今回も、少しの間お付き合いください。
「戦いは数だよ兄貴」とザビ家のドズルさんも言っていたとおり、戦争のみならず、あらゆる場面において人手が多いということはそれだけで有利に働く。少数精鋭が悪いとは言わないが、人間一人当たりが持つ平均的処理能力に限界というものがある以上、抱える仕事量は適切であることが望ましい。処理限界以上の仕事を抱えてしまえば潰れるか壊れるかの二択でしかないからだ。
なぜこのようなことを考えているかというと、まさに今、ぼくたちが抱えている仕事の量が限界を超えているからだ。どうしてこんなことになってしまったのか。ぼくらは一日だってさぼりなどしなかったというのに。理由は簡単で、アイドルたちの人気がどんどん上がってきているからだ。各種番組やイベントへの出演依頼、ティーン向けファッション雑誌のモデル依頼、各雑誌のインタビューなど枚挙にいとまがない。仕事があるというのはよいことだ。だといっても限度があるが。これがアイドル戦国時代の力だとでもいうのだろうか。今まで書類を捌くのに割けていた時間を打ち合わせや会合に持っていかれてしまうようになったため、一日で処理できる案件が減ってしまったのが痛い。総人数三人でなんとかやれているのが奇跡めいている。今は社長が出張中なので二人なわけだが。少しでもスポンサーや支援者を増やすためとはいえ、日本の端から端までをたった数日で渡るというのだから大変なことだ。
ぐっ、と背を伸ばしてみると盛大に骨が鳴った。時計の針は午後6時を指し示していた。いつもならば絶え間なく続いているはずの会話もすっかりなくなってしまっている。ここまで口が回らないのは久しぶりのことだった。
「終わんねえなあ……」
「終わりませんねえ……」
思わず弱音が漏れてしまうが、七草も同じことを思っていたらしい。目の前に山積した書類は灯織が帰ってからその数を半減させたものの、それでもまだ底が見えない。このまま続けていてもよい結果を出すことは難しいだろう。そう考え、ぼくは休憩を入れることにした。
「ちょっと休憩するか。茶でも淹れよう。七草、お前何がいい?」
「紅茶でお願いします~。お砂糖多めにしてくれたら嬉しいです~」
この事務所にはティーバッグしかないが、市販のものでも美味い紅茶を淹れること自体は難しくない。予め温めておいたティーカップにお湯を注ぎ、そこにティーバッグを静かに沈める。茶葉によって適切な蒸らし時間は異なるためよく確認しつつ、ソーサーなどでカップに蓋をする。おおよそ1~2分ほど待てば出来上がりだ。欲を言えばきちんとした茶葉で、なおかつティーポットで淹れたいところではあるが、ないものねだりをしても仕方がない。時間が取れたら紅茶専門店に足を運んでみようか。
「羽丘さ~ん、まだですか~?」
いつの間にか後ろに来ていた七草をあしらいつつ、ぼくは砂糖を手に取った。砂糖多めがいいと言っていたから、大体スプーンに三杯くらいで十分だろう。
「こら急かすな、そんなグイグイ来なくても紅茶は逃げねえよ。大体まだ五分くらいしか経ってないだろ。せっかちはよくないぞ」
「だって、喉渇いたんですもん」
「もんってオマエ」
我慢できないほどなら水でも飲めばよかったじゃないか、というと、七草は唇を尖らせて「私は羽丘さんの紅茶が飲みたいんです」とぷりぷりし始めた。そんなにぼくの紅茶を楽しみにしてくれているとは光栄だが、だからといって拗ねるのは違うだろう。相変わらずよくわからないやつだ。
「とにかくもう少し待ってろ。せっかく淹れるんなら美味い紅茶にしたいんだよ」
「むー、じゃあ私にもっと構ってくださいよ」
「構えったってあと一分ちょっと蒸らすだけなんだけど……?」
素直に疑問を口にするととうとう頬を膨らませ始めた。「いけず。昼行燈。甲斐性なし」などと罵倒の言葉までセットでついてきたので始末に負えない。こうなってはもう白旗を上げる以外に対処法がないので、ぼくは両手を挙げて降参の意を示した。
「わかった、わかったよ。こいつが出来上がったら気の済むまで構ってやるから」
「ほんとですか? うそだったら泣いちゃいますよ」
「うそじゃないから。戻って茶請けでも見繕っといてくれ。なるべく話が弾みそうなやつな」
「は~い」
先程までのふくれっ面はどこへやら。上機嫌になった七草が足取り軽くリビングに向かうのを横目に見ながら、ぼくはカップに被せていたソーサーを取り払う。ふわりと漂ってきた紅茶の香りは、いつもより芳醇な気がした。
紅茶と茶請けのショートケーキが潤滑油の役割を果たしてくれたためか、ぼくたちの口数はいつも通りに戻り、事務所を覆うどんよりしたムードはすっかり消えた。休憩を入れてから二時間ほど経った現在、書類は最早十数枚を残すのみとなっていた。終わりが見えてくると俄然やる気も出るというものだ。新しい書類を手に取り流し読んでみたが、こちらの足元を見ているのが丸わかりなのでさっさとお断りのメールを入れておく。冬優子たちを安く見やがってと心の中で先方を罵倒しつつカップに口をつけてみると、すっかり冷たくなってしまっていた。
「むう……淹れ直すか」
「あ、おかわりですか~? 私も欲しいです~」
「はいはい、砂糖はいるか?」
「もうこんな時間ですし、いらないかな~」
了解、とぼくが立ち上がったのと、事務所の玄関が開いたのはほとんど同時だった。こんな時間に誰だ、と思い玄関を見やってみると、手に紙袋を提げた天井社長がそこにいた。
「あ、社長。おかえりなさい~」
「うむ、ただいま戻った。この大変な時期に事務所を空けてしまって悪かったな」
「いえ、それは構いませんが。何か収穫はありましたか?」
「いや、我々にとってはそうではないが、先方にとっては所詮はただの付き合いだからな、得るものなどそう多くはなかったよ、残念ながらな。しかしそれとはまったく別のところで思わぬ収穫があってな。喜べ、社員が一名増えることになったぞ」
どういうことかと考える間もなく、彼の背後から小柄な女性がおずおずと顔を出した。ぼくを見るなり「ほ、本物……!」と呟いて引っ込んでしまったが、即座に社長に引っ張り出される。
「紹介しよう。今日付けで283プロのプロデューサーとなる謝花仁奈くんだ」
「よ、よろしくお願いいたします……・」
消え入りそうな声と共に、彼女はぼくたちにぺこりとお辞儀をした。
あの後二人をリビングに通し詳しい話を聞いてみれば、謝花さんは社長の友人の娘さん、ということだった。出身は沖縄。東京の大学を卒業後就職したものの、どうやらその会社はかなり黒い会社だったようで、日々心労をため込んでいたようだ。辞めようにも優秀だったことが災いし、あの手この手である日それが爆発した彼女は暴走。すべての家財を売り払い、必要最低限の荷物だけ持って家を飛び出したそうな。会社に辞表をたたきつけ、住んでいたアパートも解約して、もうどうにでもなれとばかりに電車に飛び乗って、気が付いたら聞いたこともない駅のホームに突っ立っていた。遅まきながらに自分のしでかしたことの重大さに気付き、どうしたらいいのか途方に暮れていたところを、出張帰りに謝花家から連絡を受けていた社長に発見・保護され今に至る……と。
「なんというか、凄いな……」
「でも、もう少し後先は考えたほうがいいと思いますよ~?」
「うう……返す言葉もありません……」
項垂れつつ紅茶と茶請けにはしっかり口をつけているあたりなかなか大物のようだ。単に腹が減っているだけかもしれないが。……ところで「羽丘さんの紅茶……へへ……」などと聞こえてくるが、はて、ぼくのファンか何かなのだろうか。時折視線も感じるし、そうであるなら嬉しい限りだ。しかし自分から聞くのはなんだかがっついているような気がしないでもない。とはいえ気になるものは気になるので、さてどう切り出すかと考えていると、社長がお土産に買ってきたちんすこうをもぐもぐしていた七草が謝花さんに近寄っていき、
「ところで、謝花さん~。一つ質問よろしいですか~?」
「はひっ!? な、なんでしょう、えっと――」
「七草はづきです~。先ほどから羽丘さんのことが気になっているようですけど……」
羽丘さんのファンなんですか? という七草の問いに、謝花さんは途端におろおろし始める。あー、とかうー、とか言葉にならないうめき声をあげつつ暫く悶えていた謝花さんだったが、やがて観念したかのように顔を上げた。
「う、えっと、はい。学生の頃に『ウル銀』見てからずっとファンで。ライブにも参加させていただいてました」
「ああ、なるほど」
言ってくれればファンサービスの一つや二つぐらいするというのに。「ですって」と七草がぼくに振り向くので、軽く頷き、喉の調子を整えるように声を出す。何かを察したのか、慌てて逃げようとする謝花さんを七草が抑えにかかった。
「は、放してください!」
「羽丘さんのファンサービス受けるの、イヤなんですか?」
「そういうことではなく畏れ多いんです! 私は隅っこのほうにいるジメジメしたオタクでいたいんです!」
そういえば同じようなことを辰宮も言っていたな。しかしこれから同僚になる相手なのだ、なるべく打ち解けたいじゃないか。こういう場面で役者であるぼくが出来る事といえばやはり演技しかないだろう。脳裏にゼロの姿を浮かべ、なおも逃げようと暴れる謝花さんに向けて、
「あー、あー……『二万年早いぜ!』」
「くぁwせdrftgyふじこlp」
形容しがたい声を発して謝花さんはぶっ倒れた。
「まったく……何やら騒がしいと思ったらそんなことをしていたのか。少しは手加減してやれ」
「死ぬかと思いました」
「悪かったって……ほら七草、お前も謝りなさい」
「は~い、ごめんなさい~」
ぜいぜいと肩で息をする謝花さんの顔は未だに赤い。刺激が少し強かったか。ライブやファンイベント、試写会などでファンとの距離感には慣れているつもりだったが、ブランクのせいか少し鈍っていたのかもしれない。謝花さんは全く悪いと思っていなさそうな七草に抗議の視線を送っているが、七草はどこ吹く風といった様子でにこにこしていた。
やや弛緩してしまった場の空気を引き締めるべく、社長が軽く咳払いをする。
「すっかり夜も遅くなってしまったが……改めてわが社の方針を確認しておこう。まず、謝花くんという新たな仲間を得たことで、我々は羽丘を心置きなく芸能界へ送り出すことが可能となったわけだが――」
「え、羽丘さん復帰するんですか!?」
謝花さんの驚愕した声が響く。そうなんだよ、と頷いて見せると、なんだかいろいろな感情がない交ぜになった表情で固まったのち、ややしまりのない表情に落ち着いた。
「……続けるが、構わないな」
社長の声に頷く。謝花さんも慌てて姿勢を正した。
「送り出すとはいっても、羽丘には変わらずストレイライトと風野のプロデュースをしてもらう。謝花くん、君にしてもらいたいのは――わが社のアイドル候補生たちのプロデュースだ」
ずらり、と社長がデスクに書類を並べていく。総数十五枚、その全てに少女たちの顔写真とプロフィールが記載されているのが確認できる。その中には、ぼくが面接やスカウトを担当した子たちもいた。
「十五名、ですか」
「勿論、一度に全員とは言わない。しかし会社である以上、経営には信用が必要でな。283プロが765や美城に劣らぬ事務所である、ということを各方面に示さねばならんのだ……無理難題を言っていることは分かっているが――」
「いえ、大丈夫です。やれます」
謝花さんは力強く言い切った。先ほどまでの姿はどこへやら、今の彼女は美城の常務にも匹敵する『覇気』に満ちていた。なるほど、どうやら彼女は仕事となると人が変わるようだ。社長もそれに気づいたようで、やや口角が上がっている。
「全員ソロで活動させる、というわけではないのですよね?」
「うむ、いくつかのユニットに分かれて活動してもらう予定だ。既におおまかな振り分けは決まっている」
「では、後ほど伺います。それを踏まえたうえで皆さんと一度話しておきたいので、近日中に面談を設けていただけませんか」
こいつはデキる奴だ。ぼくは確信した。社長も満足げに頷き、高らかに宣言する。
「勿論だ。では――わが社の命運をかけ、『プロジェクトシャイニーカラーズ』を開始する!」
「謝」花「仁」奈で「シャニ」。読みは「じゃはな」だろってツッコミは密に密に。
デュンヌさんはシャニPとほとんど同じ能力(例:よし楽しく話せたな)を持ちますが、性格や仕事のやり方、趣味なんかはけっこう違います。