身を黄泉返りの贄としてな」

 

 

「…」

 

 

「だがここに居る。修羅道に堕ちたと思っていたが、どうやら違うらしい」

 

 

尤も、貴様も死していなければだがな。

そう言い、狼を見やる。

 

 

 

「…弦一郎殿は、どの様にして此処へ」

 

 

「死して直ぐ、この教会に居た。

この、地獄の様な有様の街にな」

 

 

成る程、あの市街にでは無く、此処に初めに送られ、探索を重ねたのか。通りで、今までに彼についての話を聞かなかった筈だ。

 

 

 

「時に、狼よ。あれが見えるか」

 

 

ふと止まり、そう指をさす。

上に向け、指されたそこには何も無い。

ただ、虚空だけがある。少なくとも、狼にはそう見えた。

 

 

 

「…何も」

 

 

「そうか。ならばいい。

あれは恐らく、見えぬ方が良いものだ」

 

 

 

そう、再び歩き始める。そこには珍妙な沈黙と緊迫がある。或いはその緊迫は、そのまま周囲に向ける警戒でもあった。

 

 

 

「貴様は、如何様にしてここに居る」

 

 

「…仏を、彫っておりました。

ですが、気付けば此処へ」

 

 

「何も判らぬ、という事か。

まあ、責めはせん」

 

 

言動とは裏腹に、少なからず落胆しているようである。無理もない話だ。あわよくば此処に来た謎が解けるやもと、微かにでもそう思わぬ方が難しいだろう。

 

再び二人の間を沈黙が包む。進む先には死体が続々と転がる。そしてまた、それまでは永い時間閉ざされていたであろう鉄の門扉は、開け放たれていた。

 

 

恐ろしく巨大な、だが確かに人である死体らには矢が刺さり、また、刀傷がある。それから、この一連は。開いた門と殺戮は、全て弦一郎が行ったのだろう事が判る。

 

弦一郎は、不死では無い。それは、その鎧と身体に付く夥しい数の生傷が物語っている。変わらず、当然に、一度死んだら、終いであるのだと。

 

彼はこの地獄を、死なずの力を持たずして生き延び、調べていたのだ。それは正に、驚嘆に値する事だろう。しかし、では何故傷を負い、死を目の当たりにしてまでも探索を続けていたのか。忍びにはそれが解せなかった。

 

それを、目より読み取ったのか。

目を伏せ、彼は語り始める。

 

 

「この街が、何故斯様な有様に成っているか。

聞き及んでいるか、狼よ」

 

 

「『獣の病』と。そう、聞いております」

 

 

「そうだ。そして、それを治めるもの」

 

 

「…『血の医療』」

 

 

「ああ、そうだ。人を獣に変え、そしてそれをすら癒す事の出来る。そういったものだ」

 

「…それらを我が手に、納める事。

出来ると思うか」

 

 

「…弦一郎殿」

 

 

その一言で、全てに合点が行く。

彼の目的は、かの時より、何一つとして変わっては居ないのだ。

 

つまりは、そう。葦名弦一郎は、獣の病を、血の医療を、あの地へ。彼等の故郷へと持ち込もうと思っているのだ。

 

 

「病を敵に撒き、我らのみは癒える。さすれば、傷ついた葦名であろうとも闘えるであろう」

 

 

何一つ理想を諦めてはいないと。

そう言えば聞こえが良い。だが。

 

 

「…葦名は、亡びました」

 

 

もう、その国は存在しないのだ。亡国への尽力など、只々晩節を穢すだけだ。このような悍ましき物を持ち込むなど、尚更。

 

だがその様に愚されようと、弦一郎の威容は些かにも翳りはしない。堂々と、正しい事を為しているかのように。

 

 

 

「ああ、そうだろう。

だが、なれば再び興せば良い」

 

 

「…興したのなら。

それは最早、葦名ではありませぬ」

 

 

「違うな。我等の土地を、我等が奪い返す。そうなるだけだ」

 

 

「この地にて得た物。

それらを、我らに御せるとは思えませぬ」

 

 

「俺は、あの国の為なら、どの様な異端の力であろうと従える。従えてみせる」

 

 

 

莫迦げている。無謀を通り越し、愚かだ。

この街に広がる地獄を、故郷にまで展開させるつもりだとでも言うのか。

 

 

「どのようにも思うがいい。俺は俺の、為すべき事の為に動く。そして、貴様もそうであろう。忍びよ」

 

 

「…何を…」

 

 

「何の目的も無く、ただ死を待つだけの身ならば、何故貴様は此処に居る。この、聖堂街に」

 

 

「…」

 

 

「何かを為すべき事だと思い、それを為すために此処まで来たのだろう。その眼は、そう云う者の眼だ」

 

 

「……」

 

 

「…些か、喋り過ぎたな」

 

 

 

己はそうではないと。そう、反射のように思った。だが、何が異なるというのだろう。

 

主は既に居らず、それを命じた者も居ない。最後の不死たる自らを死そうという、それ。

それは、己が己に課した使命。

己の思いし、為すべき事。

 

御子様が望んでいる、というのは、己が手前勝手に作り上げた、主の偶像に過ぎぬ。

ならば、己は何がしたいのだ。

俺は、此処に来て、何をしていたのだ。

 

そうだ。それでもこの、幻より儚き偶像に縋る。それこそが、自らに潜む野獣を。修羅を、縫い留めるよすがなのだ。

 

 

 

「狼よ。貴様の目的も、血の医療だろう。

目的は違えど、求める物は同じだ」

 

 

「…は」

 

 

「ならば、この限りで良い。俺と共に来い。

平穏に済めば良いが、そうなるとは思えん」

 

 

「…」

 

 

異論は無かった。

概ね、その通りだと考えていた。

 

今やこの巷で会う者は全て獣。

医療教会の長がそうであると決まった訳では無いが、ただ、可能性は十全に有る。であるならば、闘える者は多いに越した事は無い。無論、何も無くば、それで良い。

 

故に、無言のままに付いて行く。

 

道中の、教会の人員らしき者はその殆どが和弓の餌食となり、また一部は、狼の牙に刈り取られた。

 

そうして、恙無く巨大な門扉へと辿り着く。

この街に来てより初めてとも言える程、円滑で、且つ危なげの無い道程であった。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

長い階段を登る。響く音は二人分の足音と、人が読み、囁く警句の言葉のみ。

大きな広間のその中央に、声の主は居る。

あれが、教区長であるのだろう。

 

警句を聞き、返す者は誰も居ない。

未だにそれを信じ、祈り続ける敬虔と秋訴を嘲笑うように、静寂と月明かりがこの聖堂を占めていた。

 

 

見え、聞こえるものは、人の形と、人の声。

獣であるやもという思案は、杞憂であったか。

 

 

否。

狼は確かに、その者からする獣臭に気付いていた。そして弦一郎もまた、異様な気配を感じ取っている。刀を互いに引き抜き、背より近づく。

隙さえあらば、其のままに屍とするつもりであった。

 

 

しかし変容は、例に漏れず急激であった。

刃が追い付かぬ程に。

 

 

背骨をへし折らんばかりに反り、悲鳴を上げる。びりびりと鼓膜が痛むような絶叫。その叫びは、成る程、人としての意志が、身体が、内側から微塵と裂けて行く激痛に依る。

 

ごきごきと、骨が変容する。

ぐちゃぐちゃと、肉が生える。

鮮血が散る。

 

ぞくぞくと、背が何かを感じ取った。

これは、怖気か。いや、やはり違う。

 

 

 

「…これは…」

 

 

「参るぞ」

 

 

 

月明かりに照らされ、白き獣が姿を見せる。

その手は未だ、祈るように組まれている。

 

変わり果てた教区長は。

異邦の二人に、ただ静かに殺意を向けた。

 

 

 

 




次回、教区長エミーリア戦。
with、弦一郎殿。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。