「……36.7度、か。ちょっと高いけど、明日には下がりそうね」
有咲が、体温計を見ながらそんなことを言った。
ご飯も食べ、水分もちゃんと取ったこと。そして何より、ポピパの仲間達が来てくれたことが功を奏し、香澄は朝とは違う血色を取り戻していたのだ。
「ありがとうね、みんな」
四人にやんわりと笑いかける。
しかし、香澄は少し表情を曇らせて言った。
「……駄目だね、私」
自分に対する、悪態を吐いた。
CiRCLEで行われるライブまで、2週間と少ししかない。セトリこそ決まってはいるものの、やる予定の新曲もまだ出来上がっていない上に、まだまだ詰め足りていない。
もっともっと、やらなければいけないのだ。
ただ、それに伴う結果がついてきていない。その現状に嫌気がさしているのも、同時に感じ取っている香澄だった。
「ライブ直前で、練習もしなくちゃいけないのに。練習し過ぎて、風邪ひいちゃうなんて」
ドロドロと、表情が沈んでいく。最近の香澄からは見る影もなかったその様子に、たえは慌てるようにして声を上げる。
「かすみんセンパイ、ダメなんて言っちゃダメっすよ。言ったら言っただけ、ほんとにダメになっちゃうっすよ」
たえが励ましてくれる。ただ。
「……うん」
そうしてくれたにも関わらず、香澄の顔にはするすると影が落ちていく。
……四人が、何も言わない香澄を見つめる。やるせないというか、最近の香澄の様子とは打って変わったその姿に、以前の香澄の姿被さって見えた。
ーーさあさあと、いつの間にか雨が降ってきていた。晴れ予報だったにも関わらず、どんよりとした曇が空一面を覆いつくし、大粒の雨を降らせている。
沈黙した部屋の中響く雨音が、酷く気持ち悪かった。
「……」
ーーみんなは頑張っていて、走り始めているのに。私はちょっと頑張ったらすぐ転んでしまう。止まってしまう。
そんな風な自分が、たまらなく嫌だった。今は多少無理をしても頑張るべき時なのに、私だけ脱落してしまっている現状がとてつもなく嫌だった。
転んだらみんなから置いていかれるようで。私だけ取り残されているようで。せっかく絆を奏でることが出来たのに。みんな、みんな離れていってしまうようでーー。
「……かすみん!」
有咲に頬を抓られた。項垂れている香澄に喝を入れるように、結構な強さで捻りあげる。
「い、痛いよ有咲ちゃん……」
つねっている有咲の手を、香澄が掴む。
有咲は、香澄の頬から手を離した。そして、香澄の手を外側から温かく包み込む。
「かすみん、どうしてそんなに弱気なのよ。あんた、伝えたいことがあるんだって、あんなに意気込んでたじゃん」
あのバンド……。Roseliaの音楽を聞いた時を思い出す。
"私達の音楽が、沢山の人達に届くまで。Poppin’Partyは走り続ける。"そんな決意は、間違いなくなされていたはずだった。
自分達の音楽を、信じることが出来たはずだった。
けど、どうだ。今の私は、なんのなかみもない抜け殻のようだ。
「……なんだろう。なんか、自信が無くなっちゃった」
しおらしく、蕾のまま萎れかけている花だった。
香澄の言葉に、たえが反応する。
「自信……すか?」
「……うん、自信。練習しても上手くいかなくって。ちょっと沢山練習しちゃったら、体壊しちゃって。挙句の果てに、友達達にまで心配をさせちゃう自分が、嫌になっちゃって」
香澄の言葉に黙り込む面々。ただただ虚しく、雨音だけが部屋中に響いていく。
「頑張っても頑張っても。報われないなら、成果が出ないならやる気がなくなっちゃうよね。たえちゃんも、りみりんも、沙綾ちゃんも有咲ちゃんも。皆私よりも成長してるのに……」
「何よそんなの。かすみんだって、私からしたら十分成長してると思うよ」
有咲の、香澄の握る手が強くなる。香澄は、有咲の言葉に顔を上げた。
「成長なんてね、人それぞれでしょう。私は私、かすみんはかすみんなんだから、成長する幅なんて違うに決まってるじゃない」
語尾強く言う有咲。そんな有咲の言葉が若干でも届いたのか。香澄は、若干目を潤ませていた。
「……そうかもしれないけど。けど、それだと! ……私が足引っ張ることになっちゃうし」
ギリギリ届くくらいの声で言う。弱々しいその姿は、普段ライブで見るハツラツとした姿とは程遠かった。
そんな姿の香澄に対し、有咲が口を開こうとした時。りみがそれをさえぎって前に出てきた。
「師匠。師匠は、私達を置いていってしまうのか?」
「……え?」
りみの質問の意味が分からなかった。香澄はりみに聞き返す。
「師匠は、自分が先頭を走っている時。着いてこれない仲間を置いていってしまうのか?」
……そんな、絶対にない。こっちだよって手を伸ばして、引っ張り上げて。皆で相談して、手を繋いでいく。
誰かが止まっちゃいそうになっても、意志と勇気を仲間に伝えて。魔法の言葉を唱えて"一緒に"走り続ける。それが、運命を共にするバンドというもののハズだ。
そう思った香澄は、反射的に声が大きくなってしまった。
「い、行かないよ!」
「ふむ、だと思ったぞ」
りみが有咲の手の上から香澄の手を包み込む。温かなその手から、りみの思いが伝わってくるようだ。
「私は、最初頑固だった。そこに居る蔵ベンケーと、バチバチに言い合うくらいな」
蔵ベンケー、と呼ばれた有咲がピクリと反応する。しかし、りみの真剣な表情を見て静かにそのまま納まった。
「その時に、師匠は置いていかなかった。どっちかを取ることをしないで、言い合ってる私達に待ったをかけて、叩きつけてくれた」
有咲とりみが、蔵で言い合っていたあの時を思い出す。
続けてたえが口を開く。
「かすみんセンパイは、不器用だった自分に手を差し伸べてくれたっす。準備不足で失敗したくないって思っていた自分に……歌に気持ちを乗せて、届けてくれたっす」
一緒にバンドがやりたい! だからこそ完全な準備をしたかったたえ。
けど、そんな事よりも運命を感じたのだ。"Yes! BanG_Dream!"のメロディを探していたたえと、
たえが、自分の手をりみの手の甲に重ねる。
沙綾が、思い出すかのように目を瞑りながら、口を開いた。
「諦めてた私に、またバンドをやりたいって思わせてくれたのも香澄ちゃんだもんね。……まさか、待ってくれないなんて言うとはびっくりしちゃったけど」
前のバンドの、みんなの夢を壊してしまった沙綾。
そんな沙綾に対して、香澄は"どんな事があっても歌う"と言った。歌は、流れ、繋がれ、再び歌われる時を待っているから。そうする事で、音楽は人を救うから。
大切なものを壊してしまっても、何度だって出会える。そう言ったのは沙綾だったが、気づかせてくれたのは香澄だった。
最後に悪戯っぽく舌を出す沙綾。そしてたえの上に手を重ねた。
「……かすみん。これでもまだ、"足を引っ張っちゃう"とか言う?」
有咲、りみ、たえ、沙綾。全員が全員、香澄に引っ張られてきたのだ。
その事を再認識した途端、香澄の頬に涙が伝う。
「でもね、分かるよ。頑張って頑張って、頑張りすぎて、余裕がなくなっちゃったのよね。でもね、かすみん。"かすみんは私達じゃない"の。違うカタチで、同じ日を生きてるんだよ。誰かに合わせていつも以上に頑張ったりしちゃうと、余計に伝えられなくなっちゃうよ」
みんなの心が伝わってくる気がする。
繋がれた手から、違うココロが重なり合って生きていく。閉じたままの蕾が、開いていく。
「かすみんは、かすみんのペースで伝えて言っていいんだよ。それでも足りなかったら、私達が居るから。私達、Poppin’Partyでしょ?」
1番近い、有咲が涙ぐむのがわかった。りみが鼻をすするのが聞こえた。たえと沙綾が涙滴流すのを我慢していた。
「有咲ちゃん……。皆……!」
みんなで走ればいいのだ。皆に置いてかれるとか、そういう事じゃない。自分のペースで頑張って、伝えていく。それでも足りなかったら、上手くいかなかったら、
信じて欲しいことを、信じていれば、こんなふうにそばに居てくれる。誰かが止まりそうになっても、みんなで指を繋いで1歩を踏み出せる!
見えなくなった時にこそ、分かるものがある。
「……ううっ……! みんな……ごめんね……! ありがとう……!」
香澄は、大粒の涙を流した。うわわーんという壮大な茶番のように、泣いた。
泣いて泣いて泣いて、落ち着くまで4人は手を握っていてくれた。
涙の中、香澄は思う。
支えてくれた皆のことを、今度は私が支えるんだと。信じたい事を信じて、仲間が挫折しそうになったら、何度でも救いあげるんだと。
バンドは運命共同体だ。Poppin’Partyも、運命共同体だ。みんなとなら、ふくろう星雲まで行けるのだ、誰1人として置いていく訳には行かない。
……けど、また誰かが間違ってしまうこともあるとも思う。今みたいに、また暗くなっちゃうことだって、あるかもしれない。得体の知れない真っ暗なナニカで、止まってしまうかもしれない。
その時は、歌おう。何度も何度も、歌って歌って歌って奏でて。何度だってサヨナラをしていけばいい。そんな思い出が、私達を
香澄は、泣きながら。4人に包まれながら、そんな事を感じていた。
という事で、「何度だって人間は間違えちゃう。人生は魔法じゃないから」
というお話でした。
元ネタは、ClariSの"CheerS"です。