隻腕の狼、ヤーナムの地に潜む   作:澱粉麺

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炎雷が舞う

 

 

掲げ上げた祈りの手。

獣に依れば、それはただ、強大なる武器だ。

それは、膂力と云う意味でもあり、獣は祈る事などしないと云う意味でもあり。

 

 

兎も角として、その一撃は放たれた。

 

 

地が隆起し、そのまま襲い掛かったかのように錯覚するような一撃。ただ振り下ろされた手だけがそれを破撃と示す。

 

忍びと武者はそれぞれ左右に跳び、難を逃れる。どちらも、からがらの退避だった。それを追うように獣が翔く。向かう先は、忍びだ。或いはその身に帯びた獣の返血臭が彼女の脳を揺さぶったのかもしれない。

 

 

握りしめた左手を、そのままに叩き付ける。

楔丸が弾き流す。そして次弾。その凶悪な牙で噛み付く。弾く。更に三段。空いた右腕の、地面ごと抉り取る薙ぎ払い。

弾き、損ねる。手傷こそ浅くとも、体幹が揺らぎ、体勢を崩す。死が迫る。 

 

だがその、雄鹿じみた角が生えた獣の頭部に矢が刺さり、死は止まる。

激痛が彼女を怯ませ、攻撃を止めさせたのだ。

言わずもがな、弦一郎に依る物だ。

 

報復をしようと、飛来物の元を止めようと、狙いの対象が武者へと移る。つまりは、狼が攻撃をし得る機会を得たという事。

 

 

強く、斬り付けた。狙うは四肢。

如何な強靭な生物であろうとも、手足を壊し、断てば死へと近づく筈。故にその位置から最も狙い易い、右の足を切り付ける。

 

しかし獣は意に介さず、武者へと攻撃を続ける。威力が足りぬのか、殺意が痛みを鈍麻させているのか。何にせよ、拙い。

彼も何とか攻撃を凌いでは居るものの、あれでは到底保ちはしない。

 

両腕を用いた途切れる事の無い連撃。稚児が駄々を捏ねるような、狂乱の連撃。あの様なものを見舞われては…

 

否、それは、忍びの見込み違いだった。弦一郎は、あの男は凌ぎながら、その太刀を獣の腕に押し当て、引き、切り裂いている。

 

魔技と言っても良いようなそれは、果たして元より持っていたものか。それとも、この狂都に来てより修得したものか。

 

 

獣の腕より、破壊の一線を越える音が響いた。骨肉が砕ける音。

夥しい血が飛び、堪らず頭を下げた。

その隙を見逃す両者ではない。互いに技を構える。武者はその鼻柱を斬り穿つ為の地擦りの突きを。忍びは刀を上に構える。思い切り、振り下ろす為に。

 

図らずもほぼ同時に、両者から斬撃が放たれた。弦一郎の突きは眼を貫き、狼の唐竹割りはその角を根元の肉毎、削ぎ落とした。

 

だが、未だだ。

この技は、二連で完全となる。

 

残っている方の角を、再び鮮血と共に削ぎ落とす。

それは先程と同じような唐竹割り。

 

葦名一文字・二連。

身体が、錆を落としつつある。

 

 

悲鳴が聖堂に響く。それを好機と見た弦一郎が、鮮刃を閃かせた。

が、それは悪手。

 

 

「弦一郎殿…!」

 

 

危。

感じ取った時には、遅かった。その両腕が甲冑の武者を軽々と抱え上げている。もがく動きなど、関係の無いように。

腕の内に、万力が篭った。

 

 

「……ッ!!」

 

 

甲冑が砕け散り、口内より血が噴き出る。

狼の手裏剣が先程弦一郎が貫いた眼窩に突き刺さり、その手を緩めさせた。が、その痛みは獣に、手の内のものを力強く放り投げさせてしまう。

 

窓の硝子がけたたましい音を立て破れ散る。外に放り出された弦一郎を、横目に見る。恐らく死してはない。だが、あの状況より此方に戻るには時間が必要だろう。

 

窓の外へ、獣が追い、殺そうとするだろうか。その可能性は低い。彼女を殺さんとする怨敵は一人ではなく、二人。そして、その片割れが極近くに居るという事。

詰まる所。心配を、他に巡らす余裕など無いという事だ。

 

 

教区長と狼が見合った。

来る。

 

飛び込み、叩き潰そうとする跳躍。それを左前方に踏み込むようにして避ける。鬱陶しい蠅を払うように、右手で忍びの居る所を薙ぐ。辛うじて弾く。隙が出来、斬り付ける。良い一撃だ。白獣が怯む。

 

消耗している。間違いなく、先程の斬撃の嵐が効いているのだ。

未だだ。再び楔丸を見舞う。

 

危。

弾く事が出来ぬ、地擦りの一撃が来た。跳んで避け、無防備な背中を踏み躙る。落ちざまに、二撃、更に喰らわせる。

しかし、攻撃を欲張り過ぎたか、振り向きざまの一撃を喰らう。直撃はせず、掠る程度のものだったが、それでも身体が悲鳴を上げていた。

 

 

一度、距離を取った。敵の消耗を前に焦らず、傷薬を呑み下す。

その判断は、普通なれば正しい筈だった。

 

が、忍びは忘れてしまっていた。既に数え切れぬ程死そうと、未だ慣れる事が出来ていなかった。この戦いは、獣は、この街は。狂気的で恐怨で、異常であり、それこそが通常であるという事実を。

 

獣は背を正す。畏む様に。

両腕を再び組み合わす。祈る様に。

再び、最初のような一撃が来るのか。脚に力が篭る。

 

だが違う。月光の元に彼女は、そのまま瞑想する。

月明かりが照らす中のそれは、例え醜い獣に成ろうと、その荘厳さを失っていないように錯覚させるようだった。

 

 

(何だと…ッ)

 

 

忍びを驚愕せしめた事実は、獣が神に祈るという面妖では無い。

 

その祈りが、生々しく残る赤黒い傷をみるみる癒しているという、信じ難い真実に、である。

斬傷は消え、角が生え始め、潰れた眼窩が流血を止め、その肉の再生に、未だ刺さっていた矢が抜け落ちる。

 

 

皮肉な事だ。如何に祈れどもその恵みを与えられなかった彼女は、獣に成り、想いも信仰も消えた姿に成り果て、成って果てて。

初めて、神なる神秘にまみえたのだ。

 

追うように斬り込むが、しかし既に祈りは終わっていた。全身の傷は消えはせずとも、しかし確実に浅手となっている。

 

獣の再生力は、いわんや強力であり、厄介。そこに奇跡が加われば、今迄のような攻撃では死に至らしめる事は最早不可能だろう。

 

 

そうなると、必要であるのは、より強力な一撃。波状攻撃ではなく、大波にも似た激烈なる一撃。

一撃の元に、死たらしめる事の出来る何かが必要だ。

 

思い当たる一つである、不死切りは今は存在しない。

思い当たるモノはもう一つ、有る。そしてそれは、今彼の手元に存在するものでもある。

 

だが、どちらにせよ隙が必要だ。先程の祈りのような。それはつまり、又、彼奴が祈り、傷を癒さねばならぬと思うほどの傷を与えなければならないということ。

 

 

出来るのか。今の己が。

少なくとも、何度かは死さねば見極められないだろう。

 

顳顬に汗が流れる。落雷が外より聞こえる。いつの間にやら、空は雷雲に覆われていたらしい。気付きもしていなかった。

 

 

落雷。

脳裏に一つ、考えが浮かび上がる。

ああ、そうだ。あれならば。

 

だが、己には出来ない。

出来る人物は、このヤーナムには唯一人。

 

 

その人物が、呼応するように、再び聖堂内に躍り出た。甲冑は最早使い物に為らず、それを脱ぎ捨て、その手に太刀を持ち。

 

 

葦名弦一郎。彼も、狙いは同じ。

 

一瞬の視線の交差が、二人の行動を決めた。

 

 

鉤縄が獣の足を絡め取る。狼の義手から伸びたそれは、白獣の力の前には何の意味も無い。ただ一瞬、関心を此方に向けるのみ。

 

 

それ故に、十分。

 

武者が弓をつがえ、高く、高く飛ぶ。

刹那。眩むほどの光が場を支配した。

破れ果てた窓より雷鳴が轟く。激光が閃く。

 

弾ける様な雷をその身に、受けた。

 

 

「雄々ッ…!」

 

 

これは、自害か、不運か。

否。これこそが彼の身に、残る奥技。

かつて狼にもその牙を向けた、宮の技。

 

巴の雷。天災である落雷を従え、纏い、放つ。その破壊力は災害のまま、天なる怒りのまま、語る術を持たぬ程に絶大。

 

雲をも穿つ一矢。

雷の速度を手にした一射が、獣を撃つ。

 

 

打雷。

稲妻が獣を走る。

痺れ、瞬き、激痛によがる。

身体を黒く焼き尽くすような一撃を喰らい、だがまだ斃れぬ。

 

しかし、致命傷である事に違いは無い。

それを裏付けるようにして獣は、その手を、祈りの形とする。これ以上は堪えられぬと、その御身体を癒す為に。

 

この瞬間を、待っていた。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

葦名弦一郎は、刀を構える。

雷を受け、獣へと撃ち流す奥技こそが巴の雷。

だが受けた全てを放てる訳ではない。無論、害がある程残らせてしまうようでは『技』とは言えぬ。しかしそれでも、確かに、身体には稲妻が残るのだ。

 

雷の残滓。落雷を幽かに纏う白刃が揺らめいた。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

狼は義手を獣に向ける。その腕からは炎が溢れた。だがそれは修羅の赤炎では無い。この炎は、此処に来て初めて出来た友の贈物だった。

狩人の夢の工房で義手に仕込んだ火炎放射器。橙色の火炎がバネ仕掛けの機構により爆発するように放たれる。だが、未だ終わりではない。この炎攻は、次なる殺しの布石。

 

陽炎の中。炎の中で血濡れた楔丸が煌めいた。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

その二撃は、此れ又、ほぼ同時であった。

 

 

 

武者が放つは、雷の残滓を纏った一撃。それは、師事した巴と、その流派にも存在しなかった技。雷そのものとなる、雷神の一撃。その疾さは目に留まらぬ雲耀。その威は天なる災い。

紫電一閃。

 

忍びが放つは、放たれた焔を刀に纏わせた一撃。それは、かつて忍義手を用いた忍びが創り出した技。その忍びはこの奥義を最後に忍義手を捨てた。極め、殺しすぎた。怨嗟の炎が漏れ出す程。

纏い斬り。

 

 

炎雷が翔け、舞い、爆ぜた。

 

嗚呼、祈りは、遙か遠く。

 

 

ただそれでも、縋るように声を上げ、朽ち果てた。

戦いの最中、最期まで握られていた左手より金の首飾りが落ちる。

 

 

 

忍殺。

教区の長の、せめて安らかなる祈りを。

 

 

 

「……」

 

 

供養のように、首飾りを拾う狼を尻目に。

弦一郎はおもむろに話し始める。

 

 

 

「忍びよ。祭壇の頭蓋に触れよ。

其処に、貴様が必要とする何かがある筈だ」

 

 

いきなり、何を?その内容は無茶苦茶で、破綻しているようだった。

例えそれが正しくても、ならば何故それを知っている?怪訝に思うその心の内を読み取った様に、彼は言う。

 

 

「何故、俺がそのような事を知っているのか。何故俺は既にその警句を知っているのか。俺自身、何一つ、判りはしない。だが、それでいい。葦名を守る為ならば、何でも」

 

「…これから先、再び合見える事もあろう。

その時に、俺の邪魔をするのならば。貴様も俺の敵だ」

 

 

「……ッ!」

 

 

「…それではな」

 

 

 

そう言い放ち、ただ葦名弦一郎は背を向け、去って行く。

問いも、追う事も、闇討も、何も出来ず。

狼はただ、聖堂に立ち尽くしていた。

 

 

聖堂には再び、静寂のみが鳴り響いていた。

 

 

 

 




ーー戦いの残滓・教区長エミーリア。
心中に息づく、類稀な強敵との戦いの記憶
今はその残滓のみが残り、
記憶は確かに狼の糧となった。

医療教会の長を務めていた彼女は、治めるべきその病に正気を蝕み、悍しい獣と化した。祈りは、誰にも通じる事は無かった。それはしかし、彼女にとっては幸運な事だったのだろう。
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