六本指の猿   作:場理瑠都

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第3話

「俺に仕えたい・・・・・だと?」

 馬上から見下ろすその男は、困惑と警戒感を語感ににじませながらそう言った。

「はい!」

 日吉は、叫んで、問いの主をしっかりと見返した。

 彼よりは、やや年上といったところであるその男は、馬から降りた。

 そのまま、男は日吉に近寄り、彼をじっと見て、言った。

「何故に、仕えたい?」

 何故、お前は俺に仕えたいのかと、そう問われて、日吉は、ぐ、と言葉に詰まった。

 彼自身、理由を答えられなかったからだ。どうして自分が、今目の前に立っている、織田信長という男に惹かれ、仕えたいと切望しているのか、その根拠のない願いの理由が、自分でも、分からなかったからだ。

 

 日吉が、信長という男を初めてこの目で見たのは、昨日のこと。

 五年以上、駿河や三河を放浪して、久しぶりに故郷であるこの尾張に戻ってきて、まだ数日しかたっていないころだ。

 最も、この目で見るずっと前から、日吉は信長という男のうわさを聞いていた。彼がついこのあいだまで仕えていた、松下嘉兵衛という今川の家臣である男の下では、特によく聞いていた。悪い評判であった。尾張の実質的な支配者といえる織田信秀の嫡男、後継者でありながら、ろくに礼儀作法もわきまえず、毎日のように上半身裸の格好で領地の山野を駆けまわり、立ち歩きのままモノを食い、同年代の若者たちと徒党を組んで喧嘩を繰り返しているうつけ、大馬鹿者。それが信長の評判だった。周囲の織田家家臣たちもあきれ果て、信長と父母を同じくする弟こそが次の織田家当主に相応しいと、言い立てているという。既に捨てたといっていい国とはいえ、日吉にとっては故郷である尾張の若殿がそんな有様だと聞いては、彼もいい気分はしなかった。そんなたわけを若殿さまと仰がなければならない、母や弟たちを含む民百姓が哀れに思えたものだ。

 もっとも、民百姓にとって、領主や武士などどれも所詮たかりをする質の悪い存在に過ぎないということを、日吉は既に十分知っていた。

 放浪の旅の中で知ったのだ。

 あの日、義父である竹阿見を殺して村を逃げ出してから、日吉は他国へと向かった。少しでも、あの村から離れたところに行きたかった。見つからないために。そこで、色んな経験をした。盗賊の仲間になったこともあるし、百姓たちの落ち武者狩りに参加したこともあるし、流れの商人たちの仲間になったこともある。そうやって、色んな立場の者たちと同じ釜の飯を食って、食いつないできた。

 意外なほどに、どんなところでも、彼は、それなりに受け入れられた。彼の一本多い親指という身体的特徴は、狭い村の中では虐めの対象になったが、広い世間では全く問題になされなかったといっていい。不思議なことだと、彼は思った。

 とはいえ、だからといって、彼に安住の地はなかった。所詮盗賊は武士たちから討伐される対象に過ぎない。落ち武者狩りで得られる褒美とてたいしたものではなく、戦は毎日あるわけではない。商売はどこの町でもそこに古くからいる商人の団体である座が取り仕切っていて、日吉たちのような流れ者の新参者は暴力による制裁を受けて追い出されるのが常だった。

 日吉にとっては、おそらく一番恵まれた働き口であったはずである、松下嘉兵衛の所からも、結局彼は去らなければならなかった。

 松下嘉兵衛は、優しい主人であった。ある日、屋敷の前に腹が減って行き倒れていた日吉を、彼は哀れに思い、屋敷にあげて飯を食わせてくれ、そのまま使い走りなどをする小者として仕えさせてくれたのだ。

 そこで、二年ぐらい、働いた。温厚な主人の元での働きは心地よかったし、日吉自身働き者であったので、覚えがめでたかった。そんなところからも去らなければならなかったのは、同輩の嫉妬が原因だ。よそ者である日吉に対して、元から仕えていた連中がいじめを始めたのだ。モノを取られる。掃除をしたところをわざと汚される。悪い噂を流される。そこでは当然のように、日吉の指のこともやり玉に挙げられた。指が六本ある化け物なんぞを屋敷に置いておいたら、いずれ松下家に不幸が降りかかる。そう、嘉兵衛の聞こえる前で言ったものもいた。日吉は、人が他人を虐めるときにほとんど正当な理由などないと知った。それどころか、自分の利益にすら長期的にはならないくせに他人を攻撃するのが人間だということを思い知った。日吉を攻撃する暇があったら、自分の働きを少しでも良くするために努力すればいいのに、彼らはそんなことはせず、憂さ晴らしに精を出すのだから。

 所詮、武家に仕えているような連中でさえ、愚かさでは百姓と変わりはない。

 同じところでずっと代々働いているような奴らは、心根が腐っているのだ。盗賊や流れの商人連中が自分に寛容だったのは、彼らが常の道から外れた連中だったからだ。

 何もかもが、馬鹿らしくなって、彼は松下嘉兵衛の下を辞した。優しいが、しかし仕えている連中をきっちりしつけることも不得手な主人は、日吉にいくらかの金子をくれて、送り出してくれた。

 そして日吉は、かつて逃げ出した尾張という国に帰ってきた。

 別に、生きるつてのあてがあってのことではない。ましてや里心などではない。むろん、五年を超える歳月のうちに成長期にあった日吉の外見が少年から男のそれへと変わり、村の近くに来ても見分けられることはないだろうという安心感があったのは事実だが。

 日吉は、ただ、自分がいきれる場所がどこなのか、分からなくなったのだ。わからなくなったから、どこに行っても仕方がなかった。だけど、自分が生まれた尾張という国に戻れば、もしかしたら見つかるかもしれない。そんな根拠のない予感に取りつかれて、日吉は尾張へと戻ってきた。

 もっとも、生まれ育った村にまで戻るつもりなどあるはずもなく。

 尾張にいた時すら、一度も足を踏み入れなかった、那古野へとやってきた。それが、昨日のことだ。

 足を踏み入れてそうそう、町のはずれで、人が集まっているのを日吉は知った。何か珍しいものでも見ているかのように、興奮した群衆が集まっていたのだ。好奇心に駆られた日吉も、何だろうと思いながら、群衆に分け入り、彼らの見ているものを見た。

 小屋があった。兵士たちの囲まれたその小屋からは、男たちの抗議の叫びがずっと続いていた。入口から見ると、その声を上げているのは、仏僧たちであることがわかった。綺麗な袈裟を着た、頭の禿げた男たちが抗議をし、小屋から出ようとするも、武装した兵士たちが押しとどめている。兵士たちは、織田家の旗印を掲げていた。二人の兵士に連行されて、また一人の僧が連れてこられた。彼は抵抗も空しく、小屋に入れられた。

「これで最後じゃ!」

 兵士の一人が叫んだ。

 兵士たちは、小屋の戸を閉めて、そこに大きな板を添え、釘で打ち付けた。僧たちの怨嗟と抗議の声を無視して、彼らは作業を終えた。僧たちは、小屋から出られなくなった。

 馬の歩く音が近づいてきた。

 兵士たちが道を開き、小屋の前に、馬に乗った青年が、姿を現した。

「信長様だぎゃあ」

 群衆の中から、声が上がるのを、日吉は聞いた。

 間を置かず、馬上の青年の声が、当たりに響いた。

 甲高く、大気を震わすような大きな声だった。それまで騒いでいた群衆たちが、思わず口を閉じるほどに、迫力があった。

「俺は、信長だ! 先日死んだ織田信秀の、息子だ!」 

 周囲を圧倒する声を出すその姿は、日吉が聞いていたうつけの若殿の姿とは、大きく違う印象を受けた。

「お前たち坊主どもに、この地を治める織田家の棟梁として、今これより罰を下す! お前たちの罪、それは嘘をついたことだ!」

 信長の口調には、烈しい怒りがにじんでいた。

「俺の父、織田信秀が病に倒れた時、お前たちはなんといったか! 我らが仏に祈れば、信秀様の病はたちまち平癒すると言った! だが、病は癒えず、俺の父信秀は死んだ! お前たちは、嘘をついた! 嘘をつくにとどまらず、病平癒の祈祷のためと称して、我が織田家に多額の金子を要求した! 嘘をついて金子をせしめること、これは悪人の所業だ! お前たちは詐欺師だ! できもしないことをできると称して善人を騙して金子を巻き上げるお前たちは、詐欺師以外のなにものでもない! 詐欺師を生かしておけば、世は乱れる! 民が苦しむ! 民を守る領主たる織田家の棟梁として、俺は今ここで、お前たちに死罪を申し付ける! せいぜい、仏とやらにでも、我らを救ってくれと祈るんだな!」

 信長は、兵士たちに指示を下した。彼らは、矢を構えていた。先端に火が付いた矢を。

 兵士たちは、火矢を小屋へといかけた。

 きっと、あらかじめ油でも塗ってあったのであろう。瞬く間に、小屋は炎に包まれた。体を焼かれる坊主たちの断末魔の叫びが、当たりにこだました。

 火に包まれた僧が一人、焼ける小屋から走り出してきた。刀を素早く引き抜いた信長は馬で駆け寄り、馬上から、その僧を斬った。僧は燃える体を大地に倒れこませた。

 やがて、小屋は燃え尽きた。

 中で死んだ、十数人の僧たちの死体の焦げた匂いが、当たりに充満していた。

 なんと恐ろしいことを・・・・・。

 それもお坊様を・・・・・・。

 やはり、信長様は大うつけじゃ・・・・・・。

 周りの連中がひそひそとそんな風に囁く中、日吉の目は、織田信長という男だけに奪われ、食い入るように見つめていた……。

 その日、日吉はずっと信長の後を追いかけ、城に帰るところを見届けた。

 翌日、馬に乗って、近臣たちと城から出てきた信長の前に、日吉は跪き、直訴したのだ。

「どうか、あなた様の家来にしてください!」

「俺に仕えたい……だと?」

「はい!」

 信長は、馬から降りて、日吉に近づいた。

「何故に、俺に仕えたい?」

 その問いに、一瞬、日吉は言葉を詰まらせた。

 だが、たどたどしく、答え始めた。

「昨日、信長様が、坊主たちを焼き殺したところを、見たからでございます!」

「坊主……あの、詐欺師どもへの成敗を、お前は見たのか?」

「はい! 見ました!」

「何故、あいつらを殺したから、俺に仕えたくなる?」

「坊主は、多くの者が、崇めております!」

 必死に、頭を回転させて、日吉は言葉を紡いだ。

「皆が崇めるものを殺す信長様は、強い! それゆえ、俺は仕えたいのです!」

 どうかしていると、自分でも思えた。

 しかし、生まれてからずっと、世の人間から迫害されてきた日吉にとっては、逆に、皆が崇め尊ぶ僧という人種を公開の場で虐殺するという行為が、とても痛快に感じられた。

 あの死んだ坊主たちも、信長の行為を残虐だと眉をひそめた群衆も、日吉の目には、かつて村で自分を虐めた百姓たちや義父である竹阿見、松下家から彼を追い出した連中と同じ種類の人間に見えた。

 対して信長はどうか。たとえ多くの者から眉を顰められようとも、うつけと陰口を叩かれようとも、おのが正義と信じたことを行う信長に、日吉は、これまで一度も見たことがない「強さ」を感じた。正義などないと承知でモノを奪う盗賊にも、落ち武者狩りの連中にも、ただ利益だけを追う商人にもない強さ。日吉を憐れみから拾いながらも、彼への虐めを止めることもできなかった松下嘉兵衛にはない強さ。そんな強さを、日吉は信長という男に感じた。燃え盛る炎に包まれた小屋と共に立つ信長の姿に、日吉はその炎にも似た強さを感じたのだ。

 そう、彼にとって、信長は炎だ。

 その炎を、近くで、感じたくなった。

 たとえ自分が、焼かれてしまうことがあったとしても。

「皆が崇めるものを殺す強さ……か」

 信長にとっても、そのようなものの見方は、斬新なものに思えたようだ。

 彼は、日吉をじ、と見つめる。

「……お前は、猿のような顔をしているな」

「はい! どうか、サルとお呼びください!」

「ん? お前、それが名前なのか?」

「名前は、ひえよしと申します!」

 日吉は、緊張していた。

 緊張のあまり、テンションがハイになってしまい、自分の名前を変に言い間違えてしまう程だった。(まさか、この間違えていった名前を元に、後に「秀吉」ひでよし、と名乗ることになろうとは、その時の彼は想像すらできなかった)

 そんな日吉を観察しているうちに、信長は、急に眼を開き、跪く秀吉の左手をつかんだ。

「犬! 見てみろ!」

 信長は言った。近臣の一人である前田犬千代(後の利家)が、下馬して、彼の横に立った。

「見よ。この猿、左の指が六本あるわ!」

「なんと……」

 犬千代は、驚いた。

 信長も、驚いていたが、その瞳には、珍しいものを見た時の子どものような、澄んだ輝きが感じられた。これまで、日吉の指を見てきた連中が見せてきた、嫌悪や恐怖は一切感じなかった。後に日吉こと秀吉は、信長のこんな瞳を、その生涯の内に幾度か見ることになる。堺からきた商人から買った鉄砲を見た時や、南蛮人が献上してきた黒人奴隷という肌の黒い人間を見た時も、信長はこんな目を見せることになる。

「面白い! お前は今日から、六つめと呼ぶことにする! 指が六本あるから六つ目だ! 俺に小者として仕えよ!」

 日吉を見て、信長は言った。

「はい! ありがとうございます!」

 日吉は、深く、平伏した。

 

 

 


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